先日、ラダックの属するジャンム・カシミール州立文化アカデミーを訪ねた。アカデミーでは、ラダック文化を紹介するためのラダック語の雑誌・定期刊行物やバクラ・リンポチェ(※)など著名なラダック人の伝記などを出版したり、ラダック語辞書の編纂を行っている。

(文化アカデミー)
※バクラ・リンポチェ :ラダックのスピトク寺の座主でラダックを代表する高僧。政治家としても活躍しインドの国会議員、在モンゴル・インド大使などを歴任。その死後、その業績をたたえて、レー空港はクショ・バクラ・リンポチェ空港と改称した。十六羅漢の1人バクラの転生者とされている。
ラダックに関するさまざまなテーマについて多数の論文や著作を書いている所長のンガワン・ツェリン・シャクスポ氏と会い、いろいろな話題について話を聞いた。なかでも、ラダックとムスタンの関係に興味を引かれたので、今回はこの話題について紹介したい。

(定期刊行物)
(ンガワン所長(右)と
辞書編纂担当の僧侶ドルジェ氏)
私 「ンガワンさんは、ラダックの歴史について研究なさっているのですね」
ンガワン(以下、ン) 「小さなテーマで数多く、広く浅く調べています」
私 「私は、以前ネパールのムスタン地方でNGOの仕事をしていました。ムスタンとラダックの関係について教えてくれませんか?」
ン 「17世紀後半ラダック王国のニマ・ナムギャル王(在位:1694-1729年)のとき、王はヒマラヤ諸国との関係を強化しようと苦慮していました。背景には1678年から1683年にかけて、ラダック王国がダライ・ラマ5世率いるチベットのラサ政府(とその後ろ盾であるモンゴルの連合軍)と戦った『ラダック・チベット戦争』があります。そのため、ニマ・ナムギャル王は娘のノルズィン・ワンモ王女をチベットの南側に位置するムスタンの王子に嫁がせました」
私 「政略結婚ですね」
ン 「王は娘だけではなく大臣も同行させたのですが、この大臣は単に王女の随行員にとどまらず、後にムスタン王のアドバイザーとして活躍したそうです。また、王女がホームシックにならないようにと、ラダックの音楽隊も同行させました。このおかげで、ムスタンには、ラダックの楽器、ダマン(金属製の太鼓)とスルナ(チャルメラ)が伝わり、いまでも用いられているそうです」
私 「ムスタンの首都ローマンタンで、楽師のカーストの人々による演奏を見たことがあります。元は、ラダックの楽器だったのですね。ムスタンの楽師のカーストは、ラダック起源だったのですね」

(ムスタン地方・ツァーランの経堂)
ン 「ニマ・ナムギャル王の息子で、ノルズィン・ワンモ王女の兄弟であるデスキョン・ナムギャル王が即位した後、ムスタン王家との関係をさらに強化するために、ムスタン王家からニダ・ワンモ王女をデスキョン・ナムギャル王の妃に迎えました」
私 「ストク王宮博物館に、ニダ・ワンモ王妃が使用していた真珠と珊瑚でできた頭飾りが展示してありました」

(ラダック ストク旧王宮博物館)
ン 「伝説では、このデザインの頭飾りは、チベットを史上初めて統一したヤルルン王家(中国語では吐蕃王国)のソンツェン・ガムポ王に中国の唐王朝から降嫁した文成公主がつけていた物を模したのだそうです」
私 「ニダ・ワンモ王妃が、ラダック王家に嫁いだ後はどうなりましたか?」
ン 「ニダ・ワンモ王妃とデスキョン・ナムギャル王の間には、サキョン・ナムギャル王子が生まれます。しかし、王はニダ・ワンモ王妃と離婚し、ヌブラ地方から新しい王妃を迎え再婚します。新しい王妃との間に生まれたプンツォク・ナムギャル王子が、王に即位しますが、若死にしてしまいます。その後、サキョン・ナムギャル王子は宗教的にはヘミス寺のタクツァン・レーパの3代目の転生活仏「ギャルセー(王子の意)・リンポチェ」と認定され、政治的には摂政に就任し、政治・宗教の両方面で活躍します」
私 「離婚した後の、ニダ・ワンモ王女は、どうなったのですか?」
ン 「ニダ・ワンモ王女はムスタンに戻ってから、長居せずに中央チベットへ行き、チベット人男性と再婚しました。この2人の間には、パンチェン・ラマ6世パルデン・イェシェ、カルマ・カギュ派の序列第2位の活仏シャマル10世、タシルンポ寺の活仏、と3人の活仏が生まれています」
私 「パンチェン・ラマ6世(在位:1738年〜1780年)は、歴代パンチェン・ラマの中で最も活躍した人ですね。18世紀のチベットで最も活躍した歴史上の人物といってもいいです。東インド会社とブータンの間に起こった紛争の調停をしたり、シガツェのタシルンポ寺で東インド会社のジョージ・ボーグルと会見したり、最晩年には、清朝の乾隆帝に北京に招かれ、そこで没していますね。『シャンバラへの道案内』という書物も記しています。一方シャマル10世は 1788年のグルカ戦争(チベットvs.ネパール)の原因となった人物ですね。(詳しくは『チベット政治史』シャカパ著 参照)

(写真:シガツェのタシルンポ寺)
ン 「ギャルセー・リンポチェも、歴代タクツァン・レーパの中で最も活躍した人物です。彼が、若い王子の後見人になったのは、ラダックが二分していたときでした。いまでも、彼の像が、ヘミス寺やチュムレ寺に安置されています」
ムスタンに生まれ、ラダック王に嫁いだニダ・ワンモは、4人もの活仏を生んだのみならず、その4人が、ラダック、チベット、ネパールの中世の歴史の中で重要な働きをしたのであった。彼女のような母親は、チベット史上1人しか存在しなかったのではないだろうか。
8月14日 晴れ
昨日と今日はラダックでも異常な暑さでした。
飯田泰也
2009 年 9 月 1 日 火曜日



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