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ブータンの「静」と「動」の祭 歴史絵巻プナカ・ドムチェと仮面舞踏ツェチュ

 

文●田中 真紀子(東京本社)

ドムチェ祭でシャプドゥンに扮する

大僧正ジェ・ケンポ

雄叫びをあげたパサップ(兵士)達がベェ(刀)を振り上げ、剣舞を舞いながらプナカ・ゾンの階段を駆け下りていく。遠くでチベット軍の砲火を再現した爆竹の音がし、風が火薬の匂いを運んでくる。普段は穏やかな気性の者が多いブータン。でもこの日、パサップを演じる者からは興奮や誇り、様々な思いがほとばしって見える。そう、今日はプナカ・ドムチェ祭。ブータンでも初春のプナカでしか見られない、チベット軍を撃退した戦を再現した戦勝記念の「動」の祭の日だ。


俗っぽさも併せ持つ歴史絵巻 プナカ・ドムチェ

「ひぇー!こんの、××××(罵詈雑言)!!」

爆竹の残骸を投げつけられたお婆さんの悲鳴がゾン(政庁、宗教施設を兼ねる各県の中心機関)の入口付近に響き渡り、いたずらをしたパサップも、その場にいたブータン人も爆笑の渦に包まれる。

ブータンの祭の代名詞、ツェチュ祭は仮面舞踏を通じて仏教の教えを人々に伝える極彩色の聖なる祭だが、プナカ・ドムチェは近代ブータンの歴史絵巻を展開しつつも、もっと俗っぽく、冗談好きなブータン人の明るさや人間味が感じられる祭だ。

祭の主役はパサップ演じる村人達

ツェチュの主役は間違いなく、ブータン仏教の開祖的存在としてブータン中の国民から尊敬されているグル・リンポチェ、そして仮面舞踏を舞う僧侶達。対し、ドムチェは建国の祖シャプドゥン・ンガワン・ナムゲルに縁の深い祭でありながら、主役は「パサップ」と呼ばれるブータン軍の特別部隊に扮するプナカ近郊の村人達だ。

ジェ・ケンポの御前で舞う

手前は村人が奉納したアラ(地酒)

休憩中はリラックス


5日間続くドムチェの間、パサップ達はブータンの地酒アラ(蒸留酒)をたらふく飲んでいる。祭の高揚感+酒。この組み合わせで興奮するなという方が野暮というものだ。そんな状態のパサップ達の横を女性だけで歩こうものなら・・・格好のからかい対象となってしまう。平素からブータン人にブータン人と間違われることがある私も、キラ(女性用の民族衣装)を着て祭に参加したためか、いきなり後ろから「わぁ!」と脅かされたり、剣で(もちろん鞘には収まってます)腰のあたりをつつかれたりなど、ブータン人と同じ扱いを受ける。脅かす方は当然ながら物凄く嬉しそう。まるでいたずらっこの小学生のようで、どこか憎めない。

そんなパサップ、ただの酔っ払いでは決してない。かつてのブータン軍の軍服と伝えられる衣装を纏い、彼らは祭の間、村の代表として歌い、踊り、法要に参加する。飲んでいる酒とて近隣の人々から奉納された各家庭自慢のアラなのだ。しかも飲みすぎて踊れない、なんて失態を犯すと村長や年配のパサップ達からこっぴどくしかられる為、常にほろ酔いで少しハイな状態を彼らは保っている。

パサップ達は大僧正ジェ・ケンポの御前で護法神に加護を祈る舞を舞ったり、威勢のいい声を張り上げ剣舞を舞いながらプナカ・ゾンの階段を駆け下りたり、全員でウツェ(ゾンの中央にある巨大な塔)の前で円舞を舞いながら整列したり、祭の間ほぼ休みなく動いている。これがドムチェは「動」の祭と称される所以だ。これらは同時進行でゾンの内外で行われていくので、祭の動きにあわせ観客も場所を移して見学していく。

シャプドゥンへ剣舞を捧げる

司令官の一人

剣舞を舞うパサップ


プナカ・ドムチェの歴史背景

そもそもなぜプナカでドムチェが開かれるようになったか紐解いていくと、近代ブータン史が大きく関わっている。遡る事約400年、16-17世紀頃のブータンはモンゴル・チベット連合軍からの軍事的圧力にさらされていた。そんな時代にチベットの高僧で、ギャンツェにあるラルン僧院の大僧院長だったシャプドゥン・ンガワン・ナムゲルが政治闘争(活仏としての認定争い)に敗れ、既に支持基盤のあった西ブータンに亡命してくる。1616年のことだ。

さて、ここまでなら歴史は動いていなかった。

だが、そこは後にブータンを統一し、現ブータン王国の基礎を作ってしまう男、シャプドゥン。ただでは逃げない。亡命する際、なんとドゥク派の秘宝・聖遺物ランジュン・カルサパニ(自然に発生した観音菩薩像)をチベットから持ち出してしまうのだ。これには、ライバルの高僧パサン・ワンポおよびチベット軍も相当慌てたようで、お宝奪還をはかるチベット軍とシャプドゥン率いるブータン軍の対立は、この亡命劇を機に激化することになる。

幾度かの戦いの後、チベット軍が見ている目前で、なんとシャプドゥンはプナカ・ゾンの前を流れる川に秘宝を投げ込む。それを見たチベット軍はお宝を救出すべく当然ながら川へ飛び込むが、流れが速く、聖遺物は流れに呑み込まれていく。結局、何も得られないままチベット軍は奪還を諦め、泣く泣く自国へ撤退していく。去り往くチベット軍を見送りながらブータン軍もシャプドゥンも本当に嬉しかったに違いない。それこそ、笑いが止まらない位に。何故ならシャプドゥンが投げた秘宝は、みかんを聖遺物に見立てた偽物だったのだから。

こうして約400年経った今も秘宝=ランジュン・カルサパニはめでたくプナカ・ゾン内に安置されており、この初春のプナカで起きた川への秘宝投入(みかん投げ)はブータン軍の歴史的勝利を象徴する出来事としてプナカ・ドムチェ祭のクライマックスを飾る。

セルダ(僧侶達による絢爛行列)を

一目見ようと集まった人々

大僧正ジェ・ケンポの投げたみかんを

取りに川へ飛び込む人も


ツェチュで初開帳のトンドルを拝む

ペマ・カルポが描かれた

プナカのトンドル(大仏画)

そんなドムチェの最終日の翌日から、プナカのツェチュ祭が始まる。プナカ・ツェチュは2005年から開催され始めたまだ新しい祭で、それ以前プナカではドムチェだけが開かれていた。そのため2008年のプナカ・ツェチュにご開帳となったトンドル(大仏画)は、史上初公開のもの!トンドルは見ただけで功徳が得られる、という大変ありがたいもので、その初開帳に居合わせるなんて幸運はそうあるものではない。この会場にいた誰もがきっとトンドルに祈りを捧げながら高ぶる気持ちを抑えきれなかったことだろう。プナカ・ゾンの僧侶の話では来年2009年もツェチュの初日にトンドル開帳を行う予定ということだ。

プナカ・ツェチュにはオリジナル演目も

通常どの町のツェチュでも踊られる演目に大きな差はなく、グル・リンポチェの偉業を称える舞などが中心となる。だが、プナカはシャプドゥンと縁の深い土地であるため、他のツェチュでは見られないオリジナルの演目「シャプドゥン・ゼナム」が演じられる。これは、チベットから亡命してきたシャプドゥンをブータンに迎え入れた時の儀式の再現だ。「亡命」と聞いて命からがら逃げてきた様子をイメージしたら大間違い。シャプドゥンの場合は、日本で言う「遷都」に近い。さすが高僧をお迎えするとあって、祝いの品々が広間中央に並べられ、パサップを中心としたブータン軍、護法神、僧侶達の先導役がつく。悠々と入場したシャプドゥンは玉座に座し、その御前で歓迎の宴が繰り広げられ、続いてブータン到着後のシャプドゥンの軌跡が再現されていく。

前日のドムチェと併せてプナカ・ツェチュを観賞すれば、きっと楽しさ二倍になる筈だ。

シャプドゥンへの献上品

「シャプドゥン・ゼナム」の一幕


「静」と「動」の祭

「静」の祭・ツェチュは仏法を説く一種の教訓劇で、祭で踊られる躍動的な仮面舞踏チャムは、悪霊を鎮め、見るだけで功徳が積める有難いものだ。ツェチュは人々に仏教の教えをより分かりやすく、視覚的に伝えることが目的のため、とにかく「見る」ことが大事で、祭にあわせて自らが動き鑑賞するドムチェに対し、ツェチュではゾンの境内もしくは近くの会場で、腰を落ち着けて着座や立ち見で鑑賞する。これがツェチュが「静」の祭といわれる所以である。

シャナ 黒帽の舞

ギュ・ギン 棒のギンの舞


仏教と密接に関わっているツェチュ祭だが、そこはブータン、堅苦しい雰囲気は微塵もなく、家族総出でお弁当を持って舞を観賞し、久々に会う友人や親戚と茶飲み話に話しを咲かせ、若者は祭会場で恋の相手を探す。

ツェチュは荘厳さとアットホームな雰囲気が絶妙にミックスされた祭なのだ。

娘達による歌や踊りも

和かでありながら美しい

プナカの祭会場には

遊牧民ラヤッパの姿も


聖なる「静」の祭ツェチュ、そしてちょっと愉快な「動」の祭ドムチェ。ブータンを代表する2つの祭を一度に見たい方は初春のプナカへぜひ足を運んでいただきたい。何しろブータンの祭は心躍るだけでなく、見るだけで功徳も得られてしまうのだから。

風通信」35号(2008年10月発行)より転載