メキシコのマヤ遺跡~チチェン・イツァー、パレンケ、ウシュマル、カバー、(ティオティワカン)

チチェン・イツァー

メキシコを代表するマヤ遺跡:チチェン・イツァー


9世紀頃まで中米で高度な文明を持ちながら、その後忽然と姿を消したマヤの人々。その理由にはいろいろな説がありながらはっきりしたことはいまだわかっておらず、しばしばマヤ文明は「謎」、とか、「神秘」、という言葉で語られます。

彼らの技術力の高さをうかがわせるのが彼らが放棄した大規模な巨石ピラミッド群です。メキシコ/グアテマラ/ホンジュラスを中心とした広い地域にマヤの遺跡が遺されておりますが、このページではメキシコ東部ユカタン半島に位置するチチェン・イツァー遺跡、パレンケ遺跡、ウシュマル遺跡、カバー遺跡、そしてメキシコシティ近郊のテオティワカン遺跡についてご紹介します。

※グアテマラ・ホンジュラスのマヤ遺跡はこちらのページをご覧ください。



神託は「ビョンッ」と一声 チチェン・イツァー遺跡


エルカスティージョ

エルカスティージョと呼ばれる「ククルカンの神殿」


チチェン・イツァーの見どころは、スペイン語でエルカスティージョ(城)と名付けられた「ククルカンの神殿」が筆頭でしょう。2016年現在、残念ながらピラミッドに登ることはできませんが、その偉容は間近に目にすることができます。

この神殿は、羽毛が生えたヘビの形をした「ククルカン(マヤ語でK’ukはケツァールという鳥、Kanはヘビ)」という神を祀っています。春分/秋分の日没時にだけ階段側面の手すり部分に波打った文様が現れ、下部に置かれたヘビの頭部の彫刻と繋がります。この現象を“ククルカンの降臨”と呼び、マヤ天文学の叡智を一目見ようと大勢の観光客が押し寄せます。


天文台

カラコルと呼ばれる天文台の夕焼け

ククルカン

マヤの龍「ククルカン」

動物の顔

各所にクルカンのモチーフが点在する


セノーテ

セノーテ(泉)の中から42体の遺骨が見つかった

チャックモール

生け贄儀式の供え台として使われたチャックモール


この遺跡でぜひお試しいただきたいのが、各所で“柏手を打つ”こと。ピラミッドの階段正面では「ビョンッ」というククルカンのご神託がこだまします。球戯場は選手たちの声が響くように設計されていたり、王の謁見所から反対の神殿まで小声で会話できるような仕掛けが施されていたりと、マヤ時代は「音」に関する研究も盛んだったようです。

チチェン・イツァーを作ったイツァー族は、西暦435年にテオティワカンからやってきました。定期的に遷都を行なっていた彼らですが、最終的には現在のグアテマラのペテン県フローレス(ペテン・イツァー湖のほとり)付近へ移動したと考えられています。残念ながら、スペイン統治後の足取りは分かっていません。



木製の宇宙船は地上を目指す パレンケ遺跡



宮殿の外観

宮殿の外観 当時は下水道やスチームバスが設置されていました


小高い山の中腹に開けたパレンケ遺跡からは、20世紀に入ってから未盗掘の王の地下墳墓が発見されました。これは「メソアメリカのピラミッドは墓ではない」という当時の定説を覆した大発見だったそうです。

11代王として68年間も在位したパカル王の墓室からは、まるで宇宙船に乗っているかのようなデザインが施された石棺の蓋が出土したため、「マヤ人は宇宙人だった!」なんてトンデモ論が発するきっかけとなりました。現在、本物の石棺はメキシコシティの国立人類学博物館に収蔵されていますが、レプリカは遺跡近くの博物館で目にすることができます。


宮殿の内部

中庭がある宮殿の内部

風のモチーフ title=

T字のモチーフは“風”を表すマヤ文字です


葉の十字の神殿

(トウモロコシの)葉の十字の神殿

太陽の神殿

太陽の神殿は雨の神チャーク殿説もあります

パカル王の石棺

博物館にある石棺のレプリカ


この宇宙船は実際には乗り物ではなく、マヤの生命樹「セイバの木」の力によって、地下に眠る王が地上の世界を支える場面を図案化した物だと言われています。スペイン人の焚書によって文献がほとんど残っていないため、マヤの考古学は想像力が試される学問である事は間違いありませんが、たぶん、宇宙人は関係ないでしょう。

パレンケ遺跡は、碑文の神殿に残された617個の多くのマヤ文字や、トウモロコシの葉をイメージしたとされる窓が備え付けられた「葉の十字の神殿」、天文観測塔として使われていたらしい4層のタワー状建築物、頭蓋骨の浮き彫りが施された「頭蓋骨の神殿」などが見どころとなっており、1987年にメキシコ第一号の世界遺産として登録されました。



イグアナはかく語りき ウシュマル遺跡/カバー遺跡


双頭のジャガー

神と人とを表している双頭のジャガー


ウシュマル遺跡のアイコンは、高さ38mの魔法使いのピラミッド。その名は「“鳴らした者は王になる”という鈴を手にした小人が、魔法の力により一晩でピラミッドを完成させた。」という口伝に由来するそうです。きっと世継問題に頭を悩ませていたのでしょう。ネパールのシヴァ・リンガや信州の道祖神のような、男根を模した石像が立ち並んでいるのも印象的です。

一方、カバー遺跡はウシュマル遺跡から当時のサクベ(マヤ古道)で18kmほど離れた場所にあり、ウシュマルとは姉妹都市だったそうです。現在の遺跡から道を挟んだ反対側が本来の中心地であったとされていますが、残念ながらほとんど復元されておらず、ウシュマル遺跡まで繋がるサクベの入り口として使われていたアーチ状の建造物だけが残されています。


魔法使いのピラミッド

曲線使いが優美な魔法使いのピラミッド

集められた男根像

無造作に一箇所に集められた男根像


プウク様式

レリーフが美しいプウク様式の建物

イグアナ

遺跡の岩陰に住み着いたイグアナ


顔文字

アハウ(王)という意味の顔文字

チャック

水を意味する象のような鼻を持つチャック神



これらの遺跡が位置するユカタン半島の丘陵地帯を「プウク」と呼びますが、ウシュマルやカバーの人々は独特のスタイルを持ったプウク様式という建築方法を確立しました。神殿などの建物の側面に、ヘビや鳥、水や雨の幾何学模様などのモチーフで装飾しているのが特徴です。河川がないこの周辺では水不足が悩みの種だったようで、雨の神とククルカンの神の家系の支配者を象徴して、両遺跡とも雨の神チャックやククルカンを祀るレリーフが多く残されています。

支配者が消えた後、遺跡には沢山のイグアナが住み着いています。飲み水や後継者に悩むこともない彼らは、岩陰で「ケセラセラ」と笑っているのかもしれません。



マヤとは一味違う神都 テオティワカン遺跡


太陽のピラミッド

高さ65mもの大きさがある太陽のピラミッド


テオティワカンは独自の文明を誇った国家の遺跡ですが、マヤ文明と違い文字をほとんど持たなかったため、その歴史や王の名前はマヤ遺跡に残る記録からしか分かりません。テオティワカンの支配者はケツァルコアトルをまつる同名の王家であったと考えられます。

マヤ各地の遺跡でテオティワカン特有の武器を持つ戦士やトラロック(テオティワカンの神)のレリーフが見られる他、テオティワカンの月のピラミッドに偉そうなマヤの神官が埋葬されていた事、高度な神殿群が発達したパレンケ・コパン・ティカルなどでテオティワカンの血族が王家を継いだというマヤ文字が解読された事などにより、テオティワカンはメキシコ地方からマヤまでを支配した一大国家であったと考えられています。マヤの貴族はみんなテオティワカンに端を発する親戚筋だったと考える人もいるほどです。


ジャガーとトラロック

雨を呼ぶジャガーと星形のトラロック

月のピラミッド

高さ47mの月のピラミッド


トラロック

メガネのような形が特徴のトラロック神

ケツァルコアトルの神殿

沢山並んだ顔が面白いケツァルコアトルの神殿


太陽の円盤

太陽のピラミッド近くから出土した「死者の世界の太陽の円盤」

壁画

雨の神トラロックが水を呼ぶ儀式をしている壁画



テオティワカンとは“神々の住む所”という意味だそうです。この王家の住居と神殿が放棄された後、12世紀頃にこの地にやってきたメシカ人(アステカ人=今のメキシコ人の祖先)が、「この立派な建物は神々が作ったのだ」と想像してこう名付けたと言う人もいますが、ひょっとしたらテオティワカンの王家は、マヤの人々から本当に“神”扱いされていたのではないでしょうか。そう考えると、テオティワカンがあえて文字を持たなかったという謎や、遠く離れた各地のマヤ国家で王家を継いだ理由が、なんとなく理解できるような気がします。

遺跡は太陽のピラミッドと月のピラミッドという2つの金字塔が目玉となっていますが、テオティワカンを訪れたなら、ぜひ「ケツァルコアトルの神殿」へ足を運んでみてください。ケツァルコアトルやトラロックなど、マヤとは一味違うユニークな神々の彫像が目を楽しませてくれるはずです。