住んでみたい島・タスマニア 〜旅の風に吹かれて〜

各分野で活躍し、その知識や経験で、皆さんの旅を表からも裏からも盛り上げる、風の助っ人達が、旅の魅力を語る『旅の風に吹かれて』。今回は、日本のエコツアーの草分け的な存在・YNAC(屋久島野外活動総合センター)の市川聡さんが「住んでみたい島・タスマニア」を語ります。



タスマニアンデビル

あ!ウォンバットだ!!

のそのそハリモグラくん

クレイドルマウンテンを望む

■夜の森

ウギャー!グォグゥーガグギー。
吸い込まれるような森の闇に響く不気味な声。ヴアリッ、グオリッと屍体の骨を砕くはみ音。どこかでタスマニアンデビルが屍肉をむさぼり、奪い合っているようだ。
樹上に赤く光る大きな丸い目がゆっくりと枝から枝へと渡る。ポッサム(フクロギツネ)は、あまり人を恐れず、すぐそばまで降りてくる。
足下をジグザグと走り抜けたのは、クオール(フクロネコ)だ。すばしっこいのでなかなか写 真に収めることができない。
草原に100万カンデラの灯りを向けると、至る所でアカクビワラビーがすっと背を伸ばしこちらを振り返る。一回り小さなパディメロン(アカハラヤブワラビー)がうずくまる姿は野ウサギのようだ。
その影からのっそりとでてきたのはウォンバット。灯りを向けるとすぐにプリプリしたお尻を向けて逃げてしまう恥ずかしがり家。お尻が堅いのが唯一の防御というのだから、それも致し方ないことか。そのうまそう?なお尻をとくとご覧頂きたい。
恐竜全盛の時代にゴンドワナ大陸からわかれたオーストラリアでは、真獣類の侵入をまぬ がれ、より古いタイプの哺乳類である有袋類が成功裏に適応放散を遂げた。しかし残念ながら西欧人の侵入とともに楽園の歴史は終り、大陸部においては絶滅した有袋類も多く、野生の姿を見ることができる場所は限られている。
この地上に残された最後の有袋類の楽園。それがタスマニアなのだ。
この他に、卵を産む希少な哺乳類(単孔類)、カモノハシやハリモグラ、また海ではフェアリーペンギンやオーストラリアオットセイが見られ、まさに野生の王国である。


マイナスイオンたっぷりの滝

大きなユーカリの木の下で

ユーカリの木

■世界一きれいな空気

タスマニアはオーストラリアの南東部に浮かぶ、北海道を一回り小さくしたくらいの島。緯度も北海道と同じくらいの位置になるので、南半球の北海道を想像しがちであるが、気候的には極めてマイルド。冬は東京より暖かく、夏は札幌より涼しい、まさに常春の気候。南半球の偏西風地帯にあたり、西風が卓越するが、タスマニアの西は、ぐるっと地球をまわってパタゴニアあたりまで陸地がない。このため大気汚染とは無縁で、世界で最も空気のきれいなところとも言われている。
タスマニアでは雨水をためて飲用にしているところが多いが、これも大気が澄んでいるから。山の川の水も普通 に生で飲めるのだが、こちらはタンニンが含まれるので、かえって雨水の方がおいしいぐらいだ。いずれにせよ生水がおいしく飲めるというのは幸せである。
おいしい水はおいしいお酒を産む。タスマニアには極上のワインとビールがある。穏やかで、空気がきれいで、水がおいしい。それに極上のワインとビール。そこに40万人しか人が住んでいないというのだからなんとも贅沢な話だ。
西風がもたらす雨は、脊梁をなす山の西側に多量の雨をもたらす。この雨が作る美しいレインフォレストは屋久島そっくり。南半球で唯一なぜかタスマニアにはスギ属の樹木がある。キングビリーパイン、ペンシルパインといったタスマニアスギが生い茂るクレイドルマウンテン周辺の亜高山雲霧林は、まさにヤクスギランドそっくり。樹齢1500年を超えるスギもあり、まさにタスマニアのヤクスギといったところである。
もう少し標高の低いセントクレア湖の西岸には、ナンキョクブナ・マートルのレインフォレストがある。古くからアボリジニの人々に利用されてきた地域で、狩猟のためたびたび火入れを受けてきた。焼かれた森にはまずユーカリが一斉に生える。このユーカリ、次第に大きくなりガムトップストリンギーバークなどは高さが60mにもなる巨木林を作る。しかしユーカリの巨木に覆われた林床では、日当たりが悪くなり、もうユーカリは育たない。そこに芽生えるのがレインフォレストの主役・マートル。マートルが大きくなり亜高木層を占めるようになると、ユーカリは次第に寿命がつき、巨大倒木の重なる若いマートル林へと変わってくる。この倒木が分解され土に帰る頃には、マートルが成熟した巨木林を作り美しいレインフォレストが復活するのだ。
ラッキーなことにセントクレア湖西岸では、この何百年もの森林の遷移を今、目の前で見ることができる。湖岸に次々と現れる森の遷移は、タスマニアのレインフォレストの歴史絵巻である。
ナンキョクブナを含め、タスマニアのレインフォレストにはゴンドワナ大陸由来の植物が多い。現在の南半球は、海がちで、氷に覆われた南極大陸を除いて、大陸同士は遠く離れた位置にある。しかしナンキョクブナのように南半球に共通して広く分布するものも多い。これはゴンドワナ大陸時代、南半球の陸地が大きく一つの巨大大陸を形作っていたことの名残である。こうした古い植物達は、地球の乾燥化に伴い、限られたレインフォレストに隔離分布している。タスマニアのレインフォレストに遙かゴンドワナ時代の太古の森の姿を見ることができるのである。
脊梁山地を超え東に向かうと次第に降水量が少なくなり、乾燥したユーカリの林へと変わっていく。しかし脊梁山地の東斜面では、強い西風が遮られて、適度な湿潤地にはユーカリの巨木林を形成する場所がある。マウントフィールドのスワンプガムはまさにユーカリの王者と呼ぶにふさわしい巨木をなす。高さ80m近い巨木が林立する姿は圧巻。常識を覆す森にただ呆気にとられるばかりだ。

■住んでみたい島

降水量を横糸に標高を縦糸に、無数の野生動物を織り込んだタスマニアの美しい森。
夜、動物を求めて小高い丘に登る。ライトを消した瞬間に広がる満天の星空。南十字星の横には、大マゼラン星雲が打ち上げ花火のように円く霞んでいる。行ってみたいと言うよりも住んでみたい島、それがタスマニアだ。


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