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ベトナムでは米は粉になって麺として胃袋に収まる

 

文●眞鍋じゅんこ  写真●鴇田康則

町の美容室にて。営業の傍ら、店内で昼食のブン料理を食べる(写真:鴇田康則)"
町の美容室にて。営業の傍ら、店内で昼食のブン料理を食べる

1986年のドイモイ*から数年後、私と夫はベトナムに通い始めた。なるべく毎年数週間ずつ滞在しては、北は中国国境から南はメコンデルタのカマウ岬まで歩いた。ベトナム族や少数民族の住居に食生活、冠婚葬祭や民間療法などを各地で記録するためだ。
旅の間はホテル泊以外に、ツテのある場所ではなるべく民家に滞在した。ホーチミン市や近隣の町場では商店や町工場、中部高原では漢方医宅、メコンデルタではヤシ農家。ハノイではフランス領時代の古びた洋館の一室に短期下宿して、人々の普通の生活を覗いていた。これが面白いのである。
「昔の日本の生活」が、あっちこっちで普通に展開しているのだ。
実は私と夫は1980年代、北海道から沖縄までの山村や離島の小さな村を訪れては、数日から数週間滞在して村の方達の生活を記録して歩いていた。その時、日本のお年寄りが「昔話として」教えてくれた暮らしぶりが、彼の地ではそのまま現役だったのだ。
たとえば当時のベトナムには、電気の無い村はいくらでもあった。暮らしの中心時間は朝日から夕日までで夜はランプ。小さなランプの光をたよりに静まり返った夜の生活は、心を豊かに落ち着かせてくれた。ホーチミン市やハノイ市といった大都市でさえ停電は日常茶飯事で、ろうそくはいつも手元に置かれていた。
そこで気になったのが食生活だ。
電気があてにならないので、人は乾物等以外の買い置きはしない。毎食事ごとに市場に通い、新鮮な食材を調達するのだ。店に冷蔵庫はなく、運搬も保冷車どころかトラックすらほとんど無かったので、周辺の農村部から自転車やバイクで運ばれて来たものばかり。文字通りの地産地消文化だった。

ハノイ近郊の農村で、漁師から魚を仕入れる市場の売り子たち。ケンカ腰の迫力(写真:鴇田康則)
ハノイ近郊の農村で、漁師から魚を仕入れる
市場の売り子たち。ケンカ腰の迫力

私も滞在先の家人と、よく買い物に行った。市場はいつも大賑わい。買い物帰りに屋台の甘味屋に寄って、ベトナムしるこやカットフルーツを頬張ったりするのが、女達の楽しみでもあった。
出来合いの総菜販売や外食も発達していた。中でも身近なのは、手軽に作れる麺類である。道ばたで低い椅子に腰掛けたおばさんが、傍らの七輪でスープを煮込みながら麺をさっと茹でて丼にスープと具を入れ、客に供する。旨い!
特にハノイでは下宿やミニホテルに泊まることが多かったので3食外食。そのため屋台観察が重要で、部屋の窓辺から眺めるとこれが面白い。まず早朝、路地の入口でおばあさんが極小屋台を開く。近所の大人や子どもが丼を抱えて食べる。日が高くなる頃、屋台は消える。すると違う場所に違う種類の麺類の店が開くのだ。町に店を構えた麺料理屋も様々な種類があった。
日本でベトナムの麺料理といえば「フォー」を思い浮かべるが、現地の麺料理はもっと多様だ。そして北部に関しては「フォー」より「ブン」と呼ばれる麺の方が、日常生活には身近な気がする。
ハノイの人によれば、「フォーは恋人と食べに行くもの、ブンは女学生がお喋りに興じながら食べるスナック」という。日本風に言えばラーメンはわざわざ有名店を食べ歩くが、そばは駅の立ち食い、あるいは家庭でささっと作れるうどんやそうめんという感覚なのかもしれない。「ブンはご飯的位置づけ」とベトナム人もいう。
またフォーはスープを何時間も煮込んで作るのに対し、ブンはニュックマム(魚醤)のタレをつけたり、野菜や肉などの具と混ぜこぜにすることも多い。しかも茹でブンを買って来てそのまま食べるか、さっと湯に通す程度だ。扱いやすいがゆで麺のため傷みやすい。そこで屋台では少量販売で早じまいするのだと私は勝手に分析した。
フォーはフォーで、やはり「冷蔵庫をあてにしない」販売法だった。同一の店でも朝は生牛肉をしゃぶしゃぶ状にするフォーで、夜は炒め牛肉焼きそば風フォーだったりする。これもまた腐敗対策の工夫なのだろう。


調べてみればベトナム各地にご当地麺があるのだった

ある日『アジアで麺』(トラベルジャーナル社)の執筆を依頼され、私はベトナムを担当した。しかし17年前の当時は資料が全然なかった。ようやくアジアの麺類を系統立てて調べた『石毛直道の文化麺類学・麺談』(フーディアム・コミニュケーション社刊)という書物を見つけた。民族学者の石毛直道氏が世界の麺を網羅した力作だ。大喜びで読み進めたものの、私は絶望の淵に立たされた。分厚い書物の中でベトナムに関する事柄はこんな1文だったのだ。
「・・・ベトナムの麺食史については、私の手の届く範囲では情報がなくて、何ともわからない」。
仕方なく、その日から在日ベトナム人を訪ね歩き、現地ではベトナム人の知り合いと共に市場や食堂や屋台をひたすら回り、ベトナム人の奥さんに料理を作ってもらい、ベトナム語の料理本や植物図鑑、農業辞典を辞書と首っ引きで読み解いていった。
ところが現地を歩くうちに、またまた壁にブチ当たった。皆、「自分の土地のご当地麺」のことしか知らないのだ。
考えてみれば日本だって「長崎ちゃんぽんや沖縄そばの麺の原料と製麺法、ダシの取り方や具は何か」などと、すらすら言える人はそういない。ましてや全国的グルメ雑誌や番組もなく、「冷蔵庫がなくても腐らない距離」でしか食べものが流通しない当時のベトナムにおいて、正確な情報を得ることは至難の業だった。
それでも地道に調べていくうちに、ベトナムには米粉と小麦粉の他に、タピオカ、食用カンナ、緑豆など、さまざまな素材を用いた麺があることを知った。ご当地で採れる原料を巧みに麺に仕立て上げているのだ。そんなこんなで、たった8ページの記事を書く為に数ヶ月の時間を要した。
麺の歴史や流れを知って食べると、これまた味わい深い。

半生牛肉入りフォーには薬味大量(写真:鴇田康則)
半生牛肉入りフォーには
薬味大量

たとえば米粉で出来た麺、ブンとフォーはどちらも北部が発祥といわれている。その昔、中国からもたらされたらしい。フォーは中国広東省の「ホーフエン」(河粉)、福建省の同じ米麺「グユアチヤオ」が、南部でいう「フー・ティヨウ」やタイの「クオイ・ティオ」などの語源とか。また中国国境からラオス、東北タイのタイ系民族が食べる「カオ・プン」という麺があるが、これは「カオ = ご飯」「プン = 孔から押し出す」という意味だと、先の石毛直道氏は説く。ベトナムの「ブン」もその支流かもしれない。
中部の古都、フエの片田舎で見た麺の作り方も思い出した。野外でぐらぐらと湯の煮立った鍋の上に空き缶状の筒を吊るし、そこに米粉を水で溶いたものを入れる。すると底にあいたいくつもの穴からニュルリと丸麺が出て、これを茹でて丼にあける。これが押し出し麺の原理だ。至福の味だった。


長年の「知りたい!」と解き明かす麺をめぐる旅へ

この度、風カルチャークラブのご厚意で、「ベトナム麺紀行」を企画させていただくことになった。もちろん「おいしいフォー」を食べるツアー、だけでは無い。「フォーとブン」の麺はどうやって作るのだ? 田んぼは? 別な土地ではどんな麺料理が食べられるのだ? 知りたいことがたくさんあり過ぎる。
そこで今回は、米粉の麺類に焦点を当てた。ハノイにおけるフォーとブンの知識を深め、また中部ではダナンのミークヮン、かつて日本人町があったホイアンでは、名物麺のカオ・ラウを食べにいく。このカオ・ラウ、「日本の伊勢うどんがルーツでは」と噂される汁少なめの太麺で、この町の井戸水無しには作れない。
ハノイのブンだって、精進ブン、揚げ春巻きと肉団子載せ、カニ味噌載せやタニシ入りなど、我々の想像を越えるバラエティを食べ尽くしたくなる。ああ、胃袋がいくつあっても足りない。

食材を並べる町の食堂(写真:鴇田康則)
食材を並べる町の食堂

近年日本では余剰米対策として、米粉の活用が叫ばれている。昔から米粉は和菓子に使われているが、もっと現代の食生活に取り入れようと各地で熱心に研究されているのだ。
そこで知りたくなる。なぜベトナムやタイでは、古くから米を粉にし、麺料理に用いたのか。「米粉の麺」とひと口にいっても蒸したり発酵させたりすることもあり、案外手間ひまかかる食材らしい。彼らの米はぱさぱさなインディカ米であり、日本の粘り気のあるジャポニカ米とは違うけれど、何か日本で応用できるヒントが隠されてはいないだろうか。米生産量はタイに次いで世界2位というベトナムに、日本の米文化の未来を探りに行ってみたい。
なーんてね、主眼はあちらこちらでベトナム麺。食べましょう!

* 1986年12月の第6回ベトナム共産党大会で掲げられたスローガン。1976 年に南北ベトナムが統一されてからの計画経済を市場経済へと転換させ、国家管理のもとで人民を豊かにし文化的で強い国家を建設することを目標にしたもの。

風通信」45号(2012年4月発行)より転載