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ラオス ジャール平原への旅 〜第一話 謎の石壺を追う〜

 

ラオスに残る石壺伝説

人の背丈もある石の壺

人の背丈もある石の壺

1,500年前、ラオスの高原地帯を治めていたアンカという王が悪政で人々を苦しめていました。北にいたチュアンという王が人々に請われて、長い戦いの末、アンカ王を攻め滅ぼしました。チュアン王は、大きな壺を造ることを命じ、それに酒を満たし、みんなで勝利を祝いました。その大きな壺が、今、ラオス・ジャール平原に残る石壺、その酒がラオスの焼酎「ラオラオ」だと言われています。また、一説には、ここには巨人の種族が住んでいて、彼らが戦いの後に、石壺を手に祝杯を挙げたという話もあるそうです。

伝説の舞台 ジャール平原

眼下に見えるベトナムへと続く山岳地帯

眼下に見えるベトナムへと

続く山岳地帯

ラオスの首都ビエンチャンを飛び立った飛行機は、小さな島々が点在する湖を越えたかと思うと、ベトナム国境へと続く緑濃いなだらかな山岳地帯に差し掛かります。緑に覆われた山々の尾根筋には人々の生活道とおぼしき細い線が何本か見て取れます。その先に、パッチワークの田畑が広がってきます。ビエンチャンから空路で30分。直線距離で約170kmの距離にあるシェンクワン県の中心地ポーンサワン、ここが伝説で語られた石壺があるジャール平原の中心地です。

ポーンサワン付近には謎の石壺を目の当たりにできる場所が3箇所(サイト1〜3)あります。サイト3には大小あわせて約50の、サイト2には約 100の、そしてサイト1には約250もの石壺が散乱しています。石壺の形は、ずんぐりしたもの、細身のものなどさまざま。大きさも腰掛程度のものから、大人二人が立ったまま入れそうな巨大なもの(最大で高さ約3m、直径約1m、重さにして数トン)まで、大小さまざまなものがあります。肩を寄せ合うように並んでいるものもあれば、ポツンと孤立したものもあり、ごろごろと平原に惜しげもなく転がっています。一説には、石壺は星座に倣って配置されているとも。いずれも地中深く埋まってはおらず、何かの原因で傾いたり、割れたり、そして、中には旋盤で削ったのでは?と思うほど綺麗なカーブを持った壺もあります。

サイト1〜3ともに少し高台にあり、場所の選択にもどこか戦略的でミステリアスなにおいも感じます。もしくは、単純に祝杯を挙げるに気持ちがいい場所なのかもしれません。ここシェンクワンを中心に実に58箇所(サイト)でこのような謎の石壷が発見されており、その内6箇所が公開されているそうです。

目の当たりにすると、その巨大さに圧倒されるのですが、果たしてこの石壺はどうやって造られたのでしょうか?

石壺はどうやって造られた?

周辺に広がるのどかな農村風景

周辺に広がるのどかな農村風景

その壺は2,500年前(青銅器時代)に造られたといわれています。巨人が運んだという説もありますが、地元の人々は、この壺は人工的に造られたとも言います。モン族のガイド氏曰く、「ここから何キロも離れた山から砂岩を切り出し、象を使って運び出し、それを砕いて、サトウキビ、水牛の皮を粉末にしたものを混ぜ合わせ(膠のように接着剤の役目を果たす)、大きな塊を造り、そして、それを穿って壺を造った。自然の岩だと風化してしまって、現在まで残っていないはずだ」と。しかし、地質学者の調査では、「砂岩」または「花崗岩」を青銅器や石器で彫ったものと判断されたようです。発掘された青銅器や鉄器で彫られたと考えられています。それにしても、周囲は、高床式の民家と田畑ばかりが目に付く「木の文化圏」、そこに突如として現れる巨石文化には、宇宙人説はないとしても、とてもミステリーを感じます。

また、同じような石壺が、ベトナムの南シナ海海岸から北東インド(アッサム付近)で発見されており、当時の塩の交易路に沿って広まった文化だったのではないかとも言われています。

では、石壺は何のために造られたのでしょうか?

なぜ石壺は造られた?

1930年代にフランス人考古学者コラニー女史によって発見されたときには、すでにほとんどの石壺の中は、盗まれて空だったそうですが、ごく一部に青銅器、鉄器、ガラス玉、紅玉髄や子安貝などが見つかりました。また、サイト1のすぐ脇の洞窟を発掘したとき、天井にすすのついた穴のあること、人骨を燃やした形跡があることから、石壺は火葬した人骨を納める石棺として使用されたという説を立て、現在まで最有力な説とされています。が、他にも伝説の語られたように祝い酒を入れたとか、旅人ののどを潤すための水を貯めていたとか、米の貯蔵庫だとか、宝の隠し場所だとか、(どこで読んだか思い出せないのですが)宇宙船だという説もあるそうです。モン族の神話によると、ラオスを構成するラオ族、カム族、モン族は昔ひとつのひょうたんに中に住んでいて、順番にひょうたんを飛び出して来た……とか。それを考えると、宇宙船説もありかとも思えてきます。

天井部に穴が開いた洞窟ここで火葬が行われていた?

天井部に穴が開いた洞窟

ここで火葬が行われていた?

モン族たちが暮らしていた(?)というひょうたん

モン族たちが暮らしていた(?)

というひょうたん


ラオスはすでに、14世紀以来の古都「ルアンプラバーン」とカンボジアにも近い南部のクメール遺跡「ワット・プー」が世界遺産として登録されていますが、現在、このジャール平原が3つめの世界遺産として申請されています。皆さんも、ラオスで未来の世界遺産の謎に挑んでみてはいかがでしょうか?