特別記事

【寄稿】カンボジアに咲く 仏様の微笑

 

カンボジアの農村で出会った子供たち(撮影:阪口克)


カンボジア地図

カンボジア人の微笑

カンボジア人は静かだ。市場の中国人やベトナム人はいつも精力的で、外国人旅行者にモノを売りつけようと必死だが、カンボジア人はそんな彼らを、少し離れたところから静かに眺めている。

カンボジアの歴史は、どちらかというと明るいものではない。スルヤヴァルマン二世がアンコール遺跡を完成した12世紀頃が、クメール王朝の絶頂期だったと言われる。それ以降は、南下してきたシャム王朝とベトナム王朝に挟まれ、圧迫され、服従する時代が続いた。首都プノンペンはメコン川流域の交通の要衝だが、地味が痩せていて、実はあまり住みやすい土地ではないそうだ。カンボジア人がそこに首都を定めたのは、タイとベトナムに挟撃されて逃げ込んだことによると言われる。湿地帯であったプノンペンが、最後の砦だったのである。

ポルポト派による虐殺事件も、彼らに暗い影を落としている。今回の取材でお世話になったトンレサップ湖の漁師さんは、ポルポト時代には20歳過ぎの若者だった。きっとつらい経験をしたに違いない。ガイドさんに、そのことを尋ねてもよいものかどうか聞いてみた。

「親しくなったら聞いてみてもいいかもしれませんが、あまり話したがらないと思いますよ」

トンレサップの漁村(撮影:阪口克)トンレサップの漁村

外国人の私たちには、彼らの悲しみは想像もつかない。年配のカンボジア人なら、ポルポト時代に複数の肉親を失っていて普通だそうだ。一説には国民の3分の1が殺害されたといわれるから、カンボジア人の多くが、親兄弟のうちの何人かを亡くしていることになる。プノンペンのトゥールスレン収容所は、思想犯を収容する施設だったが、現在では博物館になっており、殺害された人々の、表情のない無数の顔写真が貼られている。それは死を覚悟した人間の顔であった。彼らはほとんど抵抗することもなく、キリングフィールドに連行されていったという。

30年以上経った今でも、彼らの心にはポルポト時代の暗い影がさしている。そしてカンボジア人がいつもたたえている静かな微笑は、彼らが歩んできた苦難の歴史と無関係ではないような気がするのだ。

バナナの木

水牛車に揺られてゴトゴトと(撮影:阪口克)

広大な水田を水牛車に揺られてゴトゴトと

私たちがお世話になった日本語ガイド、サロンさんの実家は、シェムリアップ北部のソロン村という小さな農村にあった。高床式の家々が軒を連ね、庭には水をたたえた大きな水瓶がいくつも並んでいた。カンボジア人はムッタク(水浴び)が大好きである。腰巻き姿で、1日に2、3回はムッタクをする。私たちもさっそく海パンに着替えた。手桶に水をくんで頭からバシャバシャ浴びる。水は心地よい冷たさで、暑さに火照った身体がすーっと冷やされていく。石けんを使う必要もない。肌に張り付いた汗が熱とともに流れ落ちていく。ムッタクをしたあとは、高床式の広々とした板張りの床で、ゴロリと横になる。ひんやりと涼しく、気持ちがいい。

「爽快だねえ」

「このまま昼寝でもしようか」

ゴロゴロしている私たちを、サロンさんとご家族は微笑みながら、静かに眺めている。

サロンさんの家にはバナナの木が何本か植わっていた。バナナは苗を植えて一年で花が咲き、それから年に1回、実がなるそうだ。2年目も大丈夫。3年目になると、モンキーバナナのように小さな実しかならなくなる。多くは3年目で切り倒してしまうが、新芽は毎年、生えくる。バナナは世代交代しながら、地味が衰えるまで繰り返し実を茂らせる。

韓国の済州島では、かつてミカンの木のことを「大学の木」と呼んだそうだ。子供が生まれるとミカンの木を植える。子供が大きくなる頃、ミカンの木はたわわな実を茂らせる。韓国ではミカンは済州島だけの特産品で、大変高価な果物だった。だから島民はミカンを植えて、子供の学資にしたのである。カンボジアでも、子供の学費を稼ぐためにバナナの木を植えるそうだ。どこの国でも、子を思う親の気持ちは変わらない。

ポルポト時代に人々を殺害したのは、ポルポト派によって思想教育を受けた少年たちだったという。彼らの多くは現在、40代後半で、子供を持つ親の世代になっている。

君がためにバナナを植える(撮影:阪口克)君がためにバナナを植える

雨が降ってもムッタクして遊ぶ子供たち(撮影:阪口克)雨が降ってもムッタクして遊ぶ子供たち


仏様の微笑

ソロン村のはずれには、広大な水田が広がっていた。もちろんサロンさんの水田もある。カンボジアでは生まれた子供たちに、均等に農地を分け与えるそうだ。国土のわりに人口が少ないカンボジアでは、まだまだ可耕地が残されているのだ。あぜ道を水牛車に揺られてゴトゴト進んでいくと、貯水池が見えてきた。

灌漑用水として生活を支える蓮池(撮影:阪口克)

灌漑用水として生活を支える蓮池

「ちょっと待ってて」

近所の子供たちが服を着たまま次々に飛び込んだ。タイ人やビルマ人は、内陸の雲南省やチベットから南下してきた人々だが、カンボジア人は生粋のインドシナ出身である。彼らがことのほか水が好きなのは、きっと彼らの中に海洋民族の血が色濃く受け継がれているからに違いない。そんなことを思いながら待っていると、ずぶ濡れの子供たちが上がってきた。笑いながら差し出す彼らの手には、シャワーヘッドのような形をした「ハスの実」があった。食べてみると、ゆでピーナツに似た香ばしい味がする。何年も前にカンボジアを訪ねた時にも、雨宿りをした家でごちそうになった。確かあれも、トンレサップの船着き場だった。

貯水池を見渡すと、ハスの葉がたくさん浮かんでいた。

それを見た時、私はフト気がついたのである。

カンボジア人の全てを受けいれたかのような静かな微笑は、仏様の微笑と、よく似ているのだ。


風通信」39号(2010年3月発行)より転載