ベトナム・ハジャンへの旅

ハジャンの奥地ルンカム谷 モン族や花ロロ族の村がある ハジャンの奥地ルンカム谷 モン族や花ロロ族の村がある

《ベトナム北部辺境地の基本知識》

ベトナム北部は中国雲南省南部と国境を接しています。この国境付近は石灰岩を多く含む山岳地帯で平地が少ないところで、17世紀ごろから様々な少数民族が中国(明、清など)の圧政から逃れてきました。そのひとつがモン族。中国ではミャオ族と呼ばれ、地域ごとに違う民族衣装で知られています。ベトナムのモン族も美しい晴れ着が有名で、市場などで見かけることがあります。
人々は山岳地帯の中に盆地を見つけては開墾し、できる限りの山の斜面を利用して田んぼや畑を造り続けました。その結果、山々を縫うような続くクネクネ道や延々と続く美しい棚田ができあがりました。

さて、最近までベトナム北部の秘境の代名詞は「サパ」でしたが、2015年に麓の町(ラオカイ)まで高速道路が開通し、4つ星ホテルも建ち始め、市街地は変わりつつあります。そんな中、サパのあるラオカイ省の東奥にハジャン省があります。サパがフランス統治時代、彼らの避暑地として開発された歴史を持っているのに対して、ハジャンは少数民族の統治に手を焼いたのか開発が遅れていました。そのおかげでベトナム山間部ののどかな雰囲気が多く残っています


ベトナム北部・ハジャン周辺の地図

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織物の谷・ルンタム村



クネクネとした山道をいくつか越えた盆地の中に白モン族の暮らすルンタム村があります。ここに昔ながらの「はた織り工房」があります。実際に織り子さんがその織りを見せてくれるとともに、小さな販売所もあり、おすすめ。一見稲にも似た植物(麻)から糸が紡がれ、それが織り子さんの手によって丁寧に織り込まれていきます。織りたての麻布はがさがさした手触りなのですが、それを石と板を使って曲芸のような方法でやわらかくしていきます。その作業は、まるでサーカスの芸のようでした。
販売所の品物は手間暇かけた手作りで、染色も自然の植物などを使用していて、日本に帰ってからも使えそうなデザインでした。

白モン族の暮らすルンタム村では伝統のはた織り工房を見学できます
白モン族の暮らすルンタム村では伝統のはた織り工房を見学できます
丸い石と石板の間に織りたての麻布をはさみ、板上で曲芸師のように石を転がして布をなめす
丸い石と石板の間に織りたての麻布をはさみ、板上で曲芸師のように石を転がして布をなめす


染色の材料は植物や鉱物など自然素材のもの
染色の材料は植物や鉱物など自然素材のもの
販売店は小さいですが、つい買いたくなる品揃えです
販売店は小さいですが、つい買いたくなる品揃えです


民族衣装にも出会える市場



ハジャン地方でも、たくさんの村や町で周辺の少数民族が特産物を持ち寄り金銭を通じた物々交換のできる市場があります。中でも大きいのがドンヴァンメオバックの市場。ドンヴァンがハジャンでは最大規模ですが、今回は、メオバック市場を訪ねました。
市場は朝の5時間から始まります。私達は7時に訪れた時には、それはそれは大勢の人でにぎわっていました。多くは白モン族、そしてランテン・ヤオ族、1日で1000食をさばく白モン族のおばちゃん屋台、麻糸をよりながら商売に励むおばちゃん、この日唯一全身民族衣装に身を包んだ若い女性、自慢の米を売るランテン・ヤオ族のおばさん。ガイドの力を借りながらですが、思ったよりたくさんの人が写真撮影を喜んで受け入れてました。
ほかにも、ミンタンイェンミンにも定期市が立ちます。

鶏の値段で交渉する人
鶏の値段で交渉する人
メオバック市場で見かけた白モン族の女性
メオバック市場で見かけた白モン族の女性


商売の合間に果物をほおばるランテンザオ族の女性(メオバック市場にて)
商売の合間に果物をほおばるランテンザオ族の女性(メオバック市場にて)
クェットティエンの朝市で出会ったヌン族のお母さん。耳付き帽子がかわいらしい
クェットティエンの朝市で出会ったヌン族のお母さん。耳付き帽子がかわいらしい


ハジャンに麻薬王がいた!



中国国境まであと3㎞というハジャンの奥地に立派な邸宅跡があります。第2次大戦前、中国からのアヘンの密輸密売で財を成したモン族の王ヴァン・チンドック(王志徳)のお邸です。中庭を2つ供えた重厚な壁に囲まれた母屋には第1夫人から第3夫人までの部屋や食堂、執務室などを供え、2階の壁には銃器用の小さな窓が敵の侵入ににらみを効かせています。中国から建築士を招いて建てられました。一族はグエン朝の承認の下、18世紀末からこの地域を支配していました。フランスの統治が進んでからはフランスに忠誠を誓い、周辺の少数民族の反乱の征圧に協力、フランスの一将官の地位も得ていました。しかし、ベトナムのフランス支配への反対運動が強まると、中立の立場を取りはじめ、ヴァンチンドゥックは中国へ亡命したとか。彼の死(1944)後、彼の息子はホーチミン支持を表明、ベトナム独立戦争時にはベトナム共産党に資金を融通するなどして、一族は新生ベトナムで復権。議員になるなど地位を回復したそうです。邸は保存、公開され、アヘン王の写真も飾られています。

中国国境まで3kmのところにあるアヘン王の屋敷は中国様式で資材は中国から運び込んだとか
中国国境まで3kmのところにあるアヘン王の屋敷は中国様式で資材は中国から運び込んだとか
アヘン王ヴァンチンドゥックの写真が飾られています、フランスもアヘンを黙認していた?
アヘン王ヴァンチンドゥックの写真が飾られています、フランスもアヘンを黙認していた?


柱の下にはアヘンの原材料となる「ケシ坊主」の形がデザインされていました
柱の下にはアヘンの原材料となる「ケシ坊主」の形がデザインされていました
元アヘン王の屋敷は城のように兵器が準備され狭間もありました
元アヘン王の屋敷は城のように兵器が準備され狭間もありました


モン族の少女の数奇な人生の舞台 ルンカム谷



2006年、1つのベトナム映画が世界に発信されました。ハジャンのルンカム谷に生きた一人の女性の実話を元に作られた映画「モン族の少女・パオの物語」です。
ハジャンの山岳地帯に暮らす、家父長制が強く残るモン族の娘と2人の母親(生みの親と育ての親)の人生を描いた物語で、美しいハジャンの山岳風景と人々で賑わう市場のシーンがよく登場します。上映当時おばあさんになっていた主人公が若かりし頃の話ということから推測するに1960年代の話でしょうか。当時の市場は民族衣装で華やかです。
この映画の舞台になったのがハジャンのルンカム谷にある村の小さなお屋敷。この地方を治めていた領主の邸が今もその子孫が暮らしていています。見学可能です。映画を見てから訪ねるか、訪ねてから観るか、どちらでも良し。
ちなみに、私は現地でこの映画のことを知り、帰りのベトナム航空の機内の映画にあったので、思わず観てしまいました。映画はベトナム語で英語の字幕付で、私は一時停止を駆使しておぼろげにストーリーを理解しました。
この谷には華やかな衣装の花ロロ族の村もあります。

ルンカム村を舞台にした映画の撮影が行われたお屋敷前のそば畑
ルンカム村を舞台にした映画の撮影が行われたお屋敷前のそば畑
この館でも「ケシ坊主」の意匠が柱の下にありました
この館でも「ケシ坊主」の意匠が柱の下にありました


ルンカム谷に暮らす花ロロ族の村で民族衣装を見せていただきました
ルンカム谷に暮らす花ロロ族の村で民族衣装を見せていただきました
とても手の込んだ刺繍の花ロロ族の民族衣装、作るのに2年かかったそうです
とても手の込んだ刺繍の花ロロ族の民族衣装、作るのに2年かかったそうです


絶景ロード・カルストのジオパーク



ハジャンの奥地ドンヴァンのカルスト地形は2010年ユネスコのジオパークに登録されました。このあたりでは筍のような形の石山(石灰岩の山)がニョキニョキと生えている間を、道路が蛇のようにクネクネと続いている光景を目にします。中でもメオバックとドンヴァンの間にあるマーピーレン峠の展望ポイントはおすすめです。その周辺は、晴天なら申し分ないでしょうし、多少の霧なんかでも、思わぬフォトジェニックな風景に出会えるかもしれません。
太古海だったこの地が4~6億年前に隆起し、サンゴの死骸などで形成された石灰岩の山が雨風に削られて今のような竹の子状の山々を作り出したといわれています。

ドンヴァンの手前イェンミン付近には美しい棚田が見下ろせる場所があります。この地域のモン族がまじめにコツコツと長い年月をかけて、山の斜面を田んぼや畑に開墾してきた成果です。バームクーヘンのような幾層ものあぜが大自然の中に美しい幾何学模様を作りだしています。
そして、さらにその手前のクワンバという場所にもカルストが作り出した美しい風景があります。通称「おっぱい山」。石灰石の山が美しいおっぱいの形を作りだしているのです。
ベトナムでは「妖精の山」と呼ばれ、笛が上手なモン族の男性と彼と恋に落ちた妖精の悲しい物語が残っています。詳しくは現地で聞いて下さい。

マーピーレン峠は車道から少し上ると、展望はさらに開けます
マーピーレン峠は車道から少し上ると、展望はさらに開けます
山の間を縫うように車道はクネクネと走ります
山の間を縫うように車道はクネクネと走ります


ハジャンの奥地(ドンヴァン地方)にいくと、このような筍のような山々が連なる光景が続きます
ハジャンの奥地(ドンヴァン地方)にいくと、このような筍のような山々が連なる光景が続きます
通称「おっぱい山」と呼ばれる妖精の山。笛の上手なモン族を主人公にした伝説が残っています
通称「おっぱい山」と呼ばれる妖精の山。笛の上手なモン族を主人公にした伝説が残っています


ハジャンに少数民族の村々を訪ねる



ハジャン省には16の少数民族が暮らしています。国境付近までの道路建設も進み、村の暮らしも少しずつ変化していますが、途中には、様々な少数民族の村があります。昨今、この地域の民族衣装も普段着で着ることは珍しくなったので、ご好意で見せていただいたり、着てもらったりするのですが、やはり着るとなると晴れ着ですので、気合が入るようです。
民族ごとに特徴のある衣装を拝見し、お話を伺って時間はあっという間にすぎてしまうのでした。

7月田植えの時期に訪問。普段着で着ている女性も多かったです(ラチ族)
7月田植えの時期に訪問。普段着で着ている女性も多かったです(ラチ族)
ちょうど村ではお茶を干す作業中、お願いして衣装を見せていただきました、7歳のお孫さんもおそろいの衣装でした(パテン族)
ちょうど村ではお茶を干す作業中、お願いして衣装を見せていただきました、7歳のお孫さんもおそろいの衣装でした(パテン族)


衣装を見せてほしいと頼んだら、奥にこもって30分くらいかけておめかしして出てきてくれました(ザオクアンチェット族)
衣装を見せてほしいと頼んだら、奥にこもって30分くらいかけておめかしして出てきてくれました(ザオクアンチェット族)
のどかな田んぼが続く村にて、3月には村人が正装して集うお祭があるそうです(ポイ族)
のどかな田んぼが続く村にて、3月には村人が正装して集うお祭があるそうです(ポイ族)


ランテンザオ族の伝統的な家。がっちりとした土壁の2階建てです。窓は最低限に作られていました
ランテンザオ族の伝統的な家。がっちりとした土壁の2階建てです。窓は最低限に作られていました
家畜のえさとなる草をずっしりと背負って長い道を一人歩いていた白モン族の女性
家畜のえさとなる草をずっしりと背負って長い道を一人歩いていた白モン族の女性


ハジャン最奥の地に暮らす、ハレの日にしか着ない民族衣装を見せてもらいました(赤ロロ族)
ハジャン最奥の地に暮らす、ハレの日にしか着ない民族衣装を見せてもらいました(赤ロロ族)
村では漢字を使った護符のようなものが使われていました(アオザイザオ族)
村では漢字を使った護符のようなものが使われていました(アオザイザオ族)