秘めたる可能性・小笠原の魅力

小笠原諸島〜父島と母島の魅力〜

観光の魅力は海外に限ったことではない。先日小笠原諸島に行く機会があったが、そこで数々の魅力と出会った。
小笠原へ就航している「小笠原丸」は、毎水曜日午前10:00に竹芝桟橋を出航し約25時間後に父島の二見港に到着する。私が出掛けた11/19は、どんより曇っていたせいか東京湾を過ぎて八丈島くらいまでは多少揺れたが、船酔いすることもなく、ゆっくり睡眠を取ることができた。聞くところによると2年後には、TSLという高速艇が走り、航行時間は17時間に短縮される。便も、年間約50便から90便程に増えるそうだ。だが、今回は船中2泊現地3泊の6日間の旅である。

小笠原諸島は、まるで3,000m級の峰々を2,500mくらい海に沈めたような形をしていた。平地は少なく山々は起伏に富んでいる。小笠原諸島最大の島「父島」の尾根尾根は、標高200〜300m程しかないが、樹高0.5〜1.5mくらいの乾性低木林という植生なので、ハイマツの尾根のように見晴らしがいい。2月から4月にかけてはザトウクジラが島の周りにやってくる。トレッキングをしながらそのクジラを目にすることもできるそうだ。とかく南の島は海のイメージが強い。小笠原の海は、透明度が約26mにもおよび世界でも有数のダイビングポイントである。ゆったりと海を眺めながら山歩きを楽しむ。そんなこともできる島なのだ。
海に向かって切り立った崖の上にある「ウエザーステーション」は、海に沈む夕日を眺める名所として有名だが、陸からのホエールウォッチングポイントでもある。「小笠原ホエールウォッチング協会」の佐藤文彦さんいわく、「弁当でも持ってきて、ここから鯨を見ながらのんびり過す。最高ですよ!」これぞ小笠原流時間の過ごし方。想像しただけで羨ましさが込み上げてくる。私が訪れたときは、あいにくの曇り空で夕日を臨むことはできなかったが、その眺めは実に美しかった。

続いて母島へ向かった。父島を離れて約2時間、母島に到着する。母島は、父島に比べ緑が濃い。島で雄一の沖村に僅かに400人あまりの人口である。父島ではそれほど感じなかったが、「遠くの島に来たなあ」という感じ、ネパールの山村や、モンゴルの遥か奥地の草原で、遊牧民の村を訪れた時の感覚がよみがえって来た。私が宿泊したペンションのおかみさんの平賀洋子さんは、母島観光協会副会長でもある。「なんとかこの島の良さを保ちながら、観光客にも来てほしい。でも、あまり大勢の方々が押し寄せれば島の良さは失われる。かといって少なければ、観光では食べられない。今、この島をフルーツアイランドにしようという構想がある。島に植えたフルーツを訪れた人たちが自由に食べて貰えるようにしたい。」なるほど、観光は、今後生活の糧になるだろうが、行きすぎれば、島そのものの価値がなくなる。現在、母島は、農業が盛んだそうだ。海と合わせて、この農業も観光に結びつけていけたらいいなあ、と私は一人で想像した。

小笠原諸島の歴史と固有性

小笠原諸島は「伊豆−マリアナ島弧」の中央に位置し、聟島(むこじま)列島、父島列島、母島列島、硫黄列島、西之島、日本最東端に位置するの南鳥島、そして最南端の沖ノ鳥島を含む大小180あまりの島々を指している。東西約1,800km、南北約1,000kmにわたる東京都小笠原村は、行政区画としては日本最大だ。殆どの島は、定期船では行けないが、2003年10月19日、小笠原丸で硫黄列島を巡る企画があった。上陸はできないものの、普段は行けない硫黄島、北硫黄島、そして人間が一度も足を踏み入れたことがない南硫黄島を約400名の人々が目にしたそうだ。南硫黄島は、「原生自然環境保全地区」に指定されている。同保全地区には、他に、遠音別岳、十勝川源流部、大井川源流部、屋久島の計5箇所あるが、立ち入りが禁止されているのは南硫黄島だけである。

小笠原諸島は、一度も大陸とつながったことが無い「大洋島」であり、数多くの固有種が存在し「東洋のガラパゴス」と呼ばれている。その歴史は、意外に新しく、1830(天保元)年最初に最初に英国人、米国人など約30人が父島に渡って初めて居住した。その後、英国との領有問題が生じたが1876年日本領として国際的な承認を受け、1880(明治13年)から政府によって開拓移住がすすめらた。開墾地の制限もなく、土地代は無償で、開墾奨励費まで支給されたので、瞬く間に深い谷間や急斜面までも畑におおわれ、緑豊かな森林は破壊された。サトウキビ栽培や、時期の差を利用しての野菜栽培、そして、捕鯨基地として小笠原は栄え、富裕層も出現した。しかし、第二次世界大戦さなかの1944年に島民のほとんどに当たる6,882名が強制引上にあい、敗戦後も1968年まで返還されなかったために、耕地は、小笠原本来の森林には戻れないものの回復はしてきている。しかし、多くの問題がある。私たちを案内してくれたエコツアーガイドの吉井信秋氏は、「なんとかこの固有種を守って行きたいですね。最近は、外来種が固有種の生体系を破壊していることが大きな問題になっています。」と話されていた。ガラパゴス諸島のような“派手”さはないが、自然と一緒に暮すことの嬉しさみたいなものが伝わってきた。

小笠原の人々の希望と風の新たなる夢

今回は、「小笠原エコツーリズムの商品化に向けて」というシンポジウムの講師としての訪問だったので、村長さんから役場の観光課、観光協会、「小笠原ホエールウォッチング協会」などの方々や、村の人達とも直接話すことができた。エコツーリズム云々という難しい話しはともかく「この素晴らしい小笠原をもっと多くの人々に知ってもらいたい」という若い人達が大勢いることに驚かされた。それもそのはず父島と母島を合わせた人口2,366人の内、最も多いのが25歳から40歳ぐらいの世代であり、離島に見られる「過疎」といった現象は全くない。小笠原に魅了されて新しく島民となった人達だそうだ。当然ながら小さな子供たちも多い。みんな明るく生き生きと暮している。ただ、村の経済が公共事業に頼りきっていたことも確かで、今後は、自然との共生を計りながら、持続可能な観光開発を目指し、自立させていこうという取り組みを始めている。私もこれに是非協力し、風の旅行社のお客様方に小笠原の素晴らしさを伝えていきたい。引いては、海外の人々にも紹介できたらもっといい。

さあ、果たしてどうやって皆さんに小笠原を紹介していけるのか。一人の観光客として旅日記をここで紹介したわけではない。一般の旅行会社のカウンターに並ぶ国内旅行のパンフレットを見るにつけ、「どこか違うなあ」と感じてきた。カニ食い放題とか○○もついてお得とかいった内容ではなく、もっと「旅」そのものを提案してもいいんじゃないか。それが旅行会社の仕事じゃないのかと感じてきた。これを契機に、もう一歩踏み出せたら面白そうだと今は感じている。

※風・通信No18(2004年春号)

シェアする