なかなか面と向かっては言えないが…

本多勝一氏の著書から改めて異文化を考える

約30年ぶりに本多勝一氏の本を読んだ。『カナダ=エスキモー』、『ニューギニア高地人』、『アラビア遊牧民』(何れも朝日文庫)である。今から50年ほど前に書かれたルポルタージュだが、古臭さはまったく感じられず、逆に新鮮ですらあった。
旅と探検が違うのは当り前だが、それにしても、私には、ここに書いてあるようなことは到底真似できない。エスキモー(現在は、イヌイット、カラリットなどと呼称)と2ヶ月もの間、生肉を食べながら彼らのテントで生活を共にしたり、まるで縄文時代のような原始生活そのままに、ニューギニア高地人とノミやシラミと格闘しながら寝食を共にすることなどできるはずがない。ましてや、アラビアの砂漠のオアシスで、ベドウィンの村にテントを張って棲み込み、あれこれ面倒なかけ引きに日々悩まされ、最後には喧嘩別れすることなどしたくはない。
ただ、どこか私たちがやってきたことと似ていると感じた。もちろん、肉体的精神的な過酷さは比べるべくもないが、本多氏にとってのカナダ・エスキモー、ニューギニア高地人、アラビアのベドウィンたちは、私たちにとっては、ネパールやモンゴル、チベット、ブータン、モロッコなどのスタッフたちだと言えなくもない。少なくとも、異文化に触れ、それを理解しようという姿勢は全く同じである。
本多氏は、以下の様な分析をしている。征服された経験を持たない民族は、“ありがとう”と“すみません”をすぐに言うようだ。日本がまさにそうであり、カナダ・エスキモーとニューギニア高地人も少々異なるが日本人に近い感覚を持っている。しかし、世界では征服された経験を多かれ少なかれ持っている民族が殆どで、ベドウィンはその典型だ。だから、日本人とは全く違う。
例えば、ベドウィンは、客を食事に招く場合は、その栄誉を与えてくれと言ってお願いする。招かれるほうは、栄誉を与えたのだからお礼などいう必要はない。だから、食べ終わると、一言も言わずなんの挨拶もなく帰っていく。彼らの間には“ありがとう”も“すみません”も存在しない。
もちろん、世界中が、このような考え方であるはずはないが、自己を立てるのか、相手を立てるのか。考え方の軸が自分なのか相手なのか。日本以外では、圧倒的に前者である。

その場でポロッと口に出せば案外うまくいく

私が、23年前にこの会社を始めてからずっと、どの国のスタッフからも共通して言われ続けてきたことがある。「どうして、日本人は、ありがとうと喜んで帰るのに、帰国してからクレームを言うのですか。その場で言ってくれないと分りません」という言葉だ。「日本人は人の和を一番大切にするからだ」、などと説明をしても解るはずがない。自己を立てるのか、相手を立てるのかの違いとしか言いようがない。
かくいう私自身も、面と向かって何でも彼らに言えるかといえば、そうではない。時には、日本人的な配慮が出てしまう。面と向かって言う方が彼らを傷つけないし、後で言う方がよほど酷い仕打ちになる、と分っていても、気まずさを避けて、「気を悪くしないで聞いてほしい。これは君のために言うのだから」などと、随分くどい言い方になってしまう。
もちろん、改善してクレームをなくすことこそが本筋であって、クレームのいい方を云々することは本筋ではない。ただ、その場で言って頂ければ、すぐ改善できることも確かにある。例えば、「車のクーラーが効き過ぎていた」、「ガイドの歩き方が速かった」、「ホテルの暖房が弱かった」などだ。これが残念でならない。
もちろん、それでも、なかなか言えない、というのが日本人の心情である。旅を楽しみにきたお客様に、無理をしてあれこれ言ってくださいというのもどうかと思う。だから、ガイドたちには、あれこれ気を配って配慮してほしいと言っている。しかし、日本特有のこの“気配り文化”が、彼らの心と体に染み付くまでには、まだまだ時間がかかる。
ガイドに丸投げする気もないし、ガイド教育の至らなさを棚にあげて、開き直るつもりも毛頭ないが、弊社のツアーでは、どんな場合も遠慮される必要はまったくないので、是非、彼らに直接あれこれ言って頂きたい。それを彼らも望んでいるし、彼らとの相互理解を深める秘訣でもある。
私は、日本人の気配り文化が大好きだし、世界の人々が、自己主張ばかりしないで、相手を立てて譲り合うことができれば、もっと争いは減るはずだと思う。それでも、私は、外国人には、直接、面と向かってものを言うように努めている。はっきり言わずに誤解を招いたり、何を考えているか分らないと思われると、なかなか仕事は上手くいかない。また、案外、その場でポロッと口に出すとかえってすんなりいったり喜ばれたりもするものだ。

本多氏は、私が通っていた高校の大先輩でもある。高校の図書館には同氏の著作を並べた特別コーナーがあった。京都大学の山岳部から探検部が分かれてできたときの創設メンバーだそうだ。同氏の著作には、未知なる世界を自分の目で見てやろうという精神がほとばしっている。是非、見習いたいものである。


※「春の風スペシャル」(2014年春号)より転載

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