30年後の世界、人工知能は人間を越えるのか?

私は、人間は、高度な文明社会を築き、この先、科学が幾ら発展しても人間社会の仕組みに大きな変化はないだろうと勝手に考えていた。もちろん、どこかに私自身のそうあってほしいという願望があってのことだ。もう大きな変化についていけそうもない。実際、今から30年以上前の大学生当時と現在を比べても、インターネットや携帯電話・スマホなど新しい機器は出現したが、私の周りでは、人間社会そのものは大きくは変化していないように思う。決して「猿の惑星」のようなパラドックスは起きていない。

そんな私にとって、この正月に放映されていた「NHKスペシャル ネクストワールド 私たちの未来 〜第1回 未来はどこまで予測できるのか〜」は、私が如何に無知だったかを思い知らされる結果になった。
幾ら未来のコンピュータが現在のスーパーコンピュータの何百、何千倍のスピードで計算できるようになっても、未来予測などというものは、情報を分析してはじき出した「確率の高い事象」の羅列に過ぎない。人間には心があり感情があり、論理的な思考をするとは限らないのだから、コンピュータが人間の行動や未来を予測などできるはずがない。これが、私を含め一般的な考え方であろう。
ところが、大量の情報を瞬時に分析できる能力を持った人工知能といわれるコンピュータは、今後起こるだろうことをかなりの確率で予測できるようになる。否、既に、そうなってきているというのである。

その一例として、番組では、米国のある警察署のパトロールが、人工知能がはじき出した、その日、犯罪が発生する確率の最も高い場所をパトロールするという、信じがたい方法に切り替わっている実例を見せてくれた。もちろん、従来は、熟練警察官の経験と勘でパトロールルートが決められていたが、なんと、人工知能に依存したパトロールに切り替えてから検挙率が倍になったそうである。警官たちは、何故、人工知能がその場所をパトロールしろと指定するのか、その理由はまったく分らないが、人工知能の指示に従うことだけが義務づけられているという。
その他にも、ある有能な弁護士グループが裁判で使う資料を人工知能に選ばせ、資料の最終チェックだけを下請けの弁護士たちが行う。その下請けの弁護士たちの能力を人工知能が判定し評価する。そんな事例も取り上げていた。
二つの例に共通することは、もはや、人工知能が計算しはじき出す内容は、人間には、何故そうなるかは理解できないが、それが適切な判断であることは結果が証明しており、人間は「理由」を考える必要はなくそれに従えということである。すなわち、人口知能は、既に、人間の脳を越え主客が逆転し始めたというのだ。
しかし、人間が作ったものなのに人間の脳を越えるとはどういうことなのか。私の頭では、いまひとつ理解できない。ただ、人間が、状況に合わせて自分の感情や意志をも含めて判断し行動しているのと同じように、コンピュータも莫大な情報を瞬時に計算できるようになると、人間と同じような判断をすることができるということは、なんとなく理解できる。それを称して人工知能が「心を持つ」と表現されるのかもしれない。そして、悔しいことに、人間は、間違った判断をするが、コンピュータは、適切な判断をするから、人間は、判断をコンピュータに任せてそれに従うようになるというのである。
しかし、こうなるには、プライバシーという概念がなくなり個々の人間の行動記録がすべてデータ化され、それらが使われるということが前提だそうだ。渋谷の交差点にテレビカメラが置かれて、そこに映る個々人が氏名も含めて判別され、顔の様子から感情までも読み取って情報が蓄積される。こんなことが技術的にはもう可能だ。最近、ビックデータという言葉を耳にするが、ビックデータが、個人を特定できるなら膨大な個人情報の集積になる。いくら未来予測ができて効率的な社会が実現できるからと言って、果たして、人間が、プライバシーを放棄することなどありえるだろうか。私は、ないと信じたい。

未来予測の番組は、大抵当たらない。私が、中学高校時代にみた未来予測の番組通りなら、とっくに石油がなくなり食糧不足で人類は滅んでいるはずだ。だから、こんな未来予測に右往左往する必要などないのかもしれない。そうはいっても、21世紀に入って急激に進んだコンピュータのネットワークを、人間はコントロールできるのかと不安になる。もはや、個々の人間がこのネットワークを拒否して生きていくには仙人にでもなるしかない。そのネットワークを、人間ではなくて人工知能がコントロールするようになったらどうなるのか。考えただけで空恐ろしい。

いずれにしても、これから先は、急カーブを描いて人間社会が変わっていくことだけは間違いがなさそうだ。しかも、私たちは、それを拒否できないというのだから堪らない。
番組の中では、30年後は、自分の分身ロボットを誰もが所有し、その分身が旅行に行き、旅行情報を取り入れることで、本人があたかも旅行にいったかのような満足感を得られるようになるという。おいおい旅行まで人間から奪うのかと苦笑いしたが、幾らなんでもそれは荒唐無稽に過ぎるだろう。
30年後なら、まだ、私も生きているかもしれない。いったい、人間ができることは何が残るのか。どんな文明社会がくるのか。楽しみでもあり不安でもある。

※風の季節便(2015年春〜夏号)より転載

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