ネパール大地震 現地からの臨時報告(第3号)

*風のメルマガ「つむじかぜ」号外より転載

ピーコックウィンドウ


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カトマンズ盆地には、カトマンズやパタン、そしてバクタプルと、昔の王朝が都を構えた古都がある。今日(5/7)は、バクタプルへと向かった。[参考ページ:カトマンズ盆地の魅力][地図:カトマンズ盆地

バクタプルへ向かう道は、日本の建設会社の安藤ハザマが造ったそうだ。日本の援助で日本の建設会社が造った道は、走っていてもすぐわかる。道路の端がちゃんと処理されていて、おいそれとはコンクリートが剥がれそうになく頑丈に見える。ところが、その道が100mほどにわたって陥没して裂け目ができている。車は通れるが、頑強そうに見えた道も地震には勝てなかったようだ。

バクタプルにはいつものように歩いて入った。やはり古いレンガ造りの家は、かなり崩れている。バクタプルにも、ダルバール広場がある。周りの民家に比べるとダルバール広場の寺院は、意外と被害を受けていない。階段状の土台の上に五重の塔が立つバクタプルの象徴ニャタポラ寺院は、「地震などまったく意に介さない」といった雰囲気で、いつもと同じように綺麗な姿を見せてくれた。

ネワール彫刻の傑作・ピーコックウィンドウの方に向かって歩いていったが奥の路地に入れば入るほど民家は崩れてしまっている。ピーコックウィンドウも、すぐ脇までレンガが崩れたのに、奇跡的にそのままの姿を保っていた。崩れた家では、何人かで瓦礫の除去作業が行われていた。

ただでさえ乾季の終わりで空気が乾燥し、埃が舞い立っているので、瓦礫の除去作業は埃との戦いである。NKT(Nepal Kaze Travel)のスタッフたちが、持ってきたマスクを作業をする人たちに配り始めた。たった50枚しか持ってきていなかったのであっという間になくなった。とにかく、大量のマスクが必要だ。ネパールにも売ってはいるが日本より値段が高い。そこで早速日本から持って行くことにした。こういう細かな援助物資は、かえってないので喜ばれる。但し、まとめて誰かに渡してはいけない。とにかく、困っている人に手渡しすることだ。

バクタプルも民家はかなり被害を受けているが、観光は再開できそうだ。この街は、観光で成り立っている。被害を受けた人たちのためにも、観光を再開させることこそ大切である。

すこし足をのばしてヒマラヤを眺望できるナガルコットに向かった。最近は外国人だけでなく、ネパール人も一泊でカトマンズから小旅行に来たりする人気スポットである。途中の村の様子は、被害を受けていない家を探すのが大変。殆どの家は部分的に崩れていた。ナガルコットで弊社がよく使っていたThe Fort、Viewpointの両ホテルは、隣り合って建っているが、 両方ともかなり大きな被害を受けていた。すぐには、再開は難しそうだ。5つ星のClub Himalayaも一ヶ月は休業すると連絡が来たそうだ。

この日の夜は、NKTのスタッフたちが、私が泊まる風ダルバール・カマルポカリに集合して夕食をとった。エベレストビールを飲みながら、久しぶりのダルバート(ネパール定食)を食べた。この風ダルバール・カマルポカリ、「はなのいえ」、「つきのいえ」が無事だったこと、そして、スタッフも家族もみな無事だったことを喜び合った。

翌日(5/8)、昼過ぎの便でカトマンズを後にした。あまり長い滞在は迷惑になるだろうと思い、3泊という短い滞在だったが、皆さんからお預かりしている支援金の使い道も、NKTのスタッフと話し合いほぼ方向が見えてきた。明日は、そのことをまとめてご報告したい。

実は、この原稿を書く4時間ほど前にネパールで大きな余震があった。すぐに現地からメールで「みんな元気です」と連絡があった。よかった。しかし、今日(5/12)は、きっとまた外で寝るのかもしれない。雨が降らなけりゃいいが。3.11のあと4.07に大きな余震があって心が折れたという話を聞いたことがある。

ネパールが、そうならないことを祈る。どうか、このまま収まって欲しい。新しい、一歩を踏み出さねばならぬのだから。

(つづく)

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