今上天皇

*風のメルマガ「つむじかぜ」705号より転載

平成最後の師走が終わろうとしている。23日の今上天皇85歳の誕生日記者会見には思わず目頭が熱くなった。皇后陛下への労わりもさることながら、陛下の平和への願いの強さに改めて感じ入った。

NHKが23日、24日と2夜に渡って放送した「天皇 運命の物語第1話、第2話」は、幼少期から御成婚、即位までを、当時の映像と同級生や記者等の証言を織り交ぜて描き出していた。記者会見の真摯な陛下のお姿と、白黒映像の少々傲慢な皇太子の態度とを比べると、陛下の精神世界の変遷を想わずにいられなかった。

かつて、陛下は、まさに神の子だった。11歳で敗戦を迎えるが、戦後も陛下の話し方、行動は神の子のそのままだった。それを表すエピソードとして、番組では、学習院中等科での同級生との蟻の生態研究の場面が再現された。陛下は、“誰々はこれやれよ”と同級生に指示するだけで自分では何もやろうとはしない。同級生ができないと“それじゃあ君やめてしまえよ”といった調子だったいう。

昭和21年10月、米国から皇太子の教育のためにエリザベス・バイニング婦人が招聘された。婦人は、学習院中等科の最初の授業で生徒みんなに英名をつけ、皇太子にはジミーという名を与えた。すると皇太子は「いいえ、私はプリンスです」と答えられた。しかし、みんなと同じく扱われる体験が将来役に立つと考えたバイニング婦人の提案を受け入れ、皇太子はジミーとなった。

バイニング婦人が日本を去る前に残した最後の言葉は「Think for yourself」だったという。「自分で考える」まさにそれにこそ陛下の苦悩が凝縮しているのではなかろうか。自らの存在は、象徴として憲法で規定されてはいるが、象徴天皇とは何か。答えは何処にも書いてない。自分で考え、自ら体現するしかなかった。実際、今上天皇はそれを見事にやってのけたと私は思う。

“先の大戦”の犠牲者と、数々の災害の被災者への鎮魂と慰藉を、自ら現場に赴いて表し、非戦、平和を深く願うお姿にはいつも感服させられる。今回の記者会見でも平和への願いに多くの時間を割かれた。特に沖縄への思いは格別で「沖縄の人々が耐え続けてきた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」と述べられた。

天皇制云々という議論はさておき、私は、今上天皇のこうした思いに共感する。しかしながら、今の日本は危うい。陛下の一言一句には、こうした危うさへのご心配の念が込められているように思えてならない。

年が明ければ、ご退位まで4か月ほどになる。いい機会である。今上天皇の軌跡をじっくりと辿ってみようと思う。


★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。


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