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小川 康のヒマラヤの宝探し

第115回●キモノ ~日本人であるとは~

 2012 年 5 月 14 日 月曜日      コメントはまだありません »   小川 康   カテゴリー » 小川康のヒマラヤの宝探し,
tibet_ogawa115_3チベットの民族衣装
チュパ姿の筆者
ラサの郊外にて

日本の着物に対するチベット人の憧れは、日本人が思う以上に強くて驚かされる。メンツィカンの同級生の何人かは、どこで手に入れたのか、日本女性の着物の写真を部屋に飾っていたものだった。だからなのか2002年、メンツィカンに入学して最初の学園祭のとき「オガワはキモノを着て登場してくれ」とリクエストされたことがある。しかし残念ながら僕はキモノ・ハカマ(袴)をダラムサラに持参していなかった。それならばと「レストランでスシを作ってくれ」という提案にも「ごめん。作った経験がない」と断るほかなかった。そのほか、マイクなどの電子機器が故障するたびに「オガワは日本人だから直せるだろう」という周囲からの期待を裏切り続けた。バイクを直してくれと頼まれたことも1度や2度ではないが、こちらもまったくの苦手分野である。彼らにとっては日本といえばソニー、ホンダであり、日本人なら電化製品や機械に詳しいだろうとチベット人に限らずインド人も思い込んでいる。「この棒をカラテ(空手)で折ってくれ」と半分冗談のリクエストにも応えられるはずはなく、さらに、普段、とても日本人とは思えないほど粗末な服装をしていたことから「お前は本当は日本人じゃないんだろ」と半ば、真面目に疑われていたものだった。日本語を話したところで彼らには理解できないし、眼で見て「オガワが日本人である」ことを証明する確実な要素は何もなかったのである。 (続きを読む…)

第114回●パユル ~ふるさと力~

 2012 年 4 月 26 日 木曜日      コメントはまだありません »   小川 康   カテゴリー » 小川康のヒマラヤの宝探し,
tibet_ogawa114_4指宿での講演会
実物の医学タンカの解説をしているところ

2012年3月25日、鹿児島県、指宿での講演会のため、はじめて鹿児島に足を踏み入れた。そして鹿児島市からローカル線で指宿へ向かっているときのこと。先頭車両に乗っていた坊主頭の高校生たちが一斉に下車すると、すぐさま整列して、後方車両から下車し歩いてくる先輩たちを拍手をしながら出迎えた。こんな気持ちのいい上下関係の光景を見るのは久しぶりだ。と同時に鹿児島県出身の柔道家、三浦守さんを(第44話)すぐさま思い出した。そういえば性格も体型も西郷さんのような三浦さんは、後輩への面倒見がよく義理人情を人一倍大切にする性格である。温暖な地域だからだろうか。どのお店に入っても接客に飾り気のない親しみを感じ、1つ質問すると3つくらい答えが返ってくるのだが、これも三浦さんの性格そのものだ。 (続きを読む…)

第113回●ポルワ ~チベット人とスポーツ~

 2012 年 4 月 14 日 土曜日      コメントはまだありません »   小川 康   カテゴリー » 小川康のヒマラヤの宝探し,
tibet_ogawa113_1試合を応援するメンツィカンの学生たち

メンツィカンにはサッカーとバスケットボールのチームがあり、年に1度行われるトーナメント大会に出場している。大会は5,6月に行われ、インド・ネパール各地のチベット団体から代表チームが集結してくる。1999年のサッカー決勝では地元インド警察が出動するほどの盛り上がりをみせたこともあった。学校単位、職場単位もあれば、クラブチームのようにセミプロが集まったチームもある。だから、学問が本業のメンツィカンチームが勝てる見込みなどあるわけもない。1度だけバスケットボールに出場したけれど、5分で交代を命じられ、日本人の名を汚すに留まったことを懺悔しておきたい。チベット社会には娯楽が少ないせいか、弱小メンツィカンの試合でさえ多くの地元チベット人が詰めかけ、久しぶりにスポーツで緊張感を味あわせてもらったものだった。 (続きを読む…)

第112回●シャブチ ~ファースト・チベッタン~

 2012 年 4 月 3 日 火曜日      2 件のコメント »   小川 康   カテゴリー » 小川康のヒマラヤの宝探し,
tibet_ogawa112_4リキールハウス

2012年2月27日。3月4日からはじまるダラムサラ・ティーチングツアーのためにインドに先入りした僕は、デリー郊外にあるリキルハウスという、ラダック僧院が経営するホテルに宿泊した。デリー空港に比較的近いこともあり、ツアー到着後、または帰国前のお客様の休憩場所としてお世話になっているホテルだ。高級住宅地の中にあることから落ち着いた雰囲気で、ホテルというよりはペンションと呼んだほうがしっくりくる。ホテルの前の公園の木々をリスが走りまわり、ときにホテルのベランダにも顔を見せる。日本からのフライトの疲れを癒した翌朝、朝食を済ませ、風の旅行社と提携している現地スタッフをロビーで待っていると、50歳前後のチベット人女性が話しかけてきた。ホテルのマネージャーの知人のようだ。

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第111回●サンワ ~隠しごと~

 2012 年 3 月 16 日 金曜日      コメントはまだありません »   小川 康   カテゴリー » 小川康のヒマラヤの宝探し,
tibet_ogawa111_5洗濯風景

メンツィカン(チベット医学暦法大学)を卒業し、3年経過した今だからこそ告白できることがある。チベット人同級生たちに発覚しないようにコソコソと隠し(チベット語でサンワ)続けていたことがある。連載が第111話に到達した今、ようやく「サンワ」の封印を解くことで心の荷物を軽くしてみたい。
まず洗濯である。チベット人は小さい頃から手で洗うのに慣れているので、みんな歌でも歌いながら楽しそうに洗濯をする。日曜の午前はたいていみんなで洗濯大会になったものだった。大きなシーツも靴もズボンもYシャツの襟も、カバンも実に丁寧に手洗いする。男も女も関係ない。 (続きを読む…)

第110回●ルンティン ~ラジオの話~

 2012 年 2 月 28 日 火曜日      コメントはまだありません »   小川 康   カテゴリー » 小川康のヒマラヤの宝探し,
tibet_ogawa110_3寮の屋上で洗濯するジグメ

メンツィカンで寮生活を送っていた2002年のときのこと。毎日、夕方4時半ころになると、ルームメイトのジグメ(第2話)は必ず、ラジオのスイッチを入れる。20×30センチもある黒くて大きなラジオはかなり旧式だけれど、僧侶のジグメに大切に扱われると、その大きさがむしろ有難い重々しさに感じられるから不思議なものだ。これからの1時間は、部屋で余計なことを喋ると「シッ!」と黙らされてしまうので、部屋の外に出るよりほかに手段はなかった。ジグメが楽しみにしているチベット語の番組『ラジオ・フリー・アジア』はアメリカのワシントンから短波に乗って届けられる。英語を話せない彼にとってチベット語でのラジオ番組は、最近の国際情勢を知るための貴重なツールなのである。
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第109回●レチャクパ ~野元甚蔵さん~

 2012 年 2 月 17 日 金曜日      コメントはまだありません »   小川 康   カテゴリー » 小川康のヒマラヤの宝探し,
tibet_ogawa109_3レチャクパ
日本名クサジンチョウゲ

2009年、都内で開催された野元甚蔵さんの講演会に出席した。野元さんは鹿児島県生まれの92歳。戦前に陸軍特務機関の命を受けてチベットに潜入。モンゴル人を装って1年半、チベットで暮らしたという伝説の人である。さらに1939年にはラサにおいて当時まだ4歳だったダライラマ14世の行幸に出会った歴史の証人でもある。いまでこそ、飛行機やバスを使って簡単にチベットへ旅行ができるけれど、当時、徒歩で、しかもモンゴル人と身分を偽ってチベットにたどり着き、そこで暮らすという労力は想像も及ばない。帰国後は満州に赴任するも終戦の混乱の動乱に巻き込まれるなど、その半生は激動と呼ぶにふさわしい。
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第108回●ニマ ~かるぴか君~

 2012 年 2 月 3 日 金曜日      コメントはまだありません »   小川 康   カテゴリー » 小川康のヒマラヤの宝探し,
tibet_ogawa108_1ラサ郊外で見つけたソーラークッカー

昨年7月、チベット薬草ツアーに同行した際、村や街のあちらこちらでソーラークッカーを見かけた。パラボラのように開いた銀色パネルの中央に太陽光(チベット語でニマ)を集めてお湯を沸かすというもの。ソーラークッカーの傍で日向ぼっこをしているお爺さんに価格を訪ねたところ490元(約6,000円)と教えてくれた。現地の人にとっては、やや高い買い物のようにも思えたが、これだけ庶民に普及していることを考えると、ガスや薪が貴重なチベットでは生活に欠かせない優れものなのだろう。「これはいい!」とツアー参加者のみんなと覗きこみ、一家に一台あればいいなあ、と羨望の眼差しで見つめていた。

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第107回●シャワ ~肉食系男子~

 2012 年 1 月 19 日 木曜日      コメントはまだありません »   小川 康   カテゴリー » 小川康のヒマラヤの宝探し,
tibet_ogawa107_3鹿を捌く中村さん

2005年のヒマラヤ薬草実習中、さらに山深いところに生える薬草を採取するために、屈強な男子学生だけを選抜して特別遠征隊が編成された(第27話)。このメンバーに選ばれるためには(倍率2倍)、実習前半、必要以上に張り切って先生方にアピールするという涙ぐましい努力が必要となる。疲労困憊して山から帰ってきても「いや、全然、大丈夫ですよ。なんならもう1回、山に行って薬草を採ってきましょうか」などと軽口を叩いて誤魔化していたものだった。それくらい日本人であるというのは機械や電化部門ではプラスの先入観があるが、体力部門でのイメージはあまりよろしくない。その努力の結果として2年、3年次は選抜されたが、1,4年次は落選したことを正直に告白しておきたい。

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第106回●トゥジェチェ ~ありがとう~

 2011 年 12 月 28 日 水曜日      コメントはまだありません »   小川 康   カテゴリー » 小川康のヒマラヤの宝探し,
tibet_ogawa106_1トウキの幼苗

2011年10月20日、ふるさと富山は高岡、戸出町で「チベット医学の世界」と題して講演会が開催された。しかし、この日は気が重い。なにしろ僕の小さいころを知っている人たちばかりが集まるのだ。しかも、あろうことか小学校時代の先生もいらしているではないか。「あらー、大きくなったわね」なんて励まされながらチベット医学の偉そうな話はできるものではない。それでも気を取り直し、聴衆に甘えるくらいの気持ちで話を始めるといつもの調子を取り戻していった。
ちょうどこの日は著書『僕は日本でたったひとりのチベット医になった』の発売日と偶然にも重なったことから、出版記念の様相を帯び、講演後には多くの本を買っていただいた。しかも、翌日には地元新聞で、講演の様子と共に本を大きく紹介していただき、多くの反響をいただくことになった。 (続きを読む…)