ツアー関連情報

タイガに暮らす人々

 

タイガの子どもはトナカイの背中で育つ


ツァータンではなく、タイギン フン

 モンゴルの北端、ロシア連邦トゥバ共和国と国境を接するタイガ(針葉樹林帯)にツァータンと呼ばれる人々は暮らしている。ツァータンという名前はモンゴル語で「トナカイを持つ人」という意味だ。この名が表すとおり、タイガの中でトナカイを家畜として飼育しながら生活する人々が彼らだ。しかし、このツァータンという名前は、彼らの本当の名前ではない。タイガの麓に住むモンゴル人たちが、森の中でトナカイを飼っている人々をこう呼んだだけだ。
 本当の民族名はトゥバという。国境の向こう側、トゥバ共和国に200万人近くいるトゥバ民族と同じ民族である。ちなみにトゥバ人はモンゴル国内の他の地域、特に多いのがバヤンウルギー県を中心としたアルタイ山脈地域にも暮らしている。
 フブスグル県北部国境が定まらなかった1930年代以前、彼らの祖先たちは、この地域のタイガの中を自由にトナカイと共に移動しながら生活していた。ところが、いつの間にか、モンゴル-トゥバ(ソビエト)の間に国境が定められ、気がついたら、モンゴル国民(当時モンゴル人民共和国)ということにされ、かつて当たり前に生活していた地域へ自由に行くことも出来なくなり、そして、親戚たちとも会えなくなってしまった。そして、今も、タイガでトナカイと共に暮らすことになったのである。

タイガでトナカイの側に居続けた故バヤラー兄。タイガのすべてを知る男だった。彼はその知恵と経験を子どもたちに残して、タイガそのものになってしまった


 トゥバ人はテュルク系言語であるトゥバ語を母語とする。カザフ語もテュルク系言語であるため、文法的にも近く、同じ語彙も多く持っており、カザフ人とトゥバ人はそれぞれが自分の母語を話したとしても、お互いに何を言っているかほぼわかるという。しかし、モンゴル語とトゥバ語はそうはいかない。まったく通じない。にもかかわらず、多くのテュルク系言語を話す民族たちがイスラム化したのに対し、トゥバ人たちはチベット仏教を18世紀頃にモンゴル経由で受け入れるなどモンゴル民族、モンゴル文化との関係が深い。アルタイ山脈地域に住むトゥバ人たちは同系言語を話すカザフ人たちとではなく、宗教を同じくするモンゴル人たちと行動を共にしたり、婚姻するなどの傾向にある。ここフブスグルのタイガ地域に住むトゥバ人たちは、ほんの300人程度しかいないため、2000年初頭には自分の両親の話すトゥバ語をある程度は解するが自分は話せないという若者が目立ち始めた。外国人たちが援助と称して、トゥバ語教育を行うのだが、話者を増やすに至る成果を上げていない。継続して行われた試しを私は知らない。
 そして、2000年を過ぎたころから、20代若者たちの結婚が相次ぎ、特にモンゴル人と結婚した家庭では加速度的にトゥバ語は失われていくこととなった。トゥバ人同士の婚姻は元々人口自体が少なく、また同一氏族間での婚姻が禁じられていることもあって難しい。よって、麓に住むモンゴル人を結婚相手にするのが当たり前になっていったのだ。結婚すると実家から財産分与がされることになるが、これら財産には間違いなく家畜が含まれる。そのため、タイガ側からすると、モンゴル人との結婚は、馬や牛、羊、山羊が一緒にやってくることになるのである。すると、それら家畜にあった自然環境が必要となり、結果、タイガと麓の草原の二つの異なる環境で暮らすことが必然となる。このことは、生活地域を森から草原寄りへと移動させることになり、タイガのトゥバ人たちのモンゴル化をいっそう加速させることとなっている。

10歳を過ぎれば、大人と同じ。弟妹たちにもまるで母のように振る舞う


 1990年代から2000年代初頭にかけて、モンゴル人たちは、その無知ゆえに、非常に差別的、侮蔑的にタイガのトゥバ人に関する情報をながした。「タイガの森の奥で暮らし、近親婚が進み、知恵遅れが多い」などという全くのデマがながされたこともある。そんなこともあって、ツァータンという呼び名を嫌う人も現れた。そんな中でツァータンではなくて、ツァーチンだと自らを名乗る人々が出てきた。ツァータンという言葉は、「トナカイを持っている人々」と”人を区別する”言い方であり、少々差別的な表現になるのに対して、ツァーチンは「トナカイを飼育している人々」と”職業的区別”を表す言葉としてより好まれたのである。
 さて、モンゴルとの婚姻関係が進むと、タイガでトナカイを飼育しながら生活する人々がトゥバ人に限られなくなりはじめた。厳密な意味でのトゥバ人の数が何人なのか、正確な数字を筆者は知らないが、ざっと40世帯くらいがタイガで暮らすようになった現在、彼らの中では、トゥバ人であるかどうかよりも、トナカイを所有してタイガに暮らしているかどうかが自分たちのアイデンティティの中心となっているようだ。最近では、ツァータンやツァーチンと言うよりも、タイガに暮らしトナカイを飼育するものたちのコミュニティのメンバーは“タイギン フン”(=タイガの人の意)と名乗るようになっている。もちろん、何民族ですか? と尋ねれば、モンゴル、トゥバというように答えるが、誇らしげに、「俺はタイギン フンだ」と言うのをよく耳にする。

オルツと呼ばれる移動式住居は、タイガの森のどこにでも作ることが出来る最高の家だ


タイガとトナカイ

 さて、ここでタイガについて話しておこう。北方の針葉樹林帯のことをタイガと言う。ここは永久凍土の土壌の上にカラマツ、マツ、カバ、モミなどの針葉樹が生い茂っている。たくさんの川が入り組み、あちらこちらに湖や湿地が多い。モンゴルの草原地域と比べると水は豊かで、降水量も多く、雪もかなり降り積もる。そのため、植生も豊かで、7月には森はたくさんの花々に彩られる。秋になれば、タマネギやユリの根、クロマメノキやコケモモ、ローズヒップ、松の実などがあちらこちらで採れる。これら植生の豊かさは野生動物たちにとって都合がよく、クマ、オオヤマネコ、グズリ、アナグマ、キツネ、タヌキ、クロテン、ヘラジカ、ジャコウジカ、ノロジカ、ウサギ、シマリスやキタリス、ナキウサギ、オオカミなどなどが暮らすことが出来る森となっている。植生も野生動物も豊かな土地だが、雪深く、湿地も多く、土地も狭い地勢は、麓の草原に暮らすモンゴル人からも、生活が困難な地域だと言われるのがタイガというところだ。
 一般的なモンゴル遊牧民が生活困難とするそんなタイガで好んで生活する人々が自らを “タイギン フン”と呼ぶことからも、タイガとは彼らにとってただの森ではなく、彼らのアイデンティティに深く関わる言葉で有り、地域なのだとわかるだろう。
 さて、そのタイガで暮らすにあたり、欠かすことができない動物がトナカイだ。トナカイなくして、タイガでの暮らしは成り立たない。
 トナカイといえば、サンタクロースのソリをひく動物として世界的に有名だ。しかし、トナカイの実際について、あまり知っている人はいないだろう。そのせいだろう、クリスマス頃に100円ショップなどで売られているトナカイの角らしきヘアバンド(?)は、私にはどうみても、クワガタのアゴにしか見えないのだ。実際の形とかなり違うし、そもそも冬のトナカイの角はもっとシャープだ。

トナカイの角は漢方材料として売買されなくなったので、秋になればとても立派になる


 トナカイは鹿の仲間として、オスもメスも角を持つ唯一の動物だ。そして、この角は毎年生え替わる。基本的に春に落ちて、すぐに生え始める。生え始めてすぐの角は袋角と呼ばれる。角の表面は柔らかい毛の生えた皮で覆われており、内部は血液が流れている。切ったら血が出るのだ。暑いのが苦手なトナカイは夏の暑い時期に、この角に血液を巡らせることで体温を下げるのである。この袋角は涼しくなる(というのは彼らの言であり、一般的にはむしろかなり寒くなるといったほうがよさそうだ)9月頃からその役目を終える。角の内部が骨化し固くなり、外側の毛の生えた皮は徐々にはげ落ちていく。皮がすっかりはげおちた角を枯れ角と呼ぶ。1900年代後半までは、枯れ角になる前に切断して漢方材料として売買したり、発情期に入るオストナカイが角を突き合わせて危険だからと切り落とすのが一般的であった。しかし、現在は、枯れ角になるのを待ち、自然に落ちるのを待つか、もしくは適当な時に切り落として彫刻を施し、観光客相手に販売するようになっている。
 トナカイの飼育目的は、そもそも交通輸送手段として利用することであった。草原で飼う家畜、馬、牛、羊、山羊、ラクダなどのように数を増やして、肉や乳を利用することに充填を起き始めたのは1970年代後半くらいからのことである。肉や乳を利用していなかったわけではないが、飼育の第一目的は交通輸送手段だったのである。なお、タイガのトナカイはソリをひかない。ここは木がたくさん生い茂り、あがりさがりの多い地形なので、ソリで移動するのは無理だ。ここではトナカイに直接騎乗し、また荷物を積んで移動するが、実際に乗ってみると、タイガを移動するのに実に優れた乗り物であることがよくわかる。

トナカイへの荷物積みは念入りにやらないと、道行きに支障を来す。そして、小さい子どもはほぼ荷物と同じ扱いをされる


 トナカイの足は地面を踏んだときに蹄がおおきく開いて、地面を踏む面積が広い。湿地や雪の上を歩くときに、踏む面積が広く、まるでかんじきやスノーシューを履いているかのようになり、雪なり泥なりに足が埋まりにくいのだ。馬だとこうはいかない。馬ではズボッズボッと踏む込んでしまって下手をすると身動きが取れなくなってしまう。さらには前足が踏んだところを、ほぼ正確に後ろ足が踏むような足さばき(?)をする。前足で安全が確認されたところを後ろ足が踏むのである。草原などと比べると変化の多いタイガの土地を安全に行くのに、これもまた大変優れた歩みなのだ。
 そして、非常にフレンドリーである。このように書くと、「本当か?」と思うのだが、トナカイは捕縛しやすい距離にまで、彼らの方から近づいてくるのだ。草原の家畜たちは、基本的に人が近づくと逃げるし、彼ら側から、「ねぇ、ねぇ」「なに?なに?」と近づいてくることはマレだ。しかし、トナカイたちは自分たちから、人に近づいてくる(もちろん多少の個体差はある)。群れを家に追い立てた後、人々は一頭ずつをとらえて、地面にうってある杭に繋ぐのが日課だが、この時、手をもむような仕草をしたり、用を足すような体勢をとると(しゃがんだり、足をひらいて立つなど)、寄ってくるのだ。トナカイたちは塩が大好きで、人が家から用を足しに出てくるのをみるや、塩(この場合は尿)が”でてくる“と知っているので、それをなめに近づくのである。外でただ立っていても、よってきて、服についた塩(この場合は汗)をなめようとするのである。この塩におびき寄せられる習性を利用して、塩の入った袋を常になめさせたり、食塩水を家の前にまいたりして(塩場をつくる)馴化する。どうでもいい話かもしれないが、見ていると、なめるのは人の尿だけで、自分たちや他の家畜の尿には関心をしめさない。いずれにしても、人をみると、“塩製造器”としか認識していないのだろうか、とにかく彼らの方から近づいてくるのだ。

塩がついているなら、なんでもなめまくるトナカイ。気がつくと、干してあった服はどこかに持ち去られ、数頭が群がってなめまくっていることもよくあること


 そして、発情期に入った種オス以外は基本的におとなしい。実は怒っているのかもしれないが、何をされても怒ってないかのように見える。以前、タイガでトナカイを一番所有していた男性がラジオのインタビューで、「トナカイの性質について一言お願いします」と聞かれたことがあった。彼は、大きく咳払いをして、居住まいを正して、おもむろに「馬は丘に立ち風に吹かれているときに何かを考えている。しかし、トナカイは何も考えていない」と断定した…。当時、かなり笑わせてもらったのだが、トナカイとのつきあいが長くなるに従って、彼の言葉を正しいと思うようになってきた。危険かもしれないのに、塩だと思うや、ヘラヘラと近づいてくる。人が触れていても暴れるでもなく、じぃっとしている。移動中に背中に乗っていた人が落ちても、逃げるでもなく、その横でぼぉっと立っている…。そんなんで生き抜けるのか?この厳しい自然を…と心配してやりたくなるくらいの人(トナカイ?)の良さなのだ。
 そして、なによりこのトナカイは寒さに強い。-40℃だろうが、-50℃だろうが、いつも通りに、外をうろつける。外をうろつく以外に行くところもないのだが、雪の上に寝そべって、さっき食べた草を反芻しながら気持ちよさそうにしているのだ。トナカイの毛は毛足がとても長く、密に生えていて、さらに一本ずつの毛の中が中空になっているため非常に保温効果が高いのである。逆に言えば、暑いのに弱い。従って、先に述べたように春から夏にかけて血を通わせることの出来る袋角を伸ばし、風に当てて体温を空冷しなければならない。

仔トナカイはホッカシと呼ばれる。生まれてほんの30分くらいで立ち上がり、母親から離れない


変わるタイガの生活

 さて、こういう性質を持つトナカイを持っているからこそ、人々はタイガに暮らすことが出来るのであるが、当然、トナカイの都合を第一に考えて移動を行わなければならない。すなわち、夏は涼しいところ、冬は雪の多い寒いところ(トナカイの群れが落ち着く)で生活を営む必要があるのだ。夏営地は木が生えていない風が吹きすさぶ山頂盆地に作り、冬は雪が多く降り積もる場所を選んで暮らすのである。
 そうまでしてここで暮らせるわけは、そもそもこの地のトゥバ人は狩猟採集民であったからである。遊牧民ではなかったのだ。タイガの中を移動する手段としてトナカイを利用し続けてきたのが彼らの本当の姿である。タイガの豊かな恵みのもと、トナカイに乗って獲物を探し続けてきたのである。草原地域のモンゴル人とは全く違う生活習慣を持ち、森の文化を維持、はぐくんできたのである。

朝、太陽が昇るころにトナカイたちを放牧に出してやる。気温が高い季節は、トナカイが散らばってしまいがちなので、2頭ずつつないで放牧にだす


 ところが、社会主義モンゴルに組み込まれ、狩猟採集を中心とした生活から、牧畜中心の生活に変えられ、元々はそれほど多く飼育していなかったトナカイを大きな群れで、まるでヒツジやヤギを飼うかのような飼育方法に変えられたのが1970年代であった。とはいえ、社会主義時代はトナカイを飼うことで月給をもらうようになり、生活自体はある程度の安定を見せていたという。本来のトナカイを飼う方法や狩猟採集に関わる文化は徐々に失われる傾向にあったが、それでも生活は成り立っていた。
 しかし、1990年末の社会主義崩壊、資本主義経済の導入は行政側からのバックアップを失わせ、大いに混乱させた。他の地域の遊牧では多種類家畜を飼うことで経済基盤を強固なものとしているのだが、タイガでは他の家畜を飼うのは難しく、ほとんどの人々がトナカイしかもっていなかった。そのため、現金収入を失うやトナカイ以外に食べられるものがなく、一気にトナカイの数を減らすこととなってしまった。
 そこで彼らは再びタイガの更に奥へと入っていく道を選んだ。つまり狩猟採集を始めたのである。毛皮や漢方の材料となるなど換金できる物資を狩猟で獲得しようとしたのである。ただし、狩猟活動はかつても、今も厳しく禁じられている。タイガに暮らす人々の実際を知らない行政側が森林保護を名目に禁止してしまったのだ。
 この彼らの窮地を救ったのは、観光産業の発展と金鉱山の発見といえるだろう。
多くの外国人たちがタイガを訪れるようになったことでタイガへ入るための乗り物としてトナカイや馬のレンタルの需要が高まったのである。また、観光客を泊める民宿用オルツ(彼らの移動式住居をさすモンゴル語。トゥバ語ではウイ)をはじめたり、お土産物としてトナカイ角の彫刻作品などが彼らの現金収入の多くを占めるようになった。そんな中での金鉱山発見によってモンゴル全土から金鉱夫たちがやってきてトナカイをレンタルするなど、レンタルトナカイ業は隆盛を極めるにいたった。

かつてであれば1kgが数百円にしかならなかったトナカイ角。彫刻を施すようになった今はタイガの人々の大きな収入源となっている


 また、モンゴル社会の落ち着きと共に、トナカイの観光資源としての価値の高さをモンゴル人たちも認識するようになり、また、行政側からの社会保障なども始まり、タイガで暮らす人々を取り巻く社会環境は大きく変わった。今ではトナカイを所有しある一定期間をタイガで生活すると認められた場合、毎月生活補助金が出るようになっている。
 結果、かつてであれば、「タイガに嫁にやるなんて」と言っていた麓に住むモンゴル人たちが、喜んで嫁に出すどころか、タイガに婿に入ることを望む若者たちも多くなってきたのだ。タイガでトナカイと暮らす方が現金収入を得やすく、海外からの援助などもあるなど、一般的な草原での遊牧生活より有利な点が多いと考えられているようだ。そして、タイガの人口もトナカイも増えたのだが、かつてのトゥバ文化は徐々に姿を消していく傾向にある。
 かつてタイガの生業であった狩猟採集活動とそれに連なる文化は急速に失われて言っている。タイガのモンゴル化という流れはトナカイ牧畜を残すかもしれないが、狩猟採集文化は忘れられていくだろう。なぜなら、今は、狩猟活動自体が禁止されてしまっているからだ。

4歳にもなればトナカイの見分けもつくし、扱いも大人と大差なくなる。トナカイはおとなしく扱いやすいので、小さな子どももその扱いを早く覚える


 「にいさん、俺たちが狩りに出るのって、ただ獲物を得るためだけじゃないんだよ。動物たちって意外と“そんなところにいると雪解けのときに大変だぞ”とかっていう危険な場所にいたりするんだ。そいつらを脅かして、そこから避難させるとかってこともするんだよ。父さんが言ってたんだ。狩りは獲物を得ることではなくて、獲物を守ることなんだって。」

 タイガの弟は言った。こういったこと、一つ一つが徐々に失われていこうとしているのが、今のタイガでもある。
 タイガというところは、そこに住む者を選ぶ。タイガの恵みを受けることを許された者だけが、そこに暮らせるのだと思う。その術を知るものたち、それが”タイギン フン”なのだ。私もタイガに愛される人になれればと願いながら、毎年、森に足を運ぶのだ。

西村 幹也
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NPO法人北方アジア文化交流センターしゃがぁ」理事長。文化人類学や宗教人類学を専門とし、モンゴル地域のフィールドワークを長年行い、シャーマニズムやツァータンの生活などの研究を中心にしているが、興味の範囲は音楽や芸術、写真など広範囲に及ぶ。日本でもコンサートや写真展なども精力的に開催。「もっと知りたい国モンゴル」(心交社2009)の他、共著多数。



西村幹也さんが同行する特別企画ツアー

トナカイに乗って、黄金に色づくタイガを、キャラバンする旅!
NPOしゃがぁ理事長 西村幹也同行! 
2019/8/25(日)・9/1(日)発 タイガの森でトナカイ乗りキャラバン8日間 ─黄金に輝く秋のタイガを行く─
6名様から催行 出発日限定 添乗員は同行しません 特別講師が同行します
木々の葉が黄金に輝く秋のタイガの森を、トナカイに乗ってトレッキング(キャラバン)する、他に類を見ない特別企画ツアー。講師として、20年以上にわたって現地に通い続けるしゃがぁ理事長西村氏が同行。


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NPOしゃがぁ理事長 西村幹也同行! 
<催行決定!>【新企画】12/28(金)発 タイガの森でトナカイと年を越す8日間 ─凍った大地を走り、雪原をトナカイで往く─
6名様から催行 出発日限定 添乗員は同行しません 特別講師が同行します
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NPOしゃがぁ理事長 西村幹也同行! 
【新企画】2019/4/28(日)発 タイガの森でトナカイ乗りキャラバン8日間 ─春のタイガで仔トナカイに出会う─
6名様から催行 出発日限定 添乗員は同行しません 特別講師が同行します
【新企画】春のタイガの森を、トナカイに乗ってトレッキング(キャラバン)する、他に類を見ない特別企画ツアー。運がよければ生まれたばかりの仔トナカイに出会えるかも! 講師として、20年以上にわたって現地に通い続けるしゃがぁ理事長西村氏が同行。


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2019/9/11(水)発 鷹匠の祭典 バヤンウルギーイヌワシ祭とホームステイ8日間
5名様から催行 出発日限定 添乗員は同行しません 特別講師が同行します
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【予告】2019年8月中旬発 夏の草原 遊牧民の目線で過ごす草原生活8日間 -仔馬の健康に祈りを込める、焼き印の儀式を見る-
4名様から催行 出発日限定 添乗員は同行しません 特別講師が同行します
遊牧民家族のお仕事を一つずつ実際にやっていただく、実践・体験型ホームステイをしながら、滞在中、その年に生まれた仔馬の健康に祈りと願いを込める、焼き印の儀式に立会います。講師として、20年以上にわたって現地に通い続けるしゃがぁ理事長西村氏が同行。

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<*出発日変更> 催行決定!【新企画】3/18(日)発 春の祝祭ナウルズとホームステイ 本場でカザフの刺繍を学び・作る8日間
4名様から催行 出発日限定 添乗員は同行しません 特別講師が同行します
カザフ刺繍の達人の家にホームステイし、カザフのかぎ針刺繍技法や糸の扱い方を直接学びます。滞在中は春の祝祭「ナウルズ」も体感。ガイド兼講師として廣田千恵子さんが同行。


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