特別記事

 ペルーの食は大地の恵み アンデスのごちそう、 いただきます!

 
アンデス山中に暮らすケチュアの人々
アンデス山中に暮らすケチュアの人々


地球の裏側を訪ねて

ペルーMAP

学生の頃、大学を休学して南米に行きました。
目的はロバを連れて南米アンデス6000kmを縦断すること。
最初に買ったロバ2頭には3日で逃げられ、次に買った馬には1週間で逃げられと、さんざん挫折を繰り返して、最後に買った1頭のロバ「パブロフのぼる君」と、無事に南米最南端のウスアイアに到達することができました。
険しい崖に行く手を阻まれ、崩落した道路を恐る恐る渡り、氷点下10度の寒さに耐え、逆に50度近い暑さにめげそうになり、そしてパタゴニアの突風に悩まされ……人生の艱難辛苦を凝縮したような道中でしたが、だからこそ強く感じられたのは、南米の人々の心の温かさでした。彼らは見ず知らずの、しかも生まれて初めて見る東洋人の若者を快く泊めてくれ、食事をごちそうしてくれました。もしも日本で、貧乏そうな外国人に会ったとして、果たして自分はどうするだろうか……そう考えた時、南米の人々の無私の精神というか、純真な善意というか、とにかく果てしなく懐の深い、心の豊かさのようなものを感じずにはいられませんでした。
ロバを連れた冒険旅行は、私の中で今でも強く印象に残っています。またいつか、あの鋭い頂を連ねたアンデスの山並みを眺めたいと思いながら、いつの間にか20年近く経っていました。そして今回、ついに再訪する機会が訪れました。

いつもラジオを持ち歩くケチュアの人々

ラジオを小脇に抱えた少年(左)
ラジオを小脇に抱えた少年(左)

クスコから車で2時間、さらに歩いて2時間。標高4,000mを超えるアンデス山中の小さな村に、先住民族ケチュア族が暮らしています。女性は山高帽にカラフルなスカートとカーディガン、男性はもっと地味ですが、概ね毛糸の帽子にポンチョをはおっています。村人はみんな裸足に、タイヤを加工したゴム製のサンダルを履いていて、どんなに急な山道でもホイホイ登っていきます。生まれ育った山岳高地で鍛えられた足腰は、都会育ちの日本人には想像もできないほど強靱です。
ところでそのポンゴパタ村を歩いていて不思議に思ったのは、みんな、ラジオを持ち歩いていること。確かに電気も水道も電話も整備されてない村では、電化製品と言えば古びたラジオだけ。そのラジオを、しかも今時の超小型ではない30年くらい前の大型ラジオを、肩に担いでいるのです。いったいなぜ?
村人に尋ねてみると、
「なんでかって? 時間がわかるからさ!」
…なんと時計代わり(?)なのでした。たしかに1週間滞在しても、腕時計をした村人を見たことは一度もありませんでしたが、それにしてもラジオ担いで歩くって……。

アンデスならでは「伝言サービス」

しかし実はラジオには、もうひとつの重要な効能があったのでした。現地で聞かれているケチュア語放送の「伝言板コーナー」が、そのヒミツです。たとえば麓の町に降りた村人が、公衆電話からラジオ局に留守電を残します。「○╳村のラウルだけど、何時にどこそこにいるからね」 誰もがラジオを担いで歩いてるわけですから、この伝言コーナーを聞いています。たとえ友だちが聞き逃したとしても、「さっきラジオで言ってたよ」と、誰かが教えてくれるはず。そして彼の留守電を伝え聞いた友だちが、約束の時間には1時間くらい遅れるかもしれませんが、ともかくやって来るわけです。
電話も携帯電話も存在しないアンデスの高地ならではの、非常にユニークな伝言サービスなのでした。

究極の保存食「チューニョ」

色鮮やかなマンタを背負うケチュア族の女性
色鮮やかなマンタを背負う
ケチュア族の女性

アンデスのユニークな風物は、他にもあります。先住民族ケチュア族は、かのインカ帝国を建設した人々の末裔ですが、その繁栄には、発達した道路網と、「チューニョ」という保存食の存在が重要だったと指摘されています。チューニョというのは、ジャガイモを凍結乾燥させたもの。冬の間に掘り起こしたジャガイモを、そのまま外でホッタラカシにしておくと、夜間の凍結、昼間の解凍を繰り返して、身がモソモソになります。これを乾燥させると、チューニョが出来上がります。モッソリとした食感で、少々カビ臭く、正直言って、あんまりおいしいものではありませんが、地元では、数年も保存が効く食料として、現在でも重宝されています。
弁当に持って行くのも、ゆでたチューニョと塩辛いチーズ。マンタ(風呂敷)で幾重にも包んだチューニョは、お昼を過ぎても、まだホクホクと温かく、野良仕事が終わって、ポカポカと暖かい日なたで食べると、いつもよりグンとおいしく感じられます。
そういえばマンタも、先住民の知恵が凝縮されている一品です。上記のようにモノを包んで運ぶ。赤ん坊を背負う。昼寝するのにちょっと敷く。雨が降ればアタマから被る。穴を開ければポンチョになる。使い道は縦横無尽です。

アンデスは原種の宝庫!

とってもおいしいアンデスのジャガイモ
とってもおいしいアンデスの
ジャガイモ

チューニョもそうですが、アンデスを象徴する食べ物と言えば、なんと言ってもジャガイモ。アンデス地方が原産と考えられていますが、いまや世界中で生産され、人類を食糧危機から救った作物と言っていいでしょう。なぜジャガイモがアンデスで生まれたのか。それは一日の気温差が激しいことや、紫外線が強いことなど、突然変異が起きやすい条件が整っていたことと関係があるようです。ジャガイモに限らず、アンデスはトウモロコシ、トマトなどの原産地とも言われ、多数の栽培植物の発生地はアンデスのアマゾン側斜面だと推定されているようです。アンデス高地は突然変異が起きやすい、世界でも特殊な環境にあるのかもしれません。
また、原産地には亜種が数多く存在することが特徴と言われています。先住民のお宅でも、普通に5種類ほどのジャガイモを食べ分けていました。これはスープ用、これはふかしイモ用という風に、食べ方も決まっているようです。ご主人のブエナベントゥーラさんは、「うちのパパス(ジャガイモ)はうまいよ。特にあそこの畑でとれたのは最高だ」と言って、日当たりのいい斜面を指さします。まるでロマネコンティみたいなジャガイモなのでした。

アンデスのごちそう

ケチュア族のごちそうのひとつが、クイというネズミです。日本では「天竺ネズミ」と訳されます。体長はモルモットくらい。どこの家庭でも、ベッドの下がクイの住み処です。暗闇の中、目を凝らすと、なにか動いています。子供が引っ張り出してくれると、メッチャかわいい小動物が、手のひらの上でモソモソ動いています。これを食べてしまうのは、ちょっとかわいそうな気もしますが、現地では貴重なタンパク源。塩焼きにするのですが、味付けはメチャクチャ塩辛く、付け合わせのジャガイモが進みます。おそらく日本の塩シャケに近い感覚なのではないかと思われます。
アンデスの高地は、真夏でも平均気温は10度を下回るほど寒いので、日々の料理にはスープが出されます。ジャガイモ、トマト、カボチャ、そしてNASAも注目する高タンパク健康食品として知られる「キヌワ」など、新大陸原産の野菜や穀物が、ふんだんに煮込まれています。野良仕事で冷え切った体に、アツアツのスープは、身も心も溶ろけそうに温まります。しかし寒いのと、そもそも沸点が低いのとで、せっかくのアツアツのスープも、あっという間に冷めてしまいます。だからよそってもらった人から先に食べ始めるのが、当地のマナー。
子供たちは台所のチョロチョロ燃える熾火に身を寄せ合いながら、かぁちゃんが作るアツアツのスープを毎日心待ちにしているのでした。そんなアンデスの暮らしは、時に過酷なものでしたが、標高4,000mの地で肩を寄せ合う先住民の姿を見ていると、家族の温もりのようなものが、いっそう際立って感じられるのでした。

マンタに包まれたペルーならではの食材たち
マンタに包まれたペルーならではの食材たち
香辛料がたくさん使われたアンデスのごちそう
香辛料がたくさん使われたアンデスのごちそう



山から海へ

アンデスでの高地の暮らしを経て、もうひと家族お世話になったのが、太平洋沿いの沿岸部エリアに暮らす先住民「モチェ族」のお宅でした。「モチェ」とは、いわゆる「プレインカ文明」のひとつで、「ワカ」と呼ばれる神殿を中心に繁栄しました。しかし15世紀頃に勃興するインカ帝国に呑みこまれてしまいました。現在ではスペイン文化を受け入れ、スペイン語しか話さない先住民が圧倒的に多いそうです。
トルヒーヨでお世話になったのは、我々が「マエストロ」(先生)と呼んでいたセグンド・ガルシアさん。陶芸の先生です。「鐙型注口土器」という、中央に穴の開いた壺など、モチェ文化の特徴を生かした民芸品を焼いています。このモチェの人々、目つきが鋭く精悍な顔立ちで、見た目はけっこうコワモテ。取っつきにくい印象なんですが、話してみるとメチャクチャ陽気です。山岳高地のケチュア族を、日本で言えば「寡黙な東北人」に例えるなら、温暖な沿岸部に住むモチェの人々は「ノリのいい関西人」という感じでしょうか。いつも冗談を飛ばし、3人が集まれば、歌と音楽と踊りが始まります。
マエストロのお宅は11人兄弟。一度、近くに住んでいる兄弟全員に集まってもらったら、78歳のおばあちゃんを囲んで、飲めや歌えの大宴会が始まりました。セグンドさん兄弟は「ロス・カイマノス」というバンドも組んでいて、観光客がやってくると民族衣装を着て得意のフォルクローレを披露するのでした。いつも音楽が絶えない、とても楽しいご家族でした。

宴会ではみんな口々に「サルー(乾杯)!」
宴会ではみんな口々に「サルー(乾杯)!」
お世話になったモチェ族の陽気なファミリー
お世話になったモチェ族の陽気なファミリー



沿岸部は海の幸尽くし

沿岸部はシーフード天国!
沿岸部はシーフード天国!

トルヒーヨの気候は、想像以上に涼しいです。日中は乾燥していて、カラリとした暑さですが、日が落ちると気温が下がり、朝方には一枚かけてないと風邪を引きそうなほど。この気候は、南極から北上してくる「フンボルト海流」が影響しているのですが、この寒流が、豊富な海の幸を運んで来てくれます。ですからペルーは世界有数の漁業大国で、魚介類を使った料理も多彩です。例えば「セビーチェ」は白身魚やエビなどの魚介類をタマネギなどと一緒に生のままレモン締めしたもので、ビールのつまみに最高。「アロスコンマリスコス」は「魚とご飯」という意味ですが、「魚介類のトマト風おじや」と言った感じで、ブイヤベースに似た濃厚な味わいです。イカやタコもふんだんに食べますから、日本人には馴染みやすい料理が盛りだくさんです。

お祝いごとにはやっぱり肉・肉・肉!

しかし南米と言えば、やはり肉料理がメイン。「ロモサルタード」は牛肉とジャガイモ、トマト、タマネギなどを炒めたもので、町の食堂では一般的なメニュー。日本の肉じゃがに近い、おふくろの味です。「アヒデガジーナ」は「アヒ」(黄色トウガラシ)で色づけした鶏肉シチューで、これも一般的。「ミラネサ」は薄切りのビーフカツ。オーストリアの「ウインナーシュニッツェル」に近い料理です。

お祝いごとにはかかせない肉料理
お祝いごとにはかかせない肉料理

食材も調理方法も実に多彩なのですが、しかしペルーでお祝いといえば、なんと言っても「アサード」です。アサードは簡単に言えばバーベキューのこと。牛ステーキ肉や豚肉、鶏肉を香辛料で味付けして、軽く茹でてから焼くんですが、この「茹でる」のがポイント。おそらく先に茹でることで、肉の表面に火が通り、旨味が流れ落ちないようにしているのでしょう。クリスマスや誕生会などのイベントでは、必ずと言っていいほどアサードパーティーが催され、仲間や親戚一同が大勢集まって宴会となるのでした。

バリエーション豊かなドリンクの数々

宴会と言えばお酒です。
ペルーの地酒で有名なのは、トウモロコシを発酵させた自家製酒「チーチャ」。アルコール分は3~4%くらいで、果実酒のように甘酸っぱく、飲みやすいです。家庭によって味が違い、ご近所でおいしいと評判のチーチャは、わざわざ買いに来る人がいるほど。値段もペットボトル一本1.5リットルで5ソル(※1ソル=約30円)程度と格安です。
ペルーのお酒と言えば「ピスコ」も有名です。ブドウから作る蒸留酒ですが、これに少量の卵白とレモン汁、砂糖を加えてミキサーすると「ピスコサワー」と呼ばれるオリジナルカクテルが出来上がります。甘酸っぱくて、とても飲みやすい、ペルーを代表するカクテルです。
ビールでは「クスケーニャ」が有名です。「クスコっ子」みたいな意味で、工場もクスコにありますが、いまやペルー全土にシェアを広げています。
また飲み物で忘れてならないのが「インカコーラ」。ちょっと毒々しい黄色の炭酸飲料ですが、「インカコーラはペルーの心だ」と言う人もいるくらい国民的な飲み物です。
居候先でも、旅先でも、郷に入れば、郷に従え。「サルー(乾杯)!」と杯を酌み交わせば、陽気なペルーの人々とすぐに打ち解けることができるのでした。

実はグルメ大国のペルー


アンデスの山間の青空市にて(左が著者)

実はペルーは、世界有数の「グルメ大国」といわれているのです。沿岸部の海産物から、内陸部の穀物と野菜、山岳地方の畜産、アマゾン地方の果物。熱帯のジャングルから標高6,000mの高冷地まで、世界でも珍しい多様な国土から、もたらされる多彩な食材は、想像以上に豊かなのです。
帰国後、ペルーに行ってきたというと、なにかと有名な「マチュピチュ」のことが話題になりがちですが、私にとってのペルーは、アンデス山中の厳しくも温かい暮らしや、陽気な人々の笑顔、そしておいしい食べ物に溢れた食卓など、人々の豊かな暮らしが、なにより深く印象に残っています。

風通信」45号(2012年4月発行)より転載