描ききれない魅力、 神々と人間が同居する町 〜カトマンズ〜

文・写真・スケッチ ● 白井 由紀


カトマンズを語るとき、一般的に使われる表現には「人口より神口の方が多い街」「人種の坩堝」「宗教が平和的に混在する街」「古・新、異文化が同空間に存在する多層構造の街」「多民族、多宗教、多言語」等々があげられる。北海道2個分弱の小さな国土は2大国インドと中国にはさまれ、ヒマラヤから亜熱帯ジャングルまで、東西南北全く違う気候がそれぞれの文化を更に多岐多様化させている。もうネパールに住んで20年が経つのだが、よく投げかけられる単純な質問「ネパールってどんな所ですか?」に未だに答えられないでいる自分が居る。ネパールを知れば知るほどその奥の深さを思い知らされるのである。

ラリトプール クンベソールにて(画:白井有紀)
ラリトプール クンベソールにて(イラスト:白井有紀)

「38民族、69言語」。これは、島国日本に育ってきた自分にはすんなり受け入れられるものではなかった。だから、ネパールについての何かを伝えたい、と考えた時、民族学とか宗教とかに素人の私が、あえて人々の信仰を語らざるを得ない理由があるとすれば、それはその「おもしろさ」からである。まじめな顔をして白いものを黒いと言う、また別の人がその黒いと言ったものの存在さえ否定する、ちょっと見には混乱するこれらのことにはすべてちゃんとした彼らなりの裏づけ、理由があるのである。それを1つ1つ知りたいと思い始めたらもうたいへん、それこそ夢中でスケッチや写真を集めまくり、資料となる本を読みあさる、その本が読めるようにとネワール語を勉強し始める、まさに「ネパールにはまってしまった」自分に気が付いたのは、私の場合20年後であった。

信仰の中に暮らすカトマンズの人々

カトマンズの朝は祈りの鐘の音で始まる。古い住宅地に入ると、その佇まいが中世をそのままに思い起こさせるだけでなく、そこには昔のままの暮らしを守る人々がいる。
朝4時ごろから始まる人々の日課の祈りの声とともに手にした鐘を鳴らす音、寺の鐘をたたく音、そして焚かれる線香の香り。これらは確かに中世のままなのだなと思うと、自分がどこにいるのかを一瞬見失ってしまう。
礼拝に使うのは赤い粉、赤い花、いけにえの赤い血。赤は神様のための色。赤いものを身につけることは神への信仰の証である。特に既婚の女性は、夫の幸運を願うためにも赤を身に着ける。「うちの嫁は赤い物を腕輪1つ身に付けやしない」と、姑どうしの会話。おばあさんも真っ赤な、派手な花柄のサリーを身にまとい、赤いアクセサリーで着飾っている。なんだか仮装を見るようでほほえましい。参拝帰りのおじいさんが赤い大きなハイビスカスをうれしそうに耳にはさんでいるのにもほほえまずにいられない。

神様にいつもの挨拶

カトマンズでは乗り物に乗る時にも人々の信仰心をうかがい知ることができる。運転席の周辺がどんなもので飾られているかによりその人が何を信仰しているかが分かる。もちろんそれがいわば節操無く混在しているときもあるが、それぞれの存在にそれぞれのご利益、彼らなりの哲学を持ってのアレンジ、自己主張であることを感じてほしい。
そして、運転手が橋を渡るときや仏教の五色の旗をくぐるとき、寺院などの聖地を通り過ぎるときに額と胸を3回結ぶ仕草に気がつくだろう。これは神々に対するいつもの挨拶。挨拶なしに通り過ぎるなんて無礼はしない。街を歩いている人も同じである。人々の生活と共に無数の神が存在するこの地では、人々の日常は神様への挨拶に忙しく、また、神々と向かい合うその挨拶の数だけ自分の中の善悪、煩悩と向き合い、神々に、自分自身に問う機会が得られる、ということである。

寺の参拝に欠かせないもの

寺の入口で買える参拝セット
寺の入口で買える参拝セット

「あなたはヒンドゥ教徒? 仏教徒?」と1人1人に尋ねれば、胸をはって2つに1つのはっきりとした答えが返ってくるが、こと寺や聖地のことについて尋ねると一般の人々は、聞いているこちらにとっては照れ隠しともごまかしとも言えるような「そのどちらもだよ。もともとの神は1つだし、仏陀もヒンドゥの神のうちなんだし。ところで、あんた、なんでそんなことにこだわるの?」という答えを返してくる。
参拝には、天国の香りを再現したお香、神に捧げる赤い粉、富や実りの証しの米、果物、お菓子、花、お金などが欠かせない。その内容が、それぞれの事情によって簡略化もできるのがまたよいところだ。
ヒンドゥ文化はいけにえをすることが知られているが、仏教徒はしない。しかし、そのかわりにココナッツを割る。ヤギをいけにえにしなくても、ココナッツの茶色の皮の繊維が丁度ヤギのひげのよう。だから、殺生をするかわりにココナッツを割ってもなんの違いもないのである。鶏卵や、それより値段の高いアヒルの卵を割っていけにえとするやりかたもある。自家製のお酒(ロキシー)を供える寺もあり、ネワール族の社会の中の古い寺に多く見られる。

マリーゴールドの花輪

朝から花輪を売る店が出る
朝から花輪を売る店が出る

ネパールを訪問されたことのある方なら、明るいオレンジ色のマリーゴールドの花輪が、チベット系の人々が使う「カタ(絹の白い布を肩にかける)」の習慣同様、歓迎、祝福、時には励ましの意を表す場面で見られることをご存知のことだろう。空港やホテルで、ご自分でも受けた経験がある方も多いと思う。染色用、漢方薬、虫除けとしても使われるマリーゴールドはその生命力と黄金の色からも縁起がよいとされている。この花がなくては始まらない祭り「ティハール」に合わせ人々は庭や小さな器にマリーゴールドを植え晴れの日を待つ。見事に咲いたとしても、少し気を抜くと庭のマリーゴールドは残らず誰かに持ち去られ、自分のうちのためにはその時期インドから大量に輸入される値のつりあがったものを買わなければならないことになる。しかしこれもご愛嬌。最終的にはどうせ神様のところにいくんだから、と、盗られた者もみな寛大なものだ。
まずしい家でもどこからか集めて(盗んで?)きたそれなりに精一杯のやせたマリーゴールドを飾り幸せを感じる。裕福な家は、周りも幸せになるような光を放つ、大輪の大きな鞠のようなマリーゴールドで覆われる。その1年に不幸のあった家には飾らない。それに気がついた人々は不幸があった家が安らかであるように心で祈る。みな同空間に住むものとしての振る舞いを自然に心得ている。私は、カトマンズに住む人々のそんなところが好きだ。

鐘の数だけ願いと幸福がある

人々が持ち込む供養の鐘
人々が持ち込む供養の鐘

どこの寺院にもある大小の鐘は、参拝者から供えられたものだ。よく見ると古いもの、まだ新しく輝いているもの、名前の刻まれたものなど様々であることに気づく。カトマンズに移り住み郷里の寺をお参りする機会がない人が、カトマンズで鐘を買いもとめ帰郷する人に託し、寺に納める習慣もある。逆に田舎に住む人がカトマンズのご利益があることで有名な寺に鐘を贈ることもある。鐘はその寺のご利益の高さの象徴、鐘が多い寺は活気もあるのが感じていただけるだろう。
鐘だけではなく、祈願したことが叶えられたとき、感謝の気持ちとして日用品、食器、古くは武器などを納める。寺の外観がそれらで埋めつくされているのも見られる。その1つ1つに人々の願いとそれが叶った幸せがある。それを参拝する人々が鳴らしご利益にあずかる。鐘の響きが町中に行き渡ったとき皆が幸せになれる、というわけだ。

樹の下の信仰

厄払いのブラーマンは大忙し
厄払いのブラーマンは大忙し

樹は人々の生活、信仰の中心である。集い、祈り、時にはその樹の下が歴史的な革命の舞台ともなる。そこに寺があろうと無かろうと、樹は祈りの対象となる。人々は生えてきた菩提樹は切らない。だから寺の屋根に落ちた種が自然に育ち、寺をすっぽり覆ってしまっているのがあちこちで見られる。
カトマンズのマハンカール(バイラブ神、災厄を払う)寺の前の菩提樹の大木は、夏には「グラハシャンティ=悪い星回りを鎮める」をする人で賑わう。そのためにどこからかブラーマン(ブラーフマン、司祭カーストの人)が来ていて、木の下で祈願に必要なものを万事そろえ占星術の古い本を手に待機する。
日本のお百度参りのように、古木、大木に、肌に触れていてまだぬくもりの残る衣類と一緒に木綿の糸を木に100回巻き病気の治癒と邪気の退散を祈る。都市部でもまだまだ衛生的に問題があるカトマンズで、夏になるとこの光景が多く見られるのは悲しいことだ。
たくさん糸の巻かれた樹を、通りすがりに目にした人々に自然と快気を祈る心が生じ、その善意の「念」の集まりこそが、どんな医学、薬よりも効果があるのだそうである。


カトマンズ盆地のご利益信仰

日本でいう「お参りすると○○に利く○○寺」はカトマンズにもたくさんある。以前ネパール人何人かに「日本にはとげ抜き地蔵なんていうのもある」と伝えたところ、とげを抜く神様は無いかもしれないが、日常におこりうる悪いことから守ってくれる神様はネパールにもたくさんいる、とのことだった。
非常に興味深いことに、直接的なご利益を掲げる寺は決まって古い歴史をもつ。それらがカトマンズ盆地の先住民といわれるネワール族の社会の中に存在することが殆どであるのは想像できることだが、さかのぼれないほど長い歴史が凝縮されたその姿には戸惑わざるを得ない。

カトマンズMAP

MAP 1 耳の病気に効く「耳の神様」カーンデオタ (所在地:パタン コプンドール)

カーンデオタ
カーンデオタ

近年新築され、大きな銅の耳があるのでその外観からも何の神様かが分かりやすい。社を守るおじいさんは、この場所はどのくらい古いのか、という私の問いに迷わず「5千年!」と答えた。
太古の昔、まだこの世が神々の住む世界であったころ、マハデブ(シバ神)の妻サッテャデビの耳が偶然ここに落ちてきた。だから、サッテャデビが世界中どこにいてもここで起こったことが聞こえたそうな。人々が額ずく石板には穴が開いていてその中にサッテャデビの耳が今でも入っているという。耳の病気にかかったとき、耳が聞こえなくなったとき、ここへ来て、穴の中に供物を入れ、耳型の石に自分の耳をあててよくなるように祈る。たとえここまで来られない人でも、お米を耳につけ誰かが代わりにそれを持って来て祈ればよくなるという。私が言われるままに耳型の石に額ずき礼拝して、頭を起こすなり、見守っていた人々は「なおった? よく聞こえるようになった?」と私の顔を真剣な面持ちでのぞきこむ。とっさに「なおった、なおった!」と答えてしまったのを、サッテャデビは聞いていただろうか。

MAP 2 虫歯の痛みがとれる「歯の神様」バンギャムダ (所在地:カトマンズ インドラチョーク付近)

バンギャムダ
バンギャムダ

歯医者や入れ歯屋が立ち並ぶ
歯医者や入れ歯屋が立ち並ぶ

コインを釘で打つという独特のやり方で祈願するので、コインに覆われたその姿は、他の寺にもあるトーラナ(入り口の上の半円型の装飾)のようにも見える。しかし、実は、その名「バンギャムダ=曲がった切り株」の通り、本尊は巨木の一部なのだ。ご想像いただけるだろうか、その部分は大木のほんの頭の部分で、地中に長くその木が埋まっているというのである。この寺は見かけがユニークだし、有名なのでよく知っているつもりでスケッチをしていたが、この話はごく最近知って驚いた。
近所の額屋の主人はもっともらしく、「ほら、この辺まで埋まってるんだよ」と道路を指差す。切り株を神と祭ったのではなく、元から埋まっていた曲がった大木が顔を出していた部分を神とし、後に寺になったということであろうか。どのくらい古いか誰にもわからないが4百年はたっているということで、丁度真ん中あたりにあいている穴には、昔は本尊となる神像が祭ってあったが、盗まれてしまって今は空だ。
歯の神様らしくその界隈に入れ歯や歯科医が立ち並んでいるのは面白い光景である。今でも虫歯が痛むとここへ来て祈る人は多い。


MAP 3 本尊に寄り添う、隠れたご利益「皮膚病の神様」ガネシュタン

ガネシュタン
ガネシュタン

ガネシュタン、この寺はもう1つの小宇宙である。この場では到底書ききれるものではない。決して広くない境内には、見るからに古く、曰く所以のありそうなものがいっぱいだ。本尊の周りのたくさんの小さな像も、それぞれに違う年代の違う物語をもっている。この場所が現在ヒンドゥ教のガネシュ(ガネーシャ)を祭るものとされていても、それは新しく足されたことで、元々の聖地に色々な物がかぶさりながら今の寺の姿ができたということは明らかだ。因縁話の中に、隣村ハリガオンとの関係が要所要所で出てくることも興味深い。
蛇の姿の「皮膚病に効く神様」は、その小宇宙の中のごく目立たない、しかし、重要な位置に隠れるように立っていた。寺の正面に置かれた銀のガネシュ像に寄り添うようにある、蛇が頭をもたげた形のごく小さい石である。人々の祈りを受け止めた証の赤い粉と、何度も触られてつるつるになったその頭が、人々の信仰心を感じさせる。この蛇の神様のご利益は一般の人に聞いても知らないことが多かった。寺の世話役も、私が尋ねるまで言い出すのを忘れていたほどである。寺の中にあまりにも重要な様々なものが詰まっているせいもあるだろう。

学問と技芸成就「サラソティのご利益」

人々がご利益を得ようとすることナンバーワンは、日本でも「学問の神様」だろう。カトマンズでもサラソティ(サラソワティ)の寺院は各地区あるといえるほど新しいもの古いものがあちこちに見られる。芸ごと、習いごとのこの女神は、シタールを手に、孔雀に乗った姿をしている。日本の七夕を思い起こさせる「サラソティプジャ」の日には楽器の演奏者、裁縫を生業にしている人などが参拝する。最近では学業成就を祈願する学生でにぎわう。寺の建物や塀に、チョークで自分の名前やコメントを書いて祈る習慣もあり、初めて目にしたときには「文化遺産になんてマナーの悪い!」と憤慨したものだが、あとで理由がわかった。いくら17世紀の文化遺産、世界遺産であっても、ここに住んでいる人々にとってはまさに今暮らしの中で使われている日常の一部であるのだからと納得させられる。

* * *

ご利益信仰の寺や聖地は、カトマンズ盆地内だけでも数え切れないほどあるだろう。それぞれの民族や宗教によって、違ってくるのがまた面白い。あなたがネパールで最初に出会った人々はどんな物語と価値観を持っているか、その次に、次の次に出会った違う人々が、180度違う物語をあなたに聞かせてくれるかもしれない。昔々の小さな王国の戦いで勝った者の勝利の物語とその祝いの祭りは、他の負けた者にとっては悲しい敗北の物語につながり、復讐心を子孫に刷り込むためのお祭りであったりする。また、ある民族には縁起のよいものが他の人々にとっては縁起が悪いこともある。
これらがこの小さなすり鉢状のカトマンズ盆地の中に、今もなお渦まいているのだ。もっと知りたい、もっと見てみたいと思いだしたら、もうリピーターとなり、どんどん深みにはまってゆくしかない。
私のように絵を描く者にとってもここはまさに宝の山。「ことかかない」どころか「尽きない」スケッチの題材に、いつもネパールに初めて来たときのように、われを忘れて瞬きも惜しみ、スケッチに走ることになる。狭い路地裏を、一歩進んでは前後左右をスケッチしてもそれぞれ違うものが見えてくる。朝描いた同じ場所は、夕日に染まると全く違う顔を見せる。行き交う人々がそれらの風景をまたそれぞれに創りだしてゆく。そんなわけで未だにスケッチに出るたびに興奮をおさえきれない私は、この調子では、単純に計算してもあと200年は生きていないと描きたいものが描き終わらないな、と思う今日このごろである。
民族、地域、季節によって七変化する、不思議なことがたくさん詰まったカトマンズ盆地。まだまだ紹介しきれない、出し惜しみしたくなるようなこの魅力を分かっていただくためには、もう、直接来ていただき、触れていただくしか方法がない。


白井さんのスケッチより

「ガネシュ神」
「ガネシュ神」
ナーグ&ナギーニ
「ナーグ&ナギーニ」
パタンのクマリ
「パタンのクマリ」