特別記事

その先のシルクロードへ 中央アジア・バザール巡り

 

写真・文●加藤 剛

タシケントのチョルスー・バザールタシケントのチョルスー・バザール。
数百軒の店が並び、果物や食肉等の生鮮食料から機械部品まで様々な品が揃っている

まだまだ馴染みが薄い中央アジア

中央アジア地図

「ウズベキスタン? カザフスタン? なんだか危なそうな国だね」
シルクロードの写真を撮っていますというと、話の中心は中国領内が中心になってしまい、次はどこに行くのと聞かれて答えると大抵返ってくる言葉である。
一般的な日本人の思い描く『シルクロード』のイメージは、交易品を背に載せたラクダの隊商が砂漠を行き交うイメージや敦煌に代表されるような仏教伝来や文化の道のようで、最終到達点は日本の奈良。正倉院の宝物にあるようなペルシャ伝来のガラス工芸品や胡楽に代表されるような楽器等がその名残というのがパブリックイメージのようだ。
中国から先にもシルクロードは続いている。しかし、中央アジアとなると途端にイメージがわかなくなってしまうようだ。中国領内のシルクロードもそれは素晴らしい見所があり、日本人にしてみれば馴染みの深い地名も多い。だが、実際の『シルクロード』の及ぶ範囲からすれば、それらはほんの一部であり、知名度は低いものの、興味深い地域はまだまだたくさんある。
今回紹介するカザフスタンのアルマティからウズベキスタンのタシケントへの道は、天山山脈に沿っての主要な都市を横断する天山北路といわれるルートである。シルクロードが交易路であったことからも、大都市のバザールを辿っていけば、往時の名残を感じることができるのではないかと思い、各地のバザールに立ち寄ってみることにした。その土地のことを知りたければ市場に行けという言葉もある。


多民族を象徴するバザール

アルマティのバザール
果物類が思いのほか充実。さすが原生種の地
馬肉ソーセージ「カズィー」
馬肉ソーセージ「カズィー」
保存食に由来しているそうだ


カザフスタン南部の町アルマティ。現地ではアルマタと呼ばれている。リンゴの父という意味だ。新疆のイリからカザフスタン南部、キルギス、タジキスタンにかけての地域はリンゴ、ナシ、ピスタチオ、アーモンド等の起源地と考えられており、バザールだけでなく、街中のキオスクなどでもよく売られている。郊外の家にもなれば、庭にリンゴの木を見かけることも珍しくない。
アルマティの町はソ連式の無味乾燥な街並みで、旅行者には少々物足りないが、町の中心には、グリーン・バザールと呼ばれる市場がある。その名前のとおり建物の外壁を緑一色で塗られているからで、風情という概念はまったく程遠い名前ではあるものの、中に入ると土地の産物が積まれ、賑わいを見せている。
面白いのは商品によって、店員の人種が異なることだ。
例えばカザフ人はモンゴロイド系人種の特徴を有している人が多く(日本にいても比較的体格の良い人だなという程度の印象しか受けないだろう)、彼らの好物である馬肉ソーセージの「カズィー」を売っている。サラミ、ソーセージやチーズなどの乳製品は、金髪で体格の良いスラブ・ロシア系。時にはカスピ海から取れたキャビアなども扱っている。
果物は、彫りが深く目のぱっちりしたアーリア人種の特徴がでているイラン系のタジク人。縁があって、タジク語の単語を幾つか知っているので会話に織り交ぜると、にこやかに応対してくれた。リンゴを見せて、アルマティはアルマタなのだよとお約束のように説明してくれる。

キムパブやキムチなどの総菜を売っている
キムパブやキムチなどの総菜を
売っている

そんな多民族国家を表すようなバザールの中でも、日本人の我々の目を引くのはお惣菜等を扱っている朝鮮系の店員だ。
なぜ、はるか離れた中央アジアのカザフスタンに? と思うかもしれない。ソ連時代にスターリンの政策により、中ソ国境付近の朝鮮系住民に反乱の恐れがあるとの理由で中央アジア(カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス)に強制移住させられたのだ。
そのため、ロシア・カザフ語表記のキリル文字の看板が並ぶ中にキムパブ(のりまき)やキムチが置かれている不思議な光景に出会える訳である。朝鮮系の売り子さんに話しかけられたのでよくよく聞きとると中国語だった。アルマティから東に300kmほどで行けば中国領である。商売の取引で必要だから覚えたとのことだ。朝鮮の言葉はできるの? と聞くと、曖昧な笑いを浮かべてごまかされてしまった。
愛嬌の良さとご近所のよしみでキムパブとキムチを買う。バザールの外れで昼飯にした。ごま油の香ばしいキムパブと甘辛いキムチの味にさほど違和感はなかった。


日本人だからサービス?

翌日、アルマティから南西方向に230km。キルギスの首都ビシュケクに向かう。バスで約4時間ほどであった。国境の往来は盛んで、すんなりと出入国が済み、市内に入れた。
カザフ人も日本人に近いなと思ったが、キルギス人はさらに日本人に近い。町を歩いていてもすれ違う人に自分が外国人であると意識させられるのは、時間を聞かれたりする時の言葉でしかない。
やはり、旧ソ連の構成国であったので、街並みはアルマティに似ている。しかし、インフラ整備が追いついていないのか、キルギス人の傾向なのか、一国の首都にしては、田舎めいた顔をしている。それもまた土地の風情があって楽しい。
ビシュケクには幾つもバザールがあり、一番大きいオシュ・バザールに足を向けた。
アルマティのグリーン・バザールよりも遥かに大きい。広大な敷地の中に、建物であったり露天であったりしながらも、生鮮食品、果物、スパイス、電化製品、家庭用品と売る内容によって区画が変わり、それぞれに様々な売り場が立ち並ぶ。ビシュケク市民の百貨店のようなものだ。
キルギスはカザフスタンに比べると大分物価が安くなる。バザール内の食堂でジャガイモや羊肉をパイ状の生地で包んで焼いたクルニクやシャシリク(肉の串焼き)を食べたが、カザフの半分以下の食費で済む。
それに加えて、日本人特権のようなものが度々あった。バザール内で様々な店員らに話しかけられる。
『キタイ(中国人)か? カレーヤ(朝鮮人)か?』と訊かれて、『ヤポン(日本人)』と答えると、そうか、よく来たと、売り物の果物を手渡され、食えとすすめてくれる。
キルギス人にしてみれば、珍客到来のプレゼントということなのだろうか? もし、キタイとか、カレーヤと答えたらどうなるのだろうか? もらったリンゴやブドウを食後のデザートに齧りながら、とりとめのないことを思った。
ビシュケク市内には、中国の援助ですとデカデカ描いてあるバスが走っていたり、漢字表記の超市(スーパーマーケットの意)や飲食店を時折見かける。迫る隣国の勢いを垣間見るどころか、目の当たりにした気分にもなる。
中央アジアの中でも、天然資源で優位に立つ、カザフスタンやトゥルクメニスタン。観光に力を入れているウズベキスタンに比べると、キルギスやタジキスタンの立ち位置というのが難しいのかもしれない。


シルクロード旅情

鉄道で相席になったラーニャさん親子
鉄道で相席になった
ラーニャさん親子
英語堪能なカザフ美人クリスティーナさん
英語堪能なカザフ美人
クリスティーナさん
朝食をご馳走になったドゥサン一家
朝食をご馳走になった
ドゥサン一家


再びカザフのアルマティに戻り、今度は鉄道でシャンブール州のタラズへと向かう。アルマティ駅の構内にはカザフに住む民族紹介の壁画があり、朝鮮族の姿もちゃんと描かれている。列車に乗り込む前に目に残った。
寝台列車の相席になったのは、ロシア系の親子ラーニャ・ソーニャさんやカザフ美人のクリスティーナさん、この後、タラズを案内してもらったドゥサンさん。
ロシア語がほとんどできないので、英語が通じるかなと心配していたものの、クリスティーナさんが通訳してくれるし、お子様のソーニャがかまってくれるので、賑やかな旅路となった。
夕飯時パンやサラミを頂いたので、グリーン・バザールで仕入れたキムチを振舞ってみた。ピクルスの一種で、アルマティで買ったものだと説明するものの、みんな一口で止まる。食に関しては保守的なようだ。こうした時、決して、自分自身食にうるさい方でないとも思うが、日本人の雑食性というか、食に関しての好奇心の強さを自覚する。
翌早朝タラズに着くと、ドゥサンの息子さんが車で迎えに来ていた。家で朝ご飯を食べろとすすめてくれるどころか、町を案内してくれるとのこと。ありがたく申し出を受けさせていただく。
ドゥサンも息子も英語は話せず、こちらもカザフ語、ロシア語は話せない。しかし、言葉でなくても、通じるものがあるというか、なんなく分かってしまうものだ。ご飯が済んだ後に息子さんの車で町中のカラハン朝期のモスクを見学後、郊外にでて、タラズ河を見渡せる丘に登り、眺望を楽しんだ。
751年のタラズ河畔の戦い。イスラムのアッバース朝と中国の唐軍がこの付近で戦い、捕虜となった唐軍兵士の中に製紙法を知る者がいたことから、製紙法の西伝のきっかけになったという出来事を思う。
数年後にはサマルカンドに製紙工房ができたことからも、中国の最先端の技術に対して、周辺国の貪欲な思いがあったのだろう。逆に中国も漢代には、良質の馬を求めて中央アジアまで遠征している。それ以外にも様々なものが東へ西へと伝わったのだろう。
タラズのバスターミナルまで送ってくれたドゥサン親子と握手で別れ、シムケントを経由してトゥルキスタンに向かう。トゥルキスタンでの目的は、14世紀の中央アジアの覇者ティムールによって建てられたホジャ=アフメド=ヤサウィ廟見学だ。


ホジャ=アフメド=ヤサウィ廟ホジャ=アフメド=ヤサウィ廟。実は未完成。
建設中にティムールが病没し、中止された状態になっている。裏面はタイルで飾られている

ティムールの時代から遡ること200年前、中央アジアの遊牧民にイスラム教を伝道したダルヴィッシュ(イスラム修道者の意)のヤサウィを記念して建造された。大きさは横45.8m。縦62.7mの長方形型をしている。大型建築技術のみならず、釉薬技術が発達したことから色鮮やかなタイルワークが用いられるようにもなった。
ここでの建築経験がサマルカンドのレギスタン広場にも受け継がれ、中央アジア、ペルシャ、インド(ムガル朝はティムールの子孫バーブルによりひらかれ、インドに中央アジアやペルシャ文化を持ち込んだ)にも影響したかと思うと、歴史の面白さを感じる。
廟内や周辺には巡礼者を見かけ、なにやら祈っている姿も見かける。ソ連時代に宗教活動が制限されていたというが、独立後20年もすれば、お年寄りの話から復興するものもあるだろう。なにか祈る対象を持つのは自然な欲求なのかもしれない。
翌日、シムケント行きのバスに乗った際、バスがヤサウィ廟に通りかかると、乗客が一斉に祈りを捧げ始めた。さすがに聖地だなと思いながら、祈りを真似する。すると隣に座ったおじさんがニコニコしながら、ナッツをすすめてきた。これもご利益か。
シムケント経由でウズベキスタンのタシケントへと向かう。カザフスタン側の国境の規則が変わり、今まで通れたチェルニエフカ国境が地元民しか通れなくなったとのことで、そこから外国人用のヤラマ国境まで、移動をしなければならなくなった。往時のシルクロードであれば、あいさつの一つでもして、通れただろうにと愚痴をこぼしつつ、乗り合いの車を探す。幸いすぐに見つかった。
同乗者はシリア人でアレッポのアフメドと名乗った。商売で来ているとのことで、アレッポに行ったことがあるというと、今度は自分がいる時に来いと名刺をくれる。人の紹介で次の土地、次の土地へと導いてもらえるのは、今も昔もそれほど変わらないのかもしれない。


ゴールは次の目的地へのスタート地点

香辛料
近くを通るだけでも刺激的な香辛料の香りが違う。店の人によると百種類以上あるとのことだ

タシケントに着くと恒例となったバザール巡りを敢行する。近くにメドレセ(イスラム神学校)があるチョルスー・バザールを訪れた。キルギスのオシュ・バザールに似た感じで、敷地内に建物やパラソルを立てただけの露天の店と様々だが、こちらの方が整然とした雰囲気がある。
並んだ品物や売り子を眺めてると、どこから来た? とさっそく話しかけられる。日本だと答えると、そうか、「ハラショー(良い)」と返ってくる。これから、サマルカンドやブハラに行くのかとも訊かれたので、前に行ったことがある、ウズベキスタンには何回も来ていると言うと、重ねて「オーチン、ハラショー(とっても良い)」と続く。
珍客到来で物珍しさか、他の店の店員も寄ってきた。その中の一人に、タジキスタンには行ったことがあるか? と訊かれる。顔からしてタジク人のようだ。タシケントからすぐに、タジキスタンのホジャンドに行けるぞ。そこのバザールはここよりもすごいと自慢する。周りのウズベク人が、いや、それはない。ウズベクのほうがすごいと互いのお国自慢が始まってしまった。

ナーンの形は作り手にとって様々。もちろんお味も
ナーンの形は作り手にとって様々。もちろんお味も

夕飯の支度という時間帯を狙ってか、どこからともなく、焼き立てのナーンを荷台や乳母車に載せて売りに来ている人たちが目立ち始めた。
しばらく眺めていると、売るのが上手いのもいれば、いつまでも売れずにいるのもいる。人の個性がでていて面白い。どこでも同じなのだなぁと思う。
ナーンの表面には円形であったり、花状であったり、ねじったような飾りがされている。これは剣山のように針がびっしり生えているスタンプのような道具があり、それを押し付けて飾りにするのだ。
あなたは買わないの? ずっと見ていたので売り子さんに声をかけられた。ツーリストだから買えないよと言うと、お土産にしなさいと返される。保存さえしっかりすれば、数ヶ月はもつそうだが、日本に持って帰るのもなぁと判断に迷っていると、鼻先にナーンを出される。香ばしい匂いで食欲が刺激される。
分かったよ。いくらと訊くと、素早くビニール袋に2個、3個と詰めはじめたので、慌てて制止する。結局、3個買うことになった。シャシリクでも買って帰って晩ご飯と朝ご飯にすることにする。さすが、バザール商人は油断ができない。
今回のシルクロード・バザール巡りもここタシケントで一旦、ゴールとなるが、まだまだこの先にも道は繋がっている。
同じウズベキスタンのブハラにはタキと呼ばれるドーム状の建物がある。これは荷を載せたラクダがそのまま入れるような高さの間取りで設計されているもので、今でもバザールの一部として使われている。町の雰囲気が良いのでまた、訪れてみたいと思う場所でもある。
また、話に出てきたタジキスタンのホジャンドのバザールも面白そうだ。中央アジア5カ国のうち、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、トゥルクメニスタンはトゥルク系民族が多いが、タジキスタンだけイラン系民族が中心の国なのだ。外見も違えば、言語も違う。また新しい発見があるだろう。
このタシケントから日本へ戻るが、次の目的地はまた中央アジアに決まってしまったようだ。

風通信」39号(2010年3月発行)より転載