ツアー関連情報

シルクロード大走破: 見どころ一挙ご紹介!(第3弾)

 

イシククル湖畔に残る古代の岩絵
イシククル湖畔に残る古代の岩絵
さて、第1弾、第2弾に続く第3弾は、玄奘三蔵の道です。
西遊記のモデルになったといわれる玄奘三蔵。彼は629年、長安(現西安)から天竺を目指しました。唐の皇帝太宗は彼の旅を許しませんでした。しかし、真の仏教の教えを探求する気持ちが強かった玄奘は国の法を犯し、許可も保護もなく出国したのでした。少しだけ彼の旅をなぞってみましょう。

当時、国境であり、この先は死の砂漠が横たわる玉門関を越え、仏教がさかんだった高昌国(現トルファン)や屈支国(現クチャ)(ともにシルクロード走破第2弾で訪ねます)で庇護を受けつつ、さらに先を急ぎ、天山山脈の山越えをします。 同行者にも死者が出た厳しい山越えだったようです。玄奘が越えたと推定されているペダル峠は現在通行不可のため、その西方にあるトルガルト峠(3,752m)を越えていきます。ここも長い冬の間は雪に覆われる場所です。
天山を越えればかつての西突厥の国。タクラマカン砂漠や、天山の厳しい山越えのあとには、気持ちのいい草原の国が待っています。遊牧民のユルタなどを見かけることもあります。

■今回の旅の出発はカシュガルから

カシュガルを含む新疆から中央アジアは現在イスラム教が主な宗教。仏教が盛んだった玄奘の時代とは趣きはかわってるのでしょうが、東西交易の十字路として、今も西新疆の中心地として君臨しています。玄奘本人は天竺へ行く途中、カシュガルは通りませんでしたが、帰途、立ち寄ったようです。

様々な品物が並ぶカシュガルの日曜バザール。今も交易の中心地だ
様々な品物が並ぶカシュガルの日曜バザール。今も交易の中心地だ
旧市街や職人街を散策したり、ウイグル族の民家にもおじゃまします。
旧市街や職人街を散策したり、ウイグル族の民家にもおじゃまします

新疆最大のイスラム教寺院エイティガール。金曜日は敬虔なウイグル族の人々が祈りに訪れます。
新疆最大のイスラム教寺院エイティガール。金曜日は敬虔なウイグル族の人々が祈りに訪れます


■草原と天山の国キルギス

玄奘は西突厥では、厳冬期でも凍らない「熱湖」と呼ばれるイシククル湖のことや、西突厥の王に面会したことを大唐西域記に書き残しています。今は湖底に沈んだ町があること、周辺に温泉があることや風光明媚な場所として知られています

草原の海に浮かぶ遊牧民のユルタ、美しい雪山の国であると同時に騎馬民族の国なのです。
草原の海に浮かぶ遊牧民のユルタ、美しい雪山の国であると同時に騎馬民族の国なのです。

しばらくは草原以外に何もない道をひたすら走ります(シルクロード大走破 キルギス)
しばらくは草原以外に何もない道をひたすら走ります


■イシククル湖

イシククル湖南岸にある「7つの雄牛」(ジェティ・オグズ)と名づけられた赤土の岩山
湖南岸にある「7つの雄牛」(ジェティ・オグズ)と名づけられた赤土の岩山
イシククル湖の東岸カラコルのロシア正教の木造教会。
湖の東岸カラコルのロシア正教の木造教会

仏教、イスラム教そしてロシア正教・・・時代とともに様々な祈りがこの地を通過していきました

湖越しに南を望む、イシククル湖は南北を雪山に挟まれた高原地帯にあります
湖越しに南を望む、イシククル湖は南北を雪山に挟まれた高原地帯にあります

冬でも凍らない=暖かい、というわけでしょうか、イシククル湖にはビーチリゾートがあります
冬でも凍らない=暖かい、というわけでしょうか、イシククル湖にはビーチリゾートがあります


■ブラナの塔


玄奘が西突厥の王と面会した素葉城があったと推定されている付近に残るブラナの塔(11世紀築)

ブラナの塔周辺には突厥の戦士の墓とも言われる石人がいくつもたたずんでいました


■ビシュケク

キルギス帽がきまっている紳士(バザールにて)
キルギス帽がきまっている紳士(バザールにて)
例にもれず、ドライフルーツはシルクロードの定番だ
例にもれず、ドライフルーツはシルクロードの定番だ
伝説の王マナスの像が建つ町の中心アラトー広場 かつてここにはレーニン像が立っていました(キルギス)
伝説の王マナスの像が建つ町の中心アラトー広場 かつてここにはレーニン像が立っていました

ビシュケクから2つめの国境を越えてカザフスタンへ入ります。
さらに西に進み、タラス河にも足を運んだようで、今のウズベキスタンの首都タシケント(当時の名称:石国)を訪れています。その後、玄奘は、今のサマルカンドを経て進路を南に変え、天竺(インド)目指していきます。

■タラス

西暦751年、東アジアを支配する唐(618~907年)とイスラム帝国アッバース朝(750~1258年)がこの地で激突。シルクロード史上最初の大きな戦争となりました。この結果、アッバース朝が勝利し、中央アジアはイスラム教の支配が確立され、仏教は影を潜めていくことになります。唐の製紙法が西へ伝わるきっかけともなりました。玄奘がこの地を訪れた約100年後の出来事でした。

今は静かにタラス河が流れているだけですが、世紀の大決戦に思いを馳せてみましょう
今は静かにタラス河が流れているだけですが、世紀の大決戦に思いを馳せてみましょう

そして、いよいよ3つめの国境を越えてウズベキスタンへ

■タシケント

ウズベキスタン博物館には、仏教時代の遺品「ガンダーラ仏」などが展示されています
ウズベキスタン博物館には、仏教時代の遺品「ガンダーラ仏」などが展示されています
地震にびくともしなかったというナヴォイ劇場には日本人抑留者への言葉が掲げられている(ウズベキスタン)
地震にびくともしなかったというナヴォイ劇場には日本人抑留者への言葉が掲げられている
イスラム王朝下での伝統工芸品は緻密で精巧だ。この本立ては1本の木から彫りだしています
イスラム王朝下での伝統工芸品は緻密で精巧だ。この本立ては1本の木から彫りだしています

今回の旅の移動距離は、カシュガル~タシケントで約2,000km。これだけでも十分遠く感じますが、当時は歩くか、馬に乗るか、らくだに乗るか。それを考えると、途方もない時間がかかったことでしょう。実際、西安から天竺までの往復全行程は30,000kmもあったといいますから、恐るべき旅だったことがわかります。国の保護も正確な地図もない時代、彼が乗り越えてた艱難辛苦は想像も及びませんが、天山の山越え、3回の国境越え、2,000kmの大移動を体験して、その片鱗に触れてみてください。


関連よみもの

シルクロード大走破: 見どころ一挙ご紹介!(第1弾)


シルクロード大走破: 見どころ一挙ご紹介!(第2弾)


シルクロード大走破: 見どころ一挙ご紹介!(第4弾)