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シルクロード大走破: 見どころ一挙ご紹介!(第4弾)

 
サマルカンドの青の広場の一角を占める神学校シェルドル・メドレセ(ウズベキスタン)
サマルカンドの青の広場の一角を占める神学校シェルドル・メドレセ

第4弾は、中央アジアからペルシア(現イラン)を目指します。途中サマルカンド、ブハラ、ヒヴァ、そしてトルクメニスタンも訪れます。キジルクム砂漠を縫うようイスラム文化が花開いた都市を進み、さらに、カラクム砂漠を抜けて仏教が最も西にたどりついた地も訪れます。このルートは、チンギス・ハーンやティムール、そしてロシアが帝国を拡大していった『覇権への道』でもあるのです。

ウズベキスタンの高速鉄道アフロシャブ号で、いっきにサマルカンドへ(ウズベキスタン)
ウズベキスタンの高速鉄道アフロシャブ号で、いっきにサマルカンドへ


■サマルカンド

まずは、青の都サマルカンド。チンギス・ハーンのモンゴル帝国が空中分解した後、中央アジアを統一したティムール帝国(1370~1507)の都。以前はマラカンダと呼ばれ、シルクロードを往来したソグド商人が活躍し繁栄していました。1220年チンギス・ハーンに、徹底的に破壊されましたが、ティムールによって再び息を吹き返します。ティムールは遠征先から技術者を連れ帰り、サマルカンドを再建したのでした。

サマルカンドの青を代表するレギスタン広場。ティムールの時代ここにはバザールを囲んで、モスクや巡礼宿、商人宿があったそうです(ウズベキスタン)
サマルカンドの青を代表するレギスタン広場。ティムールの時代ここにはバザールを囲んで、モスクや巡礼宿、商人宿があったそうです
ティムールゆかりの人々が眠るシャーヒズィンダ廟で出会った巡礼者(ウズベキスタン)
ティムールゆかりの人々が眠るシャーヒズィンダ廟で出会った巡礼者
ティラカリ・メドレセの黄金色に輝く礼拝所の天井(ウズベキスタン)
ティラカリ・メドレセの黄金色に輝く礼拝所の天井

ティムールの妃ビビハニムの悲しい伝説が残る当時のイスラム界で最も大きなモスク(ウズベキスタン)
ティムールの妃ビビハニムの悲しい伝説が残る当時のイスラム界で最も大きなモスク


■ブハラ

その後、ペルシャ湾、インドや明と国境を接するまで勢力を拡大したティムール帝国も内紛で衰退していきます。そこで覇権を握ったのがブハラ。チンギス・ハーンの血統を継ぐシャイバイニー朝以後、16~19世紀頃までブハラに都を置く3つの王朝が繁栄していました。


青い空に映えるブハラのカラーンミナレット

アルク城で出会った制服姿の女子学生


ブハラでは旧市街に位置する個性的な宿ミッリーウィに宿泊(宿泊先一例)
ブハラでは旧市街に位置する個性的な宿ミッリーウィに宿泊(宿泊先一例)

ナンはブハラの市場でもおなじみ(ウズベキスタン)
ナンはブハラの市場でもおなじみ


■ヒヴァ

ヒヴァは、アムダリア川の流れが変わったことで衰退していったクフナ・ウルゲンチ(現トルクメニスタン領)に代って、17世紀以降繁栄しました。当時の王は奴隷売買を始め、恐怖政治を行っていたそうですが、旧市街は、城壁に囲まれ、ミナレットやモスク、メドレセ、土壁の家々などが残る街並みで、中世イスラム都市のイメージを私達も見ることができます。

城壁に囲まれた町にはモスク、神学校がそれぞれ20あり、ミナレットも6基も残されています(ウズベキスタン ヒヴァ)
城壁に囲まれた町にはモスク、神学校がそれぞれ20あり、ミナレットも6基も残されています
奴隷市場があったという旧市街(イチャンカラ)の門(ウズベキスタン)
奴隷市場があったという旧市街(イチャンカラ)の門

街中で出会った子供たち、旧市街は今も生きています
街中で出会った子供たち、旧市街は今も生きています



さあ、ここから国境越えです。謎多き未知の国トルクメニスタンとは?

■トルクメニスタン

イランの北、カスピ海の東に広がる乾燥した土地トルクメニスタン。国土の70%が砂漠で、紀元前よりペルシア、アレキサンダー大王、チンギス・ハーン、ティムールなどの大国に支配されて来ました。その後の16~19世紀にトルクメン人の国が形成されていきます。彼らの中にはイラン人やロシア人を襲っては、ヒヴァの奴隷市場へ売りさばく者たちもいたようです。ロシアはそれを理由に侵略を始めますが、その抵抗はすさまじく、一度はロシア軍を追い返すほどでした。ロシア併合、ソ連解体後、独立。ニヤゾフ初代大統領は独裁政治を敷き、謎の共産国家として長く鎖国に近い状態でしたが、最近、地下資源を元手に国力を整え、外国にも門戸を開きつつあります。

独裁者のイメージが強い初代大統領ニヤゾフの像(トルクメニスタン)
独裁者のイメージが強い初代大統領ニヤゾフの像


■地獄の門

天然ガスの発掘調査の途中の事故でできた巨大ガスクレーター。ガスの噴出を止めるために火をつけたところが40年間燃え続けています。奇しくも、ここはゾロアスター(拝火)教が国教となったペルシアの隣国トルクメニスタン。古代の人々は、地下のガス鉱脈から、たまたま噴出したガスを永遠の火として崇めていたかもしれません。そんなことを考えると、巨大な神殿にも見えてきました。

地獄の門のクレーターの近くでテント泊です(トルクメニスタン 地獄の門)
地獄の門のクレーターの近くでテント泊です


■アシガバット

トルクメニスタンの首都。かつてはソ連の地方都市という風貌の街並でしたが、豊かな資源で得た財力を元に、白の大理石で統一した街区に生まれ変わりました。ギネス記録や世界一が好きなお国柄らしく、世界一大きな絨毯や観覧車、星型の建築物などなど。加えて夜になると、様々な意匠を凝らした建築物がライトアップされ、中央アジアの“ラスベガス”と呼ぶ人も。この新しい町並は、それだけでも一見の価値があります。

首都アシガバットは白い大理石の建物の数が世界一・・・だそうです
首都アシガバットは白い大理石の建物の数が世界一・・・だそうです
これも世界一、「世界最大の星型建築物」である結婚式場、夜は七色に光って美しい(トルクメニスタン)
これも世界一、「世界最大の星型建築物」である結婚式場、夜は七色に光って美しい

初代大統領が立てた中央アジア最大のモスク「トルクメンバシ・ルーヒ・モスク」(トルクメニスタン)
初代大統領が立てた中央アジア最大のモスク「トルクメンバシ・ルーヒ・モスク」


■メルヴ

メルヴは幸いなことに、時代の移り変わりとともに町の区画も移動したため、紀元前6~4世紀の町、紀元前4~紀元後7世紀ごろ、11世紀ごろのセルジューク朝の時代と、3つの時代それぞれの遺構が残されました。古いものはすでに建物が崩れ去って山のようになっていますが、乾燥した大地に、当時の人々がシルクロードを通ってたどりついた寺院や商人宿があった思うと、違った風景が見えてきます。
しかし、このメルヴもほかの町と同様、チンギス・ハーンに破壊されました。

セルジューク朝時代の建物跡、一説に王が女性たちを侍らせて宴を持った館「乙女の城」だといわれています(トルクメニスタン)
セルジューク朝時代の建物跡、一説に王が女性たちを侍らせて宴を持った館「乙女の城」だといわれています
夕日の映えるメルヴ遺跡に残るスルタン・サンジャール廟(トルクメニスタン)
夕日の映えるメルヴ遺跡に残るスルタン・サンジャール廟

さて、2回目の国境越えです。スンニ派の多数のウズベキスタン、トルクメニスタンからシーア派が国教のイランへ。
※国境はおだやかで争いごとなどはありませんのでご安心下さい。

■テヘラン(イラン)

イランの首都。ここに都が置かれたのはガージャール朝(1779~1925)になってから。そのため史跡といえる遺産には恵まれていません。ただ、イラン各地の美術品を集めた「考古学博物館」があり、必見です。

「ペルセポリスの謁見図」のレリーフは考古学博物館で見逃せないものひとつ(イラン)
「ペルセポリスの謁見図」のレリーフは考古学博物館で見逃せないものひとつ

今回のルートの歴史ある街には、どこかにチンギスハーンの影が残っています。世界にまたがる大帝国を打ち立てた「偉業」は、各地を破壊し、蹂躙した上に成立したということをまざまざと気付かされます。その後、ひとつになった世界の下では文物、人物が行き交い新しい文化が芽生えたとはいえ、歴史の歯車ひとつ動かすには、大きすぎる犠牲だったとも思います。また、その破壊から不死鳥のごとく甦る街も少なからずあったことも、このシルクロードの魅力のひとつです。それぞれの地に降り立って悠久の過去に思いを馳せてみませんか?