添乗報告記

添乗報告記●GW特別企画天山南路オアシスルートをたどる9日間

 

2007年4月28日~5月6日  文●水野恭一(東京本社)

トルファンでお邪魔した民家

記憶はあいまいなのですが、1980年の4月、NHKで始まった番組「シルクロード-絲綢之路-」は、現在のようにデジタル処理もされておらず、懐かしい映画のような画面でした。

喜太郎のテーマ曲は、当時、アコースティックな音楽が好みだったので少々違和感を感じたものですが、シリーズが重ねられるうち、いつしか口ずさんでいたことを想いだします。

たしかこのシリーズは、NHKと中国中央電視台により共同取材が行われ、中国領土内のシルクロードの外国メディアによる取材が認められたのはこの番組が初めてであり、大きな関心を呼びました。当時は、本や映像の世界で想像を脹らませるだけで、西域には、生きているうちに訪れることはできないだろうとも思っていました。

翌々年(1982年)、日本山岳協会の日中友好チョゴリ峰(K2)登山隊(中国から特別許可が降りた為)には多くの岳友が本隊や支援隊に参加し、帰国後、面白い報告を聞いたものです。残念ながら、かけがえのない岳友を亡くしてしまいましたが、、、。この登山隊のルートは、カシュガルまで空路、そこからトラックにてイエチェン(葉城)まで、この町は外国人が入るのが100年ぶり(?)とのことで、どこに行っても黒山の人だかりだったそうです。司馬遼太郎さんの本の中にも、訪れたウルムチやイーニンの章でも同じようなことが書いてあります。ぞろぞろと後ろから大勢の人が埃をたててついてきたそうです。

そのような面影はほとんど無くなったようですが四半世紀たち、やっと夢がかないました。しかしながら仕事としてです!

今回のルートは西域の三つ(天山北路、天山南路、西域南道)のルートの真ん中、まさに「絹の路」の本道、天山南路を胡人の商隊のように、西から移動したわけです。

鉄道(南疆鉄道)での移動

ウルムチからは空路にてカシュガルへ、カシュガル~クチャ~トルファン間は鉄道(寝台列車)の旅です。4名定員のコンパートメントは狭いながら、慣れてくると意外と居心地がいいものです。この南路はタクラマカンの北辺を走り、天山を越えてトルファンに入るのですが、黄塵が舞う荒涼とした風景がほとんどです。オアシスのある緑が見えてくるとほっとし、湿度の高いヤポネシアに住む私たちには、そこに住む人々の生活が想像できません。都市に着き、バザールなどの喧騒をながめてようやく納得するわけです。

眠りからさめると天山の高所を走っており、山のわずかな雪が融けるのを拒否するように点々と居座っていました。

訪れた都市にて

カシュガル

新疆西端の都市カシュガル着いたときには、まさに新疆!中原のにおいがほとんど感じられず、家畜市場やバザールの賑わい、モスクの静謐な時間、民家での食事などなど、イスラムの時の流れが体の中に入ってくるのが解る!ウイグル時間という生理感覚にあう時計が気分をよくしてくれます。

家畜市場

楽器屋さん


カシュガル、民家訪問にて

クチャ

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ウイグル族の美人の産地クチャ(と、確かに聞いたはずなのですが…)。市街の水路沿いには、ポプラの並木がつづいています。ポプラはヤナギ科で、昔、信州の古老から「ヤナギのそばには”水”がある。」と教わりました。季節的にはまだ早いのかもしれませんが、この暑さゆえ、そろそろ柳絮の飛ぶころかなと期待したのですが、新疆ではいつごろなのでしょうか?、ウルムチでは少し兆しがありました。

仏教遺跡、烽火台など、街中のイスラム色、文化が重なっており、わづかですが中原に近づいてきたようです。  王維の友人が遠く(クチャ)に使いしました。そこに安西都護府があり、その友を渭城で見送った詩ですが、そこにもヤナギがでてきます。

渭城の朝雨、軽塵をうるほす(正しくは「さんずい」に「邑」)

客舎青青、柳色新たなり

君に勧む、更に尽くせ、一杯の酒

西の方陽関を出づれば、故人無からん

クズルガハ烽火台

キジル千仏洞


トルファン

トルファンは葡萄の産地。ガイドさんから、色々な果物の産地(ハミは瓜etc…)を聞いたのですが、それをメモしたものを無くしてしまいました。残念ながら季節的にまだ旬の果物には恵まれませんでした。到着後、昼食のため民家に寄ると、テーブルの上に何種類かの干しブドウがのっていました。それらには薬効があり、女性の肌に良い、肝臓、高血圧、腎臓などに効き目があることを聞くと、在庫の干しブドウはかなりの量がはけていました。


トユク村の大桑

トユク村では桑の木を数多く見かけました。民家の人たちが木に登り、枝をゆすってその実を落とし、私たちの食膳に供してくれました。白い桑の実は初めてです。ここは、天蚕を飼っていたのでしょうか?、絹の産地だったのでしょうか?日本では桑といえば蚕です。


白い桑の実

トユク村でお邪魔した民家のお母さん


遺跡以外での楽しみだったウイグルの民族音楽と舞踊、少し中原の演出も感じられましたが、若い踊り子さんたちの身ごなしは期待どおりでした。それぞれの顔つきは、わが邦の女優やモデルさんのだれかに似ているのです。

李白

胡姫、貌花の如く

ろ(「つちへん」に「盧」)に当つて春風に笑ふ

春風に笑ひ、羅衣もて舞ふ

君今酔はず、将に安にぞ帰らん

ウルムチ

大都会です。楼蘭美女の眠る博物館もおみやげ屋さんのようでした。

火焔山

天候に恵まれれば、天山山脈をもっと眺めることができたのでしょうが、あちこちで黄塵がひどく、残念ながら遠がすみにしか姿を現しませんでした。この季節はクチャ、トルファン(海抜以下)は暑く、遺跡の見学も注意が必要です。しかしながら、水の豊かなところに住む私どもとはまるで異なる自然条件に暮らす人々の静かな時間の流れ、そしてそこに残る遺跡は圧倒的です!

ちなみに、私どものガイドさんの名前(ウイグル名)の漢訳は「火焔」だそうです。