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イエティ同人といえば、知る人ぞ知る、80年代のヒマラヤ登山界をリードした先鋭的岳人集団。
その中心人物であった雨宮さんが声をかけ、「自己責任」「均等負担」「全員登頂」を合言葉に、チョーオユーに登りたい人が集まった、出身も年齢もバラバラな13人であった。
均等負担、全員登頂を成し遂げるため、荷揚げ、ルート工作などは全てシェルパに任せ、酸素や最新の装備を用い、軽減できるリスクは限りなく少なくした。あとは「自己責任」で、自分の体調を仕上げ、登ることに専念する。言わば、自分たちの責任で公募登山隊を仕立ててしまったようなもの。集まった13人のウチ7人は60代のベテラン。寺山は当時33歳で最年少であった。
結果は、隊員9人とシェルパ8人全員が登頂。大成功であった。しかも8000m峰登頂の最高齢を更新した65歳を筆頭に3人の60代が登頂、山頂からのスキー滑降(日本人初)など、それぞれの自己表現を果
たした。
■参加の経緯
チョーオユーに行かないか? 風の旅行社の水野さんからそう誘われた時、瞬間的に「行きます」と応えていた。
北海道での大学時代は、山スキー部で過ごし、ずいぶん山には登ったような気がしていた。しかし91年にポカラから初めてヒマラヤを見たとき、明らかに違う巨大さに、圧倒され、登ろうなんて思いは消し飛んでしまっていた。その後、縁あって風の旅行社に勤め、ヒマラヤの麓を訪れることも数回。ひょっとしたら、あの神の座まで、自分の足で繋げることができるのでは?そんな思いがよぎるようになった。30歳を越え、自分の可能性に対するいくつかのあきらめと、何ものかへの冒険心が、灰に埋もれた熾火のようにくすぶっている様な時期だった。家族もしがらみも責任もある、それらを背負ったまま、やりたいことをやる、ここで人生に一つのけじめをつけたい。そんな思いの実現の場を求めていたところに、チョーオユーの話がきた。だから、別
にヒマラヤでなくてもよかったのである。だいたいチョーオユー登頂が冒険として評価されたのは30年前の話、別
に目新しい登山ではない。スキーにこだわったのも、「日本人初」を狙ったわけではなく、単にスキーが好きだったから。それ以上の理由はない。
極めて私的な自己表現のために、偶然巡ってきたヒマラヤ行きを決めた。1999年3月末のことだった。
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