4名様から催行出発日限定日本語ガイドが付きます英語ガイドは付きません添乗員が同行します特別講師は同行しません

明治維新150年/大西洋の絶海の孤島

セントヘレナ島 歴史・民俗・自然探訪 12日間

  • ハート型の滝
  • サンディ・ベイ礼拝堂
  • サンディ・ベイから望む奇岩怪石
  • 荒涼としたサンディ・ベイ付近の高原
  • 首府ジェームスタウンの奥に位置する谷あいの集落
  • 首府ジェームスタウンと大西洋
  • ハイ・ノール要塞
  • ジェイコブス・ラダー(下段)
  • セントヘレナ島内陸部の高原地帯
  • ロングウッドのナポレオン最後の寓居
  • ゼラニウム・バレーの旧ナポレオン・ボナパルト陵
  • 現在は郵便&貨物船のRMSセントヘレナ(入港は不定期です)

セントヘレナ島と幕末の日本

なぜ、セントヘレナ島へのツアーが明治維新150年スペシャルに?
そう思われる方も少なくないと思います。
ペリー艦隊から始まる外国船の到来により、江戸幕府は海軍の設立が急務であると悟り、長崎海軍伝習所を設立し、士官や技術者の養成に着手しました。
日本は開国し、外国船が頻繁に訪れるようになると、国力の差を現実のものとして受け止めるようになり、海軍力の増強には軍艦の建造が必要であると悟ります。
文久2年(1862)江戸幕府は最初、アメリカに軍艦の建造と留学生の受け入れを依頼しますが、南北戦争の激化で断られ、改めてオランダに木造軍艦の建造と留学生の受け入れを依頼しました。
文久2年(1862)、留学生は咸臨丸で横浜を出航して長崎に向かい、オランダ船カリップス号でバタビア(現在のインドネシア)に向かう途中で海難事故に遭い、バタビアでオランダ客船テルナーテ号に乗り換え、オランダのロッテルダムに向かいました。留学生には、後の海軍副総裁で維新後に閣僚となった榎本武揚、世界一周の見聞記『輿地誌略』を著して維新後は学校取調御用掛を拝命した内田正雄、『日本造船の父』と呼ばれた赤松則良、海軍教官として海上砲の操砲訓練の先駆者となった澤太郎左衛門、将軍・徳川慶喜の側近として議題草案を起こし後に啓蒙思想家となった西周、法学博士となった津田真道、御典医・林洞海の嫡男で維新後は陸軍軍医総監となった林研海らがいました。
一行がバタビアからロッテルダムに向かった航路はインド洋航路で、喜望峰を回り、途中、セントヘレナ島に寄航しています。
榎本武揚は、出航以来、航海日誌をつけていましたが、セントヘレナ島で敬愛するナポレオンの陵墓に参拝し、感銘を受け、航海日誌を海に棄てようとしました。親友・澤太郎左衛門は、航海日誌の破棄を惜しみ、貰い受けたという逸話が残っています。
オランダのヒップス造船所で建造された木造軍艦は『開陽丸』と名づけられ、留学生を乗せ、リオデジャネイロを経由して慶応3年(1867)3月、日本に帰国しました。
慶応四年(1868)、やがて明治と変わるこの年、正月三日午後五時、鳥羽伏見の戦いが勃発。前将軍・徳川慶喜は密かに大坂城を出て、アメリカ軍艦に送られて開陽丸に乗り込み、江戸に帰還します。このとき、艦長の榎本武揚は不在で、副長・澤太郎左衛門が艦にいました。老中・板倉勝静は澤に艦長代理を命じ、艦長・榎本を置いてけぼりにしたまま、出航したエピソードは有名です。後に江戸城が明治政府に明け渡されると、榎本・澤は開陽丸を旗艦とした幕府艦隊を率い、箱館へと向かいます。彼等を最初に乗せた咸臨丸は暴風雨で離脱し、静岡沖で座礁します。そして留学生の拠り所であった開陽丸も、箱館戦争の前哨戦であった松前藩との戦いの際、江差沖で沈没しました。
榎本艦隊は箱館五稜郭に立て篭もり、新政府に対し、独立の意思を見せますが、明治2年(1869)、新政府軍の猛攻により降伏しました。
新政府の中には、反乱者に対し、厳罰を以って臨むよう、説く者もいましたが、官軍参謀・黒田清隆(薩摩)は寛大な処置を奏上、榎本・澤をはじめ、多くの人材が新政府に登用されました。本来であれば歴史の紊乱者として賊として扱われるところ、彼等の技術や経験を惜しんだ黒田清隆の嘆願が功を奏したのです。

榎本武揚がセントヘレナでナポレオンの寓居や陵墓を見て、何を思ったのか、それは記録には一切残らず、歴史の中に埋もれてしまっています。一度は敗れてエルバ島に幽閉されたナポレオンが、密かに脱走して兵を指揮し、百日天下と呼ばれる政権奪還を行った史実に影響をうけたとは言えないでしょうか?大政奉還~鳥羽伏見の戦いを経て江戸無血開城で崩壊した江戸幕府の一将官として、政権の奪還とまではいかないまでも、幕臣の安住の地を築くことに、榎本武揚の幕臣としての意地があったのかもしれません。


【セントヘレナ島】
イギリス領セントヘレナ・アセンションおよびトリスタンダクーニャに属する南大西洋上に浮かぶ孤島です。
アフリカ大陸から2800km離れた孤島で、人口は4,000人ほど。
ナポレオン一世が流された島として広く知られています。

2017年10月14日に南アフリカからの飛行機が就航するまでは、船でしか行くことのできない島でした。イギリスの貨客船RMS(ロイヤル・メール・シップ)セントヘレナ号が、貨客船として南アフリカとセントヘレナ島、そしてアセンション島とを結んでいましたが、2018年2月に貨客船としての役目を終え、現在は貨物船として活躍しています。

この島がヨーロッパの歴史に登場するのは1502年(日本では文亀2年。後柏原天皇の御世。室町幕府第十一代将軍・足利義澄の治世)5月21日のこと。ポルトガル人の航海家ジョアン・ダ・ノーヴァによって“発見”され、コンスタンティヌス1世の母で聖女である聖へレナにちなんで名づけられました。船の修理に必要な材木と水が入手できたため、ポルトガル人は定住こそしませんでしたが、補給基地として用いました。

1584年(天正12年。正親町天皇の御世。足利幕府第十五代将軍・足利義昭が実権のないまま在職し、羽柴秀吉が台頭してきた時代)5月27日には天正遣欧少年使節が寄港しています。

1657年(明暦3年。後西天皇の御世。江戸幕府第四代将軍・徳川家綱の治世。明暦の大火の年)イギリスの東インド会社がセントヘレナの行政権を獲得し、ここにイギリス人の入植が始まりました。

1815年(文化12年。光格天皇の御世。江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の治世)10月、ワーテルローの戦いに敗れたナポレオン一世がこの島に流されてきました。ナポレオンはロングウッドの屋敷に幽閉され、以後、亡くなるまでこの島に留まりました。イギリスはナポレオン奪回を恐れ、セントヘレナ島、アセンション島、トリスタンダクーニャ島に砦を築き名実ともに領有化しました。

1853年(嘉永5~6年。孝明天皇の御世。江戸幕府第十二代将軍・徳川家慶の治世)には日本に向かうペリー提督のミシシッピ号が石炭補給のため、寄港しています。

飛行機の普及で、大西洋の補給基地としての地位を失うと、セントヘレナ島は再び歴史の彼方に姿を隠し、現在に至っています。

この島では、ナポレオン関連史跡や、英国風の街並が見られるジェームズタウン観光のほか、火山や海岸など、景観を楽しむことができます。
足で、車で、セントヘレナ島の主要観光地を完全制覇します。

滞在中、運がよければ、貨物船として活躍するRMSセントヘレナ号の姿を見られるかもしれません。


ツアーポイント
1. 大西洋の絶海の孤島セントヘレナを訪問。
2. ナポレオン一世の史跡を探訪
3. イギリス風の街並が見られるジェームズタウンを散策
4. 火山や海岸線など、美しい自然を満喫できる展望台を訪れます
5. お泊りはアットホームな民宿または歴史を感じさせるホテルです
6. 運がよければ、寄港中のRMSセントヘレナが見られるかも


企画・同行予定添乗員

立花 誠(たちばな まこと)

世界200カ国以上を歩いた旅の鉄人!

世界を歩いた旅の鉄人! 2005年、ツアーデスク“パームツアーセンター”を立ち上げました。行っていない国はイスラエル、モンテネグロ、コソボ、南スーダン、クック諸島(独立前に訪問)のみ。1996年から2003年まで風の旅行社に在籍、休みの期間にはギアナ三国、ブルキナファソなど、いまのツアーの原型となる体験をしてきました。今まで歩いて感銘を受けた国や、驚きとともに印象に残った地域、異文化体験などのプログラムをこれから発信してゆきます。旅のメインはもちろん、国境越えや、村歩き、トランジットの街での途中下車など、旅の鉄人ならではの味付けもお楽しみ頂けます。


セントヘレナ島の位置

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スケジュール
 都市内容 (宿泊地)
1東京・名古屋
香港

午前または午後:名古屋(中部)出発。
夕刻:東京(成田)出発。
香港で乗換。
深夜:香港を出発。ヨハネスブルグへ。
  宿泊●機内泊 食事● - / 機内 / 機内
2ヨハネスブルク朝:ヨハネスブルクに到着。着後フリー
  宿泊●ホテル泊 食事● - /  - /  - 
3ヨハネスブルグ
セントヘレナ
午前: セントヘレナへ。
到着後、民宿/ホテルにご案内致します。
午後、宿の周辺を散策します。
  宿泊●民宿 または ホテル泊 食事●機内 / 昼 / 夕
4セントヘレナ午前:ジェームズタウン歴史ツアー
〇戦没者慰霊碑: THE CENOTAPH
・・ジェームズタウン/ジェームズタウン埠頭
ジェームズタウン埠頭に位置する戦没者慰霊碑。
第二次世界大戦中の1941年、RFA DARKDALEが、ジェームズタウン埠頭の沖でナチス=ドイツのUボートに魚雷で攻撃され沈没、乗組員41名が亡くなりました。

◎セントヘレナ博物館: THE MUSEUM OF ST. HELENA
・・ジェームズタウン/ジェイコブス・ラダー登り口
ジェームズタウンとラダー・ヒルとをつなぐ梯子段『ジェイコブス・ラダー』登り口に位置する博物館で、2002年に開館しました。島の歴史や自然史に関する展示品を見ることができます。建物は19世紀に倉庫として使われていた史跡建造物です。

〇ジェイコブス・ラダー: JACOB'S LADDER
・・ジェームズタウン⇔ラダー・ヒル
1829年(日本は文政12年。仁孝天皇の御代。江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の治世)にセントヘレナ鉄道会社により建設された索道(ロープウェイのようなもの)の史跡です。島の中央部の高台にある農地から農作物を町まで降ろし、また、町で出た排泄物を肥料にするために高台にある農地に上げるため、急斜面に築かれました。1871年(明治4年)、索道は撤去、699段の梯子段が設けられ、現在に至っています。

〇ザ・キャッスル: THE CASTLE
・・ジェームズタウン/中心部
イギリスがセントヘレナ島を領有してまもない1659年(日本は万治2年。後西天皇の御代。江戸幕府第四代将軍・徳川家綱の治世)、イギリスによって、築城されました。城は政府の所在地としての役割を果たし、公文書室や政庁も、城に置かれました。

〇ザ・キャッスル・ガーデンズ: THE CASTLE GARDENS
ザ・キャッスルの裏手には、さまざまな種類の熱帯植物を見られる庭園があります。庭園では、セントヘレナ島の固有種である熱帯植物も、いくつか見ることができます。

〇裁判所: COURTHOUSE (MAGISTRATES COURT, SUPREME COURT)
・・ジェームズタウン/中心部
ザ・キャッスルの地続きの一画には、裁判所があります。裁判所の建物は建築物として一見の価値がありrます。治安判事裁判所と最高裁判所が置かれています。

〇郵便局: THE POST OFFICE
・・ジェームズタウン/中心部
セントヘレナ島の郵便局では、この島の収入源ともなっている、イギリス海外領土セントヘレナ、アセンションおよびトリスタンダクーニャ発行の切手を購入できます。

〇要塞: FORTIFICATIONS
・・ジェームズタウン/ジェームズタウンの周囲
1657年(日本は明暦3年。後西天皇の御代。江戸幕府第四代将軍・徳川家綱の治世)、イングランド共和国初代護国卿オリヴァー・クロムウェルは、イギリス東インド会社にセントヘレナ島の行政権を認めます。二年後には初代総督としてジョン・ダットンが着任。これによりバミューダに次ぐ、イギリスの二番目の植民地となったとされます。1660年、イギリスで王政復古が起こると、イギリス東インド会社は改めて王室に島の要塞化と島への植民の勅許を得ます。すでに1658年にはジェームスタウン建設が行われており、ジェームスタウンを守る城壁があったと言います。ジェームズタウンという地名は、当時ヨーク公であった王弟で、後にジェームズ2世となった人物に因んでいます。現在、見られる遺構は19世紀にジェームズ・バレーの口に築かれた要塞群です。ナポレオンの幽閉所であったセントヘレナでは、フランスによるナポレオンの奪還を恐れ、フランスを仮想的とした、より堅固な要塞と見張塔、砲台等の設置が急務とされましジェームズタウンの周辺にそれらの遺構があります。時間を見て訪れてみましょう。

〇セント・ジェームズ教会: ST. JAMES CHURCH
・・ジェームズタウン/中心部
ジェームズタウンの裁判所の向かいに位置する重厚な黒い教会で、南半球最古の英国国教会/聖公会の教会です。1774年(日本は安永2~3年。後桃園天皇の御代。江戸幕府第十代将軍・徳川家治の治世)に建立されました。島民の殆どが信者です。

〇セント・ジョン教会: ST. JOHN'S CHURCH
・・ジェームズタウン
ジェームズタウンの高台に位置する英国国教会の聖堂で、1862年(日本は文久2年。孝明天皇の御代。江戸幕府第十四代将軍・徳川家茂と禁裏御守衛総督・徳川慶喜の一会桑政権の治世)に建立されました。島の第一級史跡建造物に指定されています。

〇ハイ・ノール要塞: HIGH KNOLL FORT
・・ジェームズタウン/ジェームズタウンの西郊
ハイ・ノール要塞は、ジェームズタウンの西に位置するハイ・ノール山の三兆に築かれた山城。1790年(日本は寛政2年。光格天皇の御代。江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の治世)に築城されたシタデルを改築、1894年(日本は明治27年)に現在の形になりました。要塞には、イギリス植民地でよくみられる望楼マーテロ・タワーの遺構も残っています。

〇ハーフツリー・ホロウ: HALF TREE HOLLOW
・・ハーフツリー・ホロウ
ジェームズタウンからジェイコブス・ラダー699段を登りきると、ハーフツリー・ホロウがあります。セントヘレナ鉄道会社が建設した索道の、ラダー・ヒル側のステーションでした。

〇聖アンドリュー教会 ST. ANDREW CHURCH
・・ハーフツリー・ホロウ
ジェームズタウンの背後、ジェイコブス・ラダーを上った丘陵の上に広がるハーフツリー・ホロウには、たくさんの民家と、彼らが礼拝に行く、聖アンドリュー教会が建っています。

〇ザ・ラン: THE RUN
・・ジェームズタウン
港町ジェームズタウンの港と町を護っていた要塞に沿って掘られた水路が残っています。

〇ナポレオン通り: NAPOLEON ROAD
・・ジェームズタウン
ジェームズタウンの目抜き通りです。この島と縁が深いナポレオンの名前を冠しています。

午後、ジェームズタウンの歴史的建造物を見ながら散策します。
〇バプテスト教会: BAPTEST CHURCH
・・ジェームズタウン
ジェームズタウンに残る古色蒼然とした石造りの教会。遠くからも見える鐘楼が印象的。

〇ローマカトリック教会: ROMAN CATHOLIC CHURCH 
・・ジェームズタウン
ジェームズタウンに残っている古刹のひとつです。白いファサードが印象的な教会です。

〇ブリッジ時計塔: BRIDGE MEMORIAL CLOCK
・・ブリッジ時計塔は、今でも時を刻んでいる、ジェームズタウンのランドマーク的存在です。
  宿泊●民宿 または ホテル泊 食事●朝 / 昼 / 夕
5セントヘレナ終日、セントヘレナ島の中央部を観光します。
●セントヘレナ島中央部の景観: CENTRAL ST. HELENA
セントヘレナ島の中央部は山地となっており、標高818mのダイアナズ・ピークが島の最高峰です。首府ジェームズタウンから中央部へは山がちなくねくね道を走ります。

〇クリフォード植物園: CLIFFORD ARBORETUM
・・セントヘレナ島中央部
島の中央部に位置する小さな植物園で、島の動植物が保護されています。
 
〇プランテーション・ハウス: PLANTATION HOUSE
・・セントヘレナ島中央部
セントヘレナの総督の屋敷。ジョージ王朝様式で建てられている豪華な邸宅です。芝生の庭には、セイシェルから連れて来られたアルダブラゾウガメが住んでいます。その中で特筆すべきはジョナサン!なんと180~190歳と推定され、現在の地球上でもっとも長く生きている脊椎動物と考えられています。遊歩道が山に続いています。
 
〇丘陵の聖マーチン教会: ST. MARTIN-IN-THE-HILLS
・・セント・ポールズ
セント・ポールズの丘陵ハイ・ポイント HIGH POINT に建つ、絵になる白亜の教会。
 
〇聖ポール聖堂: SAINT PAUL'S CATHEDRAL
・・セント・ポールズ
1853年(日本は安政2~3年。孝明天皇の御代。江戸幕府第十三代将軍・徳川家定の治世)に建立された聖堂で、イギリス植民地セントヘレナ島に於ける主教座です。

〇ファーム・ロッジ: FARM LODGE
1690年(日本は元禄3年。東山天皇の御代。江戸幕府第五代将軍・徳川綱吉の治世)、イギリス東インド会社の大農場主の屋敷として造られました。庭園と、大農場があり、大農場では野菜や果物が作られ、養鶏や酪農も行われています。特筆すべきは、コーヒーで、1733年(日本は享保18年。中御門天皇の御代。江戸幕府第八代将軍・徳川吉宗の治世)にイギリス東インド会社によって持ち込まれ、流謫中のナポレオンも愛飲していたグリーン・ティップド・ブルボン・イエメニ種が栽培されています。現在、旅館となっており、宿泊できますが、外来のお客さんにもモーニング・コーヒーや、ランチ、アフタヌーン・ティー、ディナーを提供しています。時間が許せばお茶を一服。
  宿泊●民宿 または ホテル泊 食事●朝 / 昼 / 夕
6セントヘレナ終日、ナポレオンに関する史跡を観光します。
〇アラーム・ハウス: ALARM HOUSE
・・アラーム・フォレスト
ナポレオンが流されてきた際、イギリスが最も恐れたのは、エルバ島を脱出して百日天下を実現したナポレオンのカリスマ性と影響力でした。このため、イギリスはセントヘレナ総督に命じて、ナポレオンの流謫地や船着場を見下ろす高台に要塞や砲台を作ってナポレオンの脱出を警戒しました。アラーム・フォレスト(警報の森)は、その史実から命名されました。アラーム・ハウスは、見張小屋の役割を果たしました。
 
◎ブライアーズ・パビリオン: THE BRIAR'S PAVILION
・・アラーム・フォレスト
アラーム・フォレストの山中に、ナポレオンの最初の流謫地の寓居『イバラの館』がありました。ウィリアム・バルコンベ一家の屋敷で、当時14歳の娘エリザベス・ルシア・バルコンベは、フランス語が話せたため、ナポレオンと一家との通訳を務めました。
 
◎ゼラニウムの谷: GERANIUM VALLE
・・ゼラニウム・バレー
1821年(日本は文政4年。仁孝天皇の御代。江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の治世)5月5日、ナポレオン・ボナパルトは5年の流謫の後、セントヘレナ島で亡くなりました。ナポレオンは生前、フランスに帰還できなければ、ゼラニウム・バレーに埋葬するよう、依頼してたので、希望通り、ゼラニウム・バレーに陵墓が作られました。1840年(日本は天保11年。仁孝天皇の御代。江戸幕府第十二代将軍・徳川家慶の治世)にナポレオンの遺骸は、セントヘレナ島を出てパリに移され、アンヴァリッド(廃兵院)に改葬されました。
 
◎ロングウッド・ハウス: LONGWOOD HOUSE
・・ロングウッド
ナポレオンの最後の6年間の寓居で、屋敷の敷地は現在フランス政府が領有しています。現在、ロングウッド・ハウスは博物館になっており、ナポレオンの遺品や寝室を展示しています。ナポレオンは壁に塗ったヒ素で暗殺されたとも言われ、調査が続いています。ナポレオンは流刑ではなく、流謫という状況に近く、島では散策などはできたようです。また、将校や中国人従者を引き連れて島に来ており、比較的豪華な生活であったとか。
 
〇聖マシュー教会: ST. MATTHEW CHURCH
・・ロングウッド
ロングウッド地区のはずれ、ハット・ゲートに位置する聖マシュー教会は、1862年(日本は文久2年。孝明天皇の御代。江戸幕府第十四代将軍・徳川家茂と禁裏御守衛総督・徳川慶喜の一会桑政権の治世)に建立されました。第一次世界大戦中に過疎により衰退し、現在は改装されています。石造りの美しい教会は本国イギリスの教会を髣髴とさせます。
 
〇トゥンギの蒸留所: STILLROOM OF TUNGI SPIRIT
・・セントヘレナ島中央部
セントヘレナ島にはトゥンギと呼ばれる地酒があります。ウチワサボテンの果実等を使って作る蒸留酒です。ジェームズタウンへの帰途、トゥンギの蒸留所に寄ります。
  宿泊●民宿 または ホテル泊 食事●朝 / 昼 / 夕
7セントヘレナ午前: ハート型の滝を見に行きます。
午後: 島の南東部を観光します。
〇レベルウッド: LEVELWOOD
・・レベルウッド
セントヘレナ島の8つの行政区のうち、島の南東部に位置する行政区です。19世紀後半、島にマオラン(New Zealand Flax)が持ち込まれ、マオランを栽培する農業が栄えました。マオランの繊維で作るロープや紐、籠の需要が高かったため、1966年(昭和41年)まで稼働していました。現在も、レベルウッド村にはマオランがところどころに残っています。

〇ロック・ローズ: ROCK ROSE
・・レベルウッド
1795年(日本は寛政7年。光格天皇の御代。江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の治世)に建てられた大きな田舎家です。1867年(日本は慶応3年。明治天皇の御代。江戸幕府第十五代将軍・徳川慶喜の治世)に売りに出されています。現在、改葬が待たれています。
 
〇ベルストーン: THE BELLSTONE
・・レベルウッド
レベルウッドの集落には、ベルストーンと呼ばれる不思議な石があります。一説にはこの石をたたくと、鐘のような音が出るため、連絡に使われたとか、使われなかったとか・・・

〇ハット・ゲート・ストア: HUTT'S GATE STORE
・・ハット・ゲート
島の中央部、トゥーム・ロードとロングウッド・ロードとが合流する地点に、小さなお店があります。ハット・ゲート・ストアと呼ばれる村の何でも屋で、史跡建築物んぼ一つです。
 
〇ノールコーム・バプテスト教会: KNOLLCOMB BAPTEST CHURCH
・・セント・ポールズ
トゥーム・ロードからウェスト・ロードに入ると現れる黒い石造りのバプテスト教会です。
  宿泊●民宿 または ホテル泊 食事●朝 / 昼 / 夕
8セントヘレナ終日: 島の西部を観光します。
〇セントヘレナチドリ: WIREBIRDS
・・セントヘレナ島西部
セントヘレナチドリは、セントヘレナの固有種です。イギリス領セントヘレナの紋章に描かれている、いわばナショナル・バードです。現在、絶滅危惧種となっています。島の西部では、セントヘレナチドリを見るチャンスが比較的多いといわれています。

〇ボーア人の流刑地跡: SITE OF BOER PRISONERS' CAMP
・・セントヘレナ島西部
1900年(明治33年)~1902年(明治35年)、南アフリカから流刑に処されたボーア人の囚人が、セントヘレナ島西部の比較的平坦な場所に共同生活をしていました。
 
〇ブルー・ヒル: BLUE HILL
・・セントヘレナ島西部
セントヘレナ島西部は、観光客にも殆ど知られていない、島の秘境と呼べる場所です。山がちな地形に建設された道路を走ると、意外なほど開けた場所が突如、現れます。それが西部の中心であるブルー・ヒルの集落で、酪農場や農家を見ることができます。
 
〇聖ヘレナと十字架教会: SAINT HELENA & CROSS CHURCH
・・ブルー・ヒル
ブルー・ヒル集落に白いお堂と黒い屋根の教会があります。聖ヘレナと十字架教会です。聖ヘレナはコンスタンティヌス大帝の母で、325年に息子からアウグスタの称号を受け、聖地エルサレムに聖遺物発見の旅に出た際、『真の十字架』を発見したとされています。重篤な病を得た女性に真の十字架を触らせ、快癒したことで、奇跡を確信したといわれ、セントヘレナ島の島名も、聖ヘレナに由来しています。静かなたたずまいの名刹です。
 
〇ブルー・ヒル・ショップ: THE BLUE HILL SHOP
・・ブルー・ヒル
ブルー・ヒルのなんでも屋さん。田舎のお店では一体何が売られているのでしょうか?大西洋の絶海の孤島の、さらに田舎の村の暮らしに必要な品物が売られています。

〇ハイ・ヒル展望台: LOOKOUT FOR HIGH HILL
・・ブルー・ヒル
ブルー・ヒルの集落から山道に入ると、やがてハイ・ヒル(標高707m)が見えてきます。ハイ・ヒルを望む展望台からは、ハイ・ヒル越しに、大西洋を見下ろすことができます。
  宿泊●民宿 または ホテル泊 食事●朝 / 昼 / 夕
9セントヘレナ終日: セントヘレナ島の南部を観光します。
〇サンディ・ベイ展望台: SANDY BAY LOOKOUT
・・サンディ・ベイ
サンディ・ベイはセントヘレナ島南部に位置する海岸で、風光明媚なことで知られています。展望所から見下ろすサンディ・ベイには、緑に覆われた谷あいの村、奇岩怪石、
ふしぎな形をした岩山などなど、変化に富んだ地形の眺望を楽しむことができます。

〇ゴリラ頭: GORILLA'S HEAD
・・サンディ・ベイ
サンディ・ベイ地区で見られる奇岩怪石のひとつです。。ゴリラの頭に見えるかな?
 
〇ロットとロットの奧さん: LOT & LOT'S WIFE
・・サンディ・ベイ
サンディ・ベイ地区で見られる奇岩怪石のひとつです。セントヘレナ版夫婦岩でしょうか。
 
〇サンディ・ベイ礼拝堂: SANDY BAY CHAPEL
・・サンディ・ベイ
サンディ・ベイには小さな美しい石造りのバプテスト礼拝堂があり、絵になると評判です。
 
〇サンディ・ベイ要塞群: THE LIME KILN
・・サンディ・ベイ
サンディ・ベイは天然の要害の地でしたが、さらに1708年(日本は宝永5年。東山天皇の御代。江戸幕府第五代将軍・徳川綱吉の治世)に、要塞の建設が始まりました。サンディベイを眼下に見下ろす高台に、砲台、要塞などが建設され、島の南部を警護しました。
 
〇サンディ・ベイ: SANDY BAY
サンディ・ベイでは半日を過ごします。海水浴を希望される方は、水着、リーフ・シューズ、タオルなどをご持参ください。
  宿泊●民宿 または ホテル泊 食事●朝 / 昼 / 夕
10セントヘレナヨハネスブルグ午前: 自由行動
午後: 空路、ヨハネスブルグへ。
  宿泊●ホテル泊 食事●朝 / 昼 / 機内
11ヨハネスブルグ午後: 空路、香港へ。
  宿泊●機内泊 食事● - / 機内 / 機内
12香港
東京・名古屋
午前: 香港で乗換
午後: 空路、帰国の途へ。
夕刻~夜: 東京(成田)・名古屋(中部)着
  宿泊●泊 食事● - / 機内 /  - 
出発日・旅行代金(1名様あたり)
東京発
2018/11/22999,990円
大阪発
2018/11/22要問合せ
名古屋発
2018/11/22999,990円
ご旅行条件・他
最少催行人員●4名(定員8名)
添乗員●同行します。
利用予定航空会社●南アフリカ航空
利用予定ホテル●【セントヘレナ島】マルディヴィア・ロッジ、リチャード・トラベル・ロッジ、ウィローデン、バートランド・コテージ、ブルー・ランタン、ファーム・ロッジ・ホテル、ハリーズ・ゲストハウス、ザ・コンスレート・ホテル、マンティス・ホテル、タウンハウス・アコモデーション、ウェリントン・ハウス、ビルストン・ハウス ※セントヘレナの宿は分宿になる場合がございます。 【ヨハネスブルグ】シティロッジ・ホテル・アットORタンボ・インターナショナル・エアポート、プロテア・ホテル・トランジットORタンボ・エアポート、インターコンチネンタル・ヨハネスブルグORタンボ・エアポート、アフリカン・ロック、ピアモント・ドレアル・グランド・アット・エンペラーズ・パレス、ピアモント・メットコート・スイーツ・アット・エンペラーズ・パレス、ピアモント・モンディオール・アット・エンペラーズ・パレス、ガーデンコートORタンボ・インターナショナル・エアポート、シティロッジ・ホテル・ヨハネスブルグ・バーバラ・ロード、シルバーバーチ・アット・バーチウッド、プレミア・ホテルORタンボ、プロテア・ホテルORタンボ・エアポート
お一人部屋追加代金●90,000円
燃油特別付加運賃(旅行代金に含まれません)●(基準日2018年9月10日)
国際線:¥59,340円(南アフリカ航空)
●注意点
※予防接種、予防薬服用は特に義務付けられていません。
※虫が苦手な方は携帯用蚊取線香、電子防虫機具をお持ち下さい
※紫外線が強いので、紫外線対策を万全に。
※セントヘレナ島は私有地が多いので、許可なく立ち入らないよう、
 お願い致します。
※本コースはRMSセントヘレナ号の入港期間にあわせています。
 但し、必ず見られるというものではありませんのでご了承下さい。

●旅行代金に含まれないもの
各国空港税、日程表に含まれない食事代、その他個人的な出費。

【事前徴収】
・成田空港諸税: ¥2,610
・関西空港諸税: ¥3,040
・中部空港所税: ¥2,880
・南アフリカ空港旅客税: ¥3,870 (ZAR190.00x2)
・南アフリカ旅客税: ¥4,800 (ZAR238.02x2)
・南アフリカ出発税: ¥480 (ZAR23.61x2)
・南アフリカサービス保安料:¥490 (ZAR23x2)
・セントヘレナ出国税: ¥20,140 (GBP130.00)
・セントヘレナ入国税: ¥2,610 (GBP17.00)
・セントヘレナ入国許可費用: ¥4,600 (GBP30.00)  
<2018年9月10日現在>

●旅券(パスポート)の残存期間
帰国時に残存期限が6ヶ月以上有効及びパスポートの未使用ページが最低3ページ以上ある旅券が必要

●査証(VISA)
査証は必要で、事前に取得します。
・査証代実費: ¥7,660 (GBP50.00)
・査証代行取得手数料: ¥10,800
※必要書類は流動的です。お問合せの段階でお知らせ致します。


●大阪・名古屋発及び、その他の地方都市発の場合
・羽田空港~成田空港間の交通費は含まれておらず、この交通機関はお客様ご自身の手配・ご負担になります。
・羽田~成田空港間のリムジン代は大人片道3,000円(2013年10月現在)。
・福岡・札幌・沖縄など地方発はお問い合わせ下さい。
 
●燃油特別付加運賃及び空港諸税
【ご注意】燃油特別付加運賃及び空港諸税について をご覧下さい。
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