特別記事

聖地・カイラス山とその巡礼文化

 

「文化」の境界を越える 聖地・カイラス山からイスラム文化圏へ

マナサロワールから望むカイラス

「文化を越える」というテーマをもとに何か書いてくれと言われたが、何が書けよう。広すぎて、曖昧すぎて、深すぎて、そして空気のように「当たり前」すぎて、どこから書いたらいいものか。
そもそも「文化」とは何であろう。広辞苑には「人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果・・・」。なんだか誤魔化されたような気がするのは僕だけであろうか。すべてを言わんとして、結局は何も言えていないように聞こえる。 また違うレベルで見ていくと「文化とは、国家やメディアや学者たちのある意図をもって、作為的に、上から、『造られ』、『定義され』、『宣伝され』、『(その存在を)信じさせられる』ものであって、文化などというものは実は『虚構』に過ぎない」という議論がある。この議論に従うならば、今回のテーマ「文化を越える」というのは、チャンチャラおかしくなるのである。文化や文明の頂(いただき)や峠をこちらで勝手に想像してこしらえ、ある文化の中に「入ったり」、「越えたり」するのを一人芝居のように「疑似体験」するのである。 これはいくらなんでもおかしすぎる。おかしすぎる原因は実はとってもはっきりしている。文化というのは、本来、語られたり書物で教えられるものではなく、五感を総動員して体験して初めてその存在が触知できるものであるからである。 縁あって、去年10月、チベットの首都ラサから西チベットへ行き、新疆ウイグルへ抜ける旅をした。「文化を越える」というテーマにどれだけ沿った内容になるか自信はないが、この旅について、特にアジア最大の仏教聖地であるカイラス山とその「巡礼文化」について書きたい。文化や体験は語れ得ないと言っておきながら書くのは矛盾の極みであるが、矛盾を承知で、矛盾がどこまで矛盾か確認するためにも(?)、ずんずん書いていこう。

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中央チベットと西チベット

西チベットの入り口
ペクンツォ湖畔の子供たち

「中央チベット」と「西チベット」の文化の境界はどこにあるのだろう? 中央チベットとは伝統的にはいわゆる「ウ・ツァン」地方を指し、「ウ」地方はラサのダライラマ政権が直接支配していた地域、そして「ツァン」地方は、チベット第二の都市・シガツェのタシルンポ寺座主、パンチェンラマの直轄地を指していた。中央チベットとは、これら二人のチベット仏教ゲルク派のナンバーワン、ナンバーツーが(実効力を持って)治めていた地域である。そして、これら二地域の境は実ははっきりしている。ラサ南西、ヤムドク湖近くの、標高5千メートルを超える、カロ・ラと呼ばれる峠がそれだ。氷河のような雪山がすぐそばまで迫っており、何かの流れを阻むような勢いがある。(所詮は人間の細々とした所作に過ぎない)政治や文化の境に非常にふさわしい。 しかしながら「中央チベット」と「西チベット」の境がはっきりしない。ラサ人にも何人か聞いてみたがよく分からない(=あまり興味がない)ようだ。 「中央チベット」と「西チベット」の文明の差異や境界に今に生きる我々が触知できるのはごく僅か。だが、それでも鮮明な違いがはっきり見て取れる領域がある。仏教アートの様式、そして、大地の表情がそれである。(文明は大地によって育まれ、また文明や文化の特徴を雄弁に物語るのが芸術様式だとすると、我々の、差異を見つけようとする企ては、ちょっとだけ救われたことになる。)

雄大な大地の景観 土林

現実離れした景観
『チベットのグランドキャニオン
(土林)』

『旅行人ノート・チベット』は、チベット巡礼旅行をする日本人にとっては画期的なガイドブックであるが、それにはこう書かれてある。西チベットのグゲ遺跡周辺は「グランドキャニオンの百倍」、「風の谷のナウシカ状態」と形容ができるほど「現実離れした景観に圧倒されること間違いなし。」これは誇張ではない。誇張どころか、言葉がまだまだ足りないくらいである。中央チベットにも似たような風景はあるが、西チベットの大地は、まるで別の惑星に降り立ったのかと思われるほど、土の表情が奇異でそして限りなく雄大である。  その典型例は「土林」であろう。アルカリ性の液体か何かで大地が侵食を受けたのであろうか、見事な「天然の仏塔」の体(てい)をしている。西チベットのあちこちで見られるが、一番圧巻なのは、ピヤン・ドゥンカル仏教石窟寺院へ行く途中で見られる土林であろう。グランドキャニオンも凄いと思うが、土林はグランドキャニオンに比べて野放しに放置されているような生命力がある。天を仰ぐと雲ひとつない深い青空、地平線に目を向けると雪山が連なり、そして足元からその雪山に向かって無数に広がる土林。この風景にこころを浸していると、あやうく「あちら側の世界」に行ってしまいそうになる。

「チベット離れ」した極彩色の神々

その雄大だが、侵食を受けた、土色の大地の風景と好対照なのが、西チベットの寺院に今でも残る極彩色の仏教壁画である。 中央チベットで栄えた吐蕃王国は9世紀半ばをもって滅びる。後ろ盾を失ったチベット仏教界は一時停滞、衰退を余儀なくされる。1世紀ほど混乱状態であったが、10世紀末、チベットの大地で仏教復興運動が興る。場所は西方に興ったグゲ王国。時のグゲ王イェシェ・ウーが国を挙げての仏教再興政策を掲げたのである。リンチェンサンポなど有名な高僧が(当時最先端の仏教のあった)カシミール留学を経て、時のヒーロー・救世主(具体的には翻訳僧)となり、当時留学先で名を馳せていた仏師・絵師をたくさんグゲの地に呼んだのであった。 「グゲ様式」と呼ばれるその絵画様式は、そのとき生まれ伝わった。均整の取れた細身の体、寄り目、輪郭のシェードなどがその主な特徴である。細い線で描かれ、色鮮やかで、(僕には)非常に自由度・躍動感のある画風に見える。中央チベットにも似たような絵画がないわけではないが、ほとんどの中央チベットの壁画は、西チベットのそれを前にすると、平面的で画一的に見えてしまうのは僕の錯覚であろうか。 それに比べてグゲ様式と呼ばれるものは、アラブやヨーロッパの細密画を彷彿とさせるほど、かなり「チベット離れ」している。今でこそカシミールはイスラム文明の影響が強い地域であるが、歴史の長い間、西はペルシア文明、南はインドの精神文明と、複数の文明のアマルガム(混合)状態であったようだ。そこで生まれて発展したカシミール様式が「(中央)チベット離れ」して見えるのは当然のことなのかもしれない。僕はこの西チベットの旅行中、あっという間にこの「グゲ様式」のファンになってしまった。

グゲ様式の壁画の残る
ドゥンカルの石窟群
グゲ古城


カイラス巡礼という文化

西チベットといえば、まず真っ先に思い浮かぶのがカイラス巡礼である。それは何もメディアでよく語られるからではない。西チベットの仏教は往時に比べほとんど壊滅状態であるが、カイラス信仰だけは、今でも力強く生きているからである。「巡礼という文化」がこれほどまでに巨大な規模でなおかつ、様々な宗教的なナラディヴ(物語)で支えられ結晶化された聖地は世界中を探してもあまりないのではなかろうか。 ヒンドゥー教、ジャイナ教、ボン教、そして仏教という四つの宗教の一大聖地となっているこの雪山は、時代を越え、国境を越え、21世紀の今でも巡礼者は絶えない。ヒンドゥー教徒は、カイラスをシヴァ神の男根(リンガ)に見立て、ボン教徒は、水晶の仏塔とよび、そしてチベット仏教徒たちは、勝楽尊(チベット語で「デムチョク」、サンスクリット語では「チャクラサンヴァラ」)という密教の神が、その妃である金剛牝豚(チベ語:「ドルジェパモ」、サンスクリット語:「ヴァジュラヴァーラーヒー」)と交わり抱き合いながら住んでいる宮殿だと信じている。 僕のように信仰心が薄く、修行などと呼ばれる行為はほとんどしたことがない者でさえ「カイラスの聖性」は直感的に分かる。周りの外輪山と数百メートル以上抜きん出て屹立するその様態はある意味「不自然」で、何らかの神話や物語で説明したくなる衝動にかられる。また、そのカタチはピラミッド型のそれに近く、過去の多くの神秘主義者たちが宇宙の中心に見立てたというが、彼らにもなんとなく同調したくなるのだ。極めて自然に属する物体(あるいは聖体)であるのに、不自然極まりないその規模と様態。そのアンビバレントさ加減が、カイラスをカイラスさしめているようにも思える。 さて、このカイラスをチベット人たちはどのように「信仰し」、「巡礼する」のであろうか? チベット文化圏に馴染みのある方はご存知だろうが、カイラス山の周りを「コルラ」(=周回)するのである。ある者は歩いて、またある者は五体投地で、この52kmに及ぶ周回路を。 19世紀末に、チベットのある僧侶によって書かれた『カイラス聖地案内』から引用する。 この偉大な宮殿ティセ(カイラス)を 一度コルラすれば、一生にわたって積み重ねた罪を浄化することができる。 十度コルラすれば、宇宙的長さで積み重ねた罪を浄化することができる。 百度コルラすれば、十の徴に八の性質を完成し、この生において仏性を得ることができる。

どれだけこの「言われ」をチベット人が信じているかは別の話だが、カイラスをコルラすることは、チベット人として生まれてきたのなら、一生に一度は死んででもやってみたいことなのである。  実際のカイラス周回路(チベット語でカンコルという。「雪のコルラ」の意)であるが、どのようなものなのであろう。平均標高5千数百メートルはあろうその周回路は、実は険しいイメージからは程遠く(高所ということを除けば)案外ハイキング気分で歩ける非常に快適で安全な道なのである。雪さえ積もっていなければ、簡単に道を見つけることができ、チベット人は一日でコルラをすることができる。では我々も・・、と勇んで早まってはいけない。急いで周るには、あまりにももったいなさ過ぎるのである。実はコルラ上には様々な「聖の徴(しるし)」や伝説がたくさんあり、それらに耳を傾け、体も傾けながら、進むようにしないと、積める徳も積むことができない。 例えばこういう話がある。 カイラス巡礼路・カンコルを初めて「開いた」とされる13世紀の高僧ギャワ=ゴツァンパ。前述の『カイラス聖地案内』によると、彼は巡礼路を半分少し周ったところで道に迷った。ダキーニー(チベット語では「カンドーマ」。行者の修行のパートナーとなる。)の秘密の道へ入っていく自分を観想すると、21匹の青光りする狼がまるで幻影のように彼の前に現れた。「これは一体何だ?」と思ったが再び瞑想に入り、これら21匹の狼は21体のターラー菩薩(チベット語で「ドルマ」)であることを悟った。ゴツァンパは狼たちのあとを追い、ある峠の頂に導かれると、その青い狼たちはお互い溶け込み合い、最後には一匹の狼だけが残り、その狼がそばの岩に溶け込んだ。それでこの峠(カンコルの最高地点)は「ターラー菩薩峠」(ドルマ・ラ)と呼ばれるようになった。 こういった聖話は絶えないが、カンコルにはまた別の聖の仕掛けがなされている。それはカンコルの両側に聳える山々は仏教の神様が顕現したものである、という信仰・思想である。巡礼者はこれら神々や聖人に祝福され護られながらカンコルを行くのである。それら神々はチベット人にとっては馴染み深いものばかりだ。十六羅漢、長寿三仏(白ターラ、尊勝仏母、無量寿仏)、サンゲドゥンク(千仏)、リクスムゴンポ(観音菩薩、文殊菩薩、金剛手菩薩)・・・。それらが我々巡礼者を圧倒的な存在力で包み込む。そして、巡礼が半周終わったところで我々を待ち構えているのは、噂に名高いカイラスの北面・・・。「神々しい」とはこのことを指すのであろう。それ以外に言葉は見つからない。というより言葉は尽きた。このカイラス北面を拝むのは、カイラス巡礼のメインイベントと言ってもよい。

カイラス山とゴンパのアナロジー


「神々しい」以外のふさわしい形容がない
カイラス北面の夕景

最後に、少し興味深いことを指摘したい。 カイラスのコルラは、チベット文化圏のゴンパ(僧院)内部と構造的にアナロジー(類似性)を成しているという事実である。両者とも右回りでコルラをし、その途中では神々(お寺では神像、カイラスでは山)が巡礼者を祝福し、一番奥では御本尊が迎えてくれる。御本尊はゴンパでは、仏様や弥勒菩薩であったりするのだが、カイラスの場合は、北面に顕現する勝楽尊と言ってよい。また、さらに興味深いことには、カイラスコルラの出発点にはタルチェンと呼ばれる、天に向かって突き出た、高さ10メートルほどの祈りの棒が立てられている(この棒はチベット暦4月のサカダワ祭のときに取り替えられる)。実は、チベットのゴンパやお寺には必ず、このタルチェンが正面玄関前に突き刺してあるのだ。 ただひとつ、両者の大きな違いは、言うまでもなくその規模。数十メートル四方の壁の中に神仏が祀られているゴンパとは違って、カイラスの巡礼地は東西南北数十キロ四方の範囲に広がっており、コルラの全行程は五十二キロメートル。そのルート沿いに数百~一千メートルもの高さの尊格が巡礼者を圧倒しながらも、祝福し護ってくれているように聳え立っている。ピラミッド型のご本尊、カイラスがその中心に位置して、天に向かって屹立している。カイラスとその周辺は天然の曼荼羅とよく言われるが、これほどによくできた曼荼羅は「不」自然な力(あるいは「神様」の作為的な行為)というメタファーに頼りながら説明するのが、最も適切かつ「正しい」ように思える。

「どこでもない場所」を走り抜ける


どこでもない場所

チベットと新疆ウイグルを繋ぐ幹線道路、「新蔵公路」。この道路は中印国境紛争の結果できた軍用道路で、文化や文明の香りがまったくしない。西チベットの大都市アリを過ぎて、三十里営房と呼ばれる軍隊臭い街にたどり着くまで、ゴンパや新疆のイスラム的な痕跡も一切なく、目に入るものといえば、雪山を背景にポツリとたたずむ人民解放軍の建物や、紅色のプロパガンダを正面につけて行き交う軍用トラックの列だけである。まさに「無色」、「無臭」の「無文明地帯」、といってよい。

チベットと新疆の区界碑

チベットと新疆の境界線は、あまりにも太い。これが僕が受けた印象だ。「どこでもない場所」を2日ほどランクルで行かねばならない。普通、境界というと、何かと何かがお互いせめぎ合い、刺激的で興味深い、融合、折衷、消滅、再生などが絶え間なく起きる場所である。しかし、チベットと新疆の「境界」は、あまりにも空虚すぎる。「どこでもない場所」という矛盾語法がぴったり合う。あるのは地図を見ながら我々が前頭葉でこしらえた「客観的事実」のみである。 しかし、天山南路まであと百数十キロというところまで来ると、見る風景が劇的に違ってくる。例えば、野生のラクダ。川辺で野生のラクダを見たのだ。チベットでは、川辺で休んでいるのはヤクである。「異国」に来た、と思わせる最初の瞬間であった。また、チベット高原に聳える無数の雪山が地平線に後退していく。それとともに高度が急激に下がり、砂漠や乾燥地帯が道路の両側に広がっていく。山はあるが、あまりにもアクセントの欠いた山構えで、ここでは(日本やチベットのように)「山岳信仰」は生まれそうもない、ということが直感的に分かる。 そして行き着いた場所は、シルクロードの要所でもあった、カールギリック。トルコ系の顔立ちの人々。看板は中国語と(アラビア語に見える)ウイグル語。中国語を流暢に話すトルコ人? 街は中国大都市のそれだが、街の匂いは明らかにそれに抵抗している。眩暈がした。あまりにも太い「境界線」は時空を歪めるワープの通路だったのか。カールギリックという新疆ウイグルの街に立っているのは知っていた。でも「ここはどこ?」という質問が頭の中で響いていた。

結び

旅という存在形態は五感をフル稼動させやすい。よって、文化や文明の差異や境界を鋭敏に感じやすくなる。子供が五感をフル稼働させるのは、我々の生きている世界が彼らにはとても新鮮で未知だから。定住しながら、そのままの存在で「旅」をしているといってよい。それに引き換え我々は「えいっ、やー!」という掛け声とともに、旅に出立しないと(もしくは旅的な行為を行なわないと)そのような感覚は研ぎ澄まされない。 異なる土地に生まれた文化や人間同士はどのように「違うか」と同時にどのように「似ているか」を見出すのが人類学の(一つの大きな)目的だと言われる。でもこれは、なにも人類学徒だけに限られることではなく、旅するすべての人にも、楽しさと共に課せられるちょっとしたレッスンのように思われる。 こう考えると、今回のテーマである「文化を越える」というのは意味をなさなくなる。それよりも、「文化」という概念を超えて、差異と同質の狭間に身を置き、感応し、行動することこそ大切で、(敢えて極論すると)これは生きるということにも繋がってくる・・・。これが妄想から来るいい加減な物言いかどうか、ちょっと哲学してみるのも楽しいですよ。旅しながらね。

※風通信No33(2008年2月号)より転載