特別記事

飯田泰也のラダック旅行の基礎知識 その1
アルチ寺の仏教美術とリンチェン・サンポ

 

アルチ寺

飯田泰也のラダック旅行の基礎知識 その1

アジアの仏教美術の至宝 アルチ寺の壁画

アルチ村にあるチョスコル寺は、通称アルチ寺とされ知られている。この寺の三層堂と大日堂の仏教美術は、ラダック観光の目玉である。これらの壁画は、チベット文化圏全体、さらにはアジアの仏教圏全体の仏教美術の至宝と呼んでも過言ではない。チベット自治区内であればギャンツェの仏塔、西チベットのツァパラン紅宮の壁画も素晴らしいが、アルチ寺の壁画は、その中でも格別な光を放っている。


アルチチョスコル仏塔外観

アルチチョスコル仏塔内部壁画



11世紀の半ばに建てられたという三層堂は、名前のとおり三階建てで高さ10m、一階の面積は、7m四方と小さめだ。しかし、一旦、お堂の中に入り、壁画の数々に見入ってしまうと、その空間がさほど大きくないことを忘れてしまう。南が入口で、東面、北面、西面には、窪み(龕)があり、それぞれに 4~5mの高さの黄色い文殊菩薩、赤い弥勒菩薩、白い観音菩薩の立像が置かれている。それぞれの菩薩の下衣には、インドの八十四成就者図、仏伝図、カシミール宮廷図が描かれている。このように、菩薩像、仏像の衣に人物象を描く風習は、チベット仏教美術の中でも珍しい。とくに、観音像の衣に描かれた宮廷図は、インド美術の代表的な技法であるミニアチュール(細密画)の先駆的な作品として知られている。四方の壁画には、青を背後にして千体仏がびっしりと描かれ、その描写の細かさと空間を埋める無数の仏や人物には圧倒される。制作当時の画工の力量と寺院の壁画のデザインを担当した僧侶の信仰と思想の深さには、仏教美術について門外漢の方でも強い印象をもたれるであろう。


アルチゴンパ大日堂の壁画
(現在は壁画保護のため撮影禁止)

大日堂は、三層堂に隣接して建てられたお堂で、その入口に掘られた木製の門に注目してほしい。修復のため彩色が施されているため、細部の彫刻技術は残念ながら見づらくなってしまってはいるが、小さいながらも素晴らしい仏、菩薩、仏伝図が彫られている。大日堂のご本尊は、四面の宝石で飾られた宝冠を戴いた大日如来であり、背後の光背部分には、チベット仏教特有のトラーナ装飾がほどこされている。大日如来像の左右には、二体ずつ、計四体の如来像が安置されており、全体で金剛界立体曼荼羅を構成している。このお堂の壁画には、大きいものでは直径4m、計七つのマンダラ図形が描かれている。マンダラ以外の部分には、千体仏が描かれている。三層堂に比べると修復回数が少なかったのだろうか、壁画の色調は古色蒼然としていて、古寺に来た実感がある。

寺院内の壁を挟んで大日堂の隣には、翻訳官堂がある。壁画の質は、上の三層堂、大日堂に比べて質が大分落ちる。翻訳堂には、リンチェン・サンポという西チベットの高僧の像が祀られており、背後の壁画でもその姿が描かれている。ここでリンチェン・サンポについて紹介しよう。


リンチェン・サンポ

リンチェン・サンポ伝

リンチェン・サンポは、958年に西チベットで生まれ、13才で得度した。グゲ王国のイェシェ・ウー(コルレ)王の命令で、21人の若者とともに、インドのカシミールへ留学した。しかし、生き残って帰還した者は、リンチェン・サンポとレクペー・シェーラブの二人だけだった。リンチェン・サンポは、カシミールの地において、当時最新の仏教哲学と密教を学んだ。帰国後、インドからもたらされた経典、論書の翻訳を行ったので、ローツァワ(翻訳官)・リンチェン・サンポと呼ばれるようになった。
チベット仏教史の中で、旧訳(ニンマ)と新訳(サルマ)という時代区分がある。リンチェン・サンポとインドのナーランダから来た学僧アティーシャの二人が、チベット仏教史の新しい時代を切り開いた。1042年にアティーシャが西チベットに招聘されたとき、リンチェン・サンポ出会っている。そのときアティーシャは、こう述べた「あなたのような方が、チベットに居られることが(最初から)分かっていたなら、私がチベットに来ることは不必要であったのに」と。

リンチェン・サンポは、翻訳事業のみならず、西チベット、ラダック、スピティの各地に多数の寺院を建立したことで知られている。彼はインドへ三度留学したとされ、計17年間過ごしている。二度目に、カシミールへ赴いたとき、32人の建築家、画工、仏師を連れて帰国した。最も有名な寺院は、現在西チベットのツァンダ(扎達)町にあるトリン(托林)寺であるが、ほかにスピティのタボ寺と、今では外壁の廃墟しか残っていないラダックのニャルマ寺跡とが、リンチェン・サンポが建立した三大寺とされている。伝説では、百八の寺院を建立したとされている。こうした寺院の建築様式、壁画の画風は、カシミール様式とかリンチェン・サンポ様式と呼ばれている。
アルチ寺の碑文には、建立者のカルデン・シェーラブがニャルマ寺で学んだことが記されている。上に紹介したアルチ寺の翻訳堂は、翻訳官リンチェン・サンポを祀るために建立されたのだった。


ツァンダに残るトリン寺のチョルテン

ニャルマ寺の廃墟


飯田泰也プロフィール