特別記事

川崎のチベット放浪記●カイラス、そのすさまじき巡礼者たち

 

執筆●川崎洋一(東京本社)

カイラスとタルボチェ

カイラス、そこはチベットに憧れるものがいつかは辿り着くところ。この夏、3ヶ月のチベット駐在の任務を終え、1ヶ月のチベット放浪の旅に出た川崎洋一の旅を追う。


旅の友

こんなことはよくあること

積年の願いがかなってこの秋、カイラスに行くことができた。パートナーはこの夏、風のチベットを支えてくれた「達人」ことI氏、心強い限りだ。
カイラスへはラサから1,280キロと遠く、しかも雨季には土砂崩れや増水などで毎年どこか不通 になる。旅の幸先はよかった。ラサからラツェ(南西435キロ)までの難所はぬかるみ一カ所だけだった。ところが、今年はこの先ラツェ~22道班(ラツェの西約250キロ)までの道が鬼門。ほんの1週間前も、某日本人ツアーがここまで来てカイラス行きを諦め引き返したそうだ。ラツェを出て1時間ほど経ったころ、ぬ かるみで車体を大きく左に傾かせ、動けなくなっているトラックを見かけた。達人は『タイタニック』と命名。しかし、私たちの車もその2時間後同じはめに・・・。

タイタニックを笑う者は・・・200元に泣く?

それはサンサンという村を出て少しのところだった。道の両脇に大きな水溜まりができていた。雨の影響でできたものだろう。間の道も狭い。車を進めた途端、ず、ず、ず、ずっと身体の左側が沈んでいった。道の端に水がしみ込んで柔らかくなっていたのだろう。前に後ろに車を動かして脱出しようとするが、もがけばもがくほど深みにはまっていく。どんどん車体は傾いて、あの車高の高いランクルなのに、左の足下に水が入ってきた。蟻地獄のようだ。1キロほど先にトラックが見えたので、私は助けを乞いに車を離れた。車は相変わらずエンジンを吹かして脱出を試みている。白煙が立ち昇り始めた。「エンジンが焼けついたのか?急がねば。」さっき見えたトラックから10人ほどの人影がこっちに近づいてくる。太い縄を持って勇ましい人夫の出で立ちだ。彼らは縄を引く格好をして「助けに行くぞ!」と息が荒い。親切な人たちなのだろうか?車に近づいた彼らは縄をナンバーくくりつけ力を合わせて引く。しかし、白煙が上がるだけで一向に動かない。しかし、白煙が上がるだけで一向に動かない。

時間が長く長く感じられる。マフラーから変な臭いがするほど奮闘した頃トラックがやって来た。助けを乞う。「200元」。せち辛い世界だ。しかし、これがこの国(いやこの世)の定めなら仕方ない。が、我らがドライバーはこの高値を拒否、再び人夫に引揚作業の継続を依頼。やはりチベット、工業製品より人件費の方が安いのだろうか。しかし動かない。横から押してる人夫はもう腰まで漬っている。深いんだ。……諦めかけたその時、車がわずかに動いた。ドライバーの破格の金額要求に対する意地と人夫の力技で見事脱出に成功。カイラスへ行けるかも!(因に人夫へのお礼は100元だった。)その後、私たちはタイタニックに向かっては掌を合わせるようになった。仏の御加護だろうか、その後の私たちは、ちょっとした轍や泥からの脱出は何度もあったが、増水した川底を走ること数回、橋が落ちた個所大小1個所ずつ。スタックして動けなくなったトラック2台に道を塞がれお手上げになったこと1回。パンク1回。ブレーキ故障1回。シャフトの破損1回。ガス欠のピンチ1回。たったこれだけ! で済んだ。

これがチベットだ!

バルヤン

さて、22道班を越えると、道はよくなった。かつて難所といわれたバルヤン付近の道も、新しい橋が架けられ走りやすくなってる。そして景色も『空が視界の 90%を占める』世界になった。南にはヒマラヤが光っていたりする。空・雪山・草原・ヤク・遊牧民・聖地、チベットのキーワードがここ西チベットに凝縮されている。道中、達人は「あの山の向こうはムスタンですね。河口慧海はドルポの方から越えてるから、もう少し先のあの辺の山を越えて入蔵したんじゃないかな?」などとワクワクするような話しをして下さる。そうだ、ここを慧海は歩いて越えているんだ!そんな話しをしているとヒョウが降りだした。慧海が羊と身を寄せ合って暖を取る話しを思い出した。バルヤンという村では早朝ヤクを集めて慌ただしく荷をくくりつける人々の姿を見た。ここから何日かかけて行ったところで年に一度のネパールとの交易があるそうだ。チベットからは羊毛・塩など、ネパールからは米・麦などが交換されるらしい。チベットは奥地ではなく、異国・異文化と接する最先端に位置していたのだ。ここチベットでも朝日、夕日が絶妙の演出をしてくれる。ヒマラヤを照らし出す朝日に、風になびく草原を黄金色に輝かせる夕日。ビロードの絨毯みたいだと思っていると、どこからか「風の谷のナウシカ」が聞こえてくる。なんと、達人がカセットテープを持って来ていたのだ。そして、峠を越えてヤルツァンポ河を望む砂丘に降り立ったときには「インディ・ジョーンズ」が流れ出す凝り様。達人曰く「西チベットにはこの2つが合うんですよ」。蛇足であるが、彼は、スタックしてカイラスに行けなかった時のために「中島みゆき」も用意していたそうだ。

見えた!

マナサロワールへの峠

音楽効果も手伝って気分もインディになりかけた頃、目の前に巨大な空間が開けた。聖なる湖マナサロワールだ。前方にはカイラスの雄姿も見える。風に激しくはためく祈りの旗・タルチョの音がその神聖さを増幅する。皆かなり興奮している。雨の残るこの時期、心配していた念願のカイラスが、今拝めたのだ。巨大な空間だ。こんな巨大な情景はイメージできなかった。テレビの画面大にしか想像できなかったのだ。今、宇宙を思わせる大画面に映し出されたカイラスとマナサロワールが目の前にある。今から、私たちはその聖地目指して走っていくのだ。


巡礼トラック

ナムナニ峰と羊

夕刻、カイラスの麓の村・タルチェンの宿に到着。雲行きは今ひとつだった。荷を下ろし、宿の門を出ると正面の美しいインド・ヒマラヤの裾野まで草原が広がっている。ナムナニ峰を眺めながら歩いていると、今にも空中分解しそうなオンボロトラックが通り過ぎ、目の前に止まった。

巡礼トラック

荷台は「貨物」が満載で埃だらけだ。トラックの幌にはバケツ、やかん、なべなどあらゆる生活用品がぶら下がっている。トラックが停まるや否や「貨物」は荷台を降りテント設営を始めた。トラックはチャンタン高原北部からやって来た巡礼トラック。「貨物」はすし詰め状態の巡礼者たち。埃まみれの服に、真っ黒に日に焼けた顔。目だけが光っている。50人は居るだろうか?ものの30分しないうちにひとつのテント村ができあがった。早くもテントの天井の穴からお茶を沸かす煙が上がっている。見事なお手前だ。

巡礼と亡命

いよいよ明朝、コルラ(※)だという晩、私たちにポーターが紹介された。精悍そうな男性2人。東チベットから半年以上かけて歩いてここまでやって来て、ポーターをやりながら2年ここで暮らしていると言う。巡礼兼仕事の「コルラ」の回数は30回を越える。しかもひとりは以前亡命を企てたが、おとり捜査に引っ掛かり、牢獄に収容されていたらしい。「明日いよいよ山越え(亡命)を実行する。早朝5時に○○ゴンパに来い」と言って誘っておいて、一方で政府役人に密報する。亡命手助けの振りをして仲間のチベット人を売る輩がいるのだそうだ。
※コルラ・・・右遶と言って、チベット仏教徒がカイラス山などの聖地の周りを右回りに周する巡礼。

雪下からの巡礼者

雪原の遊牧民

出発の朝、宿の敷地にうっすらと雪が積もった。「出発できるのだろうか?」不安な気持ちで部屋をでる。宿の建物の隅にはチベタン巡礼者がテントを張っている。と、その前に大英博物館のミイラのようなものが3ヶ転がって雪に埋もれている。死んでる?と思って近づくと死体はむくっと起き上がって頭に積もった雪を払いながら隣のミイラを起こしている。毛布に包まって寝ていた遊牧民の巡礼者だった。巡礼者、恐るべし。

チベット人たるもの・・・

カイラス西壁

出発の朝、雪が舞うと縁起がいいらしい。何かにつけ物事をいいことに結びつけようとするチベタンドライバーの優しい言葉だ。彼は偉大なプラス思考の持ち主のようだ。7人兄弟の末っ子で彼もインドからの帰還組らしい。複雑なチベット事情が彼らをそのようにしたのだろうか、私たちの巡礼トレッキング中、彼はこの宿で麻雀三昧だったらしい。聖地で麻雀・・・いいのかなぁ?

インド人の巡礼

ヤクトレック

巡礼初日の午後、ちょうど歩き疲れたころ、行く手にヤクに乗ったインド人集団が現れた。私たちが出発するころまだ宿にいたグループだ。何故私たちより先にいるのだ?!彼らは巨体を持て余し、高山病に苦しみ、慣れぬ寒さに震え上がり身体のそのほとんどをダウンの中に埋め、外からは顔しか見えない。どうも金持ちインド人らしく麓の宿から半日分くらいのトレッキングをはしょって先回りし、そこからヤクに乗って楽しく巡礼しようと言うのだ。聞くところによるとこの手のインド人はわがままで寒がりでガイド・ポーター泣かせらしい。そういえば、昨夜同じ宿に泊まっていたサドゥ達も同じインド人だ。中庭で朝に夕にカイラスに向かって祈りを捧げていた。遥々歩いて山を越えてやって来たそうだ。さすが大国インド、いろいろいる。

マニ石

「果たして楽して巡礼して御利益があるのだろうか」と考えるのは日本人だけだろうか?しかし考えれば私たちもラサから車で来てポーターに荷物を持ってもらってるのだから同じようなものか。私たちは一日歩いてカイラス山の北側・ディラプクゴンパのテントに宿泊した。かくもすさまじき巡礼者の雑多な祈りを一身に受けて明日カイラスはその姿を見せてくれるだろうか?


輝き

カイラスの北壁

翌朝、肌を刺す寒さの中で用を足し振り返るとそこには巨大は白いリンガが輝いていた。そそりたつ尾根! 雲も吹き払い濃紺の空を背に堂々と立っている。拝まずにはいられない姿だ。

巡礼者の重装備

カイラスの神々しいまでの北面を仰いだ後、最高地点・ドルマラ峠を目指す。凍てついた小川に丸木がかかっている。どうりで昨夜は寒かったはずだ。ドルマラまでは登り続けなければならない。参道のあちこちに祈りの残骸が残されている。衣類を残し、靴を残し祈りを込める。一見ごみのようだが、そこには人々の念が風にはためいている。人々はリュックをもたぬ軽装とはいえ、上着がそのまま寝具になるのだからかなりの重装備だ。女性は紫外線を気にしてか深く帽子を被っている。子供を抱いた女性もいる。
急な坂が立ちはだかった。ゆるりゆるりと足を進める。遥か前方に五色の旗が雑踏のようにうごめいている。

ドルマラ峠だ。

世界で一番やさしくなれる峠

ドルマラ峠の巡礼者

峠で巡礼者達の写真を撮る。誰もが笑顔だ。「おいこれ食っていけ」と、昼飯を分けてくれる。この地で人は最高にやさしくなれる。そりゃそうだ、全チベット人が願ってやまないカイラスの巡礼を果 たしたのだ。やさしくならないわけがない。人々が上から上から結び重ねた祈りを旗を踏まないように気を付けながら峠を一周する。

ドルマラ峠の人々

彼らは一緒にこれなかった家族の名前を書いたタルチョをここドルマラに結ぶ。私もタルチョを結ぶつもりだった。が、巡礼中に買い求めるつもりが見つけられず、ポケットにあった、ありったけのルンタ(風の馬)という祈りの紙にこの夏チベットに来てもらったお客様とラサに残してきたスタッフの名前を書き連ね、祈りを込めてドルマラの風に撒いた。

小さな巡礼者

巡礼者 あんな小さな子どもも…

ドルマラを越えればあとは下りだ。いつどこから出発したのか私の前にいたインド人を追い越す、そんな我々を真っ黒に日焼けしたチベット人巡礼者が追い抜いていく。急な下りを終えたところのチベタンテントで一息。ポーターは沸したお茶にツァンパという麦焦がしを一握り、指先を器用に使ってかき混ぜて団子のようにして食べる。懐から取りだした骨付きの肉切れをナイフできれいに削ぎ取って口へ運んでいる。豪快な食事風景だ。気がつくと3才くらいの子供連れチベタン遊牧民巡礼一家もテントに同席。この子もあの坂を登ってここまで下ってきたのだろうか?

巡礼は終わらない

そこからはなだらかな下り。巡礼者もピクニック感覚に見える。小川に沿ってあちこちに煙が立昇っている。彼らのティータイムだ。ふいごを使って火を焚き鍋をかけてお茶をつくる。ここでも飲んでいくかい?と誘われる。小さかった小川は少しずつ広がって深さを持ってくる。カイラスの東側を南へ下って両側の視界を覆っていた手前の山を回り込むと南に視界が開けた。目の前にナムナニ峰が白く輝いている。
ここまで来ればタルチェンまではもうすぐだ。が、カイラス1周の巡礼のあいだ出会ったチベタン達の巡礼は終わらない。彼らはここを13周してようやく家路につくという。あのトラックで・・・。