小川 康のヒマラヤの宝探し

第2回●「ホンレン」ヒマラヤン・ノスタルジック

 

小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

ホンレン
ホンレン
二人一組でホンレン(ゴマノハグサ科)を採取するよう指示が出された。場所はロータン峠(標高4000m)であるが、ロ(死体)タン(平原)とはチベット語で縁起のいい地名ではない。その昔、この周辺で大きな戦争があったという話を耳にした。
「オガワ、行くぞ」
当然のように親友のジグメと出発するが、正直なところ気のいい返事はできなかった。二人一組の作業の場合、一人が鍬を持ち一人が収集、水洗いを受け持つが、僕たちの場合ほとんど僕が後者の仕事を受け持つことになる。僕も日本の農場で鍬を握っていた経験があるので体力に自信はあるものの、チベットの大自然の中を生き抜いてきた彼から見れば、まだまだ頼りなく映るのだろう。しかし、毎回のように同じ作業を繰り返していると次第に不満もたまってきてしまう。僕は疲れる素振りを全く見せないジグメに向かって呟いた。
「疲れただろう。今度は僕が鍬を握るよ」
「えっ、疲れたわけないだろう。・・・まあ、でも交代するか」
意外と素直に鍬を譲ってくれ、念願が叶った僕はヒマラヤの大地に向かって鍬を振り下ろした。

ホンレンは日本の歴史と密接に絡み合っている。奈良の正倉院に納められている薬草の一つを調査したところ、なんとヒマラヤのホンレンであることが判明したのである。古くは胡黄連(こおうれん)の名で呼ばれ、正倉院には黒黄連の名で納められている。そして実は富山の売薬の起源ともいえる越中富山の反魂丹(はんこんたん)のオリジナル処方には胡黄連が配合されているのである。では反魂丹の起源はどこなのかというと一般的には江戸時代に前田家が萬代家から授かったといわれており萬代家は室町時代に大陸から延寿反魂丹の製法を学んだという記録が残っている。
もしかしたら富山の売薬はヒマラヤのチベット医学に繋がっているのかもしれない・・・。そんな空想が脳裏を駆け巡る。そういえば庶民に根ざした売薬商人の姿は、どこかチベット医に似ている。どちらも足腰が強く、気さくで、民謡を歌い、お金のことは二の次に考える。今、鍬で掘っているヒマラヤの薬草が僕の故郷・富山に繋がっているんだ・・・。

「オガワ、しっかり掘れよ!根が切れているじゃないか」
僕のノスタルジックな気分をジグメは一瞬にして打ち砕いてくれた。そして僕から鍬を奪い取ると、それまでの遅れを取り戻すかのように猛然と鍬を打ち下ろし始めた。僕の名誉のために付け加えるならば、彼の体力、仕事量 は学内でも群を抜いており最も頼りにされている戦力である。
「ジグメはこうして小さい頃から鍬を握って畑を耕してきたんだろう?」  
少し皮肉を込めながら尋ねた。
「いや、家は遊牧民だったから畑を耕したことはほとんどないよ。でも、ほんとに小さい頃、ドゥマをお母さんと一緒に掘っていたんだ」  
そういうと彼は手を休めて、こんな感じで掘るんだ、といって軽く鍬を振り下ろす真似をしてくれた。ドゥマ(正式名:ドロ・サンジン。バラ科)はチベット本土の平原に自生している薬草の根で、その自然な甘さから炊き込みご飯の材料に用いられる。特に新年など御めでたい日に振舞われ、ちょうど赤飯の赤い豆にあたるような存在である。

採取中のジグメ
採取中のジグメ

「一日中、こうやって平原でドゥマを採るのが、僕とお母さんの仕事だった。お母さんのことはほとんど覚えていないけれど、何故か、あの時のことだけは、はっきりと覚えている・・・」
幼くして母親を亡くしているジグメから、母親の話を初めて聞いたような気がする。気がつくと彼はもう、いつものスピードでホンレンを掘り始めていた。でも、もしかしたら彼の脳裏には故郷の平原が広がり、傍ではお母さんが微笑んでいるのかもしれない。ヒマラヤのホンレンは彼の故郷に繋がっている・・・。
「ジグメ、もう袋がいっぱいになったぞ」
そう教えても、ああ、と呟くだけで手を休めようとはしない。そして、しばらくしてようやく手を止め、袋に入りきらないホンレンを見て怒り出した。どうして教えてくれないんだ!と。でも僕は言い返す気には全くならなかった。
その帰り道、彼はいつもよりも、詳しく、生き生きと眼前に浮かぶかのように、幼い頃の思い出を語ってくれた。
「電気とは無縁の厳しい生活だったけれど、確かに僕たち家族は幸せだった・・・」と。
小川 康 プロフィール