第20回●「ド」ラダックへの旅

小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

2001年9月、メンツィカン入学前の僕は先輩のタシを無理やり誘って秘境ラダックへと向かった。ラダック出身の彼の実家は地元でも有名な医者の家系だという。地域に根ざした真の伝統医(アムチ)に出会うべく、是非、とお願いしてホームステイさせてもらうことになったのである。

ラダックの首都レーからタクシーで4時間、ティンモスガンという村に入るとたちまち車は村民に取り囲まれた。「タシじゃないか。タシが帰ってきたぞー!」なにしろ故郷に戻るのは4年ぶり、さらに当時まだ村には電話が普及していなかったこともあり再会の感激は一際大きくタシの祖母は感極まって泣きだしてしまった。まるでドキュメンタリーフィルムを見ているかのような場面が続く。村は金色の小麦(ド)で彩られ、ちょうど収穫の時期を迎えようとしていた。清流の側には小さな桃や杏がたわわに実る果樹園が広がり、桃源郷とはまさにこういう場所を指すのかと、その語源に納得させられた。

ド・ニ・チースィル・ツォチェ・ルン・ティー・セル
小麦は、重、涼、という性質があり、生命を支え、ルンとティーパを癒す。
四部医典論説部第16章

「オガワ、悪いけどゆっくり休んでいてくれ」というとタシはすぐさま農作業に取り掛かった。アムチである父親も含めて家族総出で収穫するそばではタシの甥にあたる小さな子供たちが遊んでいる。それはまるで富山の田園地帯で育った小さい頃の自分を見ているようでもあり心が和んだ。あのころ、畑や田んぼの仕事を手伝った記憶はほとんど無いけれど、いつもゴザを畦道に引き、お菓子を食べながら大好きな漫画を読んで、祖父母の仕事が終わるのを待っていた記憶は鮮明に残っている。そして秋になると故郷は金色の稲穂によって彩られ、藁のにおいに包まれた。25歳のころ“一番好きな場所はどこですか?”という質問に“稲刈りの終わった後の田んぼ”というフレーズが咄嗟に浮かんだのは、生まれてから18年間も、田んぼの中で育ったからだろう。

その習気(じっけ)は僕を長野県望月町の農場を経由し、チベット医学へと導いていくことになる。
「オガワ、期待させてごめんな。実は医者といっても農繁期にはみんな忙しくて患者はほとんど来ないんだ。父はむしろ畑や遊牧の仕事のほうが多いんだよ」タシは客人を退屈させまいと、合間を見つけては話しかけてくれる。
「いや、心配しないでくれ。これこそ、僕が理想とするアムチの姿なんだ」。目の前では家畜のゾが麦の上を何度も回り脱穀に勤しんでいる。それを追い立てる牧歌的な歌に酔いしれながら昔から追い求めてきた“真のアムチ”の姿を眺め続けていた。それは言い換えるならば“大地に根ざした薬剤師”。患者がきたならば、よっこらしょ、と裏の畑から薬草を採ってくるような、土と汗の匂いがする薬剤師になりたくて当帰(とうき)栽培に取り組んだこともあった。
当帰は古くから和漢薬に用いられ、日本でも昔は栽培が盛んだったが、最近は安価な中国産の影響もあって生産高は減少している。当帰に限らず、薬草の自給率は食料の自給率に先駆けて低下の一途をたどっており、だから、というわけでもないのだが、僕は畑を借りて薬草を栽培・出荷するという長年の夢を叶えたのである。それは「自ら山に入り、または栽培して薬草を採取し、心を込めて加工し患者に渡す」という自分が抱く薬剤師の理想像の実現でもあった。2年越しで収穫できた当帰は我ながら素晴らしい出来だったものの、薬事法の関係もあり自分で直接処方することはできずに問屋に卸さざるを得なかったのは不完全燃焼の感は残ったものだった。そしてその心の燃えカスは自分を薬草の大リーグ・チベット医学へと導いていくことになる。

「オガワ、日本から遠く離れた山奥で、こうしているなんて不思議だと思わないか。きっと前世からの縁だろうな」一緒に小麦を刈りながらタシが呟いた。  
そういえば故郷を離れてから随分長い間、金色の季節に帰っていない。ラダックの桃源郷で出会った金色の絨毯は、遥か遠い自分の故郷へと心の中で繋がった。

追記:9月26日の夜、今年も無事に満月が昇りました。(第19話参

その後、2014年に再訪したときの記事がこちら

伝統医学のそよ風 〜ラダック・ティンモスガン村より〜

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