小川 康のヒマラヤの宝探し

第231回 カンセン ~雪獅子~

 
雪景色 妙高高原駅の近くにて撮影雪景色 妙高高原駅の近くにて撮影

雪国ではひと冬のあいだに一度か、運が良ければ二度、積もった雪の表面がカチンコチンに固まる朝がある。するとどこでもどこまでも歩いて行ける解放感に身体がウズウズしはじめる。小さい頃、その現象を富山県高岡では「すんずら」、もしくはそのまま「かた雪」と呼んでいたが、日本語としては「凍み渡り(しみわたり)」が一般的な呼称のようだ。それは雪国の冬には滅多にない晴天の朝、放射冷却現象の朝に訪れる。

小学校4年生のとき、過去に例がないほどに硬い「すんずら」が生じた。担任の宮本先生は「今日の授業は雪の上でラインサッカーです」と気を利かせてくれ、一限目からみんなで真っ白な田んぼの上へ飛び出した。当時は土地の概念もあいまいなら授業もけっこうアドリブが許される時代。真っ白な雪の上に長靴でゴールラインをひいてキックオフ。かたまった雪の上をみんながボールを追って走り回る。雪の粉がダイヤモンドダストのようにきらめいている。雲ひとつない空の青さをいまでもはっきりと覚えている。10時を過ぎてもまだ雪が沈まないほどの完全な凍み渡り。心の底から楽しかった。だから同窓会で4年1組の同級生を見つけると、いつも「あの日のことを覚えているか」と尋ねてしまう自分がいる。真っ白な半袖半ズボンで僕は真っ白な雪の上を走りまわっていた。

 僕は小学校1年生から4年生までどういうわけか、切っ掛けはまったく覚えていないのだが雪が降り積もるなかを半袖半ズボンで登校しつづけた。上級生からは「♪やせがまん。やせがまん」とからかわれては、余計にムキになって我慢した。とはいえ調子のいいときは不思議とポカポカしていて雪合戦をしてもまったく寒くなかった。その後も仙台、北海道、長野と気がつけばいつも雪国で暮らしてきた。おかげでダラムサラにおける10年間の生活をつつがなく送ることができたと思っている。なにしろメンツィカンの寮生活はとっても寒い。たまに大雪が降ると電気ヒーターによる電力の大量消費をインドの電力会社が怖れて(その日こそ電気が必要なのに!)停電するのには参ってしまった。みんな布団に包まってじっとしているしか術はなかった。多分、暖かい南国で育っていたらチベット医には辿りつけなかっただろう。また、チベット密教の修行の一つに「薄着での寒中お籠り」があると伝え聞いたが、もしも僕がそこまで辿りつくことがあったら(ないと思いますが)、幼少期に修行済みということで特別免除していただきたい。

絵解き図に描かれた雪水
絵解き図に描かれた雪水

チベット社会では白色は善の象徴とされ、ダライラマ法王が僥倖される際には道に白いラインが引かれる。また、白いヨーグルトは縁起のいい食べ物とされる。したがって真っ白な雪(チベット語でカン)が降り積もると、寒いけれど、すこぶる吉兆とされるのである。チベットは別称でカンチェン(雪の国)、チベット仏教の聖地カイラス山の正式名はカン・リンポチェ(高貴な雪山)といい、雪に対する尊敬の念をうかがい知ることができる。『四部医典』では雪山は寒性の象徴として何度も登場し、そこに生える薬草、生じる水は熱性の病を癒すとされる。もう一つ、雪といえばチベットを象徴するカンセン(雪獅子)、英語でスノーライオンを紹介したい。インドにおいて獅子は神聖さの象徴であり仏陀の守護者だったことから、チベットにおいても古来より獅子は尊重されてきた。特にチベットには獅子は獅子でも雪獅子が住むという。その乳はすこぶる薬効が高いとされ「相応しい人間にのみ四部医典を伝えなさい。たとえば白獅子の乳を高貴な容器ではなく普通の容器に注ぐと壊れてしまうように(結尾部第27章)」と四部医典には比喩として登場している(注)。そして驚くことに雪獅子は雪の山々を跳躍しながら移動するという。もちろん現実的にはありえない話だけれど「すんずら」の朝ならば雪の表面を跳ぶように走り回ることは可能である。だけど、そもそもチベットには「すんずら」現象はあるのだろうか?

白獅子の乳を搾る絵解き図白獅子の乳を搾る絵解き図

そんなこんなの雪にまつわるエピソードを1月2日、真っ白な雪景色の中を上田から富山へと向かう鈍行列車に揺られながら思い描いていたのであった。2018年、今年も「ヒマラヤの宝探し」の御愛読のほど、どうぞよろしくお願いいたします。


四部医典には雪獅子ではなくセンゲ(獅子)カルポ(白)と記されている。

参考
宮沢賢治のデビュー作『雪渡り』(1921年)には「すんずら」が活き活きと描かれています。

雪がすっかり凍って大理石よりも堅くなり、空も冷たいなめらかな青い石の板でできているらしいのです。
「堅かた雪ゆきかんこ、しみ雪しんこ。」 ・・・(中略)・・・
こんな面白い日が、またとあるでしょうか。いつもは歩けない黍の畑の中でも、すすきで一杯だった野原の上でも、すきな方へどこ迄でも行けるのです。
                              (本文より抜粋)



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