小川 康のヒマラヤの宝探し

第233回 ニンポ ~蘭引・ランビキ~ 

 
実験中実験中

江戸時代に作られた陶磁器の蒸留装置、それが蘭引(ランビキ)である。オランダ(蘭)から学んだから蘭引。もしくはアラビック(アラビアの)を語源としてランビキになったなど語源には諸説ある。三段構造になっていて、下段に薬草を入れて煮る。最上段には冷たい水を流し、中段の天井にあたった蒸気は冷やされて流れ落ち、受け皿に集められる仕組みである。江戸時代には蒸留酒や植物精油を製造するために使用されていた。現代では貴重なレプリカがいくつか製造され上田市の薬草園にも一つ展示されている。それを見ながら僕が「使ってみたいですね」と下心なく呟いたところ「じゃあ使ってみなさい。道具は使われてこそ価値がでるものですから」と責任者A先生は迷うことなくガラスケースを開けて僕に手渡した。「えッ……」と戸惑う僕。「もし、壊したら……」と意外と保守的な僕に「そのとき考えればいいじゃない」とA先生はどこまでも大胆である。

ランビキ
ランビキ

 そこで、後日、県内の高校のスーパーサイエンス・ハイスクール(注)で蘭引を用いることにした。「江戸時代の器具を用いてラベンダーオイルを採取する」という課題であるが、興味津々なのは高校生たちよりも僕だったと思う。まずはみんなで薬草園のラベンダーを刈り取った(許可を得ています)。次に花の部分をしごいて落とす。それを蘭引の下段に入れて水に浸す。そしていよいよ火にかけるにあたって、念には念をいれてセラミックの土台を間に挟んだ。上段にはホースをつなげて水を少しずつ流す。しばらくすると周囲はラベンダーの香りで充満しはじめた。とはいえ高校生たちはいまひとつ盛り上がりに欠けている。そうか、僕たち1970年生まれの世代は「北の国から」の影響もあってラベンダーへの憧れが強いけれど(第103話)、若い世代にとってはそれほどでもないようだ。

ラベンダー
ラベンダー

 30分ほど経過すると、ようやく最初の精油が水分と混ざった状態でポタポタと流れ始めた。メスシリンダーの表面にオイルが分離して浮いている。これがラベンダー精油である。市場価格では5ccで1000円ほど。とはいえ江戸時代の蒸留装置は水道ホースなどを支えていなければならないのでけっこう疲れる。あらためて薬学部時代の蒸留機器が優れているかを実感したのであった。

 古代、具体的には10世紀頃、アラビアにおいて薬草の精、つまり有効成分を分離するべく蒸留装置が発達した。漏斗など現代の化学機器の源流はこのとき生まれている。これらの機器がヨーロッパに伝わり、「この薬草の精髄(チベット語でニンポ)はなんだろうか」。という強い探究心と出会うことで中世の自然科学は発展した。その後、ドイツ、フランスにおいて蒸留装置はさらなる進化を遂げ、1805年には芥子からモルヒネが、1819年にはコーヒーからカフェインが1830年には白柳からサリチル酸が分離精製され、薬草は分子レベルへと舞台が変わっていった。後にそれらの「究極の精髄」はケミカルと呼ばれ、生みの親である薬草(ナチュラル)とは対立するものとして認識されることになる。ちなみにチベットでは火がとても貴重だったからか、それともヨーロッパ人ほどに精髄を追い求めなかったからか、長時間かけて精油を蒸留する文化は発展しなかった。ただし蒸留酒は数少ないが存在し「アラッ」と呼ばれている。やはりアラビアが語源である。そんな化学の歴史とチベットの話を織り交ぜながら、蒸留をしているあいだの時間を過ごしていた。

2時間もたっただろうか、ようやく3ccのラベンダーオイルが採取でき、慎重に分離してガラス瓶に保存した。たしかに強い香りがするけれど、その日はずっとラベンダーの香りに包まれていたので、僕も高校生たちもいまひとつ感動が薄い。いや、もしかしたらラベンダーの鎮静効果によって、みんな「まったり」としたのかもしれない。

ラベンダー精油ラベンダー精油

 標高1200mの薬草園は夕方になり涼しくなってきた。夢が実現した満足感と、祭りの後の寂さが同居したような複雑な気持ちのなか、蘭引を丁寧に拭いてガラスケースのなかに戻すと、高校生たちとともに帰路についたのであった。いまは感動が薄くても、将来、ラベンダーなど精油に関心を抱くときが訪れるかもしれない。そのとき今日の苦労とラベンダーの鎮静作用による「まったり感」が甦ったならば、この講座は大成功だったといえる。それと、もしできれば僕のこともちょっとだけ思い出してくれたら嬉しいです。



スーパーサイエンス・ハイスクールは科学技術庁から指定を受けた全国203(平成29年度)の高校で開催されている。第196話でも取り上げています。



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