小川 康のヒマラヤの宝探し

第250回 ドンシン ~松の木~

 
伐採した松を検分する棟梁伐採した松を検分する棟梁

森のくすり塾から東に500m離れた森(飛び地)には大きな赤松が数本生えている。そこで3年前、店の建設にあたって真ん中を支える梁に用いるべく赤松を3本伐採して製材した。しかし、いざ目のあたりにすると太くて独特の曲線美をもつ赤松梁は、素朴な店の雰囲気にそぐわない。結局は棟梁の新保さんに買い取ってもらい別の建築に使用してもらうことになった。

 昨年は同じ敷地内で赤松が台風の影響で幹の根本から折れた。これは松くい虫による松枯れ病が原因である。信州の山々を遠くから見渡すと茶色に枯れた多くの松を見つけることができる。松枯れに関しては専門家が様々な意見を述べており、森のなかでの役割を終えたから自然淘汰されているという説もある。また、松枯れ対策として空中農薬散布をするかしないかで裁判になっている地域もある。いずれにせよ、薪ストーブの我が家にとって松の倒木は大自然の恵みである。なにしろ松枯れのおかげで、すでに松の油分も水分もほどよく抜けていて運びやすく、乾燥しなくても比較的すぐに薪として使える利点がある。松の油が強いと薪ストーブは傷みやすく、煙突からは黒煙を発し近所迷惑になるので、油が少し抜けていると好都合なのである。つまり、薪ストーブがもっと普及すれば松枯れ問題の「問題」は少し緩和されることになる。

倒れた松倒れた松

今年(2018年)は9月の台風21号によって赤松がまた一本倒れてしまった。他の木々に寄りかからず、そして隣の敷地にはみ出すこともなく地面に倒れてくれたのは見事というか、運がよかった。おかげで伐採の手間は省け、安全に処理ができるからだ。よくよく見てみると折れたのではなく土ごとひっくり返っているではないか。根が表面だけで地中に伸びていなかったことが明確にわかる。調べたところ、座布団のように土の塊が薄く剥がれることから「ざぶとん倒れ」、また、正式には「根返り」と呼ばれる現象であることがわかった。根返りは水脈が浅い場所において根が水を求めて深く伸びないために生じるといわれている。事実、野倉集落の地下水は表層を流れていて浅い。または50年ほど前に植樹した際、根を垂直に伸ばしたままではなく、浅い穴に根を寝かせるように植えたからではと推察される。いずれにせよ日本国内の多くの山林において松、杉などが伐採の時期を迎えているのは確かである(第225話)。

四部医典、絵解き図に描かれた松
四部医典、絵解き図に描かれた松

チベット語で松はドン(灯明)シン(木)と呼ばれ、名前の由来から松油が灯明として利用されてきたことがわかり、八世紀に編纂された四部医典には薬用としての記載がある(注)。日本においても戦時中、松の根から採取した松根油が石油の代替になればと、特に女学生たちが奮闘した歴史が信州では語り継がれ、いまも採取跡が残る赤松は大切に保存されている。松に限らず、杉、モミ、ツガなど針葉樹は総じて油分が多く、松脂は身近なところでは野球のピッチャーが滑り止めに用いるロジンバッグに配合されているほか、火傷や怪我のときに皮膚を保護するための応急処置として民間薬で用いられた歴史がある。さらには松の葉を砂糖水に浸けておくとサイダーになるとか、松葉は高血圧に効果があるとか耳にしたことはあるが、僕は薬用として実践しことはない。松の樹皮や松の実は食用になるらしいので、いざというときのために知っておいて損はないだろう。そうそう、赤松といえばマツタケを忘れてはいけない。もしかしたらと期待はしていたが、考えてみればマツタケが出る森を簡単に譲ってくれるはずはない。少し離れた山の赤松林にはマツタケが生えるが、もちろん入山禁止である。

松の林松の林

梁にするか、薪にするか、油を採るか、薬にするか、はたまた食料にするか。それとも松を題材に歴史を語るか、または環境について議論するか。話題が尽きることがない松・マツの語源は「神が天降るのを待つ」ともいわれるように、日本人と最も密接な関わりがある樹木といえるだろう。次の冬には根返りで倒れた松を薪にする大仕事が待っている。一冬分とまではいかないが一ヶ月くらいの薪にはなりそうだ。


八世紀に編纂された四部医典には「松脂は、軟骨、黄水、をしっかりと保持する。/松は、ベーケンとルンと黄水の、寒を癒す」と記されているが、薬用としては実際にはさほど用いられていない。また、チベットでは松はそれほど広範囲で生えているわけではない。


葉が二股の「股」が転じてマツになったとの説もある。



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