第258回 トゥンカル ~誕生日~

チベットにてチベットにて

自分の誕生日を正確に知らないチベット人がけっこう多いのには驚かされた。おおよそ春に生まれたとか、満月、朔月に生まれた、もしくは月曜日に生まれた、といった具合ならまだいいほうで、なかには年齢すらもあやふやな人も珍しくはなかった。したがって誕生日を祝えないというか、そもそも個人の誕生日を祝う習慣がないこともまた新鮮な驚きだった。そういえば親友のジグメ(第2話)と親しくなった理由の一つが、メンツィカン入学当時32歳だった僕と年齢が近い28歳だからだったのだが、メンツィカン入試のときには「受験資格ギリギリの24歳と書いたさ」とまったく隠す様子もなく答えてくれた。仮に発覚したところで正式に確かめようはないし、そもそも管理する側もこだわっていなかったであろう。確かに遊牧や半農半牧の生活が中心のチベット社会において誕生日の必要性はなく、年功序列や儒教的な先輩後輩の意識もほとんどないので、細かな年齢の上下は重要ではない(第183話)。気になってインターネットで検索してみると、誕生日を意識しない民族は他にもけっこう多いことがわかった。

チベット社会で祝うといえばお釈迦様にちなんだ仏教の記念日のほか、ダライラマ法王など高僧の誕生日、またはメンツィカン創立記念日など公的なものであって、一般人の記念日を祝う習慣はあまりない。何を隠そう(本当は自慢したいのだが)、2002年7月6日、ダラムサラで開催されたダライラマ御誕生日記念式典で、僕はメンツィカン代表チームの一員として踊りを披露した。しかし、当事者である法王の欠席は当時の恒例となっていたこともあり、残念ながら御前で踊ることは叶わなかった。欠席される理由には諸説あって、一つにいつも外遊が重なってしまうから。一つに亡命という状況下において誕生日を盛大に祝うのは控えるべきではという理由。一つに誕生日の盛大な式典が気恥しくて苦手とされているから、などの理由が囁かれていたが、2005年の7月6日、たいへん珍しく法王が式典に出席されて話題になったことをよく覚えている。チベット語で誕生日は尊敬語ではトゥンカルといい会話にもよく登場する。いっぽう一般語のケツェはほとんど用いられず、最近は英語のバースデーが主流になっていることからも、もともとの習慣がなかったことがわかる。

記念式典で踊る筆者記念式典で踊る筆者

日本では七五三、元服、還暦など節目において誕生日を大切にしてきた歴史があるが、いまのように誕生日を祝うようになったのは核家族が増え始めた1960年以降のようだ。そういえばもともと小川家では誕生日を派手に祝う習慣はなく、イチゴのショートケーキを食べる程度だった。それが大学に入ってからは飲み会の理由を作るのに躍起なこともあって誕生日を派手に祝いあうようになった。そして誕生日には何かしなくてはと心が忙しくなったものだった。しかしチベット社会で10年も過ごすと不思議と同化してしまうようだ。誕生日がまったく気にならないどころか、気が付くと過ぎ去っていたことが何度もあって嬉しくなった。「こうあらねば」という無意識の呪縛から解放され、そしてその呪縛を意識的に自分で把握しなおすことで、ちょっと自由になった気がする。いまもって誕生日への意識は薄らいだままなのだが、そのため記念日を大切にする妻とのあいだに波風が立たないこともないが、譲歩すべきところは譲歩して事なきを得ている(と僕は捉えている)。

木製にぎにぎくん木製にぎにぎくん

現在、日本では小さい頃から盛大に誕生日を祝う習慣があり、そのおかげで一人一人が大切に育てられている感がある。だからといってチベットでは人権への意識が希薄かというとそうでもない。むしろ、チベット社会にいるといい意味で個人としての意識が薄らぎ,僕にとってはその感覚が心地よい(第220話)。だから個人の記念日を祝わない社会には、それはそれで長所があるような気がしている。ちなみに先日3月の49歳の誕生日には妻が「木製にぎにぎくん」をプレゼントしてくれました。なかなか気に入っています。


補足
誕生日があやふやなのは2019年現在でおおよそ45歳以上のチベット人たちです。チベットの若い世代は誕生日を正確に把握し、日本と同じように誕生会を開催しています。また2005年以降、法王はほぼ毎年、記念式典に御出席されています。

参考文献
日本人には二種類いる 1960年の断層』(岩村暢子 新潮新書 2013)



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