添乗員報告記●敬虔な風景を往くチベット仏教入門10日間(2007年12月)

2007年12月28日~2008年1月6日 文●八田裕子(東京本社)


空にはためくタルチョ(チンプー)

蘭州から陸路、ダライラマの故郷である西寧へ。ゲルク派六大寺院の一つであるタール寺を訪ねたあと青蔵鉄道に乗り始まったラサへの巡礼の旅。10日間というゆったりとした日程がこのコースの特長です。立ち止まり巡礼者の祈りに耳を傾けたり、時間をかけて巡礼路を歩くことで、純粋に仏教を心に宿して生きる人々にじっくりと触れることができました。

旅の始まりは青海省・西寧


装飾的なタール寺と青い空

青海省の省都として中国の地方都市然とした雰囲気を持つ西寧ですが、地元きっての名刹タール寺にはチベットの空がありました。太陽は輝いていますが、十分な重ね着をしてきたはずの私たちの体にさえ鋭い冷たさが凍みこんできます。本堂に向かって体を投げ出す五体投地を繰り返す人々。彼らの体が特別頑強にできているわけではありません。私たちと同じ白い息を吐きながら、規則正しい運動が繰り返されます。祈りの言葉がチベットと同じ色をした空に吸い込まれていきました。

青蔵鉄道でチベットの人々に触れる


現地の方との出会いを
探しに硬座へ
遊牧や農耕で暮らすチベットの人々にとって冬は祈りの季節です。農閑期に入るとチベット仏教世界の中心であるラサへ向かって巡礼の旅が始まります。私たちは青蔵鉄道に乗って聖都ラサを目指しました。2006年に開通し最新の巡礼路となった鉄道、地元の人の利用が多い硬座席の乗客の目的は様々。年末でラサへ帰る人、ラサに商売に行く人、そして巡礼者です。
「年末で休みがもらえたから1週間ラサへ巡礼に行くんだ。」
「ラサへ巡礼に行くのは2回目さ。鉄道ができたから今度は家族を全員連れてね。」
隣でニコニコと話を聞いていた美しい三つ編みのおばあちゃんが持っていた数珠を見せてくれました。108の数珠を繰りながら唱える言葉は「オムマニペメフム」(観音菩薩の真言)。タール寺でも耳にした祈りの言葉。日本では「南無阿弥陀仏」ですが、観音菩薩の方がチベットでは人気があるのだとか。ダライラマも観音菩薩の化身とされています。



車窓からの景色が
食堂車のもう一つのご馳走

景色がしだいに夕闇に包まれようとする頃、うずくまった一塊の人影が遠く車窓に映りました。その人影は荒野に伸びる国道の上にあり、地面に体を投げ出したところで視界から行過ぎてしまいました。ラサに向かって孤独な五体投地を続ける巡礼者の姿でした。
冬のラサでは、ポタラ宮やジョカン寺など観光地としてメジャー化しているところであっても、観光客より巡礼者の姿を圧倒的に多く見かけました。袖が触れ合った巡礼者の中にはもしかしたら、車窓から見たような果てしない旅をしてきた方がいたかもしれません。

チベットの「占い団子」で年越し


団子スープは
日本のすいとんみたいです

ラサで迎えた年越しも印象に残るものでした。年越しそばの代わりに私たちが頂いたのはチベットの占い団子「グトゥク」です。直訳すれば「9の小麦」という意味のグトゥクは年末最後の9の日(29日)に頂く年越しには欠かせない一品。めいめいのお椀に一つずつ大きな団子が入っており、中に仕込まれたモノで次の年の吉兆を占うのです。団子を割ってみると唐辛子や羊毛などびっくりするようなものが入っていました。いったいこれは何なんでしょうか・・。駐在員からそれぞれのモノの意味が発表されます。唐辛子が入っていた方は今年1年毒舌注意、羊毛は落ち着きがないなど、どの「意味」も占いにしてはなかなかストレートな物言いです。納得された方も異議ありという方もいらっしゃって会場は大いに盛り上がりました。ちなみに私の団子に入っていたのは「紐」。解説によると「紐」は色々なものが豊かに入ってくることを表すのだそうです。ほっ。

ポタラ宮をバックに初日の出 ゲルク派総本山に初詣


祠にまつられた土仏たち
(ガンデン寺山道)
そして元旦。ホテルの屋上を特別に開放してもらい、初日の出を拝みました。山影から現れた太陽。それに照らされたポタラ宮はいつもより神々しい姿に感じられました。その後、私たちはゲルク派の総本山ガンデン寺に初詣に出かけました。山壁に取り付くように建てられたガンデン寺はなかなかの迫力。私たちはさらに寺の裏側にあたる山道をぐるりとコルラ(右遶:右回りに巡る)しました。ここでは絶景が待っていました。はじめに私たちを出迎えてくれたのが丘にはためく五色のタルチョ(祈りの旗)です。サン(お香)の煙とタルチョをくぐり、切り立った崖の上に心細く続く山道を宙に浮かんでいるかのように進みます。はるか下には蜘蛛手に流れるキチュ河が見え、空がとても近く感じられます。度々通り過ぎる小さな祠にはいつ誰が供えたのか分からない、しかし間違いなく誰かがここまで持ってきた素朴な土仏がたくさん供えられています。歩くこと30分余り、眺めの良い高台に出るとそこは鳥葬場でした。死んだ後、ここで体を鳥に供するのです。山道の終わりにあるツォンカパの瞑想室では、偶然そこにいらっしゃったダライラマにご縁のあるラマ(高僧)から一人一人カタを頂き、地元っ子のガイドさんまでが涙ぐむ一幕もありました。



初日の出に輝くポタラ宮
(シャンバラホテルにて)

山頂にガンデン寺を見上げる



タルチョのはためく丘にて
(ガンデン寺)

絶景のキチュ河と渓谷
(ガンデン寺山道)

チベット世界の中心ジョカン寺


チベット世界観の中心地にたつ
ジョカン寺
2日にはチベットの世界観で中心とされるのがジョカン(大昭)寺を訪れました。チベット仏教の信者なら一生に一度は来たいと願う聖地です。ここのご本尊である12歳の釈迦牟尼像は文成公主が持参したとされ、人々からひときわ高い尊敬を集めています。人々の思いが集中した場所というのは、敬虔な仏教徒とはいえない私にとっても何か特別な場所のように感じられました。いつしか読経の声が釈迦堂に響き渡っていました。本尊を前にたたずむ私たちの間にしばらく無言のときが流れました。そろそろ行きましょうかとお声をおかけするのがはばかられるような敬虔な時間に身を置き、皆さんの胸にはどんな思いが去来していたのでしょうか。


さらに奥地のお寺を目指します

仏教に焦点を合わせたこのコースでは、美しい壁画があるゴンカル・チューデやネチュン寺などを訪れました。中には大型バスでは行けないような奥地にあるお寺も・・・。それがツェタン郊外の谷の奥深くにあるチンプーの尼寺です。ツェタンからヤルンツァンポ川を渡り車で1時間のところにあるサムイエ僧院から、巡礼者と同じ交通手段「トラックの荷台」に乗り込みます。荷台に揺られて細い山道を行くのはちょっとした探検気分。トラックに比べたら確かにバスのほうが楽かもしれませんが、頭上の青空、手が届きそうな草花、風や土のにおいなどトラックでしか感じられない空気をたっぷり楽しむことができました。
チンプーではお寺の手前約500mのところでトラックを降ります。そこから谷間を徒歩で登って行くのですが、ここの風景はただただ素晴らしいものでした。谷間の青い空を埋め尽くさんばかりにタルチョがかかっているのです。その一番奥に尼寺の金の屋根が太陽に輝いていました。


最上階から谷を望む
長~いタルチョがかかってます
(チンプー)

尼寺はさすがに訪れる人も少なく私達が珍しいのか、一緒に写真を撮ったり、薬草をくれたりしたフレンドリーな尼さんもたくさんいました。中ではちょうど読経の最中。女性らしい澄んだ優しい音色にしばし時を忘れて耳を傾けました。忘れてはならないのがお寺の最上階。ここからはタルチョのかかった谷を一望できるのです。心が洗われるような清浄な景色でした。チンプーにはレストランもありません。私達はタルチョの谷間の草の上に腰を下ろし、青空の下お弁当を頂きました。タルチョが風にはためく音や鳥の声だけが聴こえます。あまりののどかさにお弁当が済んでもなかなか立ち上がれませんでした。このままお昼寝してしまえたらどんなに幸せでしょう。

帰り道のトラックは一致団結でした。だんだんと体のあちこちが辛くなってきますが、皆様お互い腕をぎゅっと組んだり席を譲り合って楽しく麓まで帰れるように工夫をして下さいました。何日か前まで知らない同士だったご参加者の皆様がいつの間にかすっかり仲良しになっていることに感動。最後はいつの間にかアカペラ大会になり、トラックに揺られながら大笑いで麓に下りました。


タルチョを捧げる人々(チンプー)

読経の声が聴こえる(チンプー)

ここには書ききれませんでしたが、様々な幸運に恵まれたことで仏教入門というやや硬めのテーマからは想像できない楽しい旅となりました。それぞれの場所に残してきたタルチョは今日も変わらぬあの青空の下、風を受けてはためいているでしょうか。空に撒いたルンタ(風の馬)は空を駆け上り、私たちの思いを天に届けてくれたでしょうか。天路と呼ばれる青蔵鉄道で天空の聖域チベットへ。日本から見上げるには遥かすぎるあの高い空に、敬虔な祈りを捧げた10日間でした。


祈りはルンタに乗って(ユムブラガン)