特別記事

「雪の住処」が輝いているネパールへ

 
ネパールトレッキング・ダウラギリ
ナウリコットから望む白く輝くダウラギリ(8,167m)と目前に迫る氷河

文●荻原 文彦(東京本社)

今、再びネパールから

2001年の秋のこと。私はネパール最北西部、インドとの国境を流れるマハカリ川に沿ってアピ=サイパル山群の主峰、アピ(7,132m)を目指していた。アピのベースキャンプへ辿る道は中国との国境ティンカール・パス(5,258m)を経て、西チベットの聖地カイラスへ至る巡礼路の一つでもあるため、巡礼帰りのヒンドゥ教徒の修験者(サドゥ)に会ったり、鳥葬を遠巻きに見たり、ネパールラジオから聞こえる9.11の同時多発テロのニュースを「何かの間違いだろ」とまともに取り合わなかったなど、様々なことがあった。
ネパール国内では6月にショッキングな王室乱射事件がおこり、マオ派(ネパール共産党毛沢東主義派)が山間部の村で演説を繰り返し、勢力を拡大していた頃のことだ。実際にマオ派が演説を行っている村をいくつか通り、小学校の校庭にテントを張らせてもらったこともあったが、対岸インドは車道を行き来する車があり、夜も明るく電気が灯るのに対して、ネパール側はまだ電気も通っていない状態で、両国の経済格差を激しく目の当たりにすることとなった。山間部で財産の共有を目指す共産主義が受け入れられていったことも、うなずける気がした。
あれからまる8年が経った。
その間、マオ派はカトマンズなど都市部へも入り、政府との衝突が長く続いたが、2006年11月に両者に和平協定が結ばれ、マオ派は武装解除し内戦が終結した。そして2008年4月に制憲議会選挙が行われマオイストは第一党になり、同5月には正式に王制が廃止されて連邦民主共和制の新しいネパールが生まれた。
かつての王室を讃える国歌は無くなり、『幾百もの花束』という新しい国歌になった。作詞はライ族の詩人ビャクール・マイラ、作曲はグルン族のアンバル・グルンで、歌詞の内容は「タライの平原から中間山岳地帯、そしてヒマラヤも我らがネパール、平和の地。民族や言語や宗教、文化は違えども、それらは宝物で、幾百という花々からなる花束のように、分かつことのないように」といったものだ。様々な民族が暮らすネパールを花々に例えることは、ネパールの小学校の教科書に昔から書かれているらしく、以前、本誌(風通信)35号にコメントをくれたネパール支店で働くトレッキングガイドもそのような表現をしていた。
色とりどりの花園のような国を目指すネパール。様々な魅力が人を惹きつけて止まないが、ネパールの宝であり世界に誇るヒマラヤと、その麓で暮らす人々の生活や文化に触れることができるトレッキングについて紹介したい。

鎖国から開国 ネパール・ヒマラヤ登山の幕開け

18世紀後半にネパール(グルカ)軍がチベットへ侵攻し、チベット第2の都市シガツェまで占領したことがあった。第一次グルカ=チベット戦争である。チベットは清国の援軍を受けこれを撃退し和平となるが、その後の清国のチベットに対する干渉と、ネパールの背後にある東インド会社に懐疑を持ったチベットは、1792年から鎖国政策をとる。ネパールもまた19世紀初頭のイギリスとのグルカ戦争を経て、1816年から134年間に及ぶ鎖国に入り、両国は「ヒマラヤの禁断の国」となった。
インド測量局によってヒマラヤの高峰の測定が進み、日本の求法僧河口慧海がネパールからチベットへ潜入したのも、この鎖国時のことだった。その間、ヒマラヤ登山の舞台はパキスタン領のヒンドゥークシュやカラコルムに集中したが、第一次世界大戦と第二次世界大戦によって世界情勢は悪化し、冒険家や登山家も軍靴に履きかえねばならず、ヒマラヤ登山は低迷した。
第二次世界大戦が終わりインドからイギリスが撤退すると、1947年にインドとパキスタンが独立した。その影響もあってか、1950年ついにネパールの鎖国が解かれた。
世界に14座ある8,000m峰のうち8座がこのネパールにある。世界各国の登山隊が次々にネパールを訪れた。最初に登頂されたのが、この年のフランス隊によるアンナプルナⅠ(8,091m)だった。人類初の8,000m峰登頂に世界は沸き、各国は8,000m峰初登頂を目指し、鎬を削った。ネパール・ヒマラヤ登山の幕開けであった。

登山スタイルの変化とネパール・トレッキングの開花

1953年には、イギリス隊のE・ヒラリーとテンジン・ノルゲイが遂に世界最高峰エベレスト(8,848m)を初登頂し、1956 年、視察から4年をかけて挑んだ日本山岳会隊がマナスル(8,163m)の初登頂を果たした。そして1960年にはスイス隊によってダウラギリⅠ(8,167m)が登頂され、開国から10 年間でネパールの8座の初登頂が成された。
その後、より困難なバリエーションルートからの登頂や、アルパインスタイル[*1]での登山、ヒマラヤ縦走登山・冬季登山などスタイルを変えて、ヒマラヤ登山史が刻まれて行くことになる。なかには、イタリアのR・メスナーのようにエベレストやパキスタンのナンガ・パルバット(8,126m)を無酸素・単独・アルパインスタイルで登り、8,000m峰14座全登頂を果たす超人も現れた。
一方で、1965年頃からトレッキングといういわば新しいレジャーが始まった。
1965年から4年間、ネパール政府は登山禁止令を出した。背景には第二次インド=パキスタン戦争や1959年のダライ・ラマのインド亡命と中印の国境紛争がある。ヒマラヤ登山によってもたらされる高額な登山料が一時ストップしてしまうネパール政府は、外貨獲得のための観光客誘致策としてトレッキングを大々的に宣伝することとなった。
トレッキングの語源はオランダ語の「Trek」で、「難儀しながら徒歩や牛車でのんびり旅をする」ということらしい。登頂を目的とする登山ではなく、美しい自然の中を自らの足でゆっくり歩く旅のスタイルだ。

段々畑の広がる農村風景を歩く段々畑の広がる農村風景を歩く
ヒマラヤの高峰目指して歩くヒマラヤの高峰目指して歩く


[*1] アルパインスタイルとは、「アルプスを登るように」固定ロープも荷揚げも行わず、自力で登るシンプルな登山で、従来の極地法(ベースキャンプから、上部キャンプをいくつも設置し、荷揚げを繰り返す。組織的立ったチームを編成し、最終的に少数のアタック隊を登頂させる大規模登山)とは対極的なスタイル。

ネパール・トレッキングの魅力

今では、トレッキングという言葉もすっかり定着し、ヨーロッパ・アルプスや北米・ロッキー、南米・アンデスやパタゴニア、ニュージーランド・サザンアルプスなど世界中の山麓でトレッキングが楽しまれている。いずれも絵葉書のような美しい景観が楽しめるが、ネパールのトレッキングには、それだけでなくネパールならではの魅力がある。
その1つは、なんといっても「世界の屋根」、あるいは南極、北極に次ぐ「第3の極地」と呼ばれるヒマラヤを間近に眺め歩くことだろう。
ヒマラヤとはサンスクリット語で「雪の住処」という意味で、西はパキスタンのナンガ・パルバット(8,125m)、東はラサから約380km東にあるナムチャ・バルワ(7,782m)にまたがる2,500km前後の大山系である。その中心にあるのがこのネパール。エベレストをはじめ7,000m〜8,000m峰が連なるスケールの大きさと神々しさは、見るものを魅了し憧れとともに畏怖の念を与えるほどだ。かつて、一握りの登山家や冒険家しか訪れることのできなかったこの地も、先人達によってもたらされた数々の情報と、国内航空路や車道の整備も少しずつ進みアプローチが楽になったことから、エリアは限られるが誰でもヒマラヤの麓を訪ね歩くことができるようになった。
もう1つの魅力は、トレッキングのために整備された道ではなく、ヒマラヤの麓に暮らす人々の生活道を歩くということだ。

ヤク標高3,000m以上で活躍するヤク

ヒマラヤの南側の山麓は、亜熱帯から温帯に属す。5月下旬〜9月下旬はインド洋からのモンスーン(季節風)によって恵みの雨が降り、農業にも適した地域である。そして、ネパールは「民族のるつぼ」といわれるほどの多民族国家だが、このヒマラヤの南麓周辺、中間山岳地帯に暮らしているのがマガール、グルン、タマン、ライ、タカリなどのチベット・ビルマ語系民族で、ネパールの全人口の約45%という。
彼等は畑作と稲作、家畜の飼育を生業としている。山の斜面に段々畑や棚田を切り開き、夏場はトウモロコシやヒエ、陸稲(リクトウ、またはオカボと読む)、豆類などで、冬場は小麦やナタネ、カラシナなどを作ることが多い。家畜はヤギや鶏、牛と水牛で、乳製品や食肉の確保に不可欠であると同時に、鍬を使う田畑の耕作と肥料のためにも家畜は欠かせない。
トレッキングルートは彼等の村々をつないで進んでいくことが殆どで、人気のルートではだいたい1時間に1つの集落が現れ、主要ルートの村では数件のロッジも経営している。
また、これら豊かな山村を越えてさらにヒマラヤへ向かうと、いよいよ高度も上がりダイナミックで荒涼とした景観に変わっていく。地域差はあるが、一般的にネパールの森林限界は3,500mから3,800m位で、その辺りから民族はシェルパなどチベット系山岳民族に変わる。家屋は石積みの平屋根にチベット仏教の祈祷旗「タルチョ」がはためき、チベット文化圏に入っていく。マニ車を回しながらすれ違うおじいさんに、試しに「タシデレ!」とチベット式の挨拶をすると、皺だらけの顔を一層濃くして笑顔をくれる。この辺になると、道は生活道というより、古くから隊商が行き来した交易路や、ヤクの放牧のためにつけられた道、あるいは巡礼者の往く道である場合が多い。いずれにしても、普段人々が使っている道を歩くため、特別な技術も装備も必要なく、そこで暮らす人々の生活を身近に感じられるし、標高とともに変わりゆく文化を目の当たりにすることができる。

ヒマラヤに抱かれた素朴な山村を訪ねるヒマラヤに抱かれた素朴な山村を訪ねる

「世界の屋根」、「第3の極地」といわれると全く人を寄せ付けない響きがあるが、トレッキングで訪れるヒマラヤの麓には、緑も農作物も豊かな村や、森林限界を超えて農耕限界(約4,250m)ギリギリでたくましく生活している村が点在している。きれいに整備された遊歩道や便利なロープウェイ、登山列車があるわけではなく、物質的な豊かさはないが、太陽をいっぱいに浴びながら農作業に精を出す村人や、胸の前で手をあわせて「ナマステ」とはにかむ子供達の笑顔の奥に「雪の住処」が輝いているネパール。自ら歩き、素朴な山村風景に触れることこそがネパール・トレッキング最大の魅力なのではないかと思う。

ネパール 3大トレッキングエリア

東西800kmにまたがるネパール・ヒマラヤ。それぞれの山群に魅力はあるが、特に3 大トレッキングエリアといわれ、人気を集めているのが、クーンブ山群、アンナプルナ山群、ジュガール=ランタン山群である。

カラパタールから望むエベレストカラパタールから望むエベレスト

1. エベレスト・エリア(クーンブ山群)
ネパールで最も人気のあるエリア。最大の魅力は言うまでも無く世界最高峰エベレストを眼前に楽しむことだ。最短で日本発着10日前後の日程で、それが可能になる。
トレッキングの出発点となる標高2,840mのルクラへはカトマンズから東北東に国内線で約30分。ルクラから1泊2日のトレッキングでシェルパ族最大の村ナムチェバザール(3,440m)へ。今ではインターネットカフェや設備の整ったロッジもある大きな集落だ。その名の通り金曜の夕方と土曜にはバザールが開かれ、ヒマラヤの南北からあらゆる物資が集結する。ナムチェバザールから1時間ほど登った標高3,720mのシャンボチェの丘からはエベレストをはじめクーンブ山群の大パノラマを楽しむことができる。少し時間に余裕があればチベット仏教僧院のあるタンボチェ(3,860m)へ足を伸ばすのもよいだろう。もちろん高山病対策は必要だが、ここまでは登山道も整備されており、特別に健脚でなくとも富士山に登れる体力があれば十分に楽しめるコースだ。
体力・時間・予算に余裕があれば、さらに高度を上げ、エベレストの展望台カラパタール(5,550m)とクーンブ山群の展望台ゴーキョ・ピーク(5,360m)を目指してもらいたい。ルクラから予備日も入れて往復約2 週間。ヒマラヤの8,000m峰と氷河に迫るトレッキングは、まさに「第3の極地」的なダイナミックなルートだ。もちろん高山病対策はおろそかにできない。

気軽に雄大なヒマラヤが望めるアンナプルナ・エリア気軽に雄大なヒマラヤが望める
アンナプルナ・エリア

2. アンナプルナ・エリア( アンナプルナ山群とダウラギリ山群)
このエリアは比較的標高が低く、初心者から上級者まで楽しめるバリエーションの豊富さが魅力でエベレスト・エリアと人気を二分している。拠点となるポカラの標高はわずか872m。気候は亜熱帯。ポカラに降り立つと、「ヒマラヤのマッターホルン」とも形容されるマチャプチャレや、どっしりとしたアンナプルナ南峰など6,000〜8,000m級の山々が目に飛び込む。見晴らしが良い丘へのハイキングや、風の旅行社直営ロッジ「つきのいえ」「はなのいえ」があるダンプス(1,650m)、アスタム(1,450m)などヒマラヤの展望が素晴らしい素朴な山村をのんびり歩くトレッキングは2~3日程度でも可能だ。1週間程の時間があれば、カトマンズ観光やチトワン国立公園のサファリなどと組合わせても楽しめる。
本格的なトレッキングを目的とするならば、ダウラギリの雄姿が望めるプーンヒル(3,198m)を目指すゴレパニ・コース、片道5~6日かけてマチャプチャレとアンナプルナのベースキャンプ(4,130m)を訪れて高低差4,000mの南壁を仰ぎ見るアンナプルナ内院コース、そして、2週間以上かけて5,000m級の峠を越えアンナプルナ山群を一周するラウンドアンナプルナ・コースなどもある。
ポカラからジョムソン(2,720m)へ飛べば、荒涼としたチベット的な風景に一転する。ダウラギリ、ニルギリ、トゥクチェ・ピークなどの高峰に挟まれたカリガンダキ川沿いを北上し、ムスタンを経てチベットへ至るトレッキング・ルートはジョムソン街道と呼ばれ、かつてはチベット系のタカリ族がインドとチベットを結ぶ塩や麦、毛織物のキャラバンを盛んに行ってきた交易路だ。ジョムソン付近はアンナプルナ山群の北側に位置し、モンスーンの影響を受にくく降水量が少ないため、トレッキングシーズンが他のエリアよりも早く訪れるのも魅力といえる。

ランタン谷の名峰ランタン・リルンランタン谷の名峰ランタン・リルン

3. ランタン・エリア( ジュガール=ランタン山群)
ランタン谷はイギリスの登山家ティルマンによって「世界で最も美しい谷」と紹介された。
春はシャクナゲ(ネパール名=ラリグラス)が咲き、雨期にあたる7月~8月は一面の草原と高山植物の花畑となり、フラワートレッキングを楽しむことができる。
カトマンズから車で7時間ほどのところにあるシャブル村がトレッキングのスタート地点。ランタン谷をランシサカルカまで目指すコースは、深い谷底から山々を見上げながら歩くルートで、他では味わえない醍醐味がある。
ヒンドゥ教の聖地ゴサインクンド(4,380m)を訪れるコースは、見晴らしの良い尾根からランタン山群やガネッシュ山群の山々が望め、同じ山群のトレッキングとはいえランタン谷とは異なる趣がある。

山を見る旅・歩く旅へ

沢山の笑顔で迎えてくれた村人たち沢山の笑顔で迎えてくれた村人たち
(写真提供:石田 貴和様)

2001年10月に初めてヒマラヤの頂に立った。その8ヶ月前、6,000m峰の登頂に失敗していたので、アピの登頂は心底嬉しかった。しかし、8年が経った今も思い出されるのは、登山よりもむしろベースキャンプまでのトレッキングのことが多い。道中で見たことや感じたこと、全ての出会いが私の宝物となった。
旅の目的やスタイルが多様化しているなか「歩く」という最もシンプルな方法で、その土地の景観やそこに住む人々の暮らしにリアルに触れられるのが、トレッキングの最大の魅力だ。その舞台として、ネパールに勝るところはないだろう。
長い混乱の時期を終えて生まれ変わったネパールを訪れ、ヒマラヤの麓を訪ね歩きながら「雪の住処」とそこに暮らす人々の輝きを見てほしい。

風通信」38号(2009年10月発行)より転載


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