お役立ち情報

講座「熊野古道・中辺路を歩く」ってどんな旅?


熊野古道・中辺路を歩く 2泊3日の様子を簡単ですがご紹介いたします。
ご検討中の方の参考になりましたら幸いです。


 


特急くろしお号の車窓から

 
新大阪から、特急くろしお号で集合地の紀伊田辺駅に向う途中、雄大な太平洋の景色が楽しめます。これから始まる熊野古道歩きへの期待も高まります。


 

滝尻王子にて
滝尻王子にて

 
熊野三山の聖域の始まりとされる滝尻王子にて。紅葉が美しいかったです、まずはここにお参りしてからスタートです。


 

近露を望む
近露を望む

 
宿のある近露を望む一同。さぁ、もう少し歩きましょう!


 

足取りも軽く中辺路を行く
足取りも軽く中辺路を行く

 
秋の清清しい空気を吸いながら歩きます。


 

紅葉が目を楽しませてくれた
紅葉が目を楽しませてくれた

 
途中で目を和ませてくれる紅葉に励まされながら、先へ歩みを進めます。


 

秋の夕暮れは早い
秋の夕暮れは早い

 
山間の日はストンとあっという間に沈んでいきます。寂しくなってくる黄昏時、まもなくこの日の行程が終わります。


 

さぁ今日の道程は長いぞ
さぁ今日の道程は長いぞ

 
2日目の朝です、さぁ今日は約10kmの道程を歩きます。


 

無人販売所でご当地モノを知る
無人販売所でご当地モノを知る

 
途中にある無人販売所で買うご当地モノが楽しいのですが、荷物が重くなっていくのが悩みですね。


 

語り部さんの解説が深みを与えてくれる
語り部さんの解説が深みを与えてくれる

 
途中、要所要所で聞く語り部さんの解説が古道歩きに深みを与えてくれます。


 

古道の雰囲気が漂う石段
古道の雰囲気が漂う石段

 
ゴールである本宮大社が近づくと、古道の雰囲気がますます強まります。さぁあと少しです。

 

本宮につきました
本宮につきました

無事に辿りついたことへの感謝と道中の祈りを捧げましょう。


 

かつての本宮大社の大鳥居
かつての本宮大社の大鳥居

 
大洪水で流れてしまったかつての本宮大社へも詣でます。大きな鳥居にはいつも圧倒されてしまいます。


 

神倉神社の石段をのぼる
神倉神社の石段をのぼる

 
3日目(最終日)は、大岩のある神倉神社に詣でます。石段がすごいですが、見た目ほど時間がかからずに登れてしまうことが多いです。


 

神倉神社の大岩
神倉神社の大岩

 
落ちてくるのではないかと心配になるような大岩を拝みに石段を登ります。


 

那智の滝を望む
那智の滝を望む

 
最後は、那智の滝にも参詣します。


 

那智の滝(神体)
那智の滝(神体)

 
滝自体がご神体です。滝の水しぶきが醸しだす清浄な空気に心が清められつつ静かに手をあわせて2泊3日の旅が終えます。


熊野古道・中辺路を歩く


苔むした石畳の古道を往く11/23(金)発
熊野の語り部と行く
熊野古道を歩く・中辺路を歩く

ベトナム・ハジャンへの旅


ハジャンの奥地ルンカム谷 モン族や花ロロ族の村がある
ハジャンの奥地ルンカム谷 モン族や花ロロ族の村がある

《ベトナム北部辺境地の基本知識》

ベトナム北部は中国雲南省南部と国境を接しています。この国境付近は石灰岩を多く含む山岳地帯で平地が少ないところで、17世紀ごろから様々な少数民族が中国(明、清など)の圧政から逃れてきました。そのひとつがモン族。中国ではミャオ族と呼ばれ、地域ごとに違う民族衣装で知られています。ベトナムのモン族も美しい晴れ着が有名で、市場などで見かけることがあります。
人々は山岳地帯の中に盆地を見つけては開墾し、できる限りの山の斜面を利用して田んぼや畑を造り続けました。その結果、山々を縫うような続くクネクネ道や延々と続く美しい棚田ができあがりました。

さて、最近までベトナム北部の秘境の代名詞は「サパ」でしたが、2015年に麓の町(ラオカイ)まで高速道路が開通し、4つ星ホテルも建ち始め、市街地は変わりつつあります。そんな中、サパのあるラオカイ省の東奥にハジャン省があります。サパがフランス統治時代、彼らの避暑地として開発された歴史を持っているのに対して、ハジャンは少数民族の統治に手を焼いたのか開発が遅れていました。そのおかげでベトナム山間部ののどかな雰囲気が多く残っています


ベトナム北部・ハジャン周辺の地図

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織物の谷・ルンタム村



クネクネとした山道をいくつか越えた盆地の中に白モン族の暮らすルンタム村があります。ここに昔ながらの「はた織り工房」があります。実際に織り子さんがその織りを見せてくれるとともに、小さな販売所もあり、おすすめ。一見稲にも似た植物(麻)から糸が紡がれ、それが織り子さんの手によって丁寧に織り込まれていきます。織りたての麻布はがさがさした手触りなのですが、それを石と板を使って曲芸のような方法でやわらかくしていきます。その作業は、まるでサーカスの芸のようでした。
販売所の品物は手間暇かけた手作りで、染色も自然の植物などを使用していて、日本に帰ってからも使えそうなデザインでした。

白モン族の暮らすルンタム村では伝統のはた織り工房を見学できます白モン族の暮らすルンタム村では伝統のはた織り工房を見学できます
丸い石と石板の間に織りたての麻布をはさみ、板上で曲芸師のように石を転がして布をなめす丸い石と石板の間に織りたての麻布をはさみ、板上で曲芸師のように石を転がして布をなめす


染色の材料は植物や鉱物など自然素材のもの染色の材料は植物や鉱物など自然素材のもの
販売店は小さいですが、つい買いたくなる品揃えです販売店は小さいですが、つい買いたくなる品揃えです


民族衣装にも出会える市場



ハジャン地方でも、たくさんの村や町で周辺の少数民族が特産物を持ち寄り金銭を通じた物々交換のできる市場があります。中でも大きいのがドンヴァンメオバックの市場。ドンヴァンがハジャンでは最大規模ですが、今回は、メオバック市場を訪ねました。
市場は朝の5時間から始まります。私達は7時に訪れた時には、それはそれは大勢の人でにぎわっていました。多くは白モン族、そしてランテン・ヤオ族、1日で1000食をさばく白モン族のおばちゃん屋台、麻糸をよりながら商売に励むおばちゃん、この日唯一全身民族衣装に身を包んだ若い女性、自慢の米を売るランテン・ヤオ族のおばさん。ガイドの力を借りながらですが、思ったよりたくさんの人が写真撮影を喜んで受け入れてました。
ほかにも、ミンタンイェンミンにも定期市が立ちます。

鶏の値段で交渉する人鶏の値段で交渉する人
メオバック市場で見かけた白モン族の女性メオバック市場で見かけた白モン族の女性


商売の合間に果物をほおばるランテンザオ族の女性(メオバック市場にて)商売の合間に果物をほおばるランテンザオ族の女性(メオバック市場にて)
クェットティエンの朝市で出会ったヌン族のお母さん。耳付き帽子がかわいらしいクェットティエンの朝市で出会ったヌン族のお母さん。耳付き帽子がかわいらしい


ハジャンに麻薬王がいた!



中国国境まであと3㎞というハジャンの奥地に立派な邸宅跡があります。第2次大戦前、中国からのアヘンの密輸密売で財を成したモン族の王ヴァン・チンドック(王志徳)のお邸です。中庭を2つ供えた重厚な壁に囲まれた母屋には第1夫人から第3夫人までの部屋や食堂、執務室などを供え、2階の壁には銃器用の小さな窓が敵の侵入ににらみを効かせています。中国から建築士を招いて建てられました。一族はグエン朝の承認の下、18世紀末からこの地域を支配していました。フランスの統治が進んでからはフランスに忠誠を誓い、周辺の少数民族の反乱の征圧に協力、フランスの一将官の地位も得ていました。しかし、ベトナムのフランス支配への反対運動が強まると、中立の立場を取りはじめ、ヴァンチンドゥックは中国へ亡命したとか。彼の死(1944)後、彼の息子はホーチミン支持を表明、ベトナム独立戦争時にはベトナム共産党に資金を融通するなどして、一族は新生ベトナムで復権。議員になるなど地位を回復したそうです。邸は保存、公開され、アヘン王の写真も飾られています。

中国国境まで3kmのところにあるアヘン王の屋敷は中国様式で資材は中国から運び込んだとか中国国境まで3kmのところにあるアヘン王の屋敷は中国様式で資材は中国から運び込んだとか
アヘン王ヴァンチンドゥックの写真が飾られています、フランスもアヘンを黙認していた?アヘン王ヴァンチンドゥックの写真が飾られています、フランスもアヘンを黙認していた?


柱の下にはアヘンの原材料となる「ケシ坊主」の形がデザインされていました柱の下にはアヘンの原材料となる「ケシ坊主」の形がデザインされていました
元アヘン王の屋敷は城のように兵器が準備され狭間もありました元アヘン王の屋敷は城のように兵器が準備され狭間もありました


モン族の少女の数奇な人生の舞台 ルンカム谷



2006年、1つのベトナム映画が世界に発信されました。ハジャンのルンカム谷に生きた一人の女性の実話を元に作られた映画「モン族の少女・パオの物語」です。
ハジャンの山岳地帯に暮らす、家父長制が強く残るモン族の娘と2人の母親(生みの親と育ての親)の人生を描いた物語で、美しいハジャンの山岳風景と人々で賑わう市場のシーンがよく登場します。上映当時おばあさんになっていた主人公が若かりし頃の話ということから推測するに1960年代の話でしょうか。当時の市場は民族衣装で華やかです。
この映画の舞台になったのがハジャンのルンカム谷にある村の小さなお屋敷。この地方を治めていた領主の邸が今もその子孫が暮らしていています。見学可能です。映画を見てから訪ねるか、訪ねてから観るか、どちらでも良し。
ちなみに、私は現地でこの映画のことを知り、帰りのベトナム航空の機内の映画にあったので、思わず観てしまいました。映画はベトナム語で英語の字幕付で、私は一時停止を駆使しておぼろげにストーリーを理解しました。
この谷には華やかな衣装の花ロロ族の村もあります。

ルンカム村を舞台にした映画の撮影が行われたお屋敷前のそば畑ルンカム村を舞台にした映画の撮影が行われたお屋敷前のそば畑
この館でも「ケシ坊主」の意匠が柱の下にありましたこの館でも「ケシ坊主」の意匠が柱の下にありました


ルンカム谷に暮らす花ロロ族の村で民族衣装を見せていただきましたルンカム谷に暮らす花ロロ族の村で民族衣装を見せていただきました
とても手の込んだ刺繍の花ロロ族の民族衣装、作るのに2年かかったそうですとても手の込んだ刺繍の花ロロ族の民族衣装、作るのに2年かかったそうです


絶景ロード・カルストのジオパーク



ハジャンの奥地ドンヴァンのカルスト地形は2010年ユネスコのジオパークに登録されました。このあたりでは筍のような形の石山(石灰岩の山)がニョキニョキと生えている間を、道路が蛇のようにクネクネと続いている光景を目にします。中でもメオバックとドンヴァンの間にあるマーピーレン峠の展望ポイントはおすすめです。その周辺は、晴天なら申し分ないでしょうし、多少の霧なんかでも、思わぬフォトジェニックな風景に出会えるかもしれません。
太古海だったこの地が4~6億年前に隆起し、サンゴの死骸などで形成された石灰岩の山が雨風に削られて今のような竹の子状の山々を作り出したといわれています。

ドンヴァンの手前イェンミン付近には美しい棚田が見下ろせる場所があります。この地域のモン族がまじめにコツコツと長い年月をかけて、山の斜面を田んぼや畑に開墾してきた成果です。バームクーヘンのような幾層ものあぜが大自然の中に美しい幾何学模様を作りだしています。
そして、さらにその手前のクワンバという場所にもカルストが作り出した美しい風景があります。通称「おっぱい山」。石灰石の山が美しいおっぱいの形を作りだしているのです。
ベトナムでは「妖精の山」と呼ばれ、笛が上手なモン族の男性と彼と恋に落ちた妖精の悲しい物語が残っています。詳しくは現地で聞いて下さい。

マーピーレン峠は車道から少し上ると、展望はさらに開けますマーピーレン峠は車道から少し上ると、展望はさらに開けます
山の間を縫うように車道はクネクネと走ります山の間を縫うように車道はクネクネと走ります


ハジャンの奥地(ドンヴァン地方)にいくと、このような筍のような山々が連なる光景が続きますハジャンの奥地(ドンヴァン地方)にいくと、このような筍のような山々が連なる光景が続きます
通称「おっぱい山」と呼ばれる妖精の山。笛の上手なモン族を主人公にした伝説が残っています通称「おっぱい山」と呼ばれる妖精の山。笛の上手なモン族を主人公にした伝説が残っています


ハジャンに少数民族の村々を訪ねる



ハジャン省には16の少数民族が暮らしています。国境付近までの道路建設も進み、村の暮らしも少しずつ変化していますが、途中には、様々な少数民族の村があります。昨今、この地域の民族衣装も普段着で着ることは珍しくなったので、ご好意で見せていただいたり、着てもらったりするのですが、やはり着るとなると晴れ着ですので、気合が入るようです。
民族ごとに特徴のある衣装を拝見し、お話を伺って時間はあっという間にすぎてしまうのでした。

7月田植えの時期に訪問。普段着で着ている女性も多かったです(ラチ族)7月田植えの時期に訪問。普段着で着ている女性も多かったです(ラチ族)
ちょうど村ではお茶を干す作業中、お願いして衣装を見せていただきました、7歳のお孫さんもおそろいの衣装でした(パテン族) ちょうど村ではお茶を干す作業中、お願いして衣装を見せていただきました、7歳のお孫さんもおそろいの衣装でした(パテン族)


衣装を見せてほしいと頼んだら、奥にこもって30分くらいかけておめかしして出てきてくれました(ザオクアンチェット族)衣装を見せてほしいと頼んだら、奥にこもって30分くらいかけておめかしして出てきてくれました(ザオクアンチェット族)
のどかな田んぼが続く村にて、3月には村人が正装して集うお祭があるそうです(ポイ族)のどかな田んぼが続く村にて、3月には村人が正装して集うお祭があるそうです(ポイ族)


ランテンザオ族の伝統的な家。がっちりとした土壁の2階建てです。窓は最低限に作られていましたランテンザオ族の伝統的な家。がっちりとした土壁の2階建てです。窓は最低限に作られていました
家畜のえさとなる草をずっしりと背負って長い道を一人歩いていた白モン族の女性家畜のえさとなる草をずっしりと背負って長い道を一人歩いていた白モン族の女性


ハジャン最奥の地に暮らす、ハレの日にしか着ない民族衣装を見せてもらいました(赤ロロ族)ハジャン最奥の地に暮らす、ハレの日にしか着ない民族衣装を見せてもらいました(赤ロロ族)
村では漢字を使った護符のようなものが使われていました(アオザイザオ族) 村では漢字を使った護符のようなものが使われていました(アオザイザオ族)


関連ツアー

民族衣装を着たアオザイ・ザオ族の女性11/30(金)発 | 12/28(金)発 | 1/11(金)発 | 2/22(金)発 | 3/1(金)発
ベトナム最奥の地で感動&リラックス
ハジャン絶景山岳ロードとサパ郊外・棚田を見下ろすエコロッジと村めぐり8日間


正装した赤ロロ族の男性(ドンヴァン近郊)12/6(木)発 | 12/27(木)発 | 1/10(木)発 | 2/28(木)発 | 3/21(木)発
中越国境地帯ハジャンへ
ベトナム最奥部・絶景山岳ロードに少数民族を訪ねる旅6日間

ルーマニアで乗馬を楽しむ!


シンカ・ノウア村にある乗馬クラブのかわいい馬
馬小屋の窓からひょっこりと顔を出す乗馬クラブの馬

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モロッコの秋はイチオシのシーズン!


たわわになったデーツ(なつめやし)
たわわになったデーツ(なつめやし)10月

「モロッコに行きたいのですが、いつの時期が一番おススメですか?」と聞かれたら
ズバリ秋です。暑い夏が終わったあとの爽やかな気候の秋は、果物も美味しく、空気も澄んでいて写真を撮ってもよく映ります。

そんな秋のモロッコ旅行計画中の参考に、9月末~10月上旬の現地の様子と服装や気温などをまとめました。


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“青の街” シャウエンの魅力


青の街シャウエンの日常」風景
青の街シャウエンの日常風景

北モロッコを訪れる旅人に人気の街・シャウエン。
正式名称は「シェフシャウエン(Chefchaouen)」ですが、モロッコ人も省略して「シャウエン」と呼ぶことが多いようです。

歴史や自然の多様さが魅力の一つであるモロッコにおいても独特の雰囲気を放ち、近年雑誌やテレビなどでも話題になりつつある、通称“青の街”の魅力をご紹介します。 (more…)

モロッコの気候と服装


一年中温暖な気候の大西洋沿いの海岸から、アトラス山脈の高地、典型的な内陸性気候であるサハラなど、モロッコの大地はいつ、どこを訪れるかで気候もさまざま。「アフリカだから常夏!」と考えがちですが、それは大間違い。四季があり、比較的寒暖差も大きいのが特徴です。下記の気候データを参考に、服装等をご用意下さい。比較的気候の穏やかな春(3〜5月頃)と秋(9〜11月)が旅行シーズンだと言われていますが、フェズやマラケシュなどの都市部は、年中観光客が絶えません。灼熱の太陽が輝く夏のサハラ砂漠やカスバ街道、降雪のある冬のアトラスなどもそれなりの準備があれば、日本では決して味わえない経験ができます。一般的には12〜3月が雨の季節と言われますが、降水量は日本と比較できないほど少ないのも特徴です。

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【特集】世界最高度を走る!! 青蔵鉄道で行くチベット


青蔵(青海チベット)鉄道とは、中国青海省の省都・西寧とチベット自治区の区都・ラサ間の全長約2,000kmを結び、貴重な動植物の宝庫「ココシリ自然保護区」、崑崙山脈、タングラ山脈、ニェンチェンタンラ山脈という3大山脈、平均標高4,000m以上の青蔵高原を駆け抜ける、世界でも最も高い地点を走る高原鉄道です。
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己の名誉をかける鷹匠の祭典「イヌワシ祭」


強い信頼関係で結ばれたイヌワシと競技に挑む男たち
強い信頼関係で結ばれたイヌワシと競技に挑む男たち


祭典が行われる場所、バヤンウルギーとは

バヤンウルギー地図

アルタイ山脈やロシア国境も近いウランバートルの西方約1,300km、首都よりも1時間の時差があるほど離れているモンゴル最西端の県バヤンウルギー。アルタイ山脈のモンゴル国内最高のフィティン峰(4,374m)を擁するこの地には、騎馬民族の末裔・カザフ民族が伝統を守りながら暮らしています。

両翼を広げると約2mもあるイヌワシを使った冬場の狩り(鷹狩り)や、2本弦の伝統弦楽器ドンブラで、その独自の伝統を広く知られるようになりました。


→ 西村幹也氏寄稿「カザフ民族とバヤンウルギー」
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知られざるインド北東部への旅(1) インパールとその周辺(マニプル州)


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マラムクーレン村の王の館の前面に彫刻された首狩り族の勇姿像

南アジアの地図を見るとベンガル湾からインドの東部にバングラディシュ(インドから旧東パキスタンとして独立)が食い込んで、その東側にもインド領が広がっています。
7姉妹州(セブン・シスターズ)と称される北東7州がそれです。アルナーチャル・プラデーシュ州、アッサム州、マニプル州、メガラヤ州、ミゾラム州、ナガランド州、トリプラ州。


インパールとその周辺(マニプル州)地図



マニプル州の概略


◆地理
7姉妹州の南東部、ミャンマーと国境を接しているのがマニプル州。その州都であり、唯一空港があるのがインパールです。インパールは第2次大戦当時5つの飛行場があったほど(※1)広い盆地ですが、それ以外は山また山が続く山岳地帯です。その山岳地域にはクキ族と呼ばれるかつての首狩り族の末裔が暮らしています。今はほとんどキリスト教に改宗し、その習慣はなくなりましたのでご心配なく。
※1インパールの飛行場から飛び立った戦闘機や救援物資を載せた飛行機が、インパール作戦当時すでに制空権を失っていた日本軍を苦しめました。

観光シーズンは、乾季にあたる11月~3月。毎年11月21日~30日インパールで『シャンガイ・フェスティバル』というお祭が開催されます。

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連合軍墓地(インパール作戦でなくなった連合軍兵士の墓)

◆歴史・文化
マニプルの主要民族はメイテイ族。東南アジアにも多いチベット・ビルマ語族です。その祖先はまだ謎に包まれていて、インド系山岳民族説やタイ民族起源説もありますが、チベット東部のカム地方からミャンマー北部に南下し、その後、マニプルにやってきたという説が有力のようです。マニプルは1世紀から1800年もの長期に渡ってメイテイ族が統治していました。17世紀には中国との戦争にも勝利し、町の中心にカングラ城を建設。最盛期を迎えます。しかし、18世紀後半~19世紀前半にはミャンマー(コンバウン朝)にたびたび占領され、国も弱体化。そして、1891年、王位継承問題にイギリスが介入。英領インド保護下の藩王国となります。それが、1947年のインド独立時には、インドの一部として併合されました。
スポーツも盛んで、近代ポロ発祥の地ととも言われています。また、インドにいくつかある禁酒州の一つです。聞いたところでは、酒による(家庭内などの)暴力をなくすため酒の販売、飲酒が禁じられたそうです。

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マハラジャ時代の王宮があったカングラ城

◆日本との関わり
第二次大戦末期の1944年、英領インド帝国の支配からミャンマーを奪取した日本軍は、援蒋ルートを分断することで当該大戦での形勢逆転を狙って『インパール作戦』を実施しました。当時インドの独立を模索していたチャンドラ・ボーズも巻き込みミャンマー西部からチンドィン川を渡り、アラカン山脈のジャングルを越えて東インドの拠点インパール攻略を企てます。国境付近に住む少数民族には、インドからの独立を約束するなど懐柔しながらの進軍。当初は好意的に受け入れられましたが、兵站(物資補給)を無視した作戦は、武器・弾薬・食料に窮し、村々から略奪することもあったといいます。
それでも、戦後、激戦地には地元の村人による慰霊碑が建てられたり、同じモンゴロイドということもあるのか、現地では概して日本に対して好意的な言葉に救われました。



マニプル州 インパールおよび周辺の訪問地


1.マハラジャ時代の最盛時をしのぶカングラ城

インパールの町の中心にある川と人口の堀をめぐらした砦。「カングラ」はメイテイ族の言葉で「乾いた土地」という意味。17世紀に補強され、1891年までマニプール王朝の砦であり、都であり王宮でした。第2次世界大戦のインパール作戦当時は、イギリス軍が、2004年までインド軍が駐屯していましたが、今は市民の聖地であるとともに、憩いの場所となっています。17世紀、中国人捕虜に作らせた城壁の一部や、旧ゴビンダジー寺院(※2)、ちょっと風変わりな寺院などがあります。
※2 1845年に建築されましたが地震とイギリスとの戦いで崩壊。その後、イギリスが寺院から大理石の石板やドームの金箔をオークションにかけて売ってしまい、ご神体は今カングラ城外に新たに建設されて、そこに移っています。

カングラ城の城門カングラ城の城門
カングラ城内の謎の寺院カングラ城内の謎の寺院


カングラ城の城壁カングラ城の城壁
カングラ城内に残る旧ゴビンダジー寺院カングラ城内に残る旧ゴビンダジー寺院



2.母の市場 イマ・マーケット

インパールには、周辺からの物資が集まってきます。市場が町の中にあり、いつもにぎわっています。売り手は全員女性。イマ(母)の市場と呼ばれています。食べ物、食材、生地、宗教関係のグッズ、衣類、壷、文具、農具、得体のわからない液体などなどいろいろそろってます。場所が狭いのか建物の外にはみ出して地面に商品を並べて売る人もいるくらいにぎわっています。きっと違法なのでしょう、たまに警備員か警官らしき人が来ると、逃げるように散っていきます。

イマ・マーケット川や湖からの魚も多い
イマ・マーケット壷も絵付けして売られています


イマ・マーケット籠も手作り
イマ・マーケット野菜は市場からはみ出すほど



3.土着の香り漂うゴビンダジー寺院

元々カングラ城内にあった同名の寺院が地震と戦争で崩壊したため、こちらに再建され、ご神体も遷されました。早朝と午後の2回プージャ(儀式)が行われます。
神殿には、土着の神からヒンドゥ教のビシュヌ神の化身として取り込まれたジャガンナート(黒)、サバドラー(橙)、バララーマ(白)の像が収められ、プージャの時には公開されます。ほら貝と金属製の打ち物の合図で始まり、白装束の司祭が魔よけのような飾りに火をつけ、身を伏せて祈る信者にその煙を散らしてきます。いただいた信者はありがたく、日本の社寺で線香の煙を頭から浴びるように、それを体に刷り込むように頭から浴びます。
ドレスコードがあり、革製品はご法度。裸足での入場になります。ヴィシュヌ派の寺院で、ほかのヒンドゥ教寺院でもあまり見られないプージャだそうです。近くに藩王(マハラジャ)の末裔の館もあります。

ゴビンダジー寺院1黄金の2つのドームがかわいい
ゴビンダジー寺院2中庭では靴を脱いで参拝


ゴビンダジー寺院3表情がユーモラスなジャガンナート神
ゴビンダジー寺院4信者たちは香をありがたくいただく



4.謎の環状浮島のあるロクタク湖

インパールの南45㎞にある淡水湖。プンディと呼ばれる大小の環状浮島がいくつもあり、大きなものには人が住んでいます。環状の中に魚を養殖したり、浮島で栽培したりして生計を立てているそうです。またこの地域は自然保護区に指定され、シャンガイと呼ばれる絶滅危惧種の固有種の鹿がいます。

ロクタク湖1空から見ると細胞のように見えた
ロクタク湖2この巨大な浮島が自然に形成されるとは不思議だ



5.インド独立の礎を築いたINA博物館

インド国民軍(INA)は日本軍の東南アジア侵攻と並行してインド独立を目指して組織された軍。インパール作戦でも日本軍と行動を共にし、ロクタク湖に近いモイランの町で、インドの国内で最初にその旗を掲げたとして、モイランの町に博物館が設営されています。インド独立の英雄チャンドラ・ボーズ(※3)率いるインド国民軍の写真や武器、勲章などが展示されています。当時女性の軍隊も存在したことが紹介されていました。
※3 日本ではガンジーがダントツの知名度で、彼のことはあまり知られていませんが、インドでは彼がいなければインドの独立は何年も遅れていただろうといわれる英雄です。

INA博物館1博物館外観
INA博物館2INA創設の記念碑のレプリカ



6.インパール作戦の激戦地レッドヒル

インパールまで16㎞という平原の中にある丘。インパールめざして進軍した第33師団がここでイギリス軍と対峙。宣戦布告から3週間で落とすと宣言していた戦いが2ヶ月になり、物資も滞る中、1週間の戦いで800人が命を落としました。日本兵の血で赤く染まったことからレッドヒルと呼ばれています。今、地元の村人が慰霊碑を建て、日本政府もすぐそばに慰霊碑を建立しています。

レッドヒル1ひっそりと今も残る激戦の丘
レッドヒル2ロトパチン村の戦没勇士の碑



7.首狩り族と巨石文化の名残 マラムクーレン・ウィロンクーレン村

インパールから北に約90㎞行った山岳地帯に巨石が残る村があります。それがマラムクーレン村、ウィロンクーレン村です。
ウィロムクーレン村には約150の巨石が林立して、最大のものは約7mもあるといいます。そしてそれは誰が何のために立てたのか今も謎のままです。巨石の数を数えようとするとそこにいる霊が邪魔をして数が分からなくなるとか、夜になると石はお互いの名前を呼び合いながら話しをするとか、かつてここに住んでいた人々はこの石から石に飛び移る競技をしていたのだとか興味の尽きない伝説も残っていています。

マラムクーレン1王の館 左は男だけが入ることを許される会議室
マラムクーレン2首狩りの勇士の証明である館前面の装飾


マラムクーレン3この巨石の用途はいまだ謎だそうです
マラムクーレン4同じアジア、私たちに似てるかな




ミャンマーのチン族の村にも、巨石を谷底から山の上にある村まで村の男みんなで引き上げて、「男を上げる」儀式がありますが、ここにも同じような伝統があると聞きました。

マラムクーレン村には王の館があり、その形が独特で面白い。写真のように切妻造なのですが屋根が地面につくほどに長く、切り妻の正面には日本の神社の屋根にある「千木」のようなものが付けられています。そしてその前面には首狩り族の戦士の姿が彫刻されているのです。そしてその数が首狩りの戦士としての力を現しているのだそうです。その王の館の中で行われる会議には男しか参加できないしきたりがあるそうです。

ほかにも、元予言者を祀った石、触れてはいけない石、王のみが知る雨乞いの儀式などミステリアスが満載の地域です。

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マラムレシュ1
ルーマニア最奥部のマラムレシュ地方にはのどかな田園風景地帯が広がる。特に秋には野山の木々が紅葉し、まるで絵画の様な美しい風景があちこちで見られる

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