小川 康のヒマラヤの宝探し

第153回●ケミカル ~大自然の精霊~


黒板でできた教室

7月、越後妻有の農舞台(のうぶたい)のなかにある会場に足を踏み入れたとき、僕の脳裏にヘンゼルとグレーテルの「お菓子の家」が浮かんだ。なぜなら、この教室は四方八方の壁、床だけでなく、机、椅子、に至るすべてが菓子ならぬ黒板の材質でできていて、落書き大歓迎という不思議な空間なのだ。つまり「黒板がある教室」ではなく「黒板でできた教室」なのである。

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第152回●カルトゥク ~まっすぐに向きあう~


講話中に法王を真っ直ぐ見つめる聴衆
(写真提供:中原一博)

「チベット人を励ますために、日本人でコンサートをやろうよ!」。2008年4月、チベット動乱で揺れるダラムサラで(第33話)、日本人のAさんが声を上げた。

30代女性のAさんはチベット仏教を学ぶためにダラムサラに長期滞在し、チベット語を勉強していた。はじめて出会ったとき、尼僧のように頭を丸めていたので、ちょっと面喰ったのを覚えている。Aさんは企画を立ちあげると、すぐさまチベット人の主要団体と話をつけ、正式にコンサートの日時を決定した。そして、在住の日本人や旅行者に次々と声をかけて参加をつのったのである。とはいえ、正直に告白すると、話が大きくなるにつれて僕は不安で仕方が無かった。なぜなら、コンサートといっても、みんなほとんど素人なのである。しかし、そんな僕の心配をよそに、どんどん参加者は増え続け、歌の練習は次第に盛り上がりを見せていった。「上を向いて歩こう」をチベット語と日本語と英語の三か国語で順に歌うことになった。結集したメンバーは歌唱隊が30人に楽器隊が8人。そしてカメラ係の僕で合計39名(注)。思えば、ダラムサラに住んで9年、こんなにも多くの日本人が団結したことは過去に1度としてなかった。
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第151回●ペリン ~木版印刷~


ペリンを読経するツェチュの様子

先日、ダラムサラで仏教論書の『入菩薩行論』を求めたところ、店主から「いま本型は売り切れて、ペリンしかないけどいいかい」と言われ、思いもかけずペリンを購入することになった。ペリンとは、ペチャ(教本)リンポ(長い)の略(注1)。細長い長方形の木版で紙に印刷され、各ページは天地が逆になるように両面印刷になっている。それを一枚一枚、上方に裏返しながら読み進めていく。ただし、背が閉じられておらず、風が吹くとバラバラになってしまうために、取り扱いには注意を要する。 (more…)

第150回●マタタビ ~医療の第一歩~


マタタビ

6月、レンタカーで軽井沢近くの碓氷峠を通過するとき、妻が沿道に群生する植物に興味を示した。
「ねえ、ねえ、あの葉っぱ、なんか変だよ。数枚だけ白くペンキに塗られたみたいに変色している」
高速道路を運転中ではあるが、幸いにして、それだけのヒントがあれば振り向く手間を省いて答えることができる。
「きっと、マタタビだね。一説によると、数枚の葉っぱを白く変色させて、受粉のために虫を呼び寄せているらしいよ」
「へえー。じゃ、あのかわいいピンクの花は?」
今度は前方に注意しつつ、少しだけ沿道に視線をやった。
「あれは、ネムノキ。6、7月の短い期間しか花を咲かせないんだ」
最近、こうして助手席の妻が沿道の草木に興味を示しては、運転手の僕を困らせるようになっている。おかげで、東京から信州への移動中も「高速道路自然観察会」を開催できそうである。
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第149回●ジュレー ~アムチの心構え~


スタクモ村

8月に催行されたラダック伝統医学ツアーの初日、レ―郊外のスタクモ村を訪れた。幹線道路から5kmほど走り、時代の流れが止まったままのような村に着くと、僕たちツアー一行はのんびりと散策することにした。畑仕事をしている村民たちが手を休めて「ジュレ―(こんにちは)と声をかけてくれる。そうやって2時間後に戻ってきたとき、ジープのそばに村民が待っていることに気がついた。「アムチが来ていると聞いて駆け付けました。膝が痛いので診てくれませんか」。アムチ、つまり僕のことのようだ。なんでも、スタクモ村からアムチがいなくなって随分と経つという。病院があるレ―の街までははるか遠い。

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第148回●ツェンニー ~問答~


問答をする僧侶 ツェンニーの中庭にて

平日の午後2時から4時ころにかけて、ダラムサラのメインテンプルの広場では、ツェンニーの僧侶たちが賑やかに問答を繰りひろげ、彼らを外国人観光客が物珍しそうに見物している。ツェンニー(仏教論理)ダツァン(僧院)は、ダライラマ法王の強いご希望により、ニンマ、サキャ、ゲルク、カギュといった宗派にこだわらない超宗派の大学として設立された(注1)。チベット語の基礎学問の段階を経て正式に入学すると、基礎論理学、論理学、般若学、中論、アビダルマ、など顕教の学びに10年間を費やすことになる。

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第147回●ドジェデン ~ブッダガヤ巡礼~


右遶する巡礼者 左端は筆者

「牛に引かれて善光寺参り(注1)」のごとく、2011年12月、妻の希望でインドの仏跡巡りに出かけることになった。僕は信仰心がないわけではなかったのだが(第125話)、「眼に見える形が大事なのではなく、心が大切なのだ」という言い訳じみた屁理屈をチベット社会で押し通し続けた結果、いままで聖地巡礼に出かけることはなかった。ちなみにメンツィカン同級生の多くは冬休みになると家族と一緒にツォ・ペマ(密教の開祖パドマサンババが瞑想を行われた場所)や、お釈迦様が悟りを開いたブッダガヤなどの聖地へ巡礼に出かける。そして、普段、寮生活や僧院生活、または行商などで離ればなれになっている家族が巡礼を機に一堂に会し、絆を深めあうのである。

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第146回●キャン・チャク ~五体投地~


ラサ・ジョカン寺の前での五体投地の風景

メンツィカンを卒業し、久しぶりにダラムサラを訪れたときのこと。チベット仏教を学ぶ日本人のS君が「これからお寺で五体投地をしますけれど、小川さんも一緒にどうですか」と誘ってくれた。恥ずかしながら、メンツィカンの儀礼として数回やることがあっただけで、僕はいまだかつて本格的に五体投地をやったことはない。同級生たちが毎日、メンツィカンのお堂で五体投地をするのを尻目に、天邪鬼な性格の僕はあえて無関心を装っていたのである(第50話)。なによりも「チベット人らしく振る舞う」という行為に妙なまでの恥ずかしさを感じていたのだが、今こうして振り返るとただの自意識過剰であろう。
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第145回●インジ ~言語のルツボ~


tibet_ogawa145ビクトルの診察風景

ダウンタウン松本人志のコントに「12か国語を話す男」がある。12か国、それぞれの母国語で次々と話しかけてくる彼らに、アドリブで返答(もちろん適当に)していくというもの。2009年、メンツィカンで研修しているとき、よく、このコントを思い出していたものだった。何しろ当時、職員10名の小さな病院にもかかわらず、実に10言語が使用可能だったからだ。
病院の職員全員がチベット語とヒンディー語、英語(チベット語でインジ)が話せるのは当然として、ソナム先生はネパール語が母国語のように話せた。 (more…)

第144回●ケチュ ~洗濯物が乾く街~


桜の咲く小諸の街

昨年、小諸に住んでいたとき、東京からライターさんが取材に訪れ、小諸の魅力はなんですかと問うた。おそらく「自然が豊かで、夏が涼しくて、人が優しくて、温泉があって」というキャッチーな答えを期待していたのだろう。だからこそ根っからの天邪鬼な性格の僕はあえて「信州・長野だったらどこでも自然も人も温泉も素晴らしいから、小諸だけの特徴にはなりませんよ」と答えて困らせてみた。そして「小諸の魅力は東京から高速バスが1日10本以上走っていて3時間で着くことと、日照時間が他の街よりも確実に長いことと、なによりも洗濯物が乾くのが驚くほど早いことです」と外から移り住み、実際に生活しているからこその喜びを話してあげたが、若いライターさんにはいまひとつピンとこなかったようだ。 (more…)