小川 康のヒマラヤの宝探し

第157回●チゲル ~真の外国人アムチ~


研修医時代の筆者(右奥)

よく、日本人から「小川さんはどうしてメンツィカンの病院に残って働かなかったのですか」と質問されるのでこの場を借りて釈明したい。

振り返ってみれば、僕のメンツィカンへの入学は決してウェルカムではなかった。なぜなら日本人のオガワには国があり生活には困っていない。それに対し、当時のチベット難民社会にはアムチになりたいというよりも、なんでもいいから学問の場が欲しいという学生で溢れかえっていた。つまり、外国人(チベット語でチゲル)よりも1人でも多くのチベット難民に学問の場を提供することが至上命題だったのである。実際、2001年の入試のとき25の席に500人もの申し込みがあった(注1)。そんななか「まあ、受けてみなさい」という、不合格が前提のもとで僕の受験は受理されたのである(第15話)。そして運よく合格できたけれど、見方によっては外国人が押しかけて、若きチベット学生の枠を1つ奪ったといえる。 (more…)

第156回●ツォ・シェ ~母語の大切さ~


ヴムバジャさんとの異文化クロス対談
神奈川県大和市国際交流センターにて

谷川俊太郎の詩『生きる』をチベット語に翻訳してほしい、と早稲田大学から依頼された。なんでも、小学校向けの多文化言語教材として世界の25言語に翻訳し、それをその国の言葉で朗読したものを録音して子どもたちにいろんな国の言語の響きを体験してもらおうというプロジェクトである。世界の25言語のなかに英語や中国語、フランス語があるのは当然として、モンゴル語や、チベット語など母語話者が世界的に少数の言語も入っている。おそらくたまたま僕が在籍していたことも手伝ってチベット語が選ばれたようだ。そのときはあまり深く考えず、むしろ、子どもたちがチベット語の存在を知ってもらえるいい機会になるなと喜んで引き受けた。
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第155回●キ ~来世はアムチ~


図書館の前で幸せそうに眠る犬

いつも犬(チベット語でキ)が数匹、一緒に聴講していた。飼い犬というわけではなく、なんとなくメンツィカンに住みつき、授業となると必ず顔を出す。読経の時もお堂のどこかに居場所を見つけて寝ころんでいる。チュペル先生にいたっては、飼い犬のノルプを教室にまで連れて授業をしていたものだった。総じてチベット人は犬が大好きなので、犬にとっての生活環境は整っている。難民という不安定な立場ゆえに、犬を含めた動物たちに自然と優しくなれるのかもしれない。ちなみにダラムサラの犬の多くはチベット特有のマフチフス犬ではなく雑種である。また、チベット人にとっては欧米や日本のペットショップの存在は信じ難い。犬を同胞と思うからこそ、売り買いは人身売買と同じように映るからだ。

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第154回●トゥ ~逃げ足の速いアムチ~


診察中の僕とデキ先生 2008年10月

ケリー(仮名)がやってきた。メンツィカン診察室の窓の下にタクシーが止まり、大柄な彼女が降りてくるのを見つけると研修医の僕は体を身構えた。いまデキ先生は不在で僕1人しかいない。
ケリーはオーストラリア人女性。たぶん70歳くらいだと思う。ダラムサラに長期滞在し仏教を学びつつ心と体の静養をしている……のだろう。詳しいことはよく覚えていない。ケリーは僕の指導医のデキ先生を信頼していて、1ヶ月ごとに心の悩みの相談に訪れる。先生はときにはあえて彼女を怒らせることもあり、ケリーが声を荒げても先生はまったく動じる様子はないが、そばにいる研修医の僕はかなりビビっていたものだった。
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第153回●ケミカル ~大自然の精霊~


黒板でできた教室

7月、越後妻有の農舞台(のうぶたい)のなかにある会場に足を踏み入れたとき、僕の脳裏にヘンゼルとグレーテルの「お菓子の家」が浮かんだ。なぜなら、この教室は四方八方の壁、床だけでなく、机、椅子、に至るすべてが菓子ならぬ黒板の材質でできていて、落書き大歓迎という不思議な空間なのだ。つまり「黒板がある教室」ではなく「黒板でできた教室」なのである。

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第152回●カルトゥク ~まっすぐに向きあう~


講話中に法王を真っ直ぐ見つめる聴衆
(写真提供:中原一博)

「チベット人を励ますために、日本人でコンサートをやろうよ!」。2008年4月、チベット動乱で揺れるダラムサラで(第33話)、日本人のAさんが声を上げた。

30代女性のAさんはチベット仏教を学ぶためにダラムサラに長期滞在し、チベット語を勉強していた。はじめて出会ったとき、尼僧のように頭を丸めていたので、ちょっと面喰ったのを覚えている。Aさんは企画を立ちあげると、すぐさまチベット人の主要団体と話をつけ、正式にコンサートの日時を決定した。そして、在住の日本人や旅行者に次々と声をかけて参加をつのったのである。とはいえ、正直に告白すると、話が大きくなるにつれて僕は不安で仕方が無かった。なぜなら、コンサートといっても、みんなほとんど素人なのである。しかし、そんな僕の心配をよそに、どんどん参加者は増え続け、歌の練習は次第に盛り上がりを見せていった。「上を向いて歩こう」をチベット語と日本語と英語の三か国語で順に歌うことになった。結集したメンバーは歌唱隊が30人に楽器隊が8人。そしてカメラ係の僕で合計39名(注)。思えば、ダラムサラに住んで9年、こんなにも多くの日本人が団結したことは過去に1度としてなかった。
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第151回●ペリン ~木版印刷~


ペリンを読経するツェチュの様子

先日、ダラムサラで仏教論書の『入菩薩行論』を求めたところ、店主から「いま本型は売り切れて、ペリンしかないけどいいかい」と言われ、思いもかけずペリンを購入することになった。ペリンとは、ペチャ(教本)リンポ(長い)の略(注1)。細長い長方形の木版で紙に印刷され、各ページは天地が逆になるように両面印刷になっている。それを一枚一枚、上方に裏返しながら読み進めていく。ただし、背が閉じられておらず、風が吹くとバラバラになってしまうために、取り扱いには注意を要する。 (more…)

第150回●マタタビ ~医療の第一歩~


マタタビ

6月、レンタカーで軽井沢近くの碓氷峠を通過するとき、妻が沿道に群生する植物に興味を示した。
「ねえ、ねえ、あの葉っぱ、なんか変だよ。数枚だけ白くペンキに塗られたみたいに変色している」
高速道路を運転中ではあるが、幸いにして、それだけのヒントがあれば振り向く手間を省いて答えることができる。
「きっと、マタタビだね。一説によると、数枚の葉っぱを白く変色させて、受粉のために虫を呼び寄せているらしいよ」
「へえー。じゃ、あのかわいいピンクの花は?」
今度は前方に注意しつつ、少しだけ沿道に視線をやった。
「あれは、ネムノキ。6、7月の短い期間しか花を咲かせないんだ」
最近、こうして助手席の妻が沿道の草木に興味を示しては、運転手の僕を困らせるようになっている。おかげで、東京から信州への移動中も「高速道路自然観察会」を開催できそうである。
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第149回●ジュレー ~アムチの心構え~


スタクモ村

8月に催行されたラダック伝統医学ツアーの初日、レ―郊外のスタクモ村を訪れた。幹線道路から5kmほど走り、時代の流れが止まったままのような村に着くと、僕たちツアー一行はのんびりと散策することにした。畑仕事をしている村民たちが手を休めて「ジュレ―(こんにちは)と声をかけてくれる。そうやって2時間後に戻ってきたとき、ジープのそばに村民が待っていることに気がついた。「アムチが来ていると聞いて駆け付けました。膝が痛いので診てくれませんか」。アムチ、つまり僕のことのようだ。なんでも、スタクモ村からアムチがいなくなって随分と経つという。病院があるレ―の街までははるか遠い。

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第148回●ツェンニー ~問答~


問答をする僧侶 ツェンニーの中庭にて

平日の午後2時から4時ころにかけて、ダラムサラのメインテンプルの広場では、ツェンニーの僧侶たちが賑やかに問答を繰りひろげ、彼らを外国人観光客が物珍しそうに見物している。ツェンニー(仏教論理)ダツァン(僧院)は、ダライラマ法王の強いご希望により、ニンマ、サキャ、ゲルク、カギュといった宗派にこだわらない超宗派の大学として設立された(注1)。チベット語の基礎学問の段階を経て正式に入学すると、基礎論理学、論理学、般若学、中論、アビダルマ、など顕教の学びに10年間を費やすことになる。

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