小川 康のヒマラヤの宝探し

第148回●ツェンニー ~問答~


問答をする僧侶 ツェンニーの中庭にて

平日の午後2時から4時ころにかけて、ダラムサラのメインテンプルの広場では、ツェンニーの僧侶たちが賑やかに問答を繰りひろげ、彼らを外国人観光客が物珍しそうに見物している。ツェンニー(仏教論理)ダツァン(僧院)は、ダライラマ法王の強いご希望により、ニンマ、サキャ、ゲルク、カギュといった宗派にこだわらない超宗派の大学として設立された(注1)。チベット語の基礎学問の段階を経て正式に入学すると、基礎論理学、論理学、般若学、中論、アビダルマ、など顕教の学びに10年間を費やすことになる。

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第147回●ドジェデン ~ブッダガヤ巡礼~


右遶する巡礼者 左端は筆者

「牛に引かれて善光寺参り(注1)」のごとく、2011年12月、妻の希望でインドの仏跡巡りに出かけることになった。僕は信仰心がないわけではなかったのだが(第125話)、「眼に見える形が大事なのではなく、心が大切なのだ」という言い訳じみた屁理屈をチベット社会で押し通し続けた結果、いままで聖地巡礼に出かけることはなかった。ちなみにメンツィカン同級生の多くは冬休みになると家族と一緒にツォ・ペマ(密教の開祖パドマサンババが瞑想を行われた場所)や、お釈迦様が悟りを開いたブッダガヤなどの聖地へ巡礼に出かける。そして、普段、寮生活や僧院生活、または行商などで離ればなれになっている家族が巡礼を機に一堂に会し、絆を深めあうのである。

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第146回●キャン・チャク ~五体投地~


ラサ・ジョカン寺の前での五体投地の風景

メンツィカンを卒業し、久しぶりにダラムサラを訪れたときのこと。チベット仏教を学ぶ日本人のS君が「これからお寺で五体投地をしますけれど、小川さんも一緒にどうですか」と誘ってくれた。恥ずかしながら、メンツィカンの儀礼として数回やることがあっただけで、僕はいまだかつて本格的に五体投地をやったことはない。同級生たちが毎日、メンツィカンのお堂で五体投地をするのを尻目に、天邪鬼な性格の僕はあえて無関心を装っていたのである(第50話)。なによりも「チベット人らしく振る舞う」という行為に妙なまでの恥ずかしさを感じていたのだが、今こうして振り返るとただの自意識過剰であろう。
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第145回●インジ ~言語のルツボ~


tibet_ogawa145ビクトルの診察風景

ダウンタウン松本人志のコントに「12か国語を話す男」がある。12か国、それぞれの母国語で次々と話しかけてくる彼らに、アドリブで返答(もちろん適当に)していくというもの。2009年、メンツィカンで研修しているとき、よく、このコントを思い出していたものだった。何しろ当時、職員10名の小さな病院にもかかわらず、実に10言語が使用可能だったからだ。
病院の職員全員がチベット語とヒンディー語、英語(チベット語でインジ)が話せるのは当然として、ソナム先生はネパール語が母国語のように話せた。 (more…)

第144回●ケチュ ~洗濯物が乾く街~


桜の咲く小諸の街

昨年、小諸に住んでいたとき、東京からライターさんが取材に訪れ、小諸の魅力はなんですかと問うた。おそらく「自然が豊かで、夏が涼しくて、人が優しくて、温泉があって」というキャッチーな答えを期待していたのだろう。だからこそ根っからの天邪鬼な性格の僕はあえて「信州・長野だったらどこでも自然も人も温泉も素晴らしいから、小諸だけの特徴にはなりませんよ」と答えて困らせてみた。そして「小諸の魅力は東京から高速バスが1日10本以上走っていて3時間で着くことと、日照時間が他の街よりも確実に長いことと、なによりも洗濯物が乾くのが驚くほど早いことです」と外から移り住み、実際に生活しているからこその喜びを話してあげたが、若いライターさんにはいまひとつピンとこなかったようだ。 (more…)

第143回●ターラ ~読経の力~


メンツィカンの読経風景 2002年


     速疾にして勇猛なるターラ菩薩よ
     慧眼は一刹那の稲妻のごとくなり
     三界の守護尊は蓮華の御顔の
     花弁が開きし中より生じたり。

                    (ターラ経の冒頭)



ようやくターラ経を猛スピードで暗誦・読経できるようになった。なぜ、猛スピードでなくてはいけないのか。それはメンツィカン在学中にやり残した宿題に理由がある。メンツィカンでは毎朝毎夕30分の読経が行われ、三宝帰依、四無量心、般若心経、功徳の基盤、などを次々と暗誦で唱えていく(第79話)。さすが医学生である。この集団の1人である誇りを胸に、僕もこのあたりまでは問題なく一緒に読経ができていた。しかし、二十一ターラ菩薩礼賛経(以下、ターラ経)になると全員のギアは一斉にトップに入り雰囲気は一変する。あきれるほどに速い!そのために僕は読経を放棄せざるをえず、ターラ経だけは最後まで暗誦ができなかったのだ。 (more…)

第142回●ツィクズー ~チベット語大辞典~


チベット語大辞典 上下巻二冊

日本語大辞典を編纂する過程を描いた映画『舟を編む』を鑑賞しながら、僕はずっとチベットの大辞典『ツィク(単語)・ズ―(庫)・チェンモ(大きい)=大辞典』に思いを馳せていた。

大辞典編纂の起源は1928年にまで遡る。そして50年後の1978年に本格的な編集委員会が組織され1979年に初版が発刊される。そこから改訂を重ね、現在は実に5万3千語を収録する大辞典にまで発展した。人物名で検索すると簡単な伝記が紹介され、辞典の巻末には絵入りでチベット文化の紹介もされている。さらに日常用語やことわざ、仏教用語はもちろん、医学用語が意外なまでに豊富なのは本当に助かる。なんでもアムチが編纂に関わっていたという。したがって大辞典さえあれば、仏典や四部医典をかなり解読することができるのだ。

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第141回●ボラ ~20年目の理科~


エネルギーについて授業する筆者
1993年2月

1年間、「ボラ」とだけ呼ばれ続け、自分の本名を忘れかけたことがある。あれは1992年、北海道留寿都農業高校で理科の講師と舎監を務めたときのことだ(第26話)。当初、雄大な羊蹄山の麓で、「金八先生」のように格好よく授業する光景を夢描いていた。しかし、考えてみれば、僕は教育実習などやったことはなく、ぶっつけ本番で理科の授業に臨むことになる。さらに、考えてみれば農業高校だけに、もともとじっと座って勉強することが苦手な生徒たちが集まるところである(注1)。事実、1日の半分は農業実習に割り当てられていた。そんな教師と生徒たちの組み合わせで授業が成立するはずはなく、無法地帯と化したのは必然の結果だった。いまでも教室の様子をありありと思い出すことができる。窓際ではSがギターを弾き語り、入り口付近ではYたちがサイコロを振りながら「何がでるかな、何がでるかな、恋バナ!」と盛り上がっている。当初、なんども授業を放棄して職員トイレに逃げ込んだ。悔しくて、悔しくて声を押し殺して号泣した。何度ももう帰ろうと思った。 (more…)

第140回●マクミ ~イシェー・ドンデン先生~


毎朝夕の読経風景

メンツィカンの1日は朝7時、全校生徒が講堂に集まって薬師如来に帰依し、お経を唱えることからはじまる。しかし、僕が入学した当初、講堂に肝心の仏像はなく、今、振り返ってみると何とも殺風景だったものだ。そんな2003年の春、ダライラマ法王元侍医イェシェー・ドンデン先生の御寄附により立派な薬師如来像が正面に安置され、それからは荘厳な雰囲気のなかで読経に一層、熱が入るようになった。

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第139回●ハービス ~文明への憧れ~


ハービスプラザの地下道にある滝

大阪・ハービスプラザの地下道が大好きだ。通路に沿って滝が流れ、まるで年中クリスマスのように彩られている。というと少し大袈裟だが、いま振り返るとそんなイメージがよみがえってしまうから不思議なものだ。メンツィカン在学中、ダラムサラから一時帰国した際、風の大阪支店へ向かうこの瞬間が、快適な日本の素晴らしさを味わえるなによりもの一時だった。つい数日前まで暮らしていたカビ臭いメンツィカン男性寮(第26話)や、数時間前まで滞在していたデリーの混沌とのギャップがあまりにも大きすぎて、ディズニーランドの中に迷い込んでしまったかのような感覚さえ覚えてしまう。「おい、みんな。日本の技術は地下にまで滝を作ってしまうんだぞ。凄いだろ!」と同級生たちに大声で自慢したかった。さらに、東京へ出ると、今度は、高層ビルや東京タワーの人工美に心を奪われた。ここは小さいころに読んだドラえもんに出てくる未来都市なのか? こんなにも美しい場所があったとは、いまのいままで気がつかなかった。まるでチベット人のように日本の文明社会に驚いてしまう。チベット社会で暮らしているうちに、すっかり感覚が彼らと似通ってきてしまったようだ。 (more…)