小川 康のヒマラヤの宝探し

第166回 ツィク・ギャ ~チベットの歌垣~


学園祭で歌う筆者(左端)2003年

メンツィカン学園祭の出し物でツィク・ギャをやることになり、僕はメンバーに立候補した。ツィク(言葉)ギャ(掛ける)=言葉を掛ける、すなわち日本でいう歌垣にあたる。といってもピンと来る日本人は少ないだろう。つまりは男女の歌の交換であり、小さい頃に遊んだ「はないちもんめ」のようなものというとピンときてくれるだろうか。和歌を交わすことで男女の想いを伝えあった平安時代の歴史を思い出してほしい。
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第165回 テムデル ~夫婦道祖神~


修那羅(注1)の峠を越えて向う側の村々が見えたとき、啓示をうけたがごとく不思議と心が軽くなった(第158話)。そうしてしばらく放心したまま峠の向こう側の村々を眺める。あの村々がまるで別世界のように見えたのはなぜだろう。そのとき放たれた僕の心は思いもかけず、別世界の住人にしっかりと届いていたようだ。1ヶ月後、峠の向う側、第158話を読んだ筑北村の職員から「ぜひ、修那羅で薬草のイベントをやりましょう」とメールが届いたのだから。 (more…)

第164回 チャンチュブシン ~治療のお礼~


お礼にいただいたブッダガヤの土と菩提樹の葉

メンツィカン研修医の僕のところに、失礼ながら見るからに生活が苦しそうな患者が訪れた。やつれた服装をしている。僕は彼に「薬代はいりませんからね。お大事にしてください」と告げると「ニャムタク(貧しい)」と処方箋の右上にサインして渡した。すると彼は白い包み紙をおずおずと僕に差し出した。中を開けると白っぽい土と一枚の葉っぱが入っている。「お金を払えなくて申し訳ない。診察のお礼にこれを受け取ってください。聖地ブッダガヤ(第147話)の土と大塔のそばの菩提樹(チャンチュブシン)の葉です」と何度もお辞儀をしながら説明してくれた。チベット人ほどに信仰心が強くない僕とはいえ、チベットならではの恩返しに感銘を受けたものだった。 (more…)

第163回 ネソカン ~入院病棟にて~


ソナム先生と筆者

メンツィカンの病院から歩いて10分、急な階段を下った閑静な森のなかに入院病棟ネ(病)ソ(治す)カン(院)はたたずんでいる(注1)。80mほど病院との高低差があることから、年配のアムチたちは回診を敬遠しがちではあるが、僕は気分転換がてら(といっては患者に失礼だけど)指導医の回診に同行するのが好きだった。そんなある日、ソナム先生から直々に声がかかった。

「オガワ、入院病棟へ回診に行くから付いてきなさい。末期の肝臓癌患者が入院したらしいの。でも、もう、余命は数日かもしれないわね」 (more…)

伝統医学のそよ風 〜ラダック・ティンモスガン村より〜


文●小川 康

毎年8月に開催されるメンツィカンの薬草実習
毎年8月に開催されるメンツィカンの薬草実習


伝統医アムチ

「自ら山に入って薬草を採取し、製薬し、心を込めて患者に処方できる薬剤師になりたい」。そう思って1999年1月、チベット医学を学ぶべくインド・ダラムサラに渡った。3年に及ぶ受験勉強を経てメンツィカン(チベット医学暦法大学)に合格。入学後は、険しいヒマラヤ山中で薬草を採取し、8世紀に編纂された医学教典『四部医典』(*1)を暗誦し、僧院のごとき寮で厳しい生活を6年間に渡って送り続けた。遺伝子治療など最先端の医学が進歩する一方で、何千年と変わらない営みを続ける医学が同時に地球上に存在していることの神秘。60億分のチベット医2000人(*2)が、「もっともっと」と際限なき完璧さを求めて背伸びする現代医療社会を支えているのではないだろうか。僕はそんな眼に見えないバランスを信じている。 (more…)

第162回 シ ~死~


リンチェン先生の家族と。2000年撮影。

 その日、家庭教師リンチェン先生(第85話)の様子があきらかに違っていた。「どうかしましたか」という僕の無粋な問いに答えは返ってこない。いつもの笑顔はなく手に数珠を持ちずっと真言を唱え続けている。そうして5分後に真言を唱え終えると「すまない。父が亡くなったとラサから連絡が入ったんだ。さあ、授業をはじめよう」と教えてくれた。それは2000年の冬、メンツィカン受験勉強中のときのこと。そうしていつもと同じ調子で授業がはじまったが、むしろ僕の方が心ここにあらずだったのを覚えている。 (more…)

第161回 チャイ・セタク  ~ドラッグストアにて~


ドラッグストア(イメージ)

退学を前提に、2004年6月、とりあえず休学という形でメンツィカンを飛びだして日本に帰国したものの、さて、これからどうしたものかと悩み続けていた(第60話)。医学部への学士編入、鍼灸学校への入学、漢方系の薬局への就職。しかし、どれもこれもしっくりとこない。

 そんな暗中模索のなか、京都に途中下車して知人と散歩をしていると古い貸間の広告が眼に止まった。外国暮らしのせいか日本的な風情に感動しやすくなっていたこともあり即座に決めてしまった。 (more…)

第160回 ケーニー ~ゴミ拾いで悟る~


アルラの異物除去

 土曜日がやってくるたびにチベット医学生は気だるい雰囲気に襲われていた。なぜなら、メンツィカン製薬工場での労働奉仕の日だからである。仕事のほとんどは薬草の異物除去作業、もしくは高貴薬の包装作業など、製薬過程のなかでもっとも単純な作業が割り当てられる。こう否定的に記すとチベット医学生へのイメージが低下するかもしれないが、それでも、僕を含めてみんな使命感を抱き、5年間サボることなく仕事をまっとうしたことをまずは評価していただきたい。 (more…)

第159回 ロセル・リン ~台湾人のともだち~



ダラムサラの風景

つい先日、懐かしい友人からメールが届いた。「はーい、カンチ(注 僕のこと)。いま、旅行で京都に来ているの。あなたに会いにいきたいけどお金も時間もなさそうね。東京行の切符を送ってくれたら会いにいってあげるけど(笑)」。差出人は台湾人のドルマとヤンチェン。いまは台湾のチベット仏教組織で働いているという。少し皺が増えた(失礼)添付写真の顔を眺めながら、僕が最初にダラムサラに渡った年のことを思い出していた。
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第158回 ラ ~森のくすり塾~


別所温泉から上田市街を望む

 人生初のギックリ腰をやってしまった。3月、東京から上田・別所温泉への引っ越し作業中、重い荷物を運び終え、最後の最後、軽い段ボールを持ち上げた瞬間のことだった。油断大敵とはこのこと。ヒマラヤを駆け巡ったアムチたるもの体力には自信があっただけに、かなりのショックである。わずか一年とはいえ東京での生活ですっかり体がなまってしまったようだ。コルセットを巻いてトラックを運転し、現地では知人たちに荷卸しを手伝ってもらいなんとか終えることができものの歩くのもやっと。ゆっくりとしか歩けない自分に妻は「これでやっと私もゆっくり歩くことができる」と意外と楽しそうだ。そういえば普段は意識が先に走り、次に手足がつんのめり、最後に腰がつられて追いかけていくような動きだったことに気がつかされた。こんな不自然な動きでは腰に負担がかかるはずだ。 (more…)