小川 康のヒマラヤの宝探し

第137回●ゾ ~ラダック遭難事件~


吹雪の中を進むタシとゾ

北海道の大牧場でアルバイトをしたのは22歳の夏(注1)。生まれてはじめてツナギの作業着に身を包むと気分はすっかり『北の国から』だ。朝4時に起床し搾乳の手伝いがはじまる。僕の仕事は搾乳を終えた牛を順に牛舎の外に追いたてること。しかし、なかなか進まなかったり、通路で糞をされたり、ときに蹴られたり踏まれたりと新米アルバイトは牛になめられっぱなし。それでも牛の尻を叩き、尻尾を捻り上げ、「オラー、ハイー!」と気合を入れながら150頭の牛と格闘していたものだった。搾乳を終えると、今度は牛舎の掃除や牧草刈りや牛糞運搬などの作業。そして夕方には搾乳のために乳牛を牛舎に導く仕事が待っている。地平線が見えそうな大草原に向かって「ベーベーベーベー」と大きな声で叫ぶと150頭の乳牛が集まり、僕を先頭に牛舎に向かって歩き出す。最高に気持ちいい。そうして1日の仕事を終えると充実感に浸るまもなく、バタンキューと眠りに落ちる毎日だった。
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第136回●サンポ・ドゥク ~薬師如来の潅頂~


サンポ・ドゥク

昨年、ダラムサラを訪れた際、製薬工場で指揮を執っている親友のジグメに「サンポ・ドゥクを一握りずつ売ってくれないか」と頼みごとをした。
僕の突然の申し出にジグメは「薬師如来にお供えするのか」と答えると、すぐさま6つの生薬を集めてきてくれた。「お金はいらないよ。それにしても、オガワ、お前もようやくサンポ・ドゥクを仏前に供える気持ちになったのか」と嬉しそうに語るジグメ。僕は少し照れくさい表情を浮かべながら、6つの生薬が入った袋を受け取った。サンポ(優良)・ドゥク(六果)、それは医薬の都タナトゥクの西側のマラヤ山(第66話)に生えるナツメグ、サフラン、竹瀝、クローブ、カルダモン、ブラックカルダモン、の6つの生薬を指している。その6つの種がマラヤ山からインドに零れ落ちて繁殖した。そして、インドからヒマラヤを越えてチベットに運ばれてくる貴重な生薬だったことから「優良」という冠詞が付けられ、薬の原材料としてはもちろん、薬師如来への供物として珍重されてきた。仕事中のジグメは製薬工場の事務室の椅子に座りなおすと、「まあ、座れよ」と僕にも椅子を勧めて話を続けた。
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第135回●ナムタル ~名もなきチベット人の詩~


自伝を手にするシャンバ

シャンバおじさん(第13話)は僕を見つけると「ちょっと、ちょっと待っていてくれ」と一大事とでも言わんばかりに呼び止めた。そして数分後、紺色の本を5冊も抱えて小走りで戻ってきた。「俺の伝記をジグメが書き上げてくれたんだ。日本に持って帰って配ってくれ。まさか、自分の人生が本になるなんて夢にも思わなかったよ」そう興奮気味に語るシャンバの顔のなんと誇らしげなことか。
出版の切っ掛けは10年前の2003年の冬、当時、メンツィカン1年生だったジグメ(第2話)とシャンバが、亡命以前、シャン寺での僧侶時代の思い出話をしていたときのこと。そのときシャンバの脳裏に突然、法王のお言葉がよみがえった。なんでも1958年、ラサ郊外にあるシャン寺を若きダライラマ14世(当時23歳)が訪問されたとき「もうすぐ中国軍がやってくる。いまのうちにお寺にある食料をすべて食べてしまいなさい」と法王が語られたというのだ。「シャンバ、なんでそんな大切な話をいままで黙っていたんだよ」ジグメはそう驚くと、他にも貴重な証言が得られるのではないかと意識的にインタビューを重ねていった。そして10年かけてシャンバの伝記(チベット語でナムタル)を書き上げたのである。もちろん、10年といっても学生時代は暗誦や試験に忙しくて何度も執筆を中断しているのはいたしかたない。 (more…)

第134回●ツォン ~22年の回り道~


つい先日、都内への大学院進学にともない(第129話)小諸で引っ越し作業をしていたとき、茶色く変色した22年前の切り抜きが出てきた。

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コラム・編集手帳

豊かさは生きていることのあかしを見失いがちな若者を生んでいる。競争は他者への優しさを奪ってもいる。そんな中で手ごたえある生き方をひたむきに探す若者もいる。◇日本青年奉仕協会の「ボランティア365」は、そうした青年に活動体験の場を与えるのが狙いだ。大学を休学したり、会社をやめて一年間、福祉施設やホスピスで汗を流す。十二年目の今年も五十四人が全国に散っている。◇山田恵美子さん、元FM放送アナウンサー、二十七歳はいま、山梨県の「どんぐり牧場」にいる。七人の知恵遅れの青年たちの自立の場だ。五千羽の鶏を飼い、卵を売り、ケーキを作る。野菜も自給だ。◇来たばかりの四月、玉ネギはないのかと聞いて、主の横山文彦さんにどやされた。「畑を見ておいで。あるもので献立を考えるんだ」。 (more…)

第133回●ミリク ~海千山千~


インド人とチベット人が衝突した
バススタンド広場

ルームメイトのダツェが興奮しながら部屋に飛び込んできた。「いま、バススタンドでインド人タクシードライバーとチベット人の大乱闘があって、チベット人が1人、半殺しになったらしい。絶対に許せねえ!」。あれは2007年4月、僕がメンツィカン5年生のときのこと。そして、翌日からチベット人側がインド人商店やタクシーに対する不買運動を徹底して行う抗議行動に出た。ちなみにチベット人の就労には制限がいくつかあり、タクシードライバーはすべてインド人である(注)。当時、さまざまなデマがダラムサラ社会を錯綜し、みんなが振り回された。結局、1週間後に「チベット側に非があったようだ」と亡命政府首相サムドン・リンポチェ(第130話)がインド側に正式に謝罪し、「我々、チベット難民を50年に渡り受け入れてくれているインドへの恩義を忘れないように」と念を押すことで騒ぎは収束した。冷静に調査したところ、酔っぱらったチベット人の若者が、タクシーと接触したことに怒って運転手の頭を殴ったことが切っ掛けだと判明したのである。原因の所在はさておき、こうした個人的な喧嘩が切っ掛けで民族(チベット語でミリク)の対立に発展してしまうことがある。 (more…)

第132回●デシン ~ヒマ人チャンピオン~


我らのチャンピオン
私は左から三番目

ときに他人の能力をうらやんでしまうことがあった。スポーツ、音楽、伝統芸能、職人技など、その道で大活躍している人たちは小さい頃から英才教育を受けているがゆえに熟練した能力を発揮できる。それに比べて自分はというと、薬草の学びは23歳からだし(第78話)、チベット医学だって意地悪な見方をすれば遅まきながら29歳から10年間だけ学んだに過ぎない(第59話)。だから薬草だ、チベット医学だと看板を掲げて生きていることに後ろめたさを抱くことさえあった。自分が本当に活かすべき能力はなんだろうか。生まれ育ったなかで自然と身につけた能力はなんだろうか。そんな僕の悩みを、予想だにしない形で解消してくれたのは、ほかでもない、小さい頃からの僕を誰よりも知っている幼馴染のTだった。

同学年でいちばん背が高く大人びているTと、いちばん低く童顔だった僕ら凸凹コンビは小中高校でいつも目立っていた。夏休みや冬休みは、午後になると必ずどちらからとなく電話をし、開口一番「ヒマか?」と尋ね、「遊ぼまいけ」と富山弁で答えるのが「山・川」のような合言葉。そして家が2km離れているにも関わらず、時間がありあまっている僕たちはお互いの家を歩いて訪ねあったものだった。なにしろ呆れるほどヒマだった。当時の田舎には塾や習い事なんていう風習はない。なんにもない田んぼ(チベット語でデシン)の中で、僕たちは何かしら遊ぶことを考えていった。毎日がアドリブの連続だ。そして、どんどん友達を巻きこんでは遊びの輪を大きくしていった。 (more…)

第131回●ヤマ ~チベット人の名前~


診察室にて。僧侶はヤマさんではありません。
診察室にて(僧侶はヤマさんではありません)

メンツィカンでの病院研修があと数日で終わり(第59話)、いよいよ日本へ帰国するという2009年3月のある日、40歳前後の僧侶が胃痛を訴えて診察に訪れた。すっとした顔立ちには智性が浮かび、謙虚なたたずまいには僧侶としての心持が感じられる。「では、朝の薬に月晶丸(第19話)を出しておきますね。油っぽい食事は控えてください」と僕は彼に告げ、続けて「お名前は?」と尋ねた。「ヤマ・サンポです」と僧侶は答える。ヤマ・サンポ、ヤマ、ヤマ……、チベット人には珍しい名前だ。どこかで耳にしたことがあるような気がするけれど、すぐには思いだせない。そして、あっ、と思い当たると、僕は次の患者には眼もくれず、薬剤部に向かう彼の背中を追い掛けていた。
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第130回●スィンジン ~チベットの首相~ 


サムドン・リンポチェ

メンツィカンでは毎日夕方3時、夜9時に学食でチャイが振る舞われ、お喋りに花を咲かせる。そのとき、同級生が肘で「おい」と僕の脇腹をつつくとチャイが入ったカップを脇に置いて直立した。向こうからは白いアンバサダー(車種の名前)がやってくる。食堂の前で止まり後部ドアが開いた。少し間をおいて降りてきたのは僧衣を羽織ったサムドン・リンポチェだ。チベット亡命政府の首相である。よりによって学食の隣に質素なご自宅があるため、僕たちはチャイもおちおち飲んでいられない。首相はそのままご自宅へ入られるかと思いきや、近くで遊んでいる子供を見かけると、歩みよって声をかけられた。首相の子供好きは有名だ。その光景を僕たちは直立不動のままで眺め続けなければならなかった。
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第129回●ゲゲン  ~薬育の風~ 


創立20周年記念「風の遠足」風景

2011年10月29日、風の旅行社20周年記念、「風の遠足」多摩川ウォーキング10キロコースに参加したときのこと。ヒマラヤの山々で鍛えたアムチの体力を示そうと張り切っていたが、単調な平地を黙々と歩くのは意外と疲れるものだと思い知らされた。そしてこの日、同じコースに参加された原社長(以下、風の旅行社の慣例に従い、原さんと記す)と一緒に歩く機会に恵まれた。いつも、中野の本社に顔を出しても挨拶だけで、こうしてじっくりとお話をするのは初めてだ。実は、風の旅行社とお付き合いをはじめたときから居心地のよさを感じていたのは、もしかしたら、原さんが元教師だったからではないか、と勝手に分析していた。なぜなら僕も23、24歳のとき小中高校生の教育現場にいたことがあり(第26話 78話)、さらに、僕の母、両親の祖父母4人はみんな小学校の教師(チベット語でゲゲン)だったという家系に育っているからである。小学校の教員免許を持つ僕の妻も加わり、多摩川の風に吹かれながら話題は教育で盛り上がる。 (more…)

第128回●ネンジェル ~死生観~


青蔵鉄道と平行して走る道路

チベット薬草ツアー4日目(第122話)、西寧(アムド地方の中心都市)からラサを目指す青蔵鉄道の窓には壮大な風景が映し出されていた。ひたすら続く大草原、遠くに見える雪山。ときおり遊牧民のテントとヤクの群れが見えるばかりで人の気配はあまり感じられない。鉄道に平行するように道路がまっすぐに走っているが給油所は少なく、かりにガス欠したらと思うとぞっとする。あまりにもラサは遠い。なにしろ西寧とラサで約2000kmも離れているのだ(東京・京都間で510 km)。その遠さに愕然としたとき、僕の心にふとした疑問が湧いてチベット人ガイドのペマさんに尋ねた。
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