小川 康のヒマラヤの宝探し

第163回 ネソカン ~入院病棟にて~


ソナム先生と筆者

メンツィカンの病院から歩いて10分、急な階段を下った閑静な森のなかに入院病棟ネ(病)ソ(治す)カン(院)はたたずんでいる(注1)。80mほど病院との高低差があることから、年配のアムチたちは回診を敬遠しがちではあるが、僕は気分転換がてら(といっては患者に失礼だけど)指導医の回診に同行するのが好きだった。そんなある日、ソナム先生から直々に声がかかった。

「オガワ、入院病棟へ回診に行くから付いてきなさい。末期の肝臓癌患者が入院したらしいの。でも、もう、余命は数日かもしれないわね」 (more…)

伝統医学のそよ風 〜ラダック・ティンモスガン村より〜


文●小川 康

毎年8月に開催されるメンツィカンの薬草実習
毎年8月に開催されるメンツィカンの薬草実習


伝統医アムチ

「自ら山に入って薬草を採取し、製薬し、心を込めて患者に処方できる薬剤師になりたい」。そう思って1999年1月、チベット医学を学ぶべくインド・ダラムサラに渡った。3年に及ぶ受験勉強を経てメンツィカン(チベット医学暦法大学)に合格。入学後は、険しいヒマラヤ山中で薬草を採取し、8世紀に編纂された医学教典『四部医典』(*1)を暗誦し、僧院のごとき寮で厳しい生活を6年間に渡って送り続けた。遺伝子治療など最先端の医学が進歩する一方で、何千年と変わらない営みを続ける医学が同時に地球上に存在していることの神秘。60億分のチベット医2000人(*2)が、「もっともっと」と際限なき完璧さを求めて背伸びする現代医療社会を支えているのではないだろうか。僕はそんな眼に見えないバランスを信じている。 (more…)

第162回 シ ~死~


リンチェン先生の家族と。2000年撮影。

 その日、家庭教師リンチェン先生(第85話)の様子があきらかに違っていた。「どうかしましたか」という僕の無粋な問いに答えは返ってこない。いつもの笑顔はなく手に数珠を持ちずっと真言を唱え続けている。そうして5分後に真言を唱え終えると「すまない。父が亡くなったとラサから連絡が入ったんだ。さあ、授業をはじめよう」と教えてくれた。それは2000年の冬、メンツィカン受験勉強中のときのこと。そうしていつもと同じ調子で授業がはじまったが、むしろ僕の方が心ここにあらずだったのを覚えている。 (more…)

第161回 チャイ・セタク  ~ドラッグストアにて~


ドラッグストア(イメージ)

退学を前提に、2004年6月、とりあえず休学という形でメンツィカンを飛びだして日本に帰国したものの、さて、これからどうしたものかと悩み続けていた(第60話)。医学部への学士編入、鍼灸学校への入学、漢方系の薬局への就職。しかし、どれもこれもしっくりとこない。

 そんな暗中模索のなか、京都に途中下車して知人と散歩をしていると古い貸間の広告が眼に止まった。外国暮らしのせいか日本的な風情に感動しやすくなっていたこともあり即座に決めてしまった。 (more…)

第160回 ケーニー ~ゴミ拾いで悟る~


アルラの異物除去

 土曜日がやってくるたびにチベット医学生は気だるい雰囲気に襲われていた。なぜなら、メンツィカン製薬工場での労働奉仕の日だからである。仕事のほとんどは薬草の異物除去作業、もしくは高貴薬の包装作業など、製薬過程のなかでもっとも単純な作業が割り当てられる。こう否定的に記すとチベット医学生へのイメージが低下するかもしれないが、それでも、僕を含めてみんな使命感を抱き、5年間サボることなく仕事をまっとうしたことをまずは評価していただきたい。 (more…)

第159回 ロセル・リン ~台湾人のともだち~



ダラムサラの風景

つい先日、懐かしい友人からメールが届いた。「はーい、カンチ(注 僕のこと)。いま、旅行で京都に来ているの。あなたに会いにいきたいけどお金も時間もなさそうね。東京行の切符を送ってくれたら会いにいってあげるけど(笑)」。差出人は台湾人のドルマとヤンチェン。いまは台湾のチベット仏教組織で働いているという。少し皺が増えた(失礼)添付写真の顔を眺めながら、僕が最初にダラムサラに渡った年のことを思い出していた。
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第158回 ラ ~森のくすり塾~


別所温泉から上田市街を望む

 人生初のギックリ腰をやってしまった。3月、東京から上田・別所温泉への引っ越し作業中、重い荷物を運び終え、最後の最後、軽い段ボールを持ち上げた瞬間のことだった。油断大敵とはこのこと。ヒマラヤを駆け巡ったアムチたるもの体力には自信があっただけに、かなりのショックである。わずか一年とはいえ東京での生活ですっかり体がなまってしまったようだ。コルセットを巻いてトラックを運転し、現地では知人たちに荷卸しを手伝ってもらいなんとか終えることができものの歩くのもやっと。ゆっくりとしか歩けない自分に妻は「これでやっと私もゆっくり歩くことができる」と意外と楽しそうだ。そういえば普段は意識が先に走り、次に手足がつんのめり、最後に腰がつられて追いかけていくような動きだったことに気がつかされた。こんな不自然な動きでは腰に負担がかかるはずだ。 (more…)

第157回●チゲル ~真の外国人アムチ~


研修医時代の筆者(右奥)

よく、日本人から「小川さんはどうしてメンツィカンの病院に残って働かなかったのですか」と質問されるのでこの場を借りて釈明したい。

振り返ってみれば、僕のメンツィカンへの入学は決してウェルカムではなかった。なぜなら日本人のオガワには国があり生活には困っていない。それに対し、当時のチベット難民社会にはアムチになりたいというよりも、なんでもいいから学問の場が欲しいという学生で溢れかえっていた。つまり、外国人(チベット語でチゲル)よりも1人でも多くのチベット難民に学問の場を提供することが至上命題だったのである。実際、2001年の入試のとき25の席に500人もの申し込みがあった(注1)。そんななか「まあ、受けてみなさい」という、不合格が前提のもとで僕の受験は受理されたのである(第15話)。そして運よく合格できたけれど、見方によっては外国人が押しかけて、若きチベット学生の枠を1つ奪ったといえる。 (more…)

第156回●ツォ・シェ ~母語の大切さ~


ヴムバジャさんとの異文化クロス対談
神奈川県大和市国際交流センターにて

谷川俊太郎の詩『生きる』をチベット語に翻訳してほしい、と早稲田大学から依頼された。なんでも、小学校向けの多文化言語教材として世界の25言語に翻訳し、それをその国の言葉で朗読したものを録音して子どもたちにいろんな国の言語の響きを体験してもらおうというプロジェクトである。世界の25言語のなかに英語や中国語、フランス語があるのは当然として、モンゴル語や、チベット語など母語話者が世界的に少数の言語も入っている。おそらくたまたま僕が在籍していたことも手伝ってチベット語が選ばれたようだ。そのときはあまり深く考えず、むしろ、子どもたちがチベット語の存在を知ってもらえるいい機会になるなと喜んで引き受けた。
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第155回●キ ~来世はアムチ~


図書館の前で幸せそうに眠る犬

いつも犬(チベット語でキ)が数匹、一緒に聴講していた。飼い犬というわけではなく、なんとなくメンツィカンに住みつき、授業となると必ず顔を出す。読経の時もお堂のどこかに居場所を見つけて寝ころんでいる。チュペル先生にいたっては、飼い犬のノルプを教室にまで連れて授業をしていたものだった。総じてチベット人は犬が大好きなので、犬にとっての生活環境は整っている。難民という不安定な立場ゆえに、犬を含めた動物たちに自然と優しくなれるのかもしれない。ちなみにダラムサラの犬の多くはチベット特有のマフチフス犬ではなく雑種である。また、チベット人にとっては欧米や日本のペットショップの存在は信じ難い。犬を同胞と思うからこそ、売り買いは人身売買と同じように映るからだ。

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