小川 康のヒマラヤの宝探し

第145回●インジ ~言語のルツボ~


tibet_ogawa145ビクトルの診察風景

ダウンタウン松本人志のコントに「12か国語を話す男」がある。12か国、それぞれの母国語で次々と話しかけてくる彼らに、アドリブで返答(もちろん適当に)していくというもの。2009年、メンツィカンで研修しているとき、よく、このコントを思い出していたものだった。何しろ当時、職員10名の小さな病院にもかかわらず、実に10言語が使用可能だったからだ。
病院の職員全員がチベット語とヒンディー語、英語(チベット語でインジ)が話せるのは当然として、ソナム先生はネパール語が母国語のように話せた。 (more…)

第144回●ケチュ ~洗濯物が乾く街~


桜の咲く小諸の街

昨年、小諸に住んでいたとき、東京からライターさんが取材に訪れ、小諸の魅力はなんですかと問うた。おそらく「自然が豊かで、夏が涼しくて、人が優しくて、温泉があって」というキャッチーな答えを期待していたのだろう。だからこそ根っからの天邪鬼な性格の僕はあえて「信州・長野だったらどこでも自然も人も温泉も素晴らしいから、小諸だけの特徴にはなりませんよ」と答えて困らせてみた。そして「小諸の魅力は東京から高速バスが1日10本以上走っていて3時間で着くことと、日照時間が他の街よりも確実に長いことと、なによりも洗濯物が乾くのが驚くほど早いことです」と外から移り住み、実際に生活しているからこその喜びを話してあげたが、若いライターさんにはいまひとつピンとこなかったようだ。 (more…)

第143回●ターラ ~読経の力~


メンツィカンの読経風景 2002年


     速疾にして勇猛なるターラ菩薩よ
     慧眼は一刹那の稲妻のごとくなり
     三界の守護尊は蓮華の御顔の
     花弁が開きし中より生じたり。

                    (ターラ経の冒頭)



ようやくターラ経を猛スピードで暗誦・読経できるようになった。なぜ、猛スピードでなくてはいけないのか。それはメンツィカン在学中にやり残した宿題に理由がある。メンツィカンでは毎朝毎夕30分の読経が行われ、三宝帰依、四無量心、般若心経、功徳の基盤、などを次々と暗誦で唱えていく(第79話)。さすが医学生である。この集団の1人である誇りを胸に、僕もこのあたりまでは問題なく一緒に読経ができていた。しかし、二十一ターラ菩薩礼賛経(以下、ターラ経)になると全員のギアは一斉にトップに入り雰囲気は一変する。あきれるほどに速い!そのために僕は読経を放棄せざるをえず、ターラ経だけは最後まで暗誦ができなかったのだ。 (more…)

第142回●ツィクズー ~チベット語大辞典~


チベット語大辞典 上下巻二冊

日本語大辞典を編纂する過程を描いた映画『舟を編む』を鑑賞しながら、僕はずっとチベットの大辞典『ツィク(単語)・ズ―(庫)・チェンモ(大きい)=大辞典』に思いを馳せていた。

大辞典編纂の起源は1928年にまで遡る。そして50年後の1978年に本格的な編集委員会が組織され1979年に初版が発刊される。そこから改訂を重ね、現在は実に5万3千語を収録する大辞典にまで発展した。人物名で検索すると簡単な伝記が紹介され、辞典の巻末には絵入りでチベット文化の紹介もされている。さらに日常用語やことわざ、仏教用語はもちろん、医学用語が意外なまでに豊富なのは本当に助かる。なんでもアムチが編纂に関わっていたという。したがって大辞典さえあれば、仏典や四部医典をかなり解読することができるのだ。

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第141回●ボラ ~20年目の理科~


エネルギーについて授業する筆者
1993年2月

1年間、「ボラ」とだけ呼ばれ続け、自分の本名を忘れかけたことがある。あれは1992年、北海道留寿都農業高校で理科の講師と舎監を務めたときのことだ(第26話)。当初、雄大な羊蹄山の麓で、「金八先生」のように格好よく授業する光景を夢描いていた。しかし、考えてみれば、僕は教育実習などやったことはなく、ぶっつけ本番で理科の授業に臨むことになる。さらに、考えてみれば農業高校だけに、もともとじっと座って勉強することが苦手な生徒たちが集まるところである(注1)。事実、1日の半分は農業実習に割り当てられていた。そんな教師と生徒たちの組み合わせで授業が成立するはずはなく、無法地帯と化したのは必然の結果だった。いまでも教室の様子をありありと思い出すことができる。窓際ではSがギターを弾き語り、入り口付近ではYたちがサイコロを振りながら「何がでるかな、何がでるかな、恋バナ!」と盛り上がっている。当初、なんども授業を放棄して職員トイレに逃げ込んだ。悔しくて、悔しくて声を押し殺して号泣した。何度ももう帰ろうと思った。 (more…)

第140回●マクミ ~イシェー・ドンデン先生~


毎朝夕の読経風景

メンツィカンの1日は朝7時、全校生徒が講堂に集まって薬師如来に帰依し、お経を唱えることからはじまる。しかし、僕が入学した当初、講堂に肝心の仏像はなく、今、振り返ってみると何とも殺風景だったものだ。そんな2003年の春、ダライラマ法王元侍医イェシェー・ドンデン先生の御寄附により立派な薬師如来像が正面に安置され、それからは荘厳な雰囲気のなかで読経に一層、熱が入るようになった。

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第139回●ハービス ~文明への憧れ~


ハービスプラザの地下道にある滝

大阪・ハービスプラザの地下道が大好きだ。通路に沿って滝が流れ、まるで年中クリスマスのように彩られている。というと少し大袈裟だが、いま振り返るとそんなイメージがよみがえってしまうから不思議なものだ。メンツィカン在学中、ダラムサラから一時帰国した際、風の大阪支店へ向かうこの瞬間が、快適な日本の素晴らしさを味わえるなによりもの一時だった。つい数日前まで暮らしていたカビ臭いメンツィカン男性寮(第26話)や、数時間前まで滞在していたデリーの混沌とのギャップがあまりにも大きすぎて、ディズニーランドの中に迷い込んでしまったかのような感覚さえ覚えてしまう。「おい、みんな。日本の技術は地下にまで滝を作ってしまうんだぞ。凄いだろ!」と同級生たちに大声で自慢したかった。さらに、東京へ出ると、今度は、高層ビルや東京タワーの人工美に心を奪われた。ここは小さいころに読んだドラえもんに出てくる未来都市なのか? こんなにも美しい場所があったとは、いまのいままで気がつかなかった。まるでチベット人のように日本の文明社会に驚いてしまう。チベット社会で暮らしているうちに、すっかり感覚が彼らと似通ってきてしまったようだ。 (more…)

第138回●プク ~ベビーシッターならチベット人~


子供の脈診

チベット語の家庭教師ドルマちゃん(第85話)は、僕のギュースム達成(第24話)を見届けると、教師としての役目を終えたかのように、2007年12月、ダラムサラからニューヨークに移住した。インドに亡命したチベット難民は1991年の集団移民にはじまり、その後も様々な形でアメリカやカナダに移り住んでいる(第29話)。2012年はニューヨークだけで1万人を超え、アメリカ・カナダ全体では10万人を超えているという。



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第137回●ゾ ~ラダック遭難事件~


吹雪の中を進むタシとゾ

北海道の大牧場でアルバイトをしたのは22歳の夏(注1)。生まれてはじめてツナギの作業着に身を包むと気分はすっかり『北の国から』だ。朝4時に起床し搾乳の手伝いがはじまる。僕の仕事は搾乳を終えた牛を順に牛舎の外に追いたてること。しかし、なかなか進まなかったり、通路で糞をされたり、ときに蹴られたり踏まれたりと新米アルバイトは牛になめられっぱなし。それでも牛の尻を叩き、尻尾を捻り上げ、「オラー、ハイー!」と気合を入れながら150頭の牛と格闘していたものだった。搾乳を終えると、今度は牛舎の掃除や牧草刈りや牛糞運搬などの作業。そして夕方には搾乳のために乳牛を牛舎に導く仕事が待っている。地平線が見えそうな大草原に向かって「ベーベーベーベー」と大きな声で叫ぶと150頭の乳牛が集まり、僕を先頭に牛舎に向かって歩き出す。最高に気持ちいい。そうして1日の仕事を終えると充実感に浸るまもなく、バタンキューと眠りに落ちる毎日だった。
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第136回●サンポ・ドゥク ~薬師如来の潅頂~


サンポ・ドゥク

昨年、ダラムサラを訪れた際、製薬工場で指揮を執っている親友のジグメに「サンポ・ドゥクを一握りずつ売ってくれないか」と頼みごとをした。
僕の突然の申し出にジグメは「薬師如来にお供えするのか」と答えると、すぐさま6つの生薬を集めてきてくれた。「お金はいらないよ。それにしても、オガワ、お前もようやくサンポ・ドゥクを仏前に供える気持ちになったのか」と嬉しそうに語るジグメ。僕は少し照れくさい表情を浮かべながら、6つの生薬が入った袋を受け取った。サンポ(優良)・ドゥク(六果)、それは医薬の都タナトゥクの西側のマラヤ山(第66話)に生えるナツメグ、サフラン、竹瀝、クローブ、カルダモン、ブラックカルダモン、の6つの生薬を指している。その6つの種がマラヤ山からインドに零れ落ちて繁殖した。そして、インドからヒマラヤを越えてチベットに運ばれてくる貴重な生薬だったことから「優良」という冠詞が付けられ、薬の原材料としてはもちろん、薬師如来への供物として珍重されてきた。仕事中のジグメは製薬工場の事務室の椅子に座りなおすと、「まあ、座れよ」と僕にも椅子を勧めて話を続けた。
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