小川 康のヒマラヤの宝探し

第219回 ディクシン ~蠍~


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絵解き図に登場するサソリ

 ツアー参加者にはまず「チベット人の前では蚊一匹でもパチン!と手を叩いて殺してはいけませんよ。無意味に虫を殺さないでください」と注意を促すが、長年の身体性(習慣)は抜けないようで、みなさんついつい手が出てしまう。無理もない。僕だってチベット人と10年も暮らしたことでようやくチベット人的な身体性が身についたのだから。 (more…)

第218回 ドゥル ~蛇~


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絵解き図に登場する蛇

巨大なアオダイショウが実家の廊下を這っていく、その生々しい光景は40年が経過したいまでも脳裏に焼きついている。兄は蛇の尻尾をつかむとグルングルン振り回しながら僕を追いかけ、僕は泣きながら逃げ回った。蛇がトグロを巻いていると、両手の親指を隠して視線を合わせずに通り過ぎなくてはならない掟があった。こうして振り返ってみれば幼少期から蛇に囲まれて育ってきた。だが、いまもむかしも蛇は大の大の苦手である。それでいてマムシにまつわる話を全国各地の古老たちから聞くのが好きなのは、たぶん怖いもの見たさの好奇心ゆえであろう。いつも同じ話になるのはわかっているのだが、そのたびに「えーー、マジですか!」と驚くとともに、その度にやっぱり自分は現代っ子なんだなと、いい意味での自覚が生まれてくる。 (more…)

第217回 ドムティ ~熊胆~


tibet_ogawa217_1熊の胆

 現役の猟師であること、つまりいまも生死をかけた現場にいることがAさんの佇まいから伝わってきた。お歳をうかがうのを忘れてしまったがたぶん75歳くらいではなかろうか。

 信州の山深い里にAさんの御自宅はある。20歳から鉄砲を撃ちはじめ、いままで何頭の熊を仕留めたか数えきれない。熊に襲われ絶体絶命の冒険話はいくつもある。でも左目の上にある大きな傷は熊ではなくカモシカからの反撃を受けたときのものだという。熊を仕留めるとすぐに解体し、まずは貴重な胆嚢を傷つけないように取り出す。胆汁が体内に廻ってしまうと熊肉が苦くなって不味くなるためだ。取り出すとすぐに胆嚢の口を紐で縛り、専用の板で薄くはさんで乾燥に入る。かつては熊胆(ゆうたん)がとれると村中で分け合い貴重な薬として重宝した。もちろん熊胆は外貨を獲得するためにも役だち、かつて1gが3000円で取引された時代もあったという。 (more…)

第216回 シンメン ~農薬のはなし~


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「死ぬかと思った」。
あれは1994年、信州・野辺山の高原野菜農場でアルバイトをしていたときのことだった。「小川君、マルチの端っこを持ってて」と親方の命じられるままにマルチ(畑を覆う黒いビニール)をつかみ、地面に当ててじっとしていた。親方が運転するトラクターが作動し、マルチを引っ張りはじめた。トラクターの後ろからは何やら液体が噴出されている。そのとき、なにかがおかしいと思ったが、バカ正直な僕はその姿勢のままマルチを押さえ続けていた。すると、く、苦しい……。息ができな…く…なって…。死ぬ……。
「ごめん、ごめん。言ってなかったっけ。クロピクを使うときは息を止めて、顔を上げていないと死んじゃうよ」。慌ててトラクターを降りて、そう語った親方の爽やかな笑顔をいまでも忘れることはできない。 (more…)

第215回 ジュンクン ~薬の源泉~


tibet_ogawa215_1コウジバナ

 葉っぱの上に咲く小さな花を見つけた。「それはね、ここではママコグサって呼んでいるの。むかしは継子が憎くて、手の上にお灸をすえたからよ」と古老が教えてくれた。継子、つまり血のつながっていない子どものことである。そんな生々しい名前は、なぜだろう、正式な植物名ハナイカダよりも心に響いてしまう。次に黄色い小さい花をつけた木を見つけた。「あれはね、コウジバナって私たちは呼んでいたわ。ほら、花が麹に似ているでしょう」。丁寧に教えられても残念ながら麹を身近に感じない僕らの世代にはピンとこない。こちらはダンコウバイ(壇香梅)という学名のほうがしっくりきてしまう。そして僕が足元に咲く黄色い花を手にしたとき、 (more…)

第214回 チュ・ツァボ ~白湯の薬~ 


tibet_ogawa214_1学生を指導するダワ博士

 当初、チベット人のお宅で、いつも白湯(チベット語でチュ・ツァボ)がでてくることに戸惑った。日本人にとって白湯は薬を飲むとき以外、客人に出すのはあり得ない。水を出すとすれば氷水だからだ。そしてメンツィカンに入学後、「白湯は薬である」という意識がチベット社会に根付いていることを知ることになる。チベット医学では白湯を飲んで胃の消化力を上げることを重要視し、消化不良こそが万病の原因とされているのである(注)。八世紀に編纂された『四部医典』には次のように記されている。 (more…)

第213回 チャンキー ~狼の話~


tibet_ogawa213_1ラダック・ティンモスカン

「狼が人間を襲って食べたという確かな記録はない」という記述を見つけてページをめくる手が止まった(注1)。すぐさま15年前の記憶が甦る。
 2001年8月、メンツィカン入学前の僕はインド北部の秘境ラダックを訪れ。先輩のタシと一緒に大冒険に出かけた(第137話)。その途中、犬のような遠吠えが聞こえた。遥か遠く、500mくらいだろうか、犬のような動物の影が二匹見え隠れしている。「あれはなに?」と無邪気に尋ねる僕に「ああ、狼(チベット語でチャンキー)さ」と素っ気なく答えるタシ。 (more…)

第212回 デ ~米の話~


tibet_ogawa212_2よろける妻

 富山の田園地帯の米農家に生まれ育ったからといって米の味にうるさいかといったら、まったく逆である。なにしろ家の納屋には古米(昨年の米)ならまだしも古古米(一昨年の米)が常に備蓄してあって、当然、古い米から順に食べていくことになる。したがって小学校6年まで、正確には祖父が亡くなるまで、炊きたてでも黄色みがかった古古米を毎日食べていた。しかも、小石がたくさん混じっていて歯が欠けそうになった。たぶん、戦前戦後の食糧難の時代を生き抜いてきた祖父の世代の知恵なのだろう。年に一度、10月の秋祭りの日だけは真っ白な新米を食べられるのだが、あの日の米の美味しさと白さを感動とともに覚えている。何杯も何杯もおかわりしたものだった。たまに外食した時のご飯がとっても美味しく感じられた。昭和50年代になっても小川家だけはまだ戦後を生きていたのだ。 (more…)

第211回 ツァ ~塩の話~


tibet_ogawa211_2岩塩

そういえば小さい頃、塩といえば無粋な油紙袋に入った真っ白な食塩しかなかった。いつのころからか、赤みがかった自然塩が流通しだしたような気がしているが明確な転換点を僕は覚えていない。たぶん僕が田舎暮らしに興味を持ち始めた26歳のころだと思う。進学校で学び、国立大学を卒業し一般教養を深く学んだはずだったのに、塩に関わる重大な問題を学ぶ機会はなかったようだ。社会の大きな問題は意外と「そういえば」という無自覚と自覚の境界線に潜んでいるのかもしれない。 (more…)

第210回 ニオン ~日本人の起源~


tibet_ogawa210_1マニ車の列

むかし、むかし、チベット王のお母様が重い病気にかかってしまいました。ヒマラヤの薬草を用いても一向によくなりません。ある日、王様は夢を見ました。
「遠く東の国、太陽(チベット語でニ)のやってくる(オン)国、ニオン国はたいそう緑が豊かな国じゃ。そこにお前の母の病を治す薬草がある。今、その国にはまだ誰も住んでおらぬ。行くがよい」
王様はチベット族の中で一番優秀な医者に若い従者たちをつけてこの東の国へと遣わしました。一行はひたすら太陽の登る方向に向かって歩き続けました。初めて出会う海の大きさに感動し、その海を船で渡り、 (more…)