小川 康のヒマラヤの宝探し

第37回●「セドゥ」ペルシアからの贈り物


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

セドゥ(ザクロ)の花 撮影ダラムサラ
セドゥ(ザクロ)の花 撮影ダラムサラ
ここダラムサラで8年間暮らし、すっかりチベット社会に馴染んだつもりだったけれど、こうしてアムチ(チベット医)として働いていると、社会のさらに深い側面に触れることができる。
一ヶ月間のハンガーストライキで胃の調子を壊してしまったお坊さん。1994年のインド人の暴動(第29話参)に巻き込まれて、いまもトラウマに襲われているお父さん。インド軍の演習中に落下して腰が曲がってしまった若者。実はインド軍のなかにチベット難民兵が多数いることはあまり知られていない。身寄りのない末期癌の尼僧。三年三ヶ月の瞑想半ばにして精神を少し病んでしまった修行者。咳をしながら来院する結核患者。水銀薬の浄化中に気分を悪くした製薬工場の職員。仮病を使って病院の診断書をもらい学校をさぼろうとする若者。 (more…)

第36回●「マニ・リルプ」究極のチベット料理


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

マニ・リルプ 撮影協力 和田武大様
マニ・リルプ 撮影協力 和田武大様
もしも日本を代表する美食家、海原雄三がメンツィカンを訪れたとしたら‥‥。

「タシデレ!ようこそ、いらっしゃいました」ミスメンツィカンのソナムちゃんが満面の笑みで海原氏を出迎えた。
「ここで、究極のチベット料理を食べさせてくれるというので、わざわざ足を運んだが、いったい何を食べさせてくれるというのだ。まあ、所詮、料理の完成度という点においてトゥクパはラーメンに、モモは餃子に叶わないから、期待はしておらんがな。」 (more…)

第35回●「シュケン」異境に舞い落ちた葉


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

シュケン ハイノキ科 絵師の間ではシンクとも呼ばれる
シュケン ハイノキ科 絵師の間ではシンクとも呼ばれる
後日、B氏に確認したところそれは1995年に放映されたという。アジアのどこかの山奥で日本人がタンカ(チベット仏画)を描き続けているというドキュメンタリーを僕は日本のどこかで何かをしながら何気に見ていたような記憶がある。こんな凄いところに日本人が住めるんだ・・・自分には一生、縁のない世界だろうな・・・、そんな微かな感触が心に残ったに過ぎなかったにも関わらず、それから4年後、ダラムサラの街で偶然、長身長髪のB氏に出会った瞬間、記憶の彼方からあの番組が劇的なまでに蘇った。なんと信じられないことに、あのときの自分の視線の向こう側に、いま自分は立っているではないか。 (more…)

第34回●「セワメト」薬草の主人公


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

セワメト バラ科
セワメト バラ科
愛する恋人が不治の病に冒され余命いくばくもない。
「先生、お願いします。何か手立てはないですか?」泣いてすがる男性に医者は困ったように言いました。
「一つだけ手段があります。ダラムサラにセワメトという白い花が咲いています。この花弁を5キロ集め、チベットの呪文を唱えながら煎じてお茶を作り、それを飲めばもしかしたら治るかもしれない。いやぁ、ちょっと小耳に挟んだことがありましてね。信じるかどうかはあなたしだいです」
「あなた、無理しなくてもいいのよ。私はもう十分。あなたと出会えただけで幸せ」
「何を言うんだ、おとみさん。僕は行くよ。必ずセワメトを5キロ採ってくる。それまで生きていてくれ!」 (more…)

第33回●「リ」慟哭の上に散る花


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

リの花 日本名:ヤマナシ 梨の原種にあたるが、実は渋くて食用不可
リの花 日本名:ヤマナシ 梨の原種にあたるが、実は渋くて食用不可
毎朝9時ちょうど、メンツィカンの屋上で全生徒が整列したのを確認すると生徒会長が元気よく号令をかける。

「ブーギ・ゲルカプ・チェンボ・ゲルー・チク・ニ!(大チベット国歌斉唱、一、二!)」

5年間の在学中に歌ったチベット国歌の回数は、生まれてから歌った日本国歌の通算回数を上回ったのではないだろうか。元来、歌が大好きな僕は、毎朝、チベット人の誰よりも大きな声で気持ちよくチベット国歌を歌うことから、ことさら調子がよかったときは、斉唱後に彼らから握手を求められることもある。 (more…)

第32回●「ケルパ」世界の医学史


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

ケルパ ヒイラギの仲間にあたる。開花は4月
ケルパ ヒイラギの仲間にあたる。開花は4月
1999年、初めてダラムサラに到着して間もなく、道端に真っ黄色の樹皮が剥きだしになっているのを見つけて「ここにも黄檗(オウバク)が生えているのか」と懐かしさが込み上げてきた。黄檗の樹皮にはベルベリンという黄色の薬用成分が含まれており、現代薬においても下痢止め薬や目薬に配合されている。少し時代をさかのぼると陀羅尼助や百草丸という伝統的和漢薬の主成分になっており、さらには縄文時代の遺跡から黄檗が発見されたことからも分かるように黄檗は日本の薬の歴史を語る上で欠かすことのできないキーポイントとなっている。個人的にもその昔、百草丸を愛用し、また黄檗を畑に蒔いて農薬効果を調べたことがある馴染み深い薬草である。 (more…)

第31回●「ティタサンジン」赤い実の誘惑


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

ティタサンジン バラ科
ティタサンジン バラ科
ヒマラヤ薬草実習中盤(第1話参照)、野イチゴの蔓(ティタサンジン)の採取を命じられた。実でも葉でもなく蔓を薬に用いるとは何とも不思議な医学だと、いぶかしがるものの、これがなかなか重労働で蔓を忙しなく引き寄せても一向に袋に溜まらない。アワ(第25話参照)同様に辛抱強さを試される修行である。
そんな作業にいよいよ嫌気が指した折、山が気を利かせてくれたのだろうか、大きく真っ赤な実で敷きつめられた野イチゴの群落に出くわし狂喜乱舞した。薬の蔓よりも食のイチゴに心を奪われるのは生物の本能として当然であり、僕と親友のジグメは泥だらけの手で貪るようにイチゴを食べ続けたものだった。ヒマラヤの甘い息吹が僕の体の中に溶け込んで行く。やはり蔓よりも赤い実がいい。 (more…)

第30回●「ティクタ」脈診の神秘


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

チャクティク・ランゴーマ (直訳すると、鉄のリンドウ・牛の頭)
チャクティク・ランゴーマ (直訳すると、鉄のリンドウ・牛の頭)
2008年2月11日、チベットの正月休みが明けた最初の月曜日、いよいよ僕の病院実習が始まった。一応、肩書きはアムチ(チベット医)となり、職員の方々から向けられる視線にはどことなく尊敬の念が込められていると感じるのは自意識過剰のせいだろうか。
医者ともなると身だしなみにも気を配らねばなるまいと、日本から持参したジャケットを羽織り、ヒゲを剃り、颯爽と診察室に腰を下ろしたのはいいものの、この冬一番の寒波がやってきたために、どえりゃー寒いとなぜか名古屋弁が口をついて出た。人体と大宇宙を一体化して考えるとされるチベット医学の病院には暖房器具という文明の産物は望むべくもないが、自分も小学校時代、雪が降り積もる中を真っ白な半そで半ズボンで登校し続けたことを考えると、当時すでにチベット医学への修行は始まっていたのであろう。さすがベテランのデキ女医はセーターの上にダウンジャケットを着込んで寒さに備え、ほとんど雪だるま状態で大自然からのエネルギーを受け取り、患者の微細なエネルギーを感じ取っていく。とてもチャーミングで物静かな先生は、ひそかに僕が最も尊敬するアムチの一人である。優しいお母さんのように笑顔で淡々と脈を診ていく姿は、僕が唱える「チベット医学・家族論(第3話参照)」をまさに実践されているように映るからだ。 (more…)

第29回●「キングフィッシャー」ダラムサラの古時計


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

カワセミ ダラムサラは野鳥が豊富な地域としても知られています。 写真提供、お店のおじいさん。
カワセミ ダラムサラは野鳥が豊富な地域としても知られています。 写真提供、お店のおじいさん。
「♪おおーきな、ノッポの古時計、おじいさんの時計・・・」
 ダラムサラ、正確には尾根沿いに拡がるチベット人の街マクロードに今なお百年間の時を刻み続けている古時計がある。空前のバブルで潤い建築ラッシュで賑わうチベット人街の喧騒の片隅に忘れ去られたかのように、その黒光りした木造の建物は佇む。でもそんな素敵な古時計に出会えたのは、ここに移り住んで8年目の2007年12月のこと。もちろん、今まで毎日のようにその前を通り過ぎていたものの、一度しか足を踏み入れたことはなかったし、ほとんどのチベット人も全く気にかけず真向かいの洒落たバーへと足を運ぶ。でもあの日、知人を案内した帰り道、ふっと視界に入り「ちょっと覗いてみませんか」と無邪気な冒険心が僕の口を動かしたのは、今、思い返してみるとなぜなのか思い返せない。 (more…)

第28回●「ソロ・マルポ」宇宙旅行の常備薬


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

紅景天と同じ仲間のツェン 薬には根を用いる
紅景天と同じ仲間のツェン 薬には根を用いる
初めてラサを訪れた2004年の夏、空港から街に到着すると僕は真っ先に「紅景天ドリンク」を購入して高山病に備えた。当時の値段で10アンプル28元、これが安いのか否かはいざ知らず、やはりその夜、強烈な吐き気と頭痛に襲われたので効果は無かった、なんていうと次回からビザがもらいにくくなるかもしれないので、翌朝には頭痛も消えすっきり爽快、やっぱり高山病には紅景天(ソロ・マルポ)だね、とCMを打っておくことでお許し願いたい。 (more…)