小川 康のヒマラヤの宝探し

第18回●「タワ」東西医学の融合


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

キク科、日本名・ウスユキソウ 有名なエーデルワイスの一種
キク科、日本名・ウスユキソウ 有名なエーデルワイスの一種
2006年11月、メンツィカン卒業生13期生による謝恩会が夜遅くまで続けられていた。ゲーム、歌、踊り、一通 りの演目が終わり、生徒代表による締めの挨拶で賑やかな会がようやく終わろうとしたとき、一瞬、彼の横目が僕を捕らえた。
「最後に、本当ならば俺たちと一緒に卒業するはずだったオガワからどうしても一言もらいたい。俺たちはこれからどうすればいい。チベット医学はどこへ向かっていけばいいんだ。おまえの率直な意見を聞かせてくれ」  
会場は、急に夜の10時に相応しい静けさと緊張感がみなぎった。たとえ和やかに進行した会の雰囲気を覆そうとも、オガワは必ず飾らない言葉を発することを長い付き合いで彼らは知っている。しかし、彼らが今ここで期待してくれている僕の真っ直ぐな性格が原因で2004年春に大学と衝突し一年間休学することになったのだから、考えてみればなんとも皮肉なものだ。 (more…)

第17回●「チャグー・スックパ」ヒマラヤのお尻拭き


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

チャグー・スクッパ
チャグー・スクッパ
「ディス、イズ、ヒマラヤン」という薬草を紹介します。白い綿毛をまとった不思議な薬草で、名前をチャグー・スクッパといいます。日本語に訳すと「ハゲワシの脚」ですが、どうでしょう、そう言われるとそんなふうにも見えてきませんか。キク科トウヒレン属で、このように綿毛や葉っぱで保温している薬草をセーター植物とか温室植物と呼びます。トウヒレンといいましても、あまり馴染みがないと思いますが、高山植物愛好家にとっては貴重な薬草が集まっているグループです。

トウヒレン属ではありませんが、私たちの身近に温室植物にあたる薬草があるのをご存知ですか。なんだと思います? 熱が逃げないように葉っぱを丸めている薬草というか野菜です。もうお気づきですね、レタスやキャベツです。これら高原野菜は昼間に葉っぱを広げて日光を吸収しようとし、夜は寒いので丸まって熱がにげないようにします。だから高原のように昼夜の寒暖差が大きい地域で栽培されているのです。 (more…)

第16回●「アル・パル・キュル」究極の秘薬


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

アルラ(上)、パルラ(左)、キュルラ(右)
アルラ(上)、パルラ(左)、キュルラ(右)
いよいよ二度目の暗誦試験が迫った2003年大学2年生の秋、四部医典論説部・老化防止の章の解説中に長身のダクパ先生が回想しながら呟いた。
「この章に登場する秘薬・三果薬用バターを10年も前にラマ(高僧)に頼まれて作ったことがあったが、あれは美味しかったなあ。でも作るのが面 倒だから今では誰も作っていないだろう」

アル・パル・キュル・デプー・メンマル・ギ・ワンポ・セルシン・トプゲー・ゲーカ・サ アルラ・パルラ・キュルラからなる三果薬用バターは感覚を明晰にし、体力を増進させ、老化を防止する
四部医典論説部第23章

アルラ(日本名・詞子[カシ])、パルラ(毛詞子)、キュルラ(余甘子[よかんし])というインド特産の三つの果 実は、チベット医学において最高の果実として崇められ多くの処方の基礎になっている。またシルクロードを渡って奈良の正倉院にも納められている歴史的な生薬でもある。 (more…)

第15回●「ブーゲンビレア」メンツィカン入学試験


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

ブーゲンビレア
ブーゲンビレア
「おい、ヤジマ」たまに友人が嘲笑を込めて僕のことをそう呼ぶが、決していい気持はしない。毎週月曜日の午後は30分スピーチの授業が行われ生徒が順番に発表していく。 多くの生徒は仏教や医学に関してなど堅い話をするものだが、僕は100年前にチベットに渡った矢島保次郎の生涯を紹介したところ予想外に大好評で今でも話題に上るのは演者冥利につきる。
群馬県出身の矢島は20世紀初頭に、ただ冒険のためにラサまで辿り着き9年も滞在した。その間にチベットの軍事教官を務め、富豪の娘と結婚し子供も生まれた。その後、家族と一緒に帰国したが、日本では妻の面倒をあまり見なかった。チベット人の妻は慣れない異国での生活から3年後に衰弱して亡くなり本人は 63歳で亡くなった。僕は彼のユニークな生き方を強調したつもりだったが、矢島さんには申し訳ないことに「チベットの女性を苦しめた日本人」のイメージが彼らにとっては強く印象に残ったようだ。そして100年後、矢島保次郎は思わぬ形で僕の人生に大きく関わってくることになる。 (more…)

第14回●「ウドゥンバラ」三千年に一度だけ咲く花


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

ウドゥンバラ (クワ科イチジク属 ダラムサラ・ノルブリンカ 写真提供 持田健幸様)
ウドゥンバラ (クワ科イチジク属 ダラムサラ・ノルブリンカ 写真提供 持田健幸様)
薬草実習から戻ると大学は後半戦に突入し、メンツィカン名物の暗誦試験に向けて全員が準備に取り掛かる。教典と解説書を合わせて80分にも渡り早口言葉のスピードで暗誦する姿は究極の隠し芸といってもいい。雨季が明けた穏やかな気候のもと、武者震いをしたくなるような緊張感に包まれるこの時期が僕は妙に好きだ。

八世紀に医聖ユトクによって編集された四部医典(チベット語でギューシ)は中国、インド、イスラムの三つの医学体系のエッセンスを集約して完成したといわれており、その名の通り四つの部門(根本・論説・秘訣・結尾)から成り立っている。 (more…)

第13回●「シムティク」マナリに吹く風


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

シムティク
シムティク
8月下旬、20日間に及ぶマリーでの薬草実習を終えてテントなど機材一式をトラックに詰め込むと、上部には僅か1m ほどの隙間が残され、そこに最後の忘れかけた荷物、とでも言わんばかりに僕たち生徒はもぐりこんだ。幌によって切り取られた長方形の風景が次々と移り変わっていく。つい昨日まで駆け巡っていたフィールドに惜別の念を抱きつつも、それ以上に久しぶりにマナリの街に戻れる喜びに心を躍らせながら約2時間トラックの揺れに身を任せていた。

マナリは標高1900mに位置する風光明媚な避暑地。渓流に沿った深い谷に街があり、両側の山にはリンゴ園が広がる。ダラムサラほどではないにしろマナリにも多くのチベット難民が暮らしている。そしてここのチベット寺において山から運ばれてくる大量の薬草が乾燥される。 (more…)

第12回●「ルクル・ムクッポ」ヒマラヤの秘密基地


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

ルクル・ムックポ
ルクル・ムックポ
「オガワ、ルクルをどこへ採りに行くんだ?」
「あっ、ああ・・・。あの辺りかなあ」
同級生からの問いに、なんとも白々しい答えをしてしまったが、案の定、彼には気がつかれてしまったようだ。
「きっと、いい場所を知っているんだろうよ」
皮肉のこもった言葉の後には若干の気まずさが残ったものの、僕は気を取り直して一人、ルクル・ムクッポ(ゴマノハグサ科)の群生地を目指した。ルクルとは羊の角を意味しており、小さな花弁の中央部に角のように螺旋状の花弁が伸びている。ちなみにこの部分を象の鼻に喩えたランナという酷似した薬草も混生しているため、採取には注意を要する。

 
(more…)

第11回●「パルー」チベット人の死生観


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

パルー
パルー
薬草実習最終日、パルーを採取するよう指示が出され、男子はそれぞれが鎌を手にしてベースキャンプを出発した。
「オガワ、どうする」
親友のジグメの問いは、すでに僕がどう答えるかを見越している。
「いつもの場所へ行くか」
いつもの場所、それは数箇所あるパルーの採取ポイントの中でも、最も遠く険しい場所を意味している。しかし、僕もジグメも何故か今ではあの山深く急流が脇を流れていく谷に愛着すら感じてしまっている。 (more…)

第10回●「クムタ」ナイト・ジャスミン


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

クムタ (薬用には用いられない)
クムタ (薬用には用いられない)
6,7月の夜、大学は白い花クムタ(ナス科)の香りに満たされる。クムタは昔からチベットの詩や経典の中に芳香の代名詞として頻繁に登場するもののチベット本土には生えていないため、“クムタとはどんなに素敵で貴重な花なのか”と文学者たちは長年に渡って想いを巡らせていたという。そしてインドに亡命することによって初めて出会うことになるのだが、意外にも普通 に道端に生えているのでがっかりしたという話を聞いたことがある。

(more…)

第9回●「キャンショッパ」信仰の力


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

キャンショッパ (ゴマノハグサ科、効能:体に溜まった水分を排泄する。インド・マリー、8月、撮影)
キャンショッパ (ゴマノハグサ科、効能:体に溜まった水分を排泄する。インド・マリー、8月、撮影)
キャンショッパ、日本語に訳すと「孤独な翼」は薬草実習(第一話参昭)が行われるマリー周辺の山腹を美しく彩 るが薬草として採集の対象にはなっていない。しかし過去に一度だけ生徒全員で摘んだことがあったと先生が教えてくれた。 ダライ・ラマ法王がラダックへ行かれるときに、このマリーの道を通られ、そのときキャンショッパを摘んで道端を美しく飾ったのだという。
法王が車でお通りになられるときは、授業はもちろん試験ですらも中断して道端に整列してお出迎えする習慣がチベット人にはある。ちなみに僕はいたって平均的な日本人であり、普段、宗教を強く意識することはない。ただ、こうして同級生と一緒に法王のお出迎えをするなど、生活を共にすることこそがチベット仏教の実践ではないかと自分を納得させている。しかし、そんな僕もさすがに、あのとき、彼の前ではチベット仏教の信仰力に心底から感服せざるをえなかった。

(more…)