小川 康のヒマラヤの宝探し

第7回●「パンゲン・メト」草原の宝石


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

パンゲン・メト
パンゲン・メト
メンツィカン(チベット医学暦法大学)のヒマラヤ山中での薬草採取実習の 4日目。びしょ濡れのままトラックの荷台に押し込められた40人の実習生達には重い雰囲気が立ち込めていた。連日の雨で体力の消耗が激しく、前日に生徒の一人が崖から転落し病院に運ばれていたことも皆をどこかしら不安にさせていたようだ。そんな時、ムードメーカーのペンパが突然、歌いはじめた。しかし、一曲歌い終わっても誰も反応しない。
「おいおい、どうしたんだよ。元気出せよ!」と叫ぶと、また歌いだした。そして、一人、また一人と一緒に歌い始め、奴隷列車は一転して遠足バスへと生まれ変わったのであった。僕はこんな人間を心から尊敬する。
「さあ、次はいよいよ、オガワの十八番、パンゲン・メトだぞ」 みんなの視線が僕に集中する。僕は照れを隠すためにも、わざと少し乱暴に声を張り上げて歌いだした。 (more…)

第6回●「カタ」ダラムサラの道草


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

カタ
カタ
午後1時に4時間目の授業が終わった後、火水木曜日は夜の7時の読経まで自由時間となるので、僕はたいてい日本食レストランへお昼を食べに出かける。レストランは大学から標高にして300mほど上がったマクロードガンジと呼ばれる地域にあり、チベット人の商店街やホテルはここに集中している。(地図はこちら)大学があるカンキ(カンチェン・キションの略)という街からそこまでは通常タクシーを用いるものだが、僕はほとんど徒歩で通う。オガワは日本人でお金もあるのにどうしてタクシーを使わないんだ、と同級生から不思議がられるが、実はヒマラヤ薬草実習で僕が彼らに遅れを取らない理由はここにある。逆に、普段は寮でのんびり過ごしている同級生たちが、いざ実習となると全く支障を見せないのはやはりチベット人の血なのかと感心させられる。苦労は買ってでもせよ、という日本の格言は彼らには理解し難いだろうし、それは苦労を知らずに育ってきた日本人の贅沢な考えなのだろう。事実、彼らは例外なくアメリカや日本の先進諸国の便利な生活に憧れ、逆にわざわざ日本を離れカビ臭い大学寮で暮らす僕を奇異な眼で眺める。何を物好きな・・・と。 (more…)

第5回●「ツェドゥム」風との出会い


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

ツェドゥム(マオウ)
ツェドゥム(マオウ)
「草を楽しむ、と書いて薬という漢字が出来ました。まずは草から始めませんか?」
これ、私が薬局に勤務していた時に発行していた薬草通信のキャッチフレーズなんです。そんな私が何故、チベット医学を志したかといいますと…、仏教に興味があったから?精神医学だから?神秘的な脈診・尿診に憧れて?もちろんそれも理由の一部には違いありません。でも最大の理由は「チベット医学が一番、草を楽しんでいる医学だから」。やっぱり「楽しむ」ことに勝る薬って無いですよね。
思えば豊かな大自然に囲まれた故郷富山で、兄と一緒によく宝探しごっこをして遊んだものでした。兄が「がらくた」という名の宝を隠し、兄の作ったヒントを頼りにそれを私が探しに出かけるという遊びなのですが、もしかしたら私にとってチベット医学の原点はここにあるのかもしれません。そう、薬草という名の宝探し、それも今度はヒマラヤという世界一広大な遊び場に隠された宝を探しに出かけるのです。 (more…)

第4回●「タンクン」ヒマラヤの宿題


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

タンクン
タンクン
背を向けるように大学を突然飛び出し、日本に滞在中の僕の下に親友のジグメから手紙が届いた。クリスマスの前、12月20日頃だったように思う。クラスメートはみんな元気でやっていること。みんなオガワのことを心配していること、学長が代わったこと、などが記され、最後にこんなエピソードが添えられていた。
「今年の薬草実習は雨で道路が寸断されて日程が大幅に乱れた。それと、今年もタンクンを採りに行って遭難しかけてしまった。1年生の時に僕たちが遭難した、あの場所だよ。雨と霧で視界が悪くて大変だった」と。
富山の実家を経由して京都の下宿先に届いた丁寧なチベット語を読みながら、2年前の遭難事件を思い出し、そして懐かしいヒマラヤの大自然が一気に脳裏に拡がった。みんなと別 れてからもう半年が経とうとしていた。 (more…)

第3回●「ミンチェン・セルポ」聖水の奇跡


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

ミンチェン・セルポ
ミンチェン・セルポ

聖なる湖ラツォ。標高4,300mの峠に位置し、そこへの道のりは限りなく険しい。そして、ラツォの周辺にだけ群生しているというドラマチックな薬草ミンチェン・セルポ(キク科)を採取すべく男子生徒を選抜して特別 遠征隊が結成された。外国人だからだろうか、その中に僕の名前は入っていなかったが、先生に直訴して特別 に帯同する許可を得ることができた。なにしろ数年も前から、この神秘の湖に辿り着き薬草を採取できることの誇りを先輩から聞かされて夢みてきたのである。それは薬草実習のクライマックスといってもいい。

ベースキャンプを普段よりも早い6時半に出発し、恐らく3時間くらいかかったのではないだろうか、濃い霧の向こうにラツォを見つけた。直系80mくらいの真ん丸な湖で流れ込む川は一切無い清純な湖。時に、湖面 に訪れた人の運命や前世来世などを映し出すと言われているが、残念ながら僕の眼には喉の渇きを潤してくれる水としか映らなかった。 (more…)

第2回●「ホンレン」ヒマラヤン・ノスタルジック


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

ホンレン
ホンレン
二人一組でホンレン(ゴマノハグサ科)を採取するよう指示が出された。場所はロータン峠(標高4000m)であるが、ロ(死体)タン(平原)とはチベット語で縁起のいい地名ではない。その昔、この周辺で大きな戦争があったという話を耳にした。
「オガワ、行くぞ」
当然のように親友のジグメと出発するが、正直なところ気のいい返事はできなかった。二人一組の作業の場合、一人が鍬を持ち一人が収集、水洗いを受け持つが、僕たちの場合ほとんど僕が後者の仕事を受け持つことになる。僕も日本の農場で鍬を握っていた経験があるので体力に自信はあるものの、チベットの大自然の中を生き抜いてきた彼から見れば、まだまだ頼りなく映るのだろう。しかし、毎回のように同じ作業を繰り返していると次第に不満もたまってきてしまう。僕は疲れる素振りを全く見せないジグメに向かって呟いた。
「疲れただろう。今度は僕が鍬を握るよ」 (more…)

第1回●「ツェルゴン」青い花の誘惑


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

ツェルゴン (ヒマラヤの青いケシ)
ツェルゴン (ヒマラヤの青いケシ)
朝6時、ヒマラヤの冷たい空気に頬を撫でられて目を覚ました。テントの中ではまだ誰も起きていない。連日の薬草採集で疲れ果 てているのは自分だけではないようだ。近くの清流で顔を洗い、振り向くと朝靄のむこうにヒマラヤの山々が朝日で照らし出されている。今日は何の薬草を採りにいくのだろう・・・。
チベット医学暦法大学では毎年8月になるとヒマラヤ山中にベースキャンプを張り20日間に渡って薬草実習が行われる。しかし実際には薬の材料となる薬草を採取する「仕事」の意味合いが遥かに強く、事実チベット語では実習と呼ばれていない。それはまさに生きることと薬学とが直結し、医師や薬剤師がまだ大地との絆を深く保っていたころの姿を今に留めているともいえる。チベット医学生は全員がこの世界一過酷な医学実習を乗り切り、たくましいチベット医(アムチ)へと生まれ変わるのであるが、これこそチベット医学の神秘と呼ぶに相応しい。 (more…)