小川 康のヒマラヤの宝探し

第27回●「ケンカル」富山の売薬


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

ケンカル(ヨモギの一種) 浴用にも用いられる
ケンカル(ヨモギの一種) 浴用にも用いられる
チベット医学を学び始めてからというもの、ふるさと富山の売薬への興味が湧きあがってきた(第2話参)。草根木皮を使用して薬を作ることはもちろんのこと、日本各地を歩き回る強靭な足腰、民謡など芸にも秀でていること、時には農作業を手伝うなど大地に根ざしていること、利益は後回しにする先用後利の思想、など二つの医学には共通点がたくさんある。もちろん個人的な感傷による縁結びだと言われてしまえばそれまでだが、僕が連載した『チベット医学童話タナトゥク』(第24話参)の中において「売薬の起源はチベット医学だった」という落ちにすることで自己満足を得ている。冬休みで実家に帰省した際、早速、売薬に関する本を購入しコタツに入りながら読みはじめた。すると何故だろう、ヒマラヤ山中で出会った、チベット医学とは全く関係の無い一人の男が何度も脳裏に浮かび上がってくるではないか。 (more…)

第26回●「チャンマ」チベットの精神医学


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

チャンマと、その下で語り合う学友たち
チャンマと、その下で語り合う学友たち
大学の構内の柳(チャンマ)の木の下から級友たちが「おい、オガワ、チャイ飲んでいけよ」と手招きしている。つい10日前の暗誦試験(第23話参)を終えるまでの5年間は、恒例のように笑顔で手だけ振り返していたものだが、今は足が自然と彼らの下へ向かっていく。彼らが「おっ、珍しいな」と若干の戸惑いを隠さずに僕を迎えてくれるのが何とも気恥ずかしい。彼らとのんびりとおしゃべりしながら、もっとこうした時間を持てればよかったのにという後悔が湧き上がってくるものの、ギュースムという大きな夢のために犠牲にしなくてはならないこともあったのだと自分を慰めている。5年間に及ぶ厳しい校則(第10話参)と試験から解放されたせいだろうか、みなの顔がアムチ(チベット医)らしく大人びて見えるから不思議なものだ。
「オガワ、これからどうするんだ? お嫁さんも早く見つけなきゃな。」 (more…)

第25回●「アワ」現代医学との交錯


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

アワ
アワ
薬草実習において男子生徒が山々を駆け巡ってツェルゴン(第1話参)など華々しい薬草を採取するのに対し、女生徒は来る日も来る日もアワ(ユリ科)という岩場に生える髭のような薬草を地道に採取しなくてはいけない。標高 3,000m以上の北向きの岩場に生えており、眼の特効薬として用いられる貴重な薬草である。僕も日がな一日、採取したことがあるが、この薬草で求められる条件は体力ではなく根気であることを痛感させられた。しかし岩場に生える他の雑草との判別が難しいこの変哲も無い草を、いったい誰が最初に眼に効果があると発見、いや、定めたのだろうか。その昔、何人の患者に試して効果を確かめたら教典に書き記されるまでに至るのだろうか。そしてそれは「本当」なのだろうか。 (more…)

第24回●「ヒマラヤ杉」日本人コミュニティー


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

ヒマラヤ杉
ヒマラヤ杉
最終暗誦試験ギュースム(第23話参)を終えた二日後の2007年11月18日、僕はのんびりとした足取りでダラムサラ在住30年になるB氏宅を目指していた。チベット人が暮らすマクロードガンジという賑やかな街を通り過ぎ、ヒマラヤ杉に囲まれた閑静な道路を歩きながら僕は何度も足を止めてダラムサラの風景を眺めてみた。美しい…。7年10ヶ月ここで過ごしてきたけれどまるで初めて出会う風景のような不思議な感慨が湧き上がってくる。もう急いで歩く必要もないんだ…。今までどこへ行くにも必ず携帯した四部医典(チベット医学教典)はもう僕のカバンの中になく、その軽さが改めて試験が終わったことを教えてくれた。そして昼の11時に到着するとすでに多くの在住日本人が集まり僕の卒業記念パーティーの準備をしてくれていた。 (more…)

第23回●「ベンドゥリヤ」ラピスラズリの都


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

ラピスラズリ
ラピスラズリ
「むかーしむかし、因幡の国に・・・」小さい頃、祖母は毎日のように枕元で御伽話を語ってくれ、その中でも因幡の白兎の話が一番多かったような気がする。皮を剥がされたウサギに「蒲の穂をつけなさい」と優しく教えてあげた大国主命は日本の薬の神様「薬祖神」だから、もしかしたらこの御伽話が僕をチベット医学へと導いたのかもしれないと思うときがある。きっとこの時のふんわりとした思い出が僕の体に残っていたせいだろうか。 (more…)

第22回●「リショ」ヒマラヤ大声コンテスト


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

リショ
リショ
「イクツェー、イクツェー、セヤデ、ケーチェンボ、マレー!(試験、試験、というのは重要じゃないんだ!)」
試験が近づくと、こんな絶叫が寮内に響き渡る。もちろん「重要じゃない」というのは重要であることの裏返しであり、試験のプレッシャーの大きさは僕自身も強く感じている。 筆記試験は、5月下旬、7月下旬、12月下旬の三回に渡って行われ、その都度0.5点刻みで細かく順位が決められ掲示される。12月上旬に行われる暗誦試験(14話参)も含めた年間総合得点において上位3名は創立記念集会で表彰されることから、生徒によるメダル争いも熾烈を極める。
「オガワ、日本の大学はこんな風に順位をつけたりせずに自由なんだろ?」 (more…)

第21回●「メトマルポ」チベット医学への旅立ち


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

正式チベット名 タクマ・メト 甘い蜜を含み食用に用いられますが、 シャクナゲの仲間は場所、種類によって 毒性のものもあるので注意が必要です。
正式チベット名 タクマ・メト 甘い蜜を含み食用に用いられますが、 シャクナゲの仲間は場所、種類によって 毒性のものもあるので注意が必要です。
2007年10月15日から11月17日まで足掛け1ヶ月に渡って行われる卒業試験にむけて、久しぶりに1年生の頃の課題だった根本・論説部門(第14話参)を読み返した。聖なる御言葉の行間に書き込みされている、たどたどしいチベット文字を見ると、思わず修正ペンで消したくなるかのような恥ずかしさに襲われる。よくもこんな拙い字で入学試験(第15話参)に合格したものだと、改めて当時の強運に感謝の念が湧き起こる。
思えば、タシデレ(こんにちは)という最初のチベット語を覚えてから7年と10ヶ月、一語一語、一歩一歩登りつめたその先に、いま八万語暗誦試験ギュースム(第14話参)という高く険しい頂きを視界に捉えている。しかし意地悪なことにその頂は近づけば近づくほど険しさを増し、今年の挑戦者七名を尻込みさせる。 (more…)

第20回●「ド」ラダックへの旅


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

ティンモスガンの小麦畑
ティンモスガンの小麦畑
2001年9月、メンツィカン入学前の僕は先輩のタシを無理やり誘って秘境ラダックへと向かった。ラダック出身の彼の実家は地元でも有名な医者の家系だという。地域に根ざした真の伝統医(アムチ)に出会うべく、是非、とお願いしてホームステイさせてもらうことになったのである。
ラダックの首都レーからタクシーで4時間、ティンモスガンという村に入るとたちまち車は村民に取り囲まれた。「タシじゃないか。タシが帰ってきたぞー!」なにしろ故郷に戻るのは4年ぶり、さらに当時まだ村には電話が普及していなかったこともあり再会の感激は一際大きくタシの祖母は感極まって泣きだしてしまった。まるでドキュメンタリーフィルムを見ているかのような場面が続く。村は金色の小麦(ド)で彩られ、ちょうど収穫の時期を迎えようとしていた。清流の側には小さな桃や杏がたわわに実る果樹園が広がり、桃源郷とはまさにこういう場所を指すのかと、その語源に納得させられた。 (more…)

第19回●「ダオー」月夜の薬


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

メンツィーカン男性寮の屋上より撮影
メンツィカン男性寮の屋上より撮影
一年に一日だけ、それも満月の光の下でしか作ることができない神秘的な薬、その名も月晶丸。チベット暦8月15日の夜、雨季が明けたばかりのこの時期は大気中に塵が少なく、月光(ダオー)が遮られることなく真っ直ぐに煌々と地上へ降り注ぐ。西暦では9月か10月に当たる満月の夜、僕たちは月光を浴びながら徹夜で作業を行うことになる。月光の影響を受けるのは必ずしも薬だけとは限らない。チベット医学の深淵なる智慧に触れることのできる光悦感によって僕たちも少しずつ変わっていっているのかもしれない。 (more…)

第18回●「タワ」東西医学の融合


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

キク科、日本名・ウスユキソウ 有名なエーデルワイスの一種
キク科、日本名・ウスユキソウ 有名なエーデルワイスの一種
2006年11月、メンツィカン卒業生13期生による謝恩会が夜遅くまで続けられていた。ゲーム、歌、踊り、一通 りの演目が終わり、生徒代表による締めの挨拶で賑やかな会がようやく終わろうとしたとき、一瞬、彼の横目が僕を捕らえた。
「最後に、本当ならば俺たちと一緒に卒業するはずだったオガワからどうしても一言もらいたい。俺たちはこれからどうすればいい。チベット医学はどこへ向かっていけばいいんだ。おまえの率直な意見を聞かせてくれ」  
会場は、急に夜の10時に相応しい静けさと緊張感がみなぎった。たとえ和やかに進行した会の雰囲気を覆そうとも、オガワは必ず飾らない言葉を発することを長い付き合いで彼らは知っている。しかし、彼らが今ここで期待してくれている僕の真っ直ぐな性格が原因で2004年春に大学と衝突し一年間休学することになったのだから、考えてみればなんとも皮肉なものだ。 (more…)