小川 康のヒマラヤの宝探し

第13回●「シムティク」マナリに吹く風


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

シムティク
シムティク
8月下旬、20日間に及ぶマリーでの薬草実習を終えてテントなど機材一式をトラックに詰め込むと、上部には僅か1m ほどの隙間が残され、そこに最後の忘れかけた荷物、とでも言わんばかりに僕たち生徒はもぐりこんだ。幌によって切り取られた長方形の風景が次々と移り変わっていく。つい昨日まで駆け巡っていたフィールドに惜別の念を抱きつつも、それ以上に久しぶりにマナリの街に戻れる喜びに心を躍らせながら約2時間トラックの揺れに身を任せていた。

マナリは標高1900mに位置する風光明媚な避暑地。渓流に沿った深い谷に街があり、両側の山にはリンゴ園が広がる。ダラムサラほどではないにしろマナリにも多くのチベット難民が暮らしている。そしてここのチベット寺において山から運ばれてくる大量の薬草が乾燥される。 (more…)

第12回●「ルクル・ムクッポ」ヒマラヤの秘密基地


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

ルクル・ムックポ
ルクル・ムックポ
「オガワ、ルクルをどこへ採りに行くんだ?」
「あっ、ああ・・・。あの辺りかなあ」
同級生からの問いに、なんとも白々しい答えをしてしまったが、案の定、彼には気がつかれてしまったようだ。
「きっと、いい場所を知っているんだろうよ」
皮肉のこもった言葉の後には若干の気まずさが残ったものの、僕は気を取り直して一人、ルクル・ムクッポ(ゴマノハグサ科)の群生地を目指した。ルクルとは羊の角を意味しており、小さな花弁の中央部に角のように螺旋状の花弁が伸びている。ちなみにこの部分を象の鼻に喩えたランナという酷似した薬草も混生しているため、採取には注意を要する。

 
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第11回●「パルー」チベット人の死生観


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

パルー
パルー
薬草実習最終日、パルーを採取するよう指示が出され、男子はそれぞれが鎌を手にしてベースキャンプを出発した。
「オガワ、どうする」
親友のジグメの問いは、すでに僕がどう答えるかを見越している。
「いつもの場所へ行くか」
いつもの場所、それは数箇所あるパルーの採取ポイントの中でも、最も遠く険しい場所を意味している。しかし、僕もジグメも何故か今ではあの山深く急流が脇を流れていく谷に愛着すら感じてしまっている。 (more…)

第10回●「クムタ」ナイト・ジャスミン


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

クムタ (薬用には用いられない)
クムタ (薬用には用いられない)
6,7月の夜、大学は白い花クムタ(ナス科)の香りに満たされる。クムタは昔からチベットの詩や経典の中に芳香の代名詞として頻繁に登場するもののチベット本土には生えていないため、“クムタとはどんなに素敵で貴重な花なのか”と文学者たちは長年に渡って想いを巡らせていたという。そしてインドに亡命することによって初めて出会うことになるのだが、意外にも普通 に道端に生えているのでがっかりしたという話を聞いたことがある。

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第9回●「キャンショッパ」信仰の力


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

キャンショッパ (ゴマノハグサ科、効能:体に溜まった水分を排泄する。インド・マリー、8月、撮影)
キャンショッパ (ゴマノハグサ科、効能:体に溜まった水分を排泄する。インド・マリー、8月、撮影)
キャンショッパ、日本語に訳すと「孤独な翼」は薬草実習(第一話参昭)が行われるマリー周辺の山腹を美しく彩 るが薬草として採集の対象にはなっていない。しかし過去に一度だけ生徒全員で摘んだことがあったと先生が教えてくれた。 ダライ・ラマ法王がラダックへ行かれるときに、このマリーの道を通られ、そのときキャンショッパを摘んで道端を美しく飾ったのだという。
法王が車でお通りになられるときは、授業はもちろん試験ですらも中断して道端に整列してお出迎えする習慣がチベット人にはある。ちなみに僕はいたって平均的な日本人であり、普段、宗教を強く意識することはない。ただ、こうして同級生と一緒に法王のお出迎えをするなど、生活を共にすることこそがチベット仏教の実践ではないかと自分を納得させている。しかし、そんな僕もさすがに、あのとき、彼の前ではチベット仏教の信仰力に心底から感服せざるをえなかった。

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第8回●「ボンガ・ナクポ」ヒマラヤの罰ゲーム


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

ボンガ・ナクポ
ボンガ・ナクポ
日本では悪名高きトリカブトを紹介しましょう。チベットでは各地に生えていますし、日本でも山に入ると意外と簡単に見つけることができます。加工したものを附子(ブシ)とか烏頭(ウズ)と呼び、強心、鎮痛、興奮を目的に用います。身近なところでは下半身の病気に用いる漢方の八味地黄丸に配合されている他、狂言でも「附子(ぶす)」の題目で演じられています。

チベット語ではボンガ・ナクポといいますが、では、ここで問題です。チベット語ではこの花を何の動物に喩えているでしょうか?よく見てお考えください。ヒント、ある動物の頭の部分です。さあ、何でしょう。馬ですか?近いですね・・・はい、その通り!ロバです。名前を日本語に訳すと“黒いロバ”となります。余談ですが薬草実習最終日には101種類の薬草を鑑別する試験がヒマラヤ山中で行われ、後日、大学の講堂で全職員を集めて成績が発表されます。そして下位五名にはなんとロバに扮装して臭い薬草を背負い講堂を一周するという過酷な罰ゲームが17世紀から伝統の名の下に続いているのです(写真撮影厳禁)。幸いにして私は免れましたが、上位から順番に名前が呼ばれていくときの緊張感は今でも忘れません。チベット医が薬草に精通している真の理由はこの罰ゲームにあるというのは本当です。ちなみに4年生時の一番は親友のジグメで確か96点でした。 (more…)

第7回●「パンゲン・メト」草原の宝石


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

パンゲン・メト
パンゲン・メト
メンツィカン(チベット医学暦法大学)のヒマラヤ山中での薬草採取実習の 4日目。びしょ濡れのままトラックの荷台に押し込められた40人の実習生達には重い雰囲気が立ち込めていた。連日の雨で体力の消耗が激しく、前日に生徒の一人が崖から転落し病院に運ばれていたことも皆をどこかしら不安にさせていたようだ。そんな時、ムードメーカーのペンパが突然、歌いはじめた。しかし、一曲歌い終わっても誰も反応しない。
「おいおい、どうしたんだよ。元気出せよ!」と叫ぶと、また歌いだした。そして、一人、また一人と一緒に歌い始め、奴隷列車は一転して遠足バスへと生まれ変わったのであった。僕はこんな人間を心から尊敬する。
「さあ、次はいよいよ、オガワの十八番、パンゲン・メトだぞ」 みんなの視線が僕に集中する。僕は照れを隠すためにも、わざと少し乱暴に声を張り上げて歌いだした。 (more…)

第6回●「カタ」ダラムサラの道草


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

カタ
カタ
午後1時に4時間目の授業が終わった後、火水木曜日は夜の7時の読経まで自由時間となるので、僕はたいてい日本食レストランへお昼を食べに出かける。レストランは大学から標高にして300mほど上がったマクロードガンジと呼ばれる地域にあり、チベット人の商店街やホテルはここに集中している。(地図はこちら)大学があるカンキ(カンチェン・キションの略)という街からそこまでは通常タクシーを用いるものだが、僕はほとんど徒歩で通う。オガワは日本人でお金もあるのにどうしてタクシーを使わないんだ、と同級生から不思議がられるが、実はヒマラヤ薬草実習で僕が彼らに遅れを取らない理由はここにある。逆に、普段は寮でのんびり過ごしている同級生たちが、いざ実習となると全く支障を見せないのはやはりチベット人の血なのかと感心させられる。苦労は買ってでもせよ、という日本の格言は彼らには理解し難いだろうし、それは苦労を知らずに育ってきた日本人の贅沢な考えなのだろう。事実、彼らは例外なくアメリカや日本の先進諸国の便利な生活に憧れ、逆にわざわざ日本を離れカビ臭い大学寮で暮らす僕を奇異な眼で眺める。何を物好きな・・・と。 (more…)

第5回●「ツェドゥム」風との出会い


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

ツェドゥム(マオウ)
ツェドゥム(マオウ)
「草を楽しむ、と書いて薬という漢字が出来ました。まずは草から始めませんか?」
これ、私が薬局に勤務していた時に発行していた薬草通信のキャッチフレーズなんです。そんな私が何故、チベット医学を志したかといいますと…、仏教に興味があったから?精神医学だから?神秘的な脈診・尿診に憧れて?もちろんそれも理由の一部には違いありません。でも最大の理由は「チベット医学が一番、草を楽しんでいる医学だから」。やっぱり「楽しむ」ことに勝る薬って無いですよね。
思えば豊かな大自然に囲まれた故郷富山で、兄と一緒によく宝探しごっこをして遊んだものでした。兄が「がらくた」という名の宝を隠し、兄の作ったヒントを頼りにそれを私が探しに出かけるという遊びなのですが、もしかしたら私にとってチベット医学の原点はここにあるのかもしれません。そう、薬草という名の宝探し、それも今度はヒマラヤという世界一広大な遊び場に隠された宝を探しに出かけるのです。 (more…)

第4回●「タンクン」ヒマラヤの宿題


小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

タンクン
タンクン
背を向けるように大学を突然飛び出し、日本に滞在中の僕の下に親友のジグメから手紙が届いた。クリスマスの前、12月20日頃だったように思う。クラスメートはみんな元気でやっていること。みんなオガワのことを心配していること、学長が代わったこと、などが記され、最後にこんなエピソードが添えられていた。
「今年の薬草実習は雨で道路が寸断されて日程が大幅に乱れた。それと、今年もタンクンを採りに行って遭難しかけてしまった。1年生の時に僕たちが遭難した、あの場所だよ。雨と霧で視界が悪くて大変だった」と。
富山の実家を経由して京都の下宿先に届いた丁寧なチベット語を読みながら、2年前の遭難事件を思い出し、そして懐かしいヒマラヤの大自然が一気に脳裏に拡がった。みんなと別 れてからもう半年が経とうとしていた。 (more…)