インカの誇り高き末裔たちの国

執筆●小林勝久(東京本社)

この自由を勝ち取った努力を
何百年も世界のすみずみまで伝えるために
アンデスの頂上にこの2色の旗を立てる
この旗に見守られながら 我々は平和に生きるのだ
太陽がアンデスのいただきから昇るたびに
ヤコブの神に誓った約束を新たにする
(ペルー国家、日訳「コノスカモス ペルー」より引用)

ペルーの国歌には、300年間に及ぶスペイン植民地時代の苦痛から遁れ、暗黒の時代から独立し、自由を勝ち取った喜びが切々と謳われている。11世紀の最盛期には現在のコロンビア南部からチリのサンチャゴに至るまでの広大な土地を手に入れた太陽の帝国・インカ。この大帝国の残したものは現在のペルーにも脈々と受け継がれている。ここでは、インカの面影を追いながらペルーの魅力に迫ってみよう。

世界の「へそ」クスコ

標高3,400m。アンデスの中腹に位置する小さな都市、クスコ。現地ケチュア語で「へそ」を意味するこの街も、小高い丘に登って見下ろせば、白亜の壁にオレンジ色の屋根が並んだ街並みは、スペイン統治下の雰囲気を漂わせている。でも、市内に降り立てば、至る所に街の基盤を形成している古い石垣が見かけられる。それは「カミソリの刃も通さない」と形容されたインカ時代よりそのまま利用されているもの。その昔、スペインから来た征服者は既存の建物を取り壊し、インカの石組みの上に教会やスペイン風の建物を建設したものの、その後襲った大地震でその殆どは崩れ、石垣だけが残った逸話がある。歴史の流れにも自然の驚異にもインカの財産は耐えてきたのだ。

インカ帝国の旺時、北はコロンビアから南はチリに至る約5,000kmに広がる大きな国土を持った。その首都の機能を持ちえただけのみならずクスコは国家宗教である太陽神信仰の総本山が置かれた精神的中心であり、「日の巫女」インカ宮殿のある聖なる都でもあったのだ。住民たちはインカの王を神の子として、殆ど神に近い扱いをしていた。まさにクスコは、太陽の神が司る「世界」のへそであったわけだ。

また、インカ帝国の時代には文字はおろか、車輪も鉄も存在しなかったと言われている。では、どうしてこの広大な帝国を築き上げたのだろうか?一番大きな特色は、道路整備によるチャスキ制度の導入と、支配したところに対して、富を分け与えた分配制度だと言われている。チャスキは情報や命令を伝えた飛脚のことで、早いチャスキは1日に280キロも駆けたとか。ただ単に伝令に使われただけでなく、アンデス高原の肥沃な土地でとれるジャガイモやトウモロコシ(いずれもここが原産)を海側に伝え、沿岸で取れる海産物をインカへと運んでいた。この「垂直気候」を利用することで高原のクスコに住みながらもあらゆる産物を手に入れることが出来たのだ。このチャスキはインカ時代の労役の一種で、近隣の村から交代でチャスキとして派遣され、道自体も労役として、インカの王より各地域の首長に整備を伝令されて作られた。労役を提供したかわりに、今まで手に入れる事ができなかった山の産物、海の産物が手に入るようになったと言われている。スペインの侵攻によりチャスキの制度はやがて消滅すると、インカの道は整備されなくなり、砂漠の下に道が埋まったり、山岳部で人の行き来のないところは自然と消えていった。

空中都市マチュピチュ

フランシスコ・ピサロ率いる総勢たった200人の侵略者たちにより、もろくもインカの王は屈服してしまう。インカの人たちはひっそりと秘密の都市「ビルカパンパ」を建設。そのビルカパンパ伝説をもとに、アメリカ人歴史学者が探し当てたのがマチュピチュだった。ビルカパンパはもっと違う所にあると言われてはいるが、ここにも約1万人の人が住んでいたことは事実だと言う。マチュピチュは標高約2,300mの山の頂上にあり、断崖に囲まれ、その麓の、今は列車の通るウルバンバ川流域から眺めても、そこに人が住んでいたのかわからないようなところから、「空中都市」あるいは「失われた都市」と形容されるようになった。でも、インカの道を辿ると、その様相は全くかわって見えてくる。

インカの道を歩く

マチュピチュの麓のプエンテ・ルイナス行きの列車をあと10kmのところで途中下車。駅も何もないけれど車掌は笑顔で降ろしてくれる。目の前に広がるのんびりとした農村風景。音のない世界。日差しは冬(日本の夏)でも暑く、赤道に近いことを感じながら山の形に沿って折れ曲がる道を進んでいく。遠くには白い頂がかすかに見え、滝で一休みし、ウニャイワイナの円形遺跡で昼食。日陰のありがたさを感じながら道は森へと吸い込まれていく。長い森を突き抜け、太陽の門を通ると、「眼下」にマチュピチュだ。山道の緑の静けさを打ち砕く石の世界が広がっている。断崖の下にはウルバンバ川流域の絶景も見渡せる。道路に到着する頃には、さっきまで米粒程に見えていた人の塊がいなくなっている。どうやら帰りの列車の時間が近いらしく、麓の駅とを結ぶバスが忙しそうに往復しているのが見える。そしてマチュピチュ遺跡には祭りの後のような静けさだけが残っていた。麓のアグアスカリエンテスには名前の通り温泉(アグアス=水、カリエンテス=温かい)があり、旅の疲れを癒してくれる。クスコからマチュピチュに人が押し寄せる昼頃までに再度訪れ、ワイナピチュに登る。標高2,400mから眺める景色はまた違った味がある。これがマチュピチュを訪れる正しい方法なのかもしれない。

南米3大祭のひとつ・インティライミ

長いスペインの植民地時代が歴史に刻まれたアンデスの人たちの中でインカの面影を今に伝える重要な祭りがある。リオ(ブラジル)やオルーロ(ボリビア)のカーニバルと並び、南米の3大祭に数えられるインティライミ祭。かつて一大帝国を築いたインカの王が守護神インティ(太陽)に捧げた収穫祭を再現しているその姿は、荘厳かつ華やかで、クスコの小さな街がいつもと違う雰囲気に包まれる。祭りはコリカンチャ(太陽の神殿)跡であるサントドミンゴ教会を出発し、ビラコチャ神殿の跡に建てられたカテドラル前を通り、サクサイワマンへの道を時代絵巻のように当時の衣装に身を包んでインカ皇帝の隊列が優雅に進む。そしてクスコの街に西日が差す頃、皇帝がリャマの心臓をインカの神である太陽にかざすと祭りはクライマックスを迎える。
この日はインカ時代は農民の休息の日でもあったせいなのか、街中の人々はこの日を待っていたように大騒ぎ。いつもは静かなクスコの人たちも、前日のパレードから陽気なラテンの血が騒いで夜遅くまで飲み、歌い、そして踊る。あなたもしばし日本人を忘れて、陽気な彼らの雰囲気に浸ってみてはいかがでしょうか?

インディヘナの魂「星と雪の祭典」コイリュ・リティ

インディヘナたちの間で、1783年以来綿々と続くインディオによるインディオのための祭りがある。ペルーアンデスの山深く、標高4,500m高地で行われる神聖な祭り、それがコイリュ・リティ。年に一度、満月を目前に控えたシナハラ山(5,471m)裾の谷に、人々は集まり始める。熱帯のジャングルのインディオ、リャマの隊商を引き連れたインディオ、黒人奴隷、隣国チリの兵士などの衣装を身にまとい、踊りを教会に奉納する。次第にその数は膨れ上がり、満月の前夜、祭りは最高潮に達し、踊りは一晩中続く。聖なる朝、ウククと呼ばれる屈強な男たちは夜明け前の山に、暗闇の中をシナハラ山下の3つの氷河に突き刺さった十字架を担ぎ降ろすために登る。標高は5,000m。過って氷河の亀裂に命を落としたものは神への捧げ物とされ、人々はその氷河にろうそくを灯し、神に祈りを捧げる。神の宿るアウサンガテ山(6,372m)にほど近い聖地で、今年もインディヘナの祈りがこだますることだろう。

※ 風・通信No.2 (2000年1月発行)より抜粋

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