まごころの村シルバリで山村ホームステイ

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「あんなすばらしい所は私もネパールで見たことなかったよォ。」NKT(風の旅行社ネパール支店)スタッフから、何度もこう聞かされていたシルバリ村。事前調査で行ったスタッフたちが感動し、その話を聞いて訪れた他のスタッフもまた、同じように感動して帰ってきたとのこと。村のホスピタリティやサービスは、「今までのネパールでは考えられないほど『凄い!』」とNKT内では大絶賛。期待に胸を膨らませ、ネパールへ飛んでいった野村幸憲(東京本社)からの報告です。

村到着と同時に「もうトリコ」


シルバリ村全景

シルバリはポカラの南西、ヒマラヤと逆側に車で約4時間進み、そこから歩いて3時間で着くグルン族の村。このあたりは日本はおろか欧米でも通 常トレッキングツアーでは組まないので、 車を下りて歩き出すと、「英語の看板」や「バッティ(=山小屋)」なども見当たらない素朴でのどかな田園地帯が続きます。でも特に目新しい景色ではありません。村が近付くにつれて、急坂が続きます。 ちょっと「ミニハイク」と呼ぶにはきついからツアーコースには出来ないかなぁと心で呟いていると、シルバリ村が見えて来ました。


歓迎の議

到着した途端、思いもよらぬ歓迎が待っていました。私たち3人のためだけに、村の人たちが勢揃いして村の入り口で待っていてくれたのです。男は民族音楽を奏で優雅に踊り、女は手に持ちきれないぐらいの花や花飾りを私たちに渡してくれるのです。何よりもみんなの楽しそうな顔。私は一瞬にしてこの村に魅かれてしまいました。「ようこそ、シルバリ村へ。今日から私たちの家族だ。」村長は挨拶のあと、私たちを地元のゴンパ(仏教寺院)へと通し、お祈りをしてくれました。寺院の広場ではまだ歓迎の音楽と笑顔が止みません。出されたロキシー(地酒)に舌鼓を打ちながら、このちょっと派手だけど楽しい歓迎の儀に酔いしれました。


田舎へ来たのに、何故か快適


シルバリ村の家

「マズ、ここがお前の部屋だ。きだなぐで恥ずかスィが好きに使ってけナ、ムスコ」
多分日本語に訳すとこんな感じの方言で、私のホームステイ先のお母ちゃんが迎えてくれました。通 された部屋は家族の住む家の隣に建った離れ。ネパールの田舎では台所の土間にいきなりベッドがあっても不思議ではないハズなのに、ここでは各戸とも外国人を受け入れるための専用の部屋があります。 鍵もかかり、ベッドもロッジ並みかそれ以上。湯冷ましも置かれ、電灯もありました(停電も時々ありましたが)。窓から村を見下ろすと、どこの道も石畳がきれいに敷かれてるのです。 「ムムッ、これはおかしい」と不思議でなりません。実はネパール駐在時代にいろんな村に行きましたが、トレッキングルートにある村でさえ、こんな整った村を見た経験はそうありません。ネパールの田舎にしちゃ恐ろしいぐらいきれいに整備され、そこら中が花で飾られ、しかもゴミなども落ちていないのです。そういや家の庭にはお湯は出ないがシャワー設備があった、 これはやっぱおかしいぞと疑問は募るばかり。普通の村とは全く違うのです。そんな事を考えている間に「ムスコ、晩メシができたぞい。はやグこっちサ来サイ」とお母ちゃんに呼ばれ、 そそくさと台所へと向いました。ネパールの村での食事はかまどのある土間で食べるのが一般的。でも、ここはきちんと食堂があり、テーブルの上にスプーンやフォークが並べてあります。 質素なはずの田舎のダルバートが、カトマンズの一般家庭なみに野菜や肉がたっぷりとごはんの上に載っています。「う、うまい!」。でも「やはり、これはおかしい。何故こんなに美味いんだ」と胃袋とは裏腹に、心は素直に受け入れる事ができませんでした。


ホームステイ先の
リビングルーム
(イメージ)

ホームステイ先の
バス&トイレ
(イメージ)


村が村でなくならないために


シルバリ村の山の展望台

その時、初老のお父ちゃんがロキシーを片手に登場。「一杯、いかがですか」と、流暢な英語で話しかけて来ました。こんな田舎でこんな奇麗な英語を聞くなんて、これもおかしい。すかさずさっきから抱えていた不思議な疑問をぶつけました。
この村の老人たちは若い頃、グルカ兵として長い間イギリスやシンガポールに住み、退役してこの村に帰ってきたのです。「この齡だから生まれ故郷で余生を送りたい。外国生活のお陰でそれなりの貯えもあるが、ホテルを建てて、村が『村でなくなる』のはやめたい。何かできないだろうか」とみんなで考え出したのが8年前。「田舎には田舎の良さがある。今までのネパールの観光産業みたいに、ネパールが外国人にスタイルを合わせるのではなく、外国人にネパールの山の暮らしをそのまま味わってもらおう。自分たちの故郷を大切にし、外国人が不快に思わない最低限のものを揃えよう。そして『心』で接すれば、絶対に外国人も気に入るはずだ」との考えに至ったとか。それから村ではこの「ホームステイ計画」のために実行委員会を作り、議論を重ねました。お金が一軒に集中しないように基金と事務所を作り一括管理しよう、村の景観を整えよう、離れの設備や食事の内容の基準を作ろう、村に滞在する間に楽しめる日程を考えよう、収益の一部はバイオガス設置や水道の普及に使おう等々、みんなの意見が一致するまでは、そんなに長い時間はかからなかったそうです。


ハイキング
(ひとやすみ中)

村の青年団



宴会では青年たちの
ダンス披露も


青年団主催のアクティビティ


村の青年団主催で
行われた民族舞踊

「コレッ、いヅまで寝てんだ、ムスコ。朝メシ食わねノがぁ!」いつもの声に起こされて、この村での2日目が始まりました。今日は村の若い衆(青年団?)に連れられて、ヒマラヤの見渡せる山の頂上までのハイキングや、村内めぐりに出かけました。山だけじゃなく、農業や生活の事も色々説明をしてくれます。途中、築400年、今はおばあちゃんが一人で暮らしている小さなお家でのおやつタイム。村の青年は「こうすればホームステイができない家にもお金がちょっとは落ちるでしょう」と説明してくれました。「少し前までは若い人達は都会へ出て行くしかありませんでしたが、今はこうやって自分の生まれた村で生活ができて、しかも外国人と触れ合えてラッキーです。」とつけ加えて。
夕陽が沈み、星が輝き、またもや美味しいお母ちゃんの手料理を堪能した後、村の広場へ呼びだされました。今日来たイギリス人たちも一緒に集まると、村をあげての宴会です。娘達により踊りが披露され、ついでに自家製のロキシーが登場。「ほれムスコ、おっかあと一緒に踊るベ~」とお母ちゃんに促され、慣れない手つき足つきで輪に加わったのでした。

別れの朝


また遊びにおいで~

「たのスがったか、ムスコ。またおっかあのメシ食いサ来い~」そう言いながらお母ちゃんが旅の無事を祈ってティカ(額に付ける赤い粉)をつけてくれます。家族一人ひとりと握手をし一緒に村の入り口まで歩いて来たら、また村人全員が集まってきました。到着した時と同じようなお別 れの儀が始まります。音楽が村に響き渡る前に、既に私はジーンときてました。横を見れば同行のNKTスタッフまでもウルウル状態。「また来るね」と一人ひとりにお礼を言い、やっとの思いで村を背に。石段を噛みしめるように山を下りていると、私の名前を遠くから呼んでいるのに気が付きました。村のみんなは私たちの姿が見えなくなるまで、ずっとずっと、手を振ってくれたのでした。

「心の通う理想的な自分の村を作ろう」という気概と自信と努力に満ち溢れているシルバリ村。私たち風の旅行社としても、シルバリの人たちの心をしっかり理解し、少しでも協力できるよう頑張りたいと思っています。

※風・通信No.13 (2002年10月発行)より抜粋

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