添乗報告記●タジキスタンからテルメズ、トルクメニスタンへの道14日間 <前編:タジキスタン&テルメズ編>

出発日:2026年5月27日
文・写真 ● 川崎 洋一(大阪支店)
ツアー名● タジキスタンからテルメズ、トルクメニスタンへの道 14日間

シルクロード大走破の番外編として設定した「タジキスタンからテルメズ、トルクメニスタンへの道 14日間」
梅雨入りを間近に控えた5月末に日本を出発、すでに夏に突入していた中央アジアを横断してきました。長くなりましたので2回に分けて報告いたします。今回は前編です。

後編:トルクメニスタン&ヒヴァ・タシケント編はこちら

1日目 日本脱出

ツアー1日目 日本脱出
日本を出発したのは曇り空の日でした。ソウルで乗り換えてタシケントまでのフライトはほぼ予定通りに到着。
リニューアルしたタシケント空港はまだ進化途上のようで、導線が複雑に入り組んでいました。
3年前この空港に降り立った時には、出迎えのガイドの人は、雨の中、空港建物の外で待っていてくれたのですが、今回は空港建物が自体が拡大!ガイドとの合流も屋内で快適にできました。タシケント夜9時の気温は約20℃。暑くも寒くもないちょうどいい気温でした。

リニューアル中のタシケント空港に到着

ツアー2日目 ウズベキスタンからタジキスタンへ

日程2日目の朝も半そでか薄い長袖1枚がちょうど気持ちいい気温。日中は28℃まで上がるとの天気予報。まずは、ウズベキスタン自慢の高速鉄道アフラシャブ号でサマルカンドへ。鉄塔の上のコウノトリの巣、小さな赤い実をつけたサクランボの果樹などを眺めながら、サマルカンドに到着。

ウズベキスタン サマルカンド レギスタン広場

ザ・サマルカンド レギスタン広場でフォトストップ

サマルカンドからはタジキスタンとの国境まで約1時間。この日は交通量が少なく、国境手続きはスムーズに終了。200mほどスーツケースを引いて歩く必要はありましたが、極暑も雨もなく無事タジキスタンに入国できました。

ここで簡単にタジキスタンの説明を。中央アジア五か国で(残念ながら)一番知名度が低い国で、現在所得水準も最下位に甘んじており、出稼ぎ送金に大きく依存しています。しかしパミール高原という未知の可能性を持った国でもあります。ほかの四カ国(カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、キルギス)はトルコ系民族が主ですが、ここはイラン系。タジク語はイラン語の一種で、隣国アフガニスタンとも言葉の面では高い共通性を持っています。1920年代にスターリンの民族主義をスローガンに生まれた新しい国です。実はサマルカンド、ブハラにはタジク語を話す人々が多くいたためタジキスタンに組み込む主張もあったようですが、なぜか、現在のようにウズベキスタンに取り込まれてしまったそうです。とはいえ、今は両国の関係はとてもいいので、平和な国境越えが実現しています。

タジキスタンの通貨はソモニ。その由来は、中世中央アジアを支配した有名な王様にあります。イスマイール・サーマー二。サーマー二のタジク語がソモニ。そしてもう一人タジキスタンで有名な人がサラズムの王女(骨しか残っていませんが)。彼女については後程紹介いたします。

タジキスタン サラズムの王女、イスマイール・サーマーニ

タジキスタンの二大スター?
左)サラズムの王女(紀元前3000年頃)
右)サーマーン朝の最盛期の王、イスマイール・サーマーニ(9~10世紀)

タジキスタン入国を祝ってワインで乾杯!

ツアー3日目 ペンジケントで古代にふれる

午前中、古代ペンジケントの遺跡観光へ繰り出しました。5~8世紀にソグド人の町として繁栄していたシルクロードの町。722年アラブの侵略の後、街は打ち捨てられましたが、それが幸いし、町の原型が砂の下に保存されたのだとか。「中央アジアのポンぺイ」と呼ばれています。
王宮があり、官僚の屋敷、民家、ゾロアスター教寺院跡、鳥葬が行われた場所などがあったそうです。遠くには3,000~5,000m級のザラフシャン山脈が白い雪を頂き、市街地の向こうにはザラフシャン川が削ったであろう段丘が望めました。
ソグド人もイラン系だったからでしょう、街の一角かペルシアの英雄ロスタムを描いた壁画が発見されたそうです。そこにはラピスラズリがふんだんに使われ「青の部屋」と呼ばれています。

ザラフシャン川 ペンジケント

奥の山すそを流れるのがザラフシャン川(ペンジケント遺跡)

ザラフシャン山脈 ペンジケント遺跡 タジキスタン

高さのある遺構 当時は2階か3階建ての建物跡でしょうか?遠くにザラフシャン山脈の雪山が見えます

タジキスタン ペンジケント遺跡

街はずれには要塞がある一方、住民エリアにはゾロアスター教寺院のほかヒンドゥー教の神像も出土したそうです(ペンジケント遺跡)

タジキスタン ペンジケント遺跡

この近くでペルシアの英雄を描いた壁画が発掘されました(ペンジケント遺跡)

タジキスタン ペンジケント遺跡の壁画想像図 ルダーキー博物館 

青色もふんだんに使われた、ペンジケント遺跡の裕福な家の復元図ですが、「青の部屋」ではないように思えます(ルダーキー博物館)

タジキスタン ペンジケント バザール

ペンジケントの小さなバザールはとてもにぎわってました

もうひとつ訪れた遺跡はサラズム遺跡。16haの敷地に広がる発掘後の遺跡を屋根で保護した施設でした。ここで発掘された女性(「サラズムの王女」と呼ばれている)の遺骨と副葬品の実物(聞き間違いかも)が展示されていました。それは5000年前に遡るといいます。5000年前と言う言葉に「四大文明と一緒? 歴史書き替えないと!?」と驚きの声が上がっていました。

タジキスタン サラズム遺跡

サラズム遺跡の入口 お金かかってます!

タジキスタン ペンジケント サラズム遺跡 王女

サラズムで埋葬されていた女性の遺骨と副葬品

サラズムの王女 輻葬品 タジキスタン

サラズムの王女とともに埋葬されえていた宝石類ーラピスラズリ、カーネリアン(ざっくりいうとメノウの一種?)、銀、貝、トルコ石ー (ルダーキー博物館)

タジキスタン ペンジケント サラズム遺跡 神殿

火を崇拝する神殿だそうですが、時代はゾロアスター教の始まる時代よりずっとずっと前(サラズム遺跡)

タジキスタン ペンジケント サラズム遺跡 太陽神殿

太陽の形に作られており、太陽神の神殿だそうです(サラズム遺跡)

この遺跡のすぐそばにはやはりザラフシャン川が流れ、下流ではサマルカンド、ブハラを潤し、かつてはアムダリア河に注いでました。上流にはペンジケントがあり、さらに上流では砂金がとれたそうです。この地域の繁栄の源だったのかもしれません。

ツアー4日目 イスカンダル湖と死のトンネル

朝、ペンジケントの街を離れ、途中の村で美味しいサモサをいただきながら山間部へと進んでいきました。

途中から舗装道路を外れてダートの道に入りました。近づくにしたがって、むき出しの山肌、その山を削ってできた深い谷。さまざまな鉱物を含んでいそうなカラフルな土が織りなす地層や褶曲、浸食。かつてこのあたりもテチス海の湖底であったと思うと、数億年前からのこの地形がどのようにしてできたのか。とても興味が湧いてきます。

タジキスタン イスカンダル湖への道

浸食がすすんだ絶壁 パキスタン北部にも似たような?

タジキスタン イスカンダル湖への道

カラフルな地層の山がみえてきました

タジキスタン イスカンダル湖への道

カッパドキアの超ミニチュア版?

タジキスタン イスカンダル湖への道

山肌の地層丸出しの壁

イスカンダルとは、アレキサンダーのペルシア語読み。大王が遠征途上で立ち寄ったとの伝説があります。高度をぐんぐん上げた最高地点(峠)で写真タイム。

イスカンダル湖 タジキスタン

イスカンダル湖が見えた!(峠にて)

イスカンダル湖は南側と東側で山容が違って見えました。丸っこい山とギザギザした山。

イスカンダル湖 タジキスタン

イスカンダル湖 北岸から南を望む

イスカンダル湖 タジキスタン

イスカンダル湖 北岸から東側を望む

さらにイスカンダル川が作った渓谷美!イスカダル湖へのドライブはワイルドな景観でした。

タジキスタン イスカンダル湖への道

イスカンダル川が作った渓谷

タジキスタン イスカンダル湖への道

イスカンダル川が作った渓谷

そして、再び本道に戻った私たちは、いよいよザラフシャン山脈越えの道に向かいました。道は急に角度を上げて何度かのジグザグを経て坂道を上り続けました。「片側直下は絶壁」の景観を眺めながら、パミール山系の一つザラフシャン山脈を貫通するトンネルに突入。全長約5㎞にも及ぶトンネルは、完成当時、換気や照明の設備が不十分で事故が多発したため「死のトンネル」と呼ばれているそう。あとで思うと、このあと頭が痛くなったのはそのせいかもしれません。(笑)

タジキスタン 死のトンネル

「死のトンネル」通過中

しかし、そのトンネルを抜けると天国のような風景が待っていました。

タジキスタン 雪山 絶景

トンネルを抜けると、そこはヒッサール山脈の絶景だった

タジキスタン 雪山 絶景

4,000m級のピークを有するヒッサール山脈

その後、私たちを載せた車は首都ドゥシャンベへと下っていきました。

ツアー5日目 熱いドゥシャンベ

タジキスタン 首都ドゥシャンベ ヒッサール山脈

首都ドゥシャンベの街並み ヒッサール山脈も見える

この日のドゥシャンベは35℃。標高も下がり、湿気も出てきました。みなさん、まだ熱さに順応途上。シルクロードの太陽はジリジリと照り付けます。

パミール高原 源流 アムダリア河の支流

パミール高原に源流を持つアムダリア河の支流を越えて

アムダリア河の支流ワフシュ川を越えて訪れた6世紀の寺院跡アジナテパ遺跡は、小さな区画に残る土の塊でした。それだけ見ると当時の繁栄を想像するのはむつかしいですが、かつては、東は中国、北はサマルカンド、ブハラ、西はテルメズ、南はインド、ペルシアへと各方面へ道が延びていた一大仏教センターだったそうです。発掘は1959年と最近のこと。それまでは悪霊の住む丘などと呼ばれていたそうです。私の勝手な想像では、お寺の宝を守るために、代々「悪霊が出る」と敬虔な信者の末裔が言いふらして回っていたのではないか、そしてそのお宝が、中央アジア最大という涅槃像・・・なんてことを思うのだが・・・。そんなことはないか。今周辺は畑しかありませんが、掘り返せばいろいろ出てくるかもしれませんね。

タジキスタン アジナテパ 涅槃仏出土

アジナテパ遺跡の北側 仏塔のあった場所は今土に戻っている、中央アジア最大級の涅槃仏はこの麓から発掘されました

タジキスタン アジナテパ

アジナテパ遺跡 南側の回廊の一部

暑さが応えた私たちは、タジキスタン最大のバザールへ。近代的な建物にエアコンを期待しましたが、中は吹き抜けの3階建て、冷気は感じられませんでした。それ以前にエスカレーターは止まっていました(汗)。暑さのせいか、誰か一人が、メッシュのTシャツを買い求めたのを皮切りに、Tシャツの購入ラッシュが・・。

タジキスタン ドゥシャンベ メフルゴンバザール

ドゥシャンベ最大のメフルゴンバザール

続いては、現地ガイド曰く「世界一の収容人数」を誇るでっかいイマーム・アブ・ハニファモスクへ行きました。たしかに巨大でした。女性はモスク用の服装を着用するように言われ、長すぎる裾を足元で括ったためちょっと可愛らしい出で立ちとなりました。モスクの中は涼しく、この日一番快適な場所でした。

タジキスタンの首都ドゥシャンベにあるイマーム・アブ・ハニーファ大聖堂モスク(ドゥシャンベ中央モスク)

カタールの援助でできた中央アジア最大ともいわれるモスク

首都ドゥシャンベにあるイマーム・アブ・ハニーファ大聖堂モスク(ドゥシャンベ中央モスク)

13万5000人(建物内は2万5千人)収容できるという自慢のモスク

ツアー6日目 タジキスタンからウズベキスタンへ

今日は再び国境を越えてウズベキスタンに戻ります。途中ヒサール要塞に立ち寄りました。今復元された要塞は19世紀ブハラハン国時代の王の住まいですが、遠く3000年前から交通の要衝として重要な場所だったらしく、ここにはすでに要塞があり、アケメネス朝ペルシャ時代(紀元前6世紀ごろ)やアレキサンダー大王(紀元前4世紀)が占領したともいわれています。その後、ギリシア人がこのあたりにグレコ・バクトリア王国(紀元前3~2世紀)を建設しました。ガイドの説明ではこの要塞にグラディエーター(剣闘士)養成所?があったと。ローマ⇒ギリシア⇒バクトリアという流れのようなのです!本当だったら驚きです。最後はソ連侵攻時のイスラム勢力の一大拠点でもあったそうで、歴史的価値が高いことを改めて認識しました。

タジキスタン ヒッサール要塞

古代のシルクロードにおける交易路の要衝に立つヒッサール要塞

タジキスタンからウズベキスタンへの国境越えも、多少時間は要したものの、それほど厳しいチェックはなく、ウズベキスタンとタジキスタンの良好な関係が感じられました。しかし、ウズベキスタンに入ってから宿泊地のテルメズまでが結構遠く、みなさん空腹に。全員一致で、途中の町で急遽食事を取ることに。そこで立ち寄ったお店が正解!食べた串焼きが大あたりでした!みなさんで美味しく頂きました。

ウズベキスタン 串焼き

店の前で焼いてる串焼きのにおいに誘われて

ツアー7日目 テルメズ

テルメズと言えば、加藤九祚(きゅうぞう)先生です。テルメズでの仏教遺跡の発掘に尽力し、今もテルメズの立派な博物館に先生のコーナーがありました。先生がファヤズ・テパで発掘した釈迦三尊像は、保存状態もよく、1~3世紀のガンダーラ美術の最高傑作のひとつと言われています。タシケントの歴史博物館に本物があるのですが、修復中なのか、海外へ出張中なのか、なかなか出会うことができません。テルメズではレプリカではありましたが、加藤先生のコーナーにきちんと鎮座されていました。

テルメズ考古学博物館 ガンダーラ

加藤九祚先生が発掘に携わった釈迦三尊像(レプリカ)(テルメズ考古学博物館)

カラテパーこちらも加藤先生が発掘に携わった遺跡。遺跡は少し高台にあり、そこからは南に平原が広がり、アムダリア川が望めます。そしてその川の向こうはアフガニスタン。ガイドからは「対岸にはカメラを向けないでください」と言われました。のどかな仏教遺跡のすぐそばに、神経をピリつかせる国境が敷かれていたのでした。ここに大国間の境界線が引かれたのは19世紀の後半、ロシア帝国の南下政策以後のようです。歴史年表を流し読みする限りでは、シルクロード時代(バクトリア、クシャン朝など)は、それまで川の両側の土地は共存していたように思えるだけに残念です。それにしても、仏教とギリシア・ローマと合流点・テルメズは面白いところでした。
ちなみに、上の釈迦三尊像が出土したのはカラテパ遺跡のすぐ隣のファヤズテパからです。

ウズベキスタン テルメズ カラテパ 大ストゥーパ

2段の基壇を持つ大ストゥーパ跡 左手前からの傾斜が階段の跡らしい(カラテパ遺跡)

ウズベキスタン テルメズ カラテパ遺跡

日干し煉瓦を積み上げた回廊 仏龕などもあり、僧房への入口も見えている(カラテパ遺跡)

ウズベキスタン テルメズ カラテパ 僧房入口

僧房の入口は日干し煉瓦できれいに整えられていた(カラテパ遺跡)

ウズベキスタン テルメズ カラテパ 僧房

僧房の中は洞窟式になっている 上部は白く、下部は赤く塗られていた(カラテパ遺跡)

ウズベキスタン テルメズ カラテパ遺跡出土の仏像 (テルメズ考古学博物館)

カラテパ遺跡出土の仏像(3~4世紀)
(テルメズ考古学博物館)

テルメズ考古学博物館 ギリシア

テルメズ近郊の遺跡に残る、ギリシア起源のアカンサスの葉のデザイン(テルメズ考古学博物館)

テルメズ考古学博物館 ギリシア

テルメズ近郊の遺跡に残るギリシア文明の影響
左)クシャン朝の王子像の頭部
右)アテネ像
(テルメズ考古学博物館)

ツアー8日目 テルメズからブハラへ

この日は1日大移動です。長い間工事中だった区間の修復が完了し、1日で移動できることがわかって、この区間の日程を全線車移動に切り替えました。約450㎞の大移動です。
途中、バクトリアとソグディアナ地方を分かつ国境とされる鉄門を訪ねる予定でしたが、近くのチェックポストで訪ねると、今日は通行止めで行けないとのこと。事情が事情だけに断念しました。しかし、その一方、別の方向を指さして「あっちから道がある」との情報も。その言葉を頼りにダメ元で鉄門探しの旅が始まりました。ガイドとドライバーが懸命な聞き込みをしながら案内してくれた谷は、私が思っていた鉄門のイメージにぴったりの峡谷でした。両側を高い絶壁に挟まれた狭く長い峡谷。キャラバン隊がたどるにふさわしいものと思いましたが・・・。

ここがもしかして鉄門?

ルート探しに時間を要したためブハラ到着が遅くなると危惧したものの、後半の道路は快適でブハラには日没間際に到着。夕食のテラスからは夕日を拝む幸運にも恵まれました。

ブハラへの道中見かけた 愛のらくだ?

ブハラ 夕日 カラーンミナレット

ブハラの夕食に待っていた夕暮れの風景

夕食後は、せっかくなのでブハラの旧市街の夜景も楽しみながらホテルへと向かいました。

ウズベクスタン ブハラ カラーンミナレット

夕食を終えたテラスからの眺め(カラーンミナレットなど)

ウズベクスタン ブハラ 夜景 カラーンミナレット カラーンモスク

ブハラの町もせっかくなので少し夜景を楽しみながら帰りました
左)カラーンミナレット
右)カラーンモスクの入口

明日はいよいよトルクメニスタンです。

後編につづく
後編:トルクメニスタン&ヒヴァ・タシケント編はこちら

今回の旅

1日目:東京⇒(飛)⇒ソウル⇒(飛)⇒タシケント
2日目:タシケント⇒(鉄道)⇒サマルカンド⇒(国境)⇒ペンジケント
3日目:ペンジケント
4日目:ペンジケント⇒イスカンダル湖⇒ドゥシャンベ
5日目:ドゥシャンベ
6日目:ドゥシャンベ⇒(国境)⇒テルメズ
7日目:テルメズ
8日目:テルメズ⇒ブハラ
9日目:ブハラ⇒(国境)⇒マリィ
10日目:マリィ⇒アシガバット
11日目:アシガバット⇒地獄の門
12日目:地獄の門⇒クフナ・ウルゲンチ⇒(国境)⇒ヒヴァ
13日目:ヒヴァ⇒ウルゲンチ⇒(飛)⇒タシケント⇒(飛)⇒
14日目:⇒ソウル⇒(飛)⇒東京

黒い字:日本発着
緑の字:ウズベキスタン
青い字:タジキスタン
赤い字:トルクメニスタン

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