第358話 ラ・ドゥク ~高山病~ チベット医・アムチ小川の「ヒマラヤの宝探し」

みんなで薬草観察(ラダック)

みんなで薬草観察(ラダック)

7月18日出発のラダックツアー「暮らしに息づく伝統医学」を間近に控え、講師の小川、つまり僕は高山病のことばかりが気にかかっていた。かつて、チベット医学生時代(2001~2008年)は3500~4500mの山々を駆け巡り、日本人でありながら高山病を一度も経験したことはなかった。しかし、卒業後の2014年のラダックツアー(第172話)2015年のアムドツアー(第187話)では、どちらも軽い高山病に悩まされてしまった。自慢の体力(もう、そんなに若くはないのに)を過信していたが所以である。講師ゆえに離脱が許されないというプレッシャーも少なからず影響したであろう。そこで、今回は中村社長の「高山病対策を楽しむ気持ちで」というアドバイスを全面的に受け入れ、薬と機器にしっかりと頼ることにした。

タシさんのお宅にて(ラダック・ティンモスガン)

タシさんのお宅にて

 まずは教科書どおり、羽田出発の当日から利尿剤のダイアモックスの服用をはじめた。この薬は脳の呼吸中枢を高めてくれる効果も期待できる。さらに「葛根湯が意外と効きますよ」という中村社長の体験談を頼りに、ラダックに飛び立つ直前のデリーから服用を始めてみた。葛根湯の麻黄が交感神経を高め、さらに生姜の作用との相乗効果で血流がよくなることが期待できる。なによりも麻黄はラダックに豊富に生えていることから、相性の良さが期待できる。しかも持参するのは森のくすり塾が販売する「満量処方の葛根湯」である。整腸剤も勧められたので、こちらは上田市の隣に工場がある御当地薬のミヤリサンを選んだ。合理性とともに物語性も大切にするのが僕ならではの趣向である。

高山病対策 四種の神器

高山病対策 四種の神器

 そして、中村社長が早朝、わざわざ羽田空港まで届けてくれたパルスオキシメーターをレー空港に到着後から頻繁に用いて血中酸素濃度を計測した。僕があまりにも頻繁に(神経質なまでに)用いるので、参加者の皆さんも「ついでに」と計測してくれていた。こうして数字で把握するのは予防とともに安心につながるし、遊び心が生まれてくる。もちろん「深呼吸に勝る薬はなし」の格言にもとづき、僕が率先して「ふーー」と深呼吸を繰り返した。
 ちなみに高地で暮らすチベット、ラダックには当然というべきか、もともと高山病という概念は存在しないが、ラ・ドゥク(峠の毒)、もしくはダク・ニョム(岩場の狂気)という言葉で認識されていた。チベット医学としてはソロ・マルポの根が推奨されている(第122話)。また、自宅の周囲から持参した土の匂いをかぐという治療法を耳にしたことがある。

デニソワ人の末裔、スタンジンとタシ(ラダックにて)

デニソワ人の末裔、スタンジンとタシ

実は、彼らが高地に強いのは高地で生まれ育っているからだけではない。彼らこそが高地における選ばれし人種だからである。なんと、チベット系民族の高地適応能力は、約16万年前にチベット高原へ進出したデニソワ人(注1)から受け継いだDNAに由来しているというではないか。低酸素の過酷な環境でも血液中のヘモグロビンが異常増加せず、健康を維持できる仕組みはデニソワ人から引き継いだものなのである。この事実を知ったとき、高山病に対していい意味であきらめの境地に至ることができた。
しかし、高地に適応した血液組成はその代償として、低地における栄養食の影響をうけやすく、糖質代謝異常になりやすくなってしまった。なるほど、チベット人はツァンパに代表される粗食が体質にあっていることがわかる。また、ヘモグロビン濃度が比較的高い多血質なために、高血圧(日本人の標準と比べて)になりやすく、脳血栓や心筋梗塞などの突然死が多いことが京都大学・家森教授の調査でわかっている。こうした適応のための取捨選択は他の地域でも見られ、たとえば、赤道近くの民族はマラリアに適応するために赤血球の形状を変化させたけれど、その代わりに貧血にかかりやすくなった事例が有名である。何かを得れば何かを失う、トレードオフの仕組みが人類には存在しているようだ(注2)

フウロソウ(ラダック)

フウロソウ

 さて、低地人である日本人なりに努力した高山病対策の甲斐あって、僕を含めて参加者の皆さんも深刻な高山病にはかからずに7日間のラダック滞在を終えることができた。そして高山病対策に自信を得た僕は、帰国するなり中村社長に「来年はザンスカールのアムチ(伝統医)を訪ねるツアーを催行しましょう」と出発前の及び腰はどこへやら、調子に乗った報告をして笑われたのであった。

追記
ここで紹介したのは高山病対策の一例です。参考にしてください。

標高4,300mのパンゴンツォで元気な筆者(ラダック)

標高4,300mのパンゴンツォで元気な筆者 

注1
デニソワ人(デニソワじん、Denisova hominin)は、前期・中期旧石器時代にアジア全域に分布していたと考えられる旧人類の絶滅種、または亜種である。 Wikipedia

注2
たとえば、日本人は長い農耕の歴史と島国の環境によって、丈夫な骨と特殊な腸内環境を長所として獲得した一方、アルコールに弱く、内臓脂肪がつきやすいという短所を抱えている。

参考記事(外部)
チベット人の高地適応はデニソワ人由来(ナショナル ジオグラフィック 2014.07.03)
チベット成人の腹部肥満関連食事パターンと糖尿病リスクの関連性(CareNet Academia 2025年7月21日)
ヒマラヤ・チベット高所住民の健康 ~低酸素適応と生活変化の相互作用~ (雲南懇話会 第31回 2014/12/20)

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