生きる指針

*風のメルマガ「つむじかぜ」702号より転載

先週の日曜日、家の近くへ車で買い物に行った帰り信号待ちをしていると、突然、前の車の運転席から若い男が降りて、ドアを開けたまま車の中の仲間たちに見せるよう踊り始めた。激しい音楽が聴こえてくる。最初は、何かあったのだろうかと不思議に思ってその男をじっと見たが、目が合った瞬間、ヤバそうだと感じたので目線を逸らした。

信号が青に変わる直前に車に乗り込んで、何もなかったかのように男は運転を続けた。次の信号では、今度は助手席のドアが開いて、少々小柄な若い男が同じように踊り始めた。薬でもやっているんじゃないか? 直感でそう思った。次の交差点でその車は右折し、私とは道を違えたのでそれで終わったが、妙にその白塗りの高級車が目に焼きつき嫌な感じが残った。

おりしも今週、昨年の6月に東名高速で煽り運転の末、夫婦を死なせてしまった男の裁判が報じられた。『「邪魔だボケ」といわれてカチンときた』と煽った理由を説明している。考えすぎかもしれないが、踊っていた若い男たちに同質の嫌悪感を抱いた。あれではいつか事故を起こすに違いない。

最近、朝の電車で年配者同士の喧嘩に遭遇した。パンをかじりながら乗車してきた70歳ほどの男が、私の横に座って本を読んでいたこれまた70歳くらいの男性に「何見てんだよ。何か文句でもあるのか」と、乗車して早々に難癖をつけ始めた。もうそこからはお互いに「バカ野郎」「クソ野郎」「お前にそんなこといわれる筋合いはねえ」の応酬である。

どう考えても難癖をつけた男が悪いのだが、ここまで行くと周囲の若い人たちからは、いい年して何やっているんだと呆れられるに決まっている。そんなに私と年齢が違うとはいえないこの年配者同士の喧嘩は、どうにも情けなく悲しい思いがした。

何故だろう。どう考えてもやりすぎだ。心の余裕がなくなっているのだろうか。それとも、たまたま苛立ちが表面化しただけなのだろうか。年配者については評するにも値しないが、若い人については、生きる指針がなく欲望でしか行動の基準がないということか、と心配になる。

しかし、その指針は誰が何処で示すのだろうか。2020年、道徳教育が小学校で教科化され成績がつけられるようになる。それで問題は解決されるのだろうか。甚だ疑問である。


★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。


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