玄奘三蔵が辿った帰路 西域南道の見どころ8選

玄奘三蔵がインドで勉学を終え戻ってきたルートです。パキスタンからアフガニスタンへ抜け、パミール高原のタシュクルガンを通って中国へと戻ってきます。カシュガル(疏勒)からを西域南道として、タクラマカン砂漠の南を東へ向かいます。ヤルカンド(莎車)やホータン(和田)、ニヤ(民豊)、チャルチェン(且末)、チャルクリク(若羌)、ミーラン(米蘭)と続き、峠を越えて、敦煌へと東に進んでいきます。尚、現在の町と、当時玄奘が辿った際の町の位置は、砂漠の位置の変化によって異なっています。
現在は、石油採掘場として発展している花土溝などを途中宿泊地として通り、ヤルダン地形などの高原地帯を走りぬけて敦煌へ向かいます。

1. ヤルカンド(莎車)

アマンニサ・ハン廟
16世紀の詩人・音楽家アマンニサ・ハンを祀る霊廟
写真:Colegota(CC BY-SA 2.5) / 出典

カシュガルから南東へ進み、タクラマカン砂漠の西の縁に開けたオアシス都市ヤルカンド(莎車)。西域南道の最初の拠点として、古くから隊商たちが行き交ってきました。町には胡桃畑やザクロ畑が広がり、ヤルカンド川を渡ってバザールへ向かう道すがら、繭やアトラス織り、ウイグル帽子づくりなど、手仕事の営みに出会えます。

町のシンボルは、16世紀のヤルカンド・ハン国で活躍した詩人・音楽家アマンニサ・ハンを祀る霊廟。彼女はウイグル民族音楽の粋「十二ムカーム」を編纂・保存した功績で知られ、その音楽はユネスコ無形文化遺産にも登録されています。レース細工のように精緻な白亜の霊廟は、砂漠の町に咲く一輪の花のような美しさです。

ヤルカンド周辺で受け継がれるドラン・ムカームは、農民たちの間で伝えられてきた素朴で力強い音楽・舞踊。西域南道ならではの豊かな音楽文化にも触れられる町です。

2. ホータン(和田)

タクラマカン砂漠が町の北部まで押し寄せる西域南道の最大のオアシスです。かつては仏教国として栄えていましたが、現在はイスラム文化が色濃い町となっています。中国で宝石といえば「玉」のイメージが強く、その産地がホータンです。『漢書』西域伝にも于闐(ホータンの旧名)の項に「玉を多く産する」という記載やマルコポーロの『東方見聞録』でもホータン周辺の玉について触れており、古代から中国と西域諸国との間の重要な交易品として珍重されていました。今もホータン玉は人気があり、町中には原石を売り買いする人々や玉の加工品販売店なども軒を連ねています。また絹織物の絣模様アトラスもお土産ものとしても人気です。

加工された玉製品 白く透けるように美しい
加工された玉製品 白く透けるように美しい

図面を見ながら、数人で縫い上げていく(ホータン絨毯工房にて)
図面を見ながら、数人で縫い上げていく(ホータン絨毯工房にて)

お土産にもお勧めの座布団サイズの絨毯。しっかりとした厚みがある。
お土産にもお勧めの座布団サイズの絨毯。しっかりとした厚みがある。

アトラスと呼ばれるウイグル族伝統の絹織物もホータン人気のお土産。(アトラス工房にて)
アトラスと呼ばれるウイグル族伝統の絹織物もホータン人気のお土産。(アトラス工房にて)

活気溢れる市内のバザール
活気溢れる市内のバザール

3. ラワク仏寺遺跡

砂漠の中に位置するホータン郊外のラワク(熱瓦克)仏教遺跡
砂漠の中に位置するホータン郊外のラワク(熱瓦克)仏教遺跡 1000年以上の歴史がある

ホータン市街から北へ、タクラマカン砂漠の砂丘を分け入った先に、ラワク(熱瓦克)仏寺遺跡があります。かつて仏教国として栄えたホータン王国(于闐国)の面影を伝える貴重な遺跡のひとつで、1000年以上の歴史を持つと伝わります。

中心には日干しレンガで築かれた仏塔(ストゥーパ)が残り、20世紀初頭にはイギリスの探検家オーレル・スタインがこの地を訪れ、周囲の塑像群を調査・記録しました。玄奘三蔵も『大唐西域記』の中でホータンの仏教の隆盛について触れています。

周囲を砂丘に囲まれた静寂の中にぽつんと立つ仏塔は、かつてこの地に確かに存在した仏教文化の記憶を、砂漠の中でひっそりと守り続けています。

4. ニヤ遺跡(尼雅)

ニヤ遺跡
1906年、オーレル・スタインが撮影したニヤ遺跡の住居跡
写真:Aurel Stein(CC0) / 出典

ホータンとチャルチェンのほぼ中間、タクラマカン砂漠の奥深くに、かつて精絶国(せいぜつこく)の中心地として栄えたニヤ遺跡が眠っています。現在の民豊(ニヤ)の町から北へ約115km、ラクダかジープでしか辿り着けない砂漠の奥地です。

1901年と1906年、イギリスの探検家オーレル・スタインがこの地を発掘調査し、住居跡や仏塔、そして西域南道研究における一大発見となったカローシュティー文字の木簡群を発見しました。中でも1995年に出土した「五星出東方利中国」の文字を織り込んだ錦は、中国の国宝級文物として知られています。

今も一般観光客が訪れることが難しい、まさに「秘境中の秘境」。西域南道が秘めた歴史の奥深さを象徴する遺跡です。

5. チャルチェン(且末)

古西域三十六国の一つとして、大谷探検隊やヘディンも訪れている西域南道のオアシス都市の一つです。
市内には且末博物館があり、また町の特産の玉を扱った玉市場などもあります。郊外には、100年の歴史があるイスラム教徒の地主荘園(現在は観光用に展示)や、ザグンルク古墓(敷地面積は約35,000平方キロメートルという広大な土地に150を越える墓が見つかり、発掘調査されています。展示されているのは14人が眠る一族のお墓です)などがあります。尚、訪れる際は許可等が必要となり都度確認が必要です。

14人一族のミイラが保存されているザグンルク古墳群
14人一族のミイラが保存されているザグンルク古墳群

約100年の歴史を持つウイグル族の館、地主荘園
約100年の歴史を持つウイグル族の館、地主荘園

ホータンと並び玉の売買が盛ん 町中にも加工品店などが軒を連ねる
ホータンと並び玉の売買が盛ん 町中にも加工品店などが軒を連ねる

6. チャルクリク(若羌)

米蘭遺跡へ行く際に拠点となるのどかなオアシスの町です。
市内には2011年オープンした楼蘭博物館があり、楼蘭、米蘭、小河墓などチャルクリク周辺の遺跡や出土品についての紹介がされており、外国人(日本人)の私たちにとっても興味をそそられることでしょう。
(※楼蘭遺跡は立入禁止区域ですが、米蘭遺跡は2026年現在観光可能です。)

チャルクリクの楼蘭博物館
チャルクリクの楼蘭博物館

7. 米蘭故城

米蘭(ミーラン) スタインにより発見された故城跡
米蘭(ミーラン) スタインにより発見された故城跡

広大な跡地に、所々、仏塔や居住跡、烽火台址などのかつて繁栄した都の痕跡がみられる
広大な跡地に、所々、仏塔や居住跡、烽火台址などのかつて繁栄した都の痕跡がみられる

チャルクリクから東へ、かつてシルクロードの要衝として栄えた鄯善国(ぜんぜんこく)の中心地のひとつ、米蘭故城が残ります。20世紀初頭、探検家オーレル・スタインによって発見され、仏塔や住居跡、見張り台(烽火台)の跡が広大な廃墟の中に点在しています。

米蘭故城を一躍有名にしたのが、仏教寺院跡から出土した「有翼天使像」の壁画です。西洋の天使のような翼を持つこの仏教壁画は、ガンダーラ美術や、遠くローマ・ビザンツ美術の影響を色濃く受けたとされ、シルクロードを通じた東西文化交流の証として世界的に知られています(現物は大英博物館などに所蔵)。

楼蘭遺跡が立入禁止となっている現在、この一帯の古代オアシス王国の面影を実際に歩いて辿ることができる、貴重な遺跡のひとつです。

8. ヤルダン地形

ヤルダン地形
風化がつくり出した奇岩群「魔鬼城」
写真:Yoshi Canopus(CC BY-SA 3.0) / 出典

チャルクリクから敦煌へ向かう最後の道のりには、風が刻んだ独特の地形「ヤルダン」が広がる荒野が続きます。ヤルダンとはウイグル語で「切り立った丘」を意味し、長い年月をかけて風が柔らかい地層を削り取り、硬い部分だけを残してできた奇岩群です。

強風が吹き抜けると、岩の隙間から不気味な音が響くことから、地元では「魔鬼城(ゴーストタウン)」とも呼ばれています。動物や城塞、船の帆のような姿に見える奇岩が、地平線まで無数に連なる光景は、まるで異星の大地に迷い込んだかのようです。

石油採掘基地として栄える花土溝などの町を経て、この荒涼としたヤルダン地帯を抜けた先に、ようやく緑あふれるオアシス都市・敦煌が姿を現します。西域南道の旅を締めくくるにふさわしい、スケールの大きな絶景です。

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