ブータン人の見た日本人の幸せ [Vol.2]

先日、ブータン人の友達が日本にやってきた。

日本に来るのは初めて、そして大都会の体験も初めてだったようで、

Tokyoはいろんな意味で刺激的だったようだ。

彼の仕事の合間をぬって、何度か会った。

東京の雰囲気に翻弄されすぎて、挙動不審になっていないだろうか、

(辛くない)日本の食べ物は合うのだろうか、

とちょっと心配していたが、会うと案外落ち着いていた。

滞在初日に出会ってしまった日本酒がいたく気に入ったらしく、

僕と会うときはいつも、彼は日本酒の熱燗を飲んでいた。

また今日も、居酒屋へ一緒に繰り出す。

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新宿


「日本はどうだ?」

「みんな忙しそうですね。それにおとなしい。電車のなかではみんなとっても静か・・。」

といって、彼は熱燗を目の前のおちょこに注ぐ。

電車のなかではあんなに人が多いのに、みな静かに整然としているのが

やはり驚きらしい。僕も東京の電車はいまだに驚きだ(笑)。

東京を訪れる外国人観光客が一様にショックなのが電車らしいが、

あの画一化オーラの全開の空気感は、単なるマナーや習慣をこえて、

異様なる御力のようなものをどうしても感じてしまう。

まるで車内の秩序全体そのものが、ちょっとしたひとつの生命体に見えてくる。

(人間はその生き物を構成する「部分」だ。)

大阪や京都にも彼は出張で行ったらしいが、そこでは

電車のなかでもオッサンやオバちゃんたちがぺちゃくちゃしゃべりまくり、

子供たちも躾けがちょびっと悪いせいか、車内でかくれんぼをする始末で

「まるでブータンみたいだった」と言っていた。

ブータンって電車あったっけ?というツッコミはおいておき、まぁとにかく

やっと安心したようである、笑。

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高田馬場駅


もうひとつ、彼がカルチャーショックだったのは、日本のお寺。

会社の仲間に連れられて東京随一の人気寺・浅草寺に行ったようだが、

そこで彼が驚いたのは、「ご本尊が秘仏であること」だったようだ。

チベット人やブータン人にとって、お寺に参拝すること=

ご本尊にまみえてご加護を頂き、祈りを捧げることである。

ご本尊にまみえて、やっと参拝が一段落し、

参拝とはご本尊なしにはあり得ない。

聖なる中心にできるだけ近づいて、五感ともどもそれにどっぷり浸かり、

ブレッシングされ、身も心も晴れて、そこでやっと満足のいく参拝となる。

それが叶えられないお寺とは・・。

ブータン人の彼にとって、浅草寺はお寺であってお寺でないお寺なのだ。

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浅草寺


ご本尊が1,300年以上にもわたって人々の目にふれられず、それでも

お寺として立派に機能して人々の信仰の対象となっているのが、

どうも解せないようだった。

この秘仏の習慣は、我々日本人には珍しいことではないが、

ブータン人の眼を通して、あらためてその奇異さが際立つ。

そこには、日本の宗教のありようが垣間見える。

秘仏の実践とはおそらく、ご本尊=聖なる中心を無限遠に後ろにずらしつつ、

そこにブラックホールのような吸引力を生み出すことであろう。

それは(我々もよく知っているよう)ものすごい演出効果だ。

我々の想像だったり信仰心だったり欲望だったりが、

すべてこの無のブラックホールに回収されていく・・。

浅草寺はその名に抗うよう、底なしの井戸のように深いものを宿しているのだ。

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ブータン・タクツァンゴンパ


ふたたび居酒屋の場面に戻る。

僕「あれ?そういえばブータンで会ったときは、禁酒していなかったっけ?」

彼「今でもしてるよ。日本酒はお酒じゃないから(笑)。」

僕「ああ、そうだった、そうだった。」

ラサでもそうなのだが、禁酒の定義が相当アイマイなのである。

ようは、チベット・ブータン文化圏の方々は非常に「おおらか」なのである。

ラマの前で禁酒を誓ったなどと言いながら、ラサを離れ別の街に行ったりすると、

どういうわけかその禁酒が「自己解除」される。

たとえば、シガツェでは飲むことが許される、自称禁酒ラサ人がどれほどいることか。

また、僕の親しい友人は、禁酒とはいっても、それは「ビールに対して」であって、

白酒(アルコール50度前後の強い酒)だったら問題ないという、

まったくもって興味深いルールなのだ。

僕がロンドンでチベット語を教えていたとき、フランス人の生徒がひとりいた。

彼女は熱心なチベット仏教の信徒で、禁酒をしていたのだが、

ある日、彼女の家庭に夕食に誘われたとき、ワインを飲んでいる彼女を僕は見かけた。

僕の気持ちを察してか、すかさず彼女いわく

「ところで、ワインってアルコールじゃないからね!」

厳格な仏教徒でも、彼女はやはりフランス人だったのだ、笑。

おそらくは、日本人のアルコールに対する定義が厳格すぎるのかもしれない、と思いなおす。

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ブータン・ポブジ谷


ブータン人の彼は、ブータン東部の農村出身でボン教のバックグラウンドをもつ。

彼の信奉するシャーマンの話を、僕はおちょこを片手に熱心に聞いていた。

とても面白かった。

彼のほうも彼のほうで、彼の田舎話を、

興味を持って聞いてくれる人がいるとは思ってもみなかったようで、

話が非常にはずむ。おそらくは、数合ほど流しこんだ日本酒のせいもあろう。

そして、ふと、彼の視線が店のなかに向けられる。

そこには会社帰りのサラリーマンやOLたちが、ワイワイ楽しそうに飲んでいた。

みなスーツ姿で、一流企業で働いているような雰囲気である。

珍しそうに彼が見ていたので、僕は彼に話しかける。

「日本ではね、仕事が終わった後、同僚たちと飲みに行ったりするんだ。そこでは、昼間話せなかったこと、仕事の大事な話なんかを、仲間や上司と腹を割って話す。会社の秘密の話から、企画の新しいアイディアまで、こうやって飲みながら、ストレスを発散しながら、話したりするんだよ」。

そして、彼がぼそっと言う。

「ブータンでもこんな習慣があったら、みんなもっと幸せになるのに・・」

話をきくと、ブータンでは会社の上司や仲間たちと一緒に飲みに行く習慣があまりないという。

そもそも、日本のような居酒屋というのが非常に少ないようだ。

あるにはあっても、「いかがわしい場所」であることが多いため、

家で夫の帰りを待つ嫁は、少しでも夫の帰りが遅いと

「遊んでいると疑う」のだという。

「日本の会社の飲み会・・ なんていい習慣なんだ・・

・・ブータンではこんなことはあり得ない・・とてもいい、いいなぁ・・」。

そして彼は続ける。

「でもね、僕の嫁はあったかいひとで、理解のとってもある人なんだ。仕事で遅く帰ってきても何も言わないし、僕の仕事や僕の立場をよく理解してくれている・・。ぜんぜん美人じゃないんだけど、とてもやさしい女性なんだ」。

と言いながら、僕に写真を見せてくれる。

すると、そこには、非常に美しい女性が彼と一緒に写っていた。

とても幸せそうな写真だった。

そして、彼は空になった自分のおちょこに、熱燗の残りを注ぎ入れ、

彼女にどんなユニクロの服を買っていったらいいだろうかと、僕にたずねるのだった。

Daisuke Murakami

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