コロナ禍以降、年末年始に遠出することはほとんどない。この年末には買い物と墓参りに出かけ、年明けはのんびりと過ごしてしまった。
少し寂しい話をする。家の墓は大田区萩中(蒲田駅と多摩川の中間)のお寺にある。この寺は関東大震災に被災し、昭和3年(1928年)に築地本願寺の寺中からこの地へ移転した。築地以来の本家の墓や大叔父の墓もあり、地中ではさぞ賑やかなことだろうと思っていた。いつものように妹と家のかみさんとでお寺に出向むき、お花とお線香を買うための出店で三家分注文すると、そこの女将さんが大叔父の墓が墓じまいをしたという。そして本家の墓にもここ数年、誰もお参りに来ていないと告げられた。雲一つない晴れた日で、掃除をして手を合わせると妙に落ちつく。しかしどこかひっかかっている。いとこや叔母に連絡しようと考えたが、他人の家のことに口出しは無用だと、つくづく思いなおした年末であった。
さて、この大晦日は何年ぶりかで娘夫婦一家と一緒に手巻き寿司などをほおばり、紅白歌合戦のほとんど知らない歌を聞きながら除夜の鐘を迎えた。翌元日からは、小さなセットのおせちと家の前の天婦羅屋さんから頂いた「両関初しぼり」をちびちびとやりながら、かみさんが大好きな駅伝とラグビーの大学選手権準決勝を眺めていた。なんと我が母校が決勝に駒を進めたのだ。母校愛などはさらさらないのだが、やはり自然に力が入ってしまう。
ようやく4日に初詣と近くの農家にお茶を買いにでかけた。お参りは岩岡八幡社。根宜さんもいない小さな村の鎮守さまだ。誰もいないので静かなお参りであった。この鎮守さまからお茶農家に向かう途中、家並みの向こうに真っ白な富士山が見える。
いつものことながら、富士山を見つけると奇妙に心がざわつくが、気分はとてもいい。

函南の友人の家からの富士山
6日にはかねてからの誘いで、友人の函南の別荘にでかけた。昔の仲間と鍋をかこみ、翌日には七草粥を食べ、昨年に奥さまを亡くし、まだ裁判を続けている91才になる大先輩の家にでかけた。この道行でも富士山のオンパレード。武蔵野台地に住む僕にとっては、大きな富士にますます心がざわついた。うん、いい正月だ。
松も明け11日には、楽しみにしていたラグビーの大学選手権の決勝で、わが母校が優勝した。今年は幸先が良い。そして15日の小正月を迎えた。7~8年前になるが、風カルチャークラブの講座「暮らしのくすり塾」でお世話になった東秩父村の磯田さんのご主人から、小正月の行事「けずりばな」をご教授いただいた。その時の「はな」もまだ家の床の間に飾ってある。今年も「けずりばな」を搔いているのだろうか、磯田さんも90才を超えている。

所沢市岩岡のお茶畑(左)/埼玉県東秩父村・神棚に飾られた小正月のケズリバナ(右)/
続いて17日には31年前の阪神淡路大震災を想い出した。そのころ風の旅行社ではネパールのセーターやグアテマラの布などの販売をしており、その日の数日前まで西宮のえびすさんの参道の洋品店の店先を借りて売っていた。ほんのわずかな運があったのだろう、この大震災に巻き込まれることはなかった。不思議なことにこの日、なぜか朝早くに起きてしまいテレビをつけると、とんでもない映像が流れていた。言葉もでないほどのショックをうけ、関西方面の友人に電話をかけまくったが、誰一人として繋がらなかった。治ることのない深い傷を負っている人々がまだまだいるはずだが、こうやってのんびりと睦月を過ごせるのは、つくづく贅沢なことだと思う。
さて、今年こそは良い年になってほしいと思っていたところ、衆議院が解散だという。投票日には、厳寒の福島県只見町にいる。