<川﨑一洋さん寄稿>五台山へのいざない

2014年9月に予定しているツアー
9/10(水)発
川﨑一洋さんと行く仏教美術巡り 世界遺産「五台山」周遊と、山西省の古寺巡礼

に合わせて、川﨑先生よりご寄稿いただきました。
このツアーでは、現役の住職であり、密教の曼荼羅を中心にアジア各地の仏教美術を研究する川﨑先生が同行し、解説を交えながら、五台山を中心とした仏教美術を巡ります。


五台山
五台山・塔院寺の白塔と周囲を取り巻く外輪山


文殊菩薩の聖地「五台山」のはじまり

中国・山西省の東北部に位置する五台山は、文字通り中台、東台、西台、南台、北台の5つの峰からなり、最も高い北台は標高3,058メートル。そして、標高2,000メートルほどの山内には47にも及ぶ仏教寺院が点在しています。大乗仏教の経典『華厳経』には「東北方に菩薩の住むところがあって清涼山といい、そこでは文殊菩薩が一万の菩薩たちとともに常に説法している」と説かれており、北魏時代から五台山をこの清涼山とする信仰が始まり、遠くはインド、西域からも巡礼者が訪れるようになりました。四川省の峨眉山、安徽省の九華山、浙江省の普陀山とともに中国の四大仏教霊山にも数えられています。

北魏の孝文皇帝がこの山に遊んだ時、一人の僧侶に化身した文殊菩薩が現れ、座具(僧侶が坐るための敷物)一枚分の土地を請いました。皇帝が承諾したところ、僧侶の敷いた座具は五台の峰すべてを覆う広さになったと伝えられています。また5つの峰々には、文殊菩薩に帰依した龍がそれぞれ100匹ずつ棲んでおり、現在に至るまで日々に不思議な気象現象を起こすといわれています。


円仁が見た五台山

比叡山延暦寺を開いた伝教大師・最澄の弟子であった慈覚大師・円仁(794~868)は、最澄と共に日本で初めて大師号を授けられた高僧として知られています。最澄の後を継いだ円仁は新たな仏法を求めて45歳で唐(中国)に渡り、艱難辛苦の末、五台山に辿り着きました。円仁の在唐は9年に及び、その旅の日記『入唐求法巡礼行記』は、世界三大旅行記の一つに数えられています。

五台山を訪れた円仁は、山内の寺々を巡り、インドからもたらされた仏舎利や経典、皇帝から献上された絢爛豪華な仏具や西域製の絨毯などの数々の珍宝を見分し、五色の光雲を見るなどの奇瑞に幾度も遭遇したことをこと細かに記録しています。また、五台の峰々に登山した円仁は、咲き誇る高山植物の美しさを「珍しくすばらしい色の花が山一杯に満ち、谷から頂に至るまで四方が花に埋まって錦を敷いたようであり、よい香りが盛んににおって着物に染み透ってくる」と描写しています。

比叡山延暦寺の正門に当たる「文殊楼」は円仁の建立で、円仁が五台山で感得した文殊菩薩を祀り、中央と四方の礎石には、五台山より持ち帰った霊石が安置されていると伝えられています。


二人の三蔵法師と五台山

「三蔵法師」とは、仏教の僧侶が学ぶべき経(経典)と律(戒律)と論(論書)に通暁した高僧のことで、中国では、経典の翻訳活動に功績があった訳経僧に皇帝よりこの称号が贈られるようになりました。ちなみに五台山には、日本の密教とゆかりの深い二人の三蔵法師が身を寄せました。

不空三蔵は、弘法大師・空海の師の師に当たる人物で、朝廷の後援を得ながら、五台山の中でも屈指の名刹である金閣寺を完成に導きました。日本では空海は不空三蔵の生まれ変わりであるとされ、空海が誕生した6月15日は不空三蔵の入滅した日であると伝えられています。

もう一人の三蔵法師は、日本人で唯一三蔵法師の称号を授与された霊仙三蔵です。近江出身の霊仙三蔵は804年に入唐し、サンスクリット語を習得して新しい経典を翻訳し、密教の秘法を学びましたが、五台山で修行中に何者かによって毒殺されたとされています。円仁は『入唐求法巡礼行記』の中で、五台山で霊仙三蔵が自身の手の皮を剥いでそれに描いた小さな仏画を拝したと記録しています。


チベット仏教と五台山

7世紀以降、文殊菩薩の住まう聖地としての五台山の名声はアジア各地に広まり、インド、カシュミール、チ ベットをはじめ、日本や韓国からも巡礼者が訪れるようになりました。そして歴代皇帝がチベット仏教を信奉し た元、明、清の時代には、名だたるチベットの高僧が五台山を参拝しています。

13世紀には、サキャ派五祖の一人サキャパンディタの甥に当たり、モンゴルのフビライ汗の帝師に任ぜられたパクパが、15世紀には、ゲルク派の祖・ツォンカパの弟子で、セラ寺を建立したシャーキャイェシェーが五台山を訪問しました。シャーキャイェシェーの訪中は、明の永楽帝から招聘されたツォンカパに代わってのものでした。18世紀には、乾隆帝の帝師チャンキャラマ2世ルルペードルジェが五台山についてチベット文で紹介した『清涼山志』を著し、彼は五台山で没しました。

ちなみに20世紀初頭、ヤングハズバンドが率いる英国軍の侵入によってラサを追われたダライラマ13世は、モンゴルのウランバートル、アムド(青海省)のクンブム寺を経て五台山に寓居し、そこでアメリカ大使のロックヒルや日本の大谷尊由(大谷光瑞の弟)と会談しています。


ツアー情報


川﨑先生同行 国内ツアーもあります