変わり始めたモンゴル

昨年の「風のチベット」に続き、「風のモンゴル」で「ツアー・オブ・ザ・イヤー準グランプリ」を受賞しました。昨年は、初めての受賞ということもあってそれこそ手放しで喜びました。ベテランスタッフの間には今までの苦労が報われたという思いがあり、若手のスタッフには驚きがありました。特にツアーの企画の中心的な役割を担ってきた野村幸憲(現取締役・企画手配部部長)、川崎洋一(現横浜支店長)にとっては感慨深い受賞でした。今回は、2年続けてということもあって、少し冷静な目で自分たちがやってきたことを思い返しつつ、まだまだやらなければならないことが山積みだと改めて考える機会となりました。

手探りで始まった風のモンゴル

「モンゴルを手掛けてみたいから出張に行かせてくれ」1993年2月、川崎洋一はいつもの調子で、まだ零下20数度のモンゴルへ下見に出掛けました。1991 年に民主化したばかりのモンゴルでは、当時はまだ数える程しか民間の旅行会社はなく、日本語ガイドも殆どいませんでした。それでも6月には「モンゴルカセットプラン」として、個人手配を中心に販売を始めました。8月に野村幸憲が添乗した時には、現地のガイドが日本語をまったく話せず、片言のロシア語で何とか切り抜けたとか、車が草原の中で何度も故障して動けなくなったりで散々な目に合いました。翌年の寺山元(現大阪支店長)が添乗した「ヘリコプターで駆け巡るモンゴル」と題したツアーでは、ヘリが中々飛ばず、草原で待ちぼうけを食い、ほうほうの体でウランバートルのホテルにたどり着いたら、そのホテルがまだ建築中だったとか、まあ挙げたらきりが無いほどトラブルが始終起きました。食事も、殆ど野菜がなく、羊肉中心のモンゴル料理のオンパレードでした。しかし、当時のお客様は、最初から覚悟されていたのか、時には我慢できないこともあったのでしょうが、そんなトラブルをむしろ楽しむような風で、添乗員は、お客様に随分助けられたものでした。

変わり始めたモンゴルと風の旅行社の挑戦

1996 年に大阪とウランバートルが直行便で結ばれ、1998年には弊社も、モンゴル航空の販売代理店となり、「風のモンゴル」を販売するようになりました。その間の数年で、モンゴルでは、日本語を学ぶ学生が急増し日本語ガイドが増え、バスもロシア製から韓国製や日本製中心になり、食事も日本人が抵抗なく食べられるような内容に変りました。トラブルも随分少なくなりました。モンゴルを訪れる観光客の殆どが日本人ですから、日本人に合わせよう意図があってのことなのでしょうが、ここまで急激に変った国は珍しいと思います。そこにモンゴル人の向上心の表れの様なものを強く感じます。
「観光する場所が殆どない」これがモンゴルの大きな特徴です。あるのは、無限に広がる大草原と、そこに暮らす遊牧民と、その生活・文化・習慣です。通 常、旅行会社が扱うツアーは、観光地を迴る形が多いのですが、モンゴルは、その手法はまったく通 用しません。むしろ、大草原の素晴らしさを直に肌で感じてもらい、遊牧民とふれあい、その生活・文化・習慣を体験する場面 を如何に演出できるかが勝負だと私たちは考えてきました。
しかし、こうした体験型のツアーは現地の受け入れが鍵になります。モンゴルに誇りを持ち、きちんとした仕事ができる人間がパートナーとして必要です。何故なら、長年にお亙いにやり続けないと良いものはできないからです。観光地を巡れば終わりというツアーとはおおいに違うのです。そこで、2000年2月、東京で1年半働いていた、シャグダル・ハグワを社長にしてにMONGOL KAZE TRAVEL(MKT)を設立しました。とてもまじめな人間で、何よりもモンゴルの将来を自分が担いたいという気概がありました。経験は浅くとも、自社のホスピタリティーを確立する核になってもらうこと を願いました。

直営キャンプ「ほしのいえ」

MKT にとって一番の柱は、昨年オープンした「ほしのいえ」という直営のゲルキャンプの運営です。ウランバートルから離れ、草原に出るとツーリストキャンプに泊まるのですが、あくまでホテルと同じで、遊牧民の生活・文化・習慣からはかなり遠い物になってしまいます。何とか自前で、モンゴルの自然と伝統的な文化を守りながら、モンゴルでしか味わえない楽しみ方を提案できるキャンプを作れないか。そんな思いが高じて、「ほしのいえ」に繋がったというわけです。お客様用ゲルはたったの6個で、簡単なシャワーしかありませんが、まるで民宿に泊まったような感じです。固定施設を作らず、冬は全部たたんでコンテナに保管してしまいます。翌年は、また別 のところに作ります。遊牧民の移動には、草原をいためないという知恵があります。その習慣に従ったというわけです。
その他にもモンゴルに関しては、色々なことをしてきました。例えば、乗り心地と安全確保の配慮から、ブリティッシュ仕様の乗馬鞍を30個日本から持ち込んみ「ほしのいえ」で使用しています。乗馬でブーツを買うのは大変なので、脛に当てるチャップスというサポータを作り使っています。乗馬の際は、安全上の配慮から、遊牧民がお客様二人に一人付くようにしています。昨年から、シーズンの5〜9月は、日本から駐在員をMKTに派遣するようにしました。今年は、無線機も「ほしのいえ」に設置しました。旅行という日程を追うだけでは分からない部分に、配慮し、そこに関わる人間も含めて質の高いものにしていく。時間は掛かりますが、そうしないと本当に納得のいくツアーにはなりません。モンゴルに関しては、まだまだ、やることは一杯あります。

ツアーオブザイヤーの受賞と新たなる夢に向けて

ツアーオブザイヤーの準グランプリの受賞は、こうした私たちのツアー作りの過程と努力と、その結果としてでき上がっている「風のモンゴル」というパンフレット全体を評価して戴けたと思います。しかし、それは、「風のモンゴル」を支持して頂いたお客様が居てこそ成り立つことです。こうした受賞は、現地のMKTのスタッフにとっては大きな励みになるでしょう。正直申し上げて、「風のモンゴル」もMKTはまだまだ発展途上です。失敗も多々あります。この受賞を良い意味で一層の努力に繋げて欲しいものだと思います。

「ネパールで、グランプリを取ろう」これが次の大きな目標になりました。手前味噌ですが、弊社にとって最も歴史が長く、現地スタッフが充実し、素晴らしい仕事をしてきたのはネパールだと思います。再度、ネパールの良さにぐっと迫れるような「風のネパール」を作って行きたいと考えています。

※風・通信No12(2002年秋号)より転載

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